引き出しが閉まる音を聞いて、グソンが顔を上げた。
「……」
「何かな」
「これ以上親しくなったら、もしもの時、困りますよ」
槙島は開いていた本から目を上げた。
「もしも?」
「彼女に知られた時です。あるいは、向こうに彼女のことを知られた時」
グソンは机の端に肘をついた。
「今は、名前を出すなで済むでしょうがね。会う回数が増えれば、誰かの目には入る」
「それは気をつけるよ」
「隠せるかどうかだけの話じゃありません」
槙島は黙って、続きを待った。
「隠せなくなった時に、どうするかって話です」
部屋の中で、機器の低い作動音が続いていた。
「彼女がダンナを怖がって、二度と会いたくないと言ったら?」
槙島は本の端へ指を置いた。
「それは、彼女が決めることだろう」
「では、会いたいと言ったら?」
指が止まった。
グソンはそのまま続けた。
「知ったうえで、まだ会いに来るかもしれませんよ。今日みたいに危ない目に遭うことが、今度はダンナのせいで起きるかもしれない」
槙島の視線が、机に置いた端末へ移った。
沙代の返事が遠くなった時のことを思い出す。
呼びかけても、すぐにはこちらを見なかった。
あれを自分のそばで、また起こす。
「……彼女には、関わらせない」
「ダンナがそう決めていても、彼女のほうがどうするかは分からないでしょう」
その言葉には、すぐ返さなかった。
グソンは椅子の背へ身体を戻した。
「会うなとは言いません。ただ、今のうちなら、予定が合わなくなった友人で済む」
槙島は彼を見た。
「そうしておくべきだと思う?」
「後で選べなくなるよりは」
槙島は本を閉じた。
しおりを挟むのを忘れたことに、閉じてから気づく。
もう一度開き、読んでいた場所を探した。
グソンはそれを見ていたが、何も言わなかった。
「話は分かったよ」
槙島はしおりを挟み直した。
「……らしくないですね、いつもならどうでもいいと言いそうなのに」
「そうだね、自分でもそう思うよ。ただ、純粋に楽しいと思えるのは久しぶりなんだ」
グソンも、それ以上は続けなかった。
*
しばらくして、端末が光った。
『今日は早めに寝ます。本の話、また聞いてください』
槙島は画面を見た。
次の約束は、まだしていない。
グソンの言うとおり、このまま少しずつ返事を減らすこともできる。
彼女には、別の話し相手ができるかもしれない。
本屋の道も、もういくつか知っている。
返信欄を開いた。
『うん。また聞かせて。おやすみ』
送信して、端末を伏せる。
向かいでグソンが立ち上がった。
空になったカップを持って、部屋を出ていく。槙島は、本を開き直した。
ページは、さっきと同じ場所だった。
今夜は、その先へ進むまでに少し時間がかかった。