ナザリック地下大墳墓の5日間戦争。 内政改革と、とあるメイドが掴んだ至高の奇跡 作:バルカン39
「パンドラズ・アクター」
宝物庫の張り詰めた絶望の沈黙を破ったのは、人間となったアインズの声だった。彼の中にある『鈴木悟』の頭脳は、ゲームマスターとしての経験から一つの確信を得ていた。
「今すぐ防衛指示所へ向かえ。デミウルゴスに代わり、お前がその場に立ってナザリックを導くのだ。お前なら私が何を考えているか、言葉にせずとも理解できるはずだ」
「――御意。この命に代えましても、お父様の『真意』を体現してみせましょう!」
パンドラズ・アクターは即座に防衛指揮所へと転移した。
◇ 防衛指揮所
失策に震えるデミウルゴスの前に、パンドラズ・アクターが降り立った。
「デミウルゴス。これより私が現場の直接指揮を執ります。……今すぐ、ナザリック地下大墳墓のすべての食堂を『フル稼働(最大出力)』させなさい! 料理長以下、全一般メイド、全調理魔物を総動員し、作れる限りの料理と酒を今すぐ用意させるのです!!」
「……は?」
デミウルゴスの思考が完全に停止した。通信網からも困惑の沈黙が伝ってくる。
「な、何を言っているんだパンドラズ・アクター! なぜこの状況で食堂を……!?」
「いいですか、ナザリックの食堂で提供される最高級の食事の数々……それらにはすべて、ユグドラシル由来の強力な『ステータス上昇(バフ)』、あるいは特定の属性への『弱体化(デバフ)』効果が付与されています! お父様が人間になられたことで、私は確信したのです。オーレオールが敷いた結界でどれほど魔力が狂おうとも、この『飯の匂い』と『システム的な強制効果』だけは欺けないと!」
パンドラズ・アクターは不敵に笑い、作戦の全貌を告げた。
「今から全軍、一人当たり一日9回の『ローテーションでの強制食事作戦』を敢行します! 24時間絶え間なく、凄まじい高頻度でバフの残滓を大墳墓全域の空気へと混ざり合わせるのです! 我々ナザリックの軍勢が順番に食事を摂り、バフを得て配置に戻る。その時、もし空間のどこかに『食事を摂っておらず、バフ効果の波形だけを不自然に弾いている座標』、あるいは『空腹という人間の生理現象によって、料理の匂いに五感を揺さぶられた不審なバイタル』があれば、そこがネズミの潜伏場所です!」
人間という矮小な生物の、生理的な限界とシステム的な盲点を突いた完璧な逆算。しかし、この指示に対し、全階層守護者たちの間に別の意味での衝動が走った。
『……パンドラズ・アクター、言わんとしていることは頭では理解できるでありんす。……だが、不敬者を前にして、このシャルティアに皿を突っつけと言うのかえ!?』
『僕も……頭では分かります。でも、本能が……僕たちの血が、あの虫ケラを今すぐ引き裂けと叫んでいるんだ……!』マーレも同様の反応である。
彼らは高度な知性を持つ守護者であり、作戦の正当性は100%頭では理解できていた。だが、彼らの内なる「魔物としての本能」が、主を傷つけられた激怒のあまり、食事などという悠長な真似を強烈に拒絶していた。
「静まりなさい!!」
そこへ通信網に割り込んだのはアルベドの、地獄の底から響くような叱咤だった。
「これは、アインズ様がパンドラズ・アクターに全権を委ねられた作戦です。本能で動く狂犬になり果てることこそ、至高の御方への不忠であると知りなさい!」
アルベドの一喝に、守護者たちは一瞬で声を詰まらせた。
◇食堂
ナザリック地下大墳墓・大食堂と厨房
そこは、もう一つの『戦場』だった。
普段であれば厳かな静寂と一流ホテルすら凌駕する美しさに満ちている空間だが、今の光景は全く異なるものだった。
「次! 次の皿を早く持ってこいでありんす!!」
シャルティアが普段の優雅さを完全に投げ打ち、トレイをひったくるようにして肉を口に押し込んでいた。
彼らの目的はただ一つ、「我先に食事(バフ)を終わらせて、一秒でも早く持ち場へ帰る」こと。
何しろ、一人当たり一日9回という常軌を逸した頻度での食事が義務付けられているのだ。味わう余裕など一瞬たりとも存在しない。
その凄絶な嵐の源流たる厨房は、もはや爆発寸前の火山と化していた。
「急げ! 麺を上げろ! 汁を注げ! 盛り付けなどどうでもいい、胃袋に叩き込めればそれでいいんだ!!」
「アウラ様とマーレ様から追加注文! 3秒で出せ!!」
「シャルティア様よりおかわり! スプーンを添えて叩きつけろ!!」
飛び交う怒号。それと同時に、注文管理コンソールの画面は、次から次へと滑り込んでくる膨大な注文によって埋め尽くされ、限界を告げるような禍々しい赤色に染まりきっていた。
「ひぃぃ、もう皿の形なんて選んでる暇はないんだよぉ!!」
料理長(ヘッドシェフ)は、流れ落ちる汗を拭う暇もなく、2本の手を狂ったように蠢かせて、まるで何十本もの手を用いて巨大な中華鍋と寸胴とフライパンを同時に操っているようであった。
(私は戦闘向きのNPCではない……。至高の四十一人の方々から賜った私のレベルは、純粋な料理の技芸。戦場を駆ける守護者たちのような圧倒的な武力は、私には、ない……!)
料理長は、自身の戦闘能力の低さに心の中で涙し、嘆いた。だが、次の瞬間、彼の瞳にナザリックの住民としての獰猛なプライドがギラリと宿る。
(――だが! アインズ様が危機に瀕し、ナザリックの存亡がかかっている今、料理を作ること自体が、不敬者を屠るための『戦闘』なのだ!! 我らが至高の主を救うため、この厨房の戦場、絶対に私が、力尽きるまで乗り切ってみせる!!)
料理長のその決意の咆哮に応えるように、調理魔物たちが一斉に雄叫びを上げる。
その結果、厨房から怒涛の勢いで吐き出される料理は、調理時間最優先で器に叩き込まれたため、スープ皿にはソースの滴る焼きそばが溢れんばかりに盛られ、平皿には今にもこぼれそうなスープが波打ち、深々としたどんぶりには無造作にちぎられた果実が放り込まれている。
ある皿に適当に、急いで盛り付けたその配膳は、普段のナザリックの美意識からは完全にかけ離れた混沌そのものだった。
「咀嚼の時間が惜しいでありんす!」
シャルティアはフォークもナイフも投げ捨て、目の前の皿からスプーンで狂ったように食べ物を口へと直接かき込んでいた。
隣のテーブルでは、アウラやマーレも、そして集まった異形の魔物たちも、ただ咽びながら凄絶な勢いで喉へ食事を流し込んでいる。かつて至高の四十一人をもてなした優雅なテーブルマナーなど、そこには一切存在しなかった。
誰も喋らない。ただ、凄絶な殺気と、皿の割れる音、あるいは狂気的なかき込み音だけが空間を支配していた。戦場ではないが、また別の、剥き出しの忠義がぶつかり合う戦場のようであった