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二〇×一年 十月二十七日 水曜日
解体作業中のマンション跡地。
ガスマスクを身に着けた北上が塀を飛び越えて敷地内に侵入すると、そこには既に先客がいた。キツネ面のハンターだ。
キツネは北上に気付いていたが、その目は前方の暗がりに向けられたまま、刀を構えるでもなく、何か思案している様子でその場を動こうとしない。
その様子を見た北上は、この場にいたアナザーは既に倒された後なのだと理解した。
「君か?」
「違う」
キツネは短く、冷たく答えた。一緒にするなとでも言いたげな、苛立ちを抑えるような声だ。
「核すら残っていないよ。加減も分からず、力を誇示するために使っているような印象だ。恐らく、あの少年でもないな」
北上とキツネは今、同じ少年の姿を思い浮かべている。シルバーのスーツに身を包んだあの少年は、あれ以来どの現場でも見かけていない。
「これで、五件目」
キツネの呟きで、北上はキツネも自分と同じ状況にあることを知った。
桜見川中央公園での戦闘からここ数週間の間、二人は、ただ一つとして核を手に入れることが出来ていない。気配を察知して現場へ赴いた時には既にアナザーは消滅していて、そこには破壊の跡だけが残されているのだ。
北上は公園での一件を思い出しながら、状況が次第に変化していることについて考えを巡らせていた。欲望に任せて人を襲う、獣のような存在であった筈のアナザー。北上はそれらが、知恵をつけ始めているように思う。
そして姿の見えない第四のハンターらしき存在も、北上には脅威と感じられていた。現場に残された跡からは、強い破壊衝動が見て取れる。
「キツネ。俺と、組まないか」
「組む?」
キツネの声のトーンは、否定的だ。
「嫌か?」
「嫌も何も、互いに目的が同じ以上、最期が見えている。後ろから撃たれては敵わん。……なにより、合う気がしないよ。お前とは」
「何故だ?」
振り向いたキツネ面の奥で、微かに笑う声がする。
「お前とは、趣味が合わん」
キツネがそっと指さすのを見て、北上は先ほどの言葉がガスマスクのことを指しているのだと気付いた。
北上がガスマスクを身に着けているのは、正体を隠すことが出来るからだけではなく、アナザーが放つ臭気にも耐えることが出来るという合理的な理由からだった。
そんな北上にしてみれば、キツネの面こそ、どこか浮かれているような印象だ。それは確かに顔を隠すことが可能だが、祭りの夜店を連想させるようで、こうした戦いの場にはそぐわないように感じられる。
北上とキツネとは、公園の一件で初めて互いの存在を知ることとなった。あの時彼らは互いの風貌に絶句して、背を向けあっていたのだ。
「次は必ず仕留める。その時は、邪魔をするなよ」
言い残して、キツネは暗がりに消えていく。
北上も咄嗟に何かを言い返そうとして、しかしうまく言葉が見つからず、彼はただ虚空を見つめた。いつも、言葉が出てこない。
警備や警察が駆け付ける前にと自分に言い聞かせ、北上も現場を後にする。
ビル陰で普段のスーツ姿に戻ると、北上は自宅へ向けて歩き出した。左手の古い革鞄には必要最低限の荷物だけが詰められているのだが、仕事終わりに駆け付けたということもあり、今日がまだ週の半ばであることもあって、それはやけに重く感じられている。
夜の匂いに鼻をくすぐられて顔をあげると、そこにはまばらな星空があった。
満天には程遠い都会の空でも、その下に幾千もの生活があるのだと思うと、それは何より美しいものとして北上の目に映る。
(次……か)
キツネの待ち望む、次の闘い。それは北上にとって、出来ることなら永遠に在っては欲しくないものだった。
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何食わぬ顔で勝手口から家に戻ると、南城は台所を出たところで父親と鉢合わせた。
普段、この時間は道場で門下生を相手にしているはずの父親が、今日は着流し姿で折りたたまれた新聞を手にどこか所在なさげにしている。
「戻っていたのか」
何故そんなところから出てくるのかとは、父親は尋ねなかった。特に、疑問にも思っていない様子だ。
「はい。少し、走りに出ておりました。道場は、いかがされましたか?」
「今日は、小学生のクラスだけだ。時間を繰り上げた」
近頃は物騒だからなと、父親は小声で付け足した。
南城は、その言葉が自分にも向けられていると感じ取る。
父の言葉には娘を気遣う親心があったが、それと同じ位に、他所へ迷惑を掛けることが無いようにという戒めも含まれていた。先日の公園での一件以来、警察という言葉に父親は敏感だ。
「今度の休みは、お前も顔を出しなさい」
「はい。……兄さんは?」
「聞くな」
「はい。失礼します」
それだけいうと、南城は父親を残して風呂場へと向かった。
去り際、南城は父親からの視線を背中で感じたが、それには気付かない振りをした。
家中が、寂しい。それは、今に始まったことではなかった。随分前から、この家の中は寂しさに満ちていた。
父親は区議会議員を務める傍ら道場を経営し、母親は華道や茶道、着付けといった教室を開いていることもあって、南城家は道場にも母屋にも人の出入りの絶えない家ではあった。
だが運ばれてくる賑やかさは来訪者の帰宅とともに去り、夜にはまた寂しさだけが残されるのだ。
南城は無意識に、溜息を漏らしていた。この家では、呼吸すらままならない時がある。
脱衣所で服を脱ぎ捨てると、南城は備え付けられた大きな姿見に目をやった。そこに映る長身の女と目が合うと、彼女は祈るように目を閉じる。
裕福な親の元に生まれ、満足な教育を受け、さして不自由のない暮らしを送ってきた南城だが、それでも彼女は、目が覚めたら別人に生まれ変わっていることを願うようなことがあった。
強い体躯と、充実した仕事にも恵まれた。だが心だけは暗がりへ引き込まれがちで、時折、落ちていくような強い衝動に駆られることがある。
「受け継ぐのなら、狩れ――」
どこからとなく耳に蘇る声。
それは、南城が初めて狩ったアナザーが残した、最期の言葉だ。
彼はまた、こうも言った。アナザーを狩り、人外の力を体内に取り込むことで、人を超えた存在になることが出来る。その力は、神にすら等しい、と。
初めてアナザーを狩った雨の夜、南城は震える手で核を拾い上げ、まだ少し熱の残るそれを一思いに飲み込んだのだった。
(全てのアナザーを狩り、神の力を手に入れる)
目を開いて、南城は鏡の中の自分へと言い聞かせた。
しかし決意と共に重い楔のように打ち込まれたその言葉は、まるで少女の祈りのように儚げでもあった。