ゲノム・レプリカ   作:伊都川ハヤト

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2-4 何もかも ④

 *

 

 同時刻。

 

 北上の姿は、既に校舎の上にあった。顔には、いつものガスマスク。腕には、シルバーのガントレット。上着は、途中で茂みに隠した。

 

 気配を頼りにB棟の屋上へ降り立つと、それとほぼ同時に北上の目が少女を捉える。少女は金網の上に立って、校庭を見下ろしていた。

 

「早いじゃない。あなたは確か……そう、インドラ。でしょう?」

 

 振り向くと、少女は手にしたレースのついた傘を退屈そうにクルクルと回した。

 

 少女は裾の大きく広がったクラシカルなオリーブグリーンのワンピース姿で、頭に乗せた帽子から垂れるベールで目元を覆い隠している。

 

「それは、なんだ?」

 

 少女と対面しながら、北上の耳は校庭へ向けられている。生徒たちは教師の指示で、既に避難を進めているようだ。こちらへ向かう際に確認した限りでは、幾人かケガ人が出ているようだった。

 

「ご存じないの? あなた達には、警察がお名前をつけているの。インドラ。ヘカトンケイル。それから、キツネ」

 

 少女の指さす先には、白装束姿でキツネ面をつけた少年が立っている。

 

 北上はキツネの姿に気付くと、相変わらず駆け付けるのが早いなと感心した。

 

「お一人、遅刻しているみたい。困ったわ。私は、三人を狩らないといけないのに」

 

「狩る? お前が、私をか?」

 

 面の奥で笑いながら、キツネは刀の柄に手を置く。

 

 少女が招くように指を動かすその動きに合わせて、遠くでガラスの割れる音。校庭からは悲鳴が上がり、やがて生徒たちを無数の異形の姿が取り囲む。

 

「あなた達は、人を傷つけられない。違う? 動かずに居てくれたなら、誰も襲わせない」

 

 北上が目を向けると、体育館の隣にある室内プールの窓という窓が割れている。校庭には、這いずりまわる濁ったような色の塊。その気配は、北上もよく知るものだ。

 

 北上は、眼前の少女がアナザーを作り出したのだと理解した。あの公園でヘカトンケイルが倒した筈のアナザーの能力を、今はこの少女が有している。

 

「私が欲しいのは、あなた達の持つ核。それだけ」

 

 少女は、傘をクルクルと回して遊んでいる。

 

「悪いが、俺は核なんぞ持ってはいない」

 

 確認すべきことは他にもあったが、北上は言葉にしなかった。置いてきた南城や校庭の生徒たちの事が気にかかり、時間を惜しむ気持ちがそうさせている。

 

 少女は北上の言葉を耳にするなり、高らかに笑い出した。

 

「じゃあ一体、その力をどう説明するおつもり?」

 

 それには、北上も答えることは出来ない。北上自身、自分の体に起きた変化について説明する言葉を持たないからだ。

 

 北上は約一年前、夜道で暴漢に襲われたことがある。無事に撃退したのだが、その時は酷く疲れていたために、手加減が出来なかった。気付くと暴漢は泡のように消えていき、後には輝く小石のようなものが残っていたのだ。

 

 北上は夢でも見たのだろうかと思いながら小石を拾い、疲れた体を引きずるように家へ帰った。そして拾った小石を眺めながら酒を飲み、いつの間にか横になり――。

 

 朝起きると酒瓶はいつの間にか空になっていて、北上の持ち帰った小石は消えていた。

 

「全く見当もつかない」

 

 北上は、酔っぱらって小石を飲み込んだことに未だ気付いていない。

 

「インドラ。あなたの核は……」

 

「悪いが、少々時間が惜しい」

 

 少女の言葉を遮る、キツネの声。

 

 それと同時に、屋上から放たれた幾つもの矢が校庭のアナザー達の体を捉え、そして瞬時に凍り付き霧散する。辺り一面に氷の粒が舞って、それは光を受けてキラキラと輝いて見えた。

 

 いつの間にか手にしていた和弓を、キツネは少女に向けて構える。

 

「目的は互いに同じだ。狩られるつもりは、毛頭ない。願いがあるなら聞いてやる」

 

「願い?」

 

「ああ。継いでやる……安心して逝け」

 

 キツネから明らかな殺気を感じ、北上は驚いていた。目の前にいる少女は、確かに人間の姿をしているからだ。

 

 少女は俯いて、それから傘をクルリと回した。

 

「私は、正しい世界を作るために選ばれたの」

 

「そうか。では、その正しさは誰が決める? 子供じみた世迷いごとよ。……お前、選ばれたといったな? 核を取り込むことの意味を理解しているのか?」

 

 馬鹿にしないでと、少女が声を荒げた。

 

「核の力を全て集めて、私は神になる。神の創る世界に間違いがあって? 神になって正しい世界を創るの。……私だけが好きじゃ、だめ。好きになってもらうの。正しい世界の私を見て、彼に好きになってもらうの……!」

 

「妄言だ」

 

 キツネは、矢を放つ。

 

 しかしそれは少女の眼前で、彼女の持つ傘によって阻まれた。

 

 砕け散った矢が、風に流れて消えていく。

 

「神は誤りばかり。人に与えるは、仕打ちばかりだ」

 

 キツネが手にしていた弓は、いつの間にか刀へと形を変えている。

 

 北上は、学校の周囲に救急車やパトカーが近づいている事に気付いた。これ以上騒ぎが大きくなれば、この場から離脱することが難しくなる。

 

「キツネ!」

 

 北上は、場所を変えるべきだと伝えたつもりになっていた。

 

「安心していい。神には私がなる」

 

「あら。抵抗なさるのね?」

 

 キツネと少女との間に、ピンと張りつめた空気が流れた。

 

 校門の脇に、幾台か車が到着したようだ。サイレンとガヤガヤした声とに混じって、ケガ人の所在を確認する声が聞こえてくる。

 

 もう時間がないと察して、北上は後方に跳び金網の上に着地した。それから目下の着地点に人の気配がないことを確認して、さらに後ろへ跳ぶ。

 

 地上へ向かう北上の視界に、チカッと眩しい光が飛び込んだ。それは不気味で、不吉なものに思えた。

 

 音を立てて、校舎が揺れる。

 

 グラグラと、地面が激しく揺れている。

 

 ガラガラと、耳障りな音がする。

 

 突風が起きて、飛んできた石や何かの破片を、北上はガントレットで辛うじて弾いた。そして転がるように着地して、北上は慌てて装備を外す。砂埃で前は見えず、遠くからは生徒たちの悲鳴が聞こえている。

 

 そうしてようやく視界が戻った時、北上が先程まで屋上に立っていた校舎は、一部を残して瓦礫の山と化していた。

 

 *

 

 半壊した校舎とは離れた別の校舎の屋上から、中林は双眼鏡で周囲の様子を注意深く伺っていた。

 

 インドラは崩落から逃れ、キツネとアンズも寸でのところで脱出している。しかし中林が探しているのは、彼らではない。

 

 舐めるように見回して、やがて中林は視界の隅に淡い光を見つけ飛び上がった。

 

 半壊した校舎の瓦礫の中で、蠢くものがある。警察も救急隊も、まだ誰もその存在に気付いていない。

 

 中林は、心を踊らせていた。

 

 瓦礫を押しのけて、中からはヒカルが姿を現す。彼はリリカを腕に抱えるようにして、彼女を庇っている。その体は、淡い赤い光に覆われていた。

 

 中林は、言葉にならない声を上げた。今や彼の期待は現実のものとなり、それは手に届く位置で確かに存在している。

 

 リリカを抱きかかえて瓦礫の山から抜け出すと、ヒカルは少し離れた所で力尽き、膝から崩れ落ちるようにしてへたり込む。それと同時に、彼の体を覆っていた光は消えた。

 

 中林は、自分の体が震えているのが分かった。それは恐怖ではなく、喜びのためだ。

 

 夜空に向かって祈る中林の頬を、涙が伝っていった。

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