ゲノム・レプリカ   作:伊都川ハヤト

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2-4 何もかも ②

 * 

 

 文化祭中は外されていた各教室のドアが、既に元通りになっている。派手な装飾が施されていた壁や窓は、すっかりいつもの姿を取り戻していた。

 

 ヒカルが一年C組の教室のドアを開けると、窓際の席に腰かけていたリリカがガタンと音を立てて立ち上がった。リリカは、まだ喫茶店のメイド姿のままだ。

 

「ごめん。遅くなって」

 

「別に。いいけど」

 

 リリカの顔は、朝と同じように赤かった。

 

 ヒカルが着替えないのかと尋ねると、リリカは、まだ荷物を取りに行っていないのだと答えた。彼女は残ってヒカルを待つ傍ら、細々とした片づけをしていたのだという。

 

 文化祭期間中はどこのクラスも、私物などの荷物は鍵のかかる特別教室に移動させている。その教室は別の棟にあって、鍵は担任に開けてもらわねばならない。

 

 教室の中は黒板に近い一部の照明だけが点けられていて、後ろのロッカーの辺りはすっかり暗くなっている。窓の外には、文化祭の実行員が準備しているキャンプファイヤーの櫓が見えた。

 

「もうすぐだって」

 

「放送、流れてたね。山田もさっき走ってた」

 

 ヒカルは、急いで校庭にくるようにと、山田に急かされたことを思い出した。

 

「じゃあ、行こっか。私も着替えてくるね」

 

「ううん。まだ行かない」

 

 何故かと、リリカが尋ねる。

 

「写真、撮ろうよ。今日、全然会えなかったろ。……あと、それ、可愛いから」

 

 続けてヒカルは、「アオイにも見せたいから」と取ってつけたような理由を口にした。だが本当は、口にするまでそんな事は頭になかった。

 

 少し遅れて、リリカは頷く。

 

 ヒカルは、自分の顔がリリカよりも赤くなっているのではと思った。

 

 スマートフォンを構えると、二人はまるで出会ったばかりの人と写真を撮るようにぎこちなく笑う。

 

 画面の中で別人のように笑う自分たちを見て、ヒカルとリリカは顔を見合わせて笑った。

 

 もう一枚撮ろうとヒカルが提案すると、リリカが首を横に振る。

 

「やだ。沢山がいいの」

 

 そう言ってリリカが笑うのを見て、ヒカルは胸が温かくなるのを覚えた。

 

 *

 

 鍵を壊して施錠されていた屋上へ出ると、夜風がアンズの頬を撫でていった。

 校庭では、キャンプファイヤーの準備が着々と進んでいる。

 

 パラパラと集まり始めた生徒の中にクラスメイトの顔を見つけると、アンズはその周囲を何度も確認した。しかしヒカルは、まだ校庭には出ていなかった。

 

「背中が広くて……それから、左利きで」

 

 金網を掴んで、アンズはボンヤリと櫓を眺めている。

 

「背は、特別高い訳じゃない。でも、並ぶと頭が少し遠くて……」

 

 アンズの後ろには、いつの間にか中林の姿があった。中林は老人の姿で、地面に転がる壊れた南京錠を眺めている。その切断面の美しさに、中林はアンズの力が各段に強化されていることを知る。

 

 アンズは中林に気付いていたが、それでも目は校庭の方へ向けられていた。

 

 ヒカルの姿を待ちわびながら、同時にアンズは、ヒカルが現れないことを祈っている。

 

「笑うと、目元がクシャってする。声も優しい。……あと、好きな子のために、ちょっとカッコいい顔をしたり」

 

 後夜祭の実行委員が、生徒に参加を促す放送を流している。

 

 放送を聞いて続々と現れる生徒の中に明るい髪の少女を見つけて、アンズはドキリとした。しかしそれは、リリカとは別の生徒だった。

 

「まだ、会って二週間なんです」

 

 アンズの言葉は、中林に向けられている。

 

 中林は、時間は問題ではないと答えた。

 

「お話しする時、私が言葉に詰まると、いつも言葉を待ってくれるんです。『どうしたの?』って、まるで目で聞いてくれてるみたいで」

 

 中林は、恋なのかと尋ねた。

 

 それは陳腐な質問だったが、アンズの心を動かすには充分な一言でもあった。

 

「顔も声も、優しいところも、手も背中も……全部、好き」

 

 言葉にすると、途端に気持ちは溢れ出た。

 

「どうしよう、先生。好きなんです。私、東條くんが好き」

 

 その言葉が、アンズには絶望を、中林には快楽を呼び起こす。今の二人は、何もかもが正反対の状態にある。

 

「欲しいと思うことは、何も悪いことではないさ」

 

「でも……。だって、彼には、好きな人がいるんです……」

 

「別になにも、法に背いた訳ではない。君はただ、好きになっただけだ」

 

 中林は、高揚する心を抑えるのに必死だった。もはや何もかもが、自分にとって好ましい形で進んでいる。中林はこれに、なんらかの存在による意思の介在さえ感じていた。

 

 中林は、強く思う。自分は、選ばれたのだ、と。

 

「欲求それ自体は、なにも悪いことじゃない。金が欲しい。他人より優れていたい。それら欲求は、人間がより高みへ昇るために必要不可欠なものだ」

 

 アンズは中林の言葉に耳を傾けながら、それでもその目は校庭中を見回していた。

 

 ヒカルの姿は、何処にも見当たらない。見たくない筈のものが何時までも現れないことが、アンズには段々と不安に思えてくる。

 

「求めなければ、何も手には入らない。力と同じだ。私は切っ掛けを与えたに過ぎない。君は、求めたから強くなれた。そして君はまだ、変わっていける」

 

 欲しいと、アンズは口にした。しかし唇が軽く震えただけで、それは実際には言葉になっていなかった。

 

 欲しいと、アンズは強く思った。初めて中林に会った夜のことが、アンズの脳裏には思い起こされている。

 

 いじめを苦に自殺を試みたあの日、アンズにはあのまま死ぬことも出来たのだ。そうならなかったのは、自分が生きることを選択し力を求めたからである。

 

 求めなければ、手に入らない。中林の言葉に、偽りはない。

 

 変わりたいのであれば、そう願い行動しなければならない。

 

 アンズの体の周囲を、淡い光が包んでいく。

 

「欲しいの。――何もかも」

 

 アンズは腕を振り上げた。

 

 空気を裂く、透明な刃。

 

 間を置かず、校庭にいた生徒たちから悲鳴が上がる。

 

 アンズの視線の先で、金網の先の櫓が音を立てて崩れていった。

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