四、何もかも
全校生徒が耳を傾ける中、校内放送用のスピーカーは、各部門の受賞クラスを読み上げていた。
優秀賞は三年A組の演劇で、最優秀賞は科学部のサイエンス体験。その他、目ぼしい賞は殆ど決まってしまったが、まだ最後の特別賞が残っている。
特別賞は外部のお客さんの投票で決まるため、実質一番人気があった出し物ということになるのだ。
「特別賞は……北上先生です! おめでとうございます!」
両手を合わせて祈っていたヒカルのクラスメイト達は、皆そろって驚きの声を上げた。
放送部の部員は、続けて北上の授賞理由を読み上げている。
それによれば、本来は一年B組の「マッスルたこ焼き」が受賞となるのだが、現在はその経営権を北上が所有しているということで、北上が受賞に至ったという。
「それでは、北上先生。一言コメントを頂けますか」
「なんだ?」
「コメントですよ。先生」
「ん?」
「あの、北上先生。先ほどお話したように……」
音声は、途中で流行りの洋楽に切り替わった。
廊下という廊下に、各教室の笑い声が漏れている。
ヒカルのクラスメイト達は、どうにかして北上から経営権を奪い返すことが出来ないかと現実離れした計画を画策し始めた。
そもそもあの設定は完全に冗談では無かったのかと、ヒカルは呆れつつ笑いを溢す。
「皆さま、お待たせしました。片付け、ありますもんね……」
放送部の漏らした本音に、再びパラパラとした笑いが起きる。
「えー。確認しましたところ、北上先生は就業規則で副業が禁止されているということで、たこ焼き屋の経営には手を出せないとのことです。そのため、特別賞は一年B組の『マッスルたこ焼き』に決定しました! おめでとうございます!」
教室内で歓声が起きて、皆が傍にいたクラスメイトと手を叩いて喜んだ。
クラス委員の長山の音頭で皆が互いを称え合うと、今度は後夜祭に向けて慌ただしく片付けの作業に移る。
担任の上川だけは、自分のクラスの子供たちの成果に感動し、潤んだ目元で窓の外を眺めていた。元々の感動気質もあったが、最近では定年が近づくにつれ涙もろくなっている。
生徒たちが片付けのために動き回っている横で、上川だけは、賞を譲った北上には礼を伝えるべきだと少しズレたことを考えていた。
ヒカルは、中庭で屋台を崩していた。大体解体してしまえば今日の作業は終わりで、後は後日設定されている片付けの時間に作業を行う事になっている。
鉄板などの業者へ返却するものについては、長山の指示で既に作業が完了していた。
この文化祭を通してクラスメイトから長山への信頼度は跳ね上がり、女子からの好感度も幾らか上昇しているという。しかし長山本人は、それに気付いていない。
工具類をまとめて箱にしまうと、ヒカルは傍で作業していた友人に声を掛けてから教室へ向かう。暗くなってきたので、細かいものを外へ置いておきたくなかったのだ。
暫く歩いたところで、ヒカルはトイレから出てきたアンズと鉢合わせた。
「東條くん」
「西園寺さん。……顔色が」
思わず口にしたことを、ヒカルは直ぐに後悔した。尋ねるには、場所が悪すぎる。デリカシーがないと、彼の脳内ではリリカが怒っている。
「……西園寺さん?」
アンズは、ヨタヨタとその場にへたり込んでしまった。青い顔をしていて、彼女はヒカルの呼びかけにも応えない。
駆け寄って支えると、ヒカルは再びアンズの名前を呼んだ。
*
「それじゃあ、職員室を見てくるからね」
「はい。じゃあ戻ってくるまで、ここに居ます」
年配の女性の声とヒカルの声とが交互に聞こえて、アンズはゆっくりと目を開いた。
ボンヤリと見つめる先には、学校の天井と、仕切りのカーテンレールが見える。アンズは、自分が保健室にいるのだと直ぐに理解した。
「あれ、起きた?」
アンズの様子に気付いたのか、カーテンの隙間からヒカルがそっと顔を出した。
アンズは無意識に、左手をヒカルに向かって伸ばす。頭ではここにいる理由を必死に考えながらも、体にはまだ少し夢を見ているような感覚がある。
「どうしたの? なにか、取ってくる?」
心配した様子で、ヒカルがベッドの傍へ寄ってきた。
アンズは、グイっとヒカルのシャツを掴む。そして指先に布の質感が伝わると、途端に彼女はこれが現実なのだと理解して、慌ててヒカルのシャツから手を離した。
「ごめんね。あの……東條くんが、連れてきてくれたの?」
「急に倒れるから驚いたよ。今、上川先生を呼びに行ってもらってるから」
「ありがとう。ごめんね。もう、後夜祭だよね」
「まだ少しあるから、大丈夫だよ」
ヒカルの言葉通り、窓の外からはまだ片づけをしているような生徒の声が聞こえている。
外は随分暗くなって、少し寒くなり始めていた。
「……泉さんを、誘ったんだよね? 後夜祭」
アンズには、どうして自分がそんなことを聞いたのか分からなかった。
「彼女なんでしょ? 可愛いもん。泉さん。……憧れちゃう」
「彼女ではないけど……でも、いいかなと思って」
「いいって?」
「周りには、どういう風に思われてもいいかなって。……リリカには、ちゃんとしなきゃと思ってる」
「……ちゃんと?」
「うん。どう思ってるか、言葉にしたことなかったから。リリカには、伝えないと」
「そっか……」
アンズは照れ臭そうに笑うヒカルを見て、その目には自分が映っていないことを悲しく思った。
「東條くん。私ね」
自分には向けられていないのだと思うと、不思議とアンズの心は気楽で、真っすぐにヒカルを捉えることができた。
ヒカルの瞳の色は、蛍光灯の下では普段よりも色濃く見える。
アンズは、次の言葉を口にすることが出来ずにいた。
ヒカルは無言で、アンズの言葉を待っている。それは、特別なことではなかった。初めて会話した時から、ヒカルはアンズが話しを終えるまで、視線を反らさずに待つのだ。
アンズは、自分がこうして黙っている限りは、ヒカルの視線を独り占め出来るような気持ちになった。
それでも、時間は止まってはくれない。
「私、東條くんのこと……応援してるよ」
アンズが精一杯の笑顔を見せると、ヒカルも同じように笑顔を返した。その笑顔は、アンズの胸に刺さるようですらあった。
体調が良くなった事を告げて、アンズはヒカルに、リリカの元へ行くように伝える。女の子のことを待たせてはいけないと言うと、ヒカルもそれに同意した。
保健室のドアが開く音。
ヒカルはやってきた上川と二、三会話を交わして、部屋を出ていく。
ヒカルは、幼馴染の元へ向かったのだ。
これでよかったのだと、アンズは何度もそう自分に言い聞かせる。しかし彼女の心は、次第にざわつき始めていた。