10.今思えば後悔
「最近、連絡取ってませんね。やめたんですか?」
グソンの問いに、槙島は本から目を上げた。
「考えているんだよ。君に言われてから、どうするべきか、ね」
「……そんなに大事なんです?」
椅子にもたれていたグソンが、少し姿勢を変えた。
「極論、最後は消しちまえばいいと思っちゃいますけど。早計すぎですかね」
槙島は、彼を見ていた。
すぐには返事をしなかった。その沈黙を、グソンも埋めなかった。
「それを最後の選択肢にしておけば、今は何も考えなくて済むね」
穏やかな声だった。
「ただの知り合いなら、そうするか、今のうちに会わなくするか。どちらかでしょう」
「彼女は、何も知らないよ」
「今は、ですね」
グソンの言うとおりだった。
何も知らないから、沙代は気軽に連絡してくる。
本を読んで腹を立てたことも、笑ったことも、自分に伝えていいと思っている。
その信頼を受け取ったのは、槙島だった。
「もし知られた時、切り離せるのかどうか。ダンナに言ったのは、そ
ういう話です」
槙島は開いていたページへ視線を落とした。
「……別に、普段のあなたになら言わないですよこんなこと。どう見ても彼女に対する接し方も頻度も、らしくない」
「まぁ、そうだろうね。自分でもよくわからないよ」
ここ数日、彼女から新しい感想は届いていない。
最後に送られてきたのは、短い返事だった。
『分かりました。お仕事、頑張ってください』
会えないと伝えた時のものだった。
それから、静かになった。
「……君は、彼女が邪魔になると考えている?」
「そうなる可能性はあります」
「まだ起きていないことのために、殺す可能性まで用意しておくんだね」
グソンは眉をわずかに上げた。
「ダンナなら、そういう考え方もするでしょう」
槙島は顔を上げた。否定する言葉はなかった。
自分が誰に何をしてきたか、グソンは知っている。
だからこそ、その提案は自然に出てきた。
しばらくして、槙島は本を閉じた。
「うん。彼女には、手を出さないで」
グソンの視線が、閉じられた本へ一度落ちた。
「了解です」
それで済ませかけてから、彼は尋ねた。
「……もしもの時も?」
槙島はグソンを見たまま答えた。
「その時も」
機器の作動音だけが、二人の間に残った。
グソンはゆっくりと椅子へ座り直した。
「それなら、なおさら考えたほうがいいですね」
「ああ」
「俺が言ったから、というだけじゃなくて」
槙島の口元が、わずかに動いた。
「そうだね」
*
グソンが作業へ戻った後、槙島は端末を取った。
沙代とのやり取りを開く。
連絡を控えるようにとは、一度も言っていない。
ただ、返すまでに時間がかかるようになった。
以前なら、その日のうちに答えていた。今は一晩置き、時には翌日まで待った。彼女は、待った理由を尋ねなかった。
同じ調子で返事をして、送る文章を短くして、それから送らなくなった。
槙島は、最後のメッセージを読んだ。
お仕事、頑張ってください。
そこに不満は書かれていない。
だからといって、何も感じていないと決めることはできなかった。
入力欄へ触れる。
『最近は、何を読んでいる?』
短い問いを打った。
これを送れば、また話が始まるかもしれない。
彼女は本を持ってきて、紙に書いた疑問を一つずつ尋ねる。
グソンと話す前なら、話が再び始まった後のことを理由に、送らずにおくこともできた。
けれど、今は一つだけ決まっていた。
沙代を殺して終わらせることは、選ばない。それがなぜなのかは、まだ言葉にならなかった。
槙島は文章を消さず、端末を机に置いた。画面が暗くなるまで、そのままにしていた。
*
同じ頃、沙代は読んでいた本を閉じた。紙片には、細かい字が増えている。
一枚に収まらず、裏にも書いた。
誰かに話すために書き始めたメモだった。
今は書いておけば、次に会えた時に忘れずに済むと思っている。
その「次」がいつなのかは、分からなかった。
端末を開き、槙島の名前を見る。何か送るなら、短いものにしよう。
返事をしなくてもいいようなもの。そう考えたけれど、返事が要らないと言ってしまえば、本当に来なくなるかもしれない。
沙代は端末を置いた。
窓際の壁が、薄く黄色くなっていた。
そのことを話した時、槙島は実際に壁へ目を向けていた。
大した話ではないのに、途中で別の話へ変えなかった。
沙代は膝の上の本を、もう一度開いた。
面白いところを読み返したのに、さっきほど笑えなかった。