絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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15.猫を探す時間

 

案内された店は、大通りから少し奥へ入ったところにあった。

窓際の席に座ると、沙代は鞄から買った本を出した。

表紙を上にして、テーブルの端へ置く。

 

「袋に入れたままじゃ、気になる?」

 

槙島に聞かれて、沙代は笑った。

 

「ちょっと。まだ、ちゃんと見てなかったので」

 

注文を済ませ、最初のページを開く。

小さな窓の中に、眠っている猫が描かれていた。

 

「これです。前に言ってた絵」

 

彼が少し身を寄せる。

 

「ページごとに変わるんだったね」

「はい。次は起きてるんですけど、その次にはいなくなってて」

 

沙代はゆっくりめくった。

 

「どこかにいると思って、探しちゃいました」

「今日は、見つかった?」

「まだです。先に見つけても、言わないでくださいね」

「分かった」

 

お茶が運ばれてきて、沙代は本を閉じた。

 

 

カップを持ち上げる前に、窓の外を見る。

 

朝から歩いてきたのに、まだ帰る時間を考えていなかった。

 

 

「……昨日から、ずっと楽しいです」

 

槙島が顔を上げた。

 

「本の話をたくさんできたから?」

「それも。でも、朝起きても誰かがいて、そのまま一緒に出かけるのって初めてだったので」

 

彼女はカップの取っ手に指をかけた。

 

「友達に泊まってもらったこと、なかったんです。こんなに何度も一緒に出かけたりするのも」

 

言いながら、少し笑う。

 

「だから昨日、誘う時はちょっと緊張しました」

「そうだったんだね」

「帰れない時間じゃないって言われて、確かに、って思いました」

 

槙島の口元が緩んだ。

 

「それでも、泊まってほしかった?」

「はい」

 

迷わず答えた。

 

「一人になったら、寂しいなって。せっかく会えたのに、もう終わりなのが嫌だったんです」

 

カップへ目を落とす。

言ってみると、昨夜の気持ちはそれだけだった。

 

「でも、泊まってくれたら、朝も楽しかったです」

「君は、ずいぶんよく眠っていたね」

 

沙代は顔を上げた。

 

「……寝癖の話は、もういいです」

 

彼が笑う。つられて沙代も笑った。

お茶を一口飲み、本へ手を置く。

 

「今日も、買おうと思ってなかった本を買えて、グソンさんにもお礼を言えて」

 

指先で表紙の角をなぞる。

 

「こういうの、いいですね。誰かと出かけると、自分だけだったらなかったことが増えるんですね」

 

 

槙島は、彼女の手元から顔へ視線を戻した。

昨夜、泊まってほしいと言われた。

今朝は、次にはソファを何とかしようと言っていた。

槙島は、そのどれにも深く考えずに応じていた。

沙代には、どれも初めてだった。

 

「一人で出かける時は、どうしているの?」

「用事を済ませたら、帰ることが多いです。何となく歩くこともありますけど……今日みたいに、じゃあ次はお茶にしようって、あまりならなくて」

 

彼女は窓へ目を向けた。

 

「一人でお茶を飲んでもいいんですけど。今見たものを、誰かに話せるのは違いますね」

「本の猫のことも?」

「はい」

 

沙代が笑った。

 

「まだ見つかってないって、言えるので」

 

槙島はカップを持ち上げた。

特別なことを用意したつもりはなかった。

覚えていた本を探しに行き、その後にお茶を飲む。

それを、彼女はこんなふうに楽しんでいる。

 

「では、今日は探し終わるまで付き合おうかな」

「ここで?」

「お茶も、まだあるからね」

 

沙代は嬉しそうに本を開いた。

 

 

*

 

 

二人で覗き込むには、少し小さな本だった。

沙代がテーブルの中央へ寄せると、槙島も椅子をわずかに動かした。

 

「ここには、いないですよね」

 

庭の絵を指さす。

草の間に蝶がいて、塀の上には鳥がいた。

 

「君が探しているのは、窓にいた猫?」

 

「はい。模様が同じ……あ」

 

沙代の指が止まった。

木の根元に、尻尾だけが覗いていた。

 

「いました」

 

顔を上げる。

槙島は絵より先に、こちらを見ていた。

 

「見つかったね」

「これ、前にも開いたページなのに」

もう一度、絵へ目を落とす。

「一人で見てたら、気づかなかったかも」

「僕は、何も言っていないよ」

「でも、一緒に見てくれてたから」

 

 

 

*

 

 

それで答えになっているつもりなのだろう。

沙代は満足そうに、次のページをめくった。

槙島は、その横顔を少し眺めた。

猫を見つけたことで、今日の楽しかったことがまた一つ増えたらしい。

 

彼女は、帰ってからこれを思い出すのだろうか。

棚へ本を置く時に、今の会話まで覚えているのだろうか。

自分はきっと、覚えている。

 

「槙島さん」

 

呼ばれて、絵へ視線を戻す。

 

「今度は、そっちが探してみてください」

 

沙代が本をこちらへ向けた。

 

「見つけても、すぐ答えを言わないほうがいい?」

「私が分からなくなったら、教えて」

「難しい注文だね」

「待つのは、得意でしょう?」

 

槙島は笑った。

 

「本があればね」

 

二人の間には、ちょうど一冊の本があった。

最後のページで猫を見つけると、沙代は満足そうに本を閉じた。

 

「全部いましたね」

「途中で、君が二匹見つけたけれど」

「同じ猫かもしれません。移動しただけで」

「ずいぶん速いね」

 

沙代が笑った。表紙を撫で、それからカップへ手を伸ばす。

槙島は、その様子を眺めていた。

 

「君は、本当に素敵な子だね」

 

沙代の手が止まった。

 

「……急になんですか。照れます」

「はは。素直にそう思ったんだよ。君といると、楽しいんだ」

 

沙代は彼を見たまま、少し黙った。

沙代は、彼の顔を見つめていた。

槙島は返事を急かさず、彼女が口を開くのを待った。

 

「……私も、楽しいです」

 

ようやく答えて、カップを持ち上げる。

もう、ほとんど空だった。沙代はそれに気づくと、静かに置き直した。

槙島の口元がまた緩む。

 

「そんなに困らせたかな」

「困ってはないです。ただ……嬉しいので」

 

彼女は表紙へ目を落とした。

 

「何て返したらいいか、考えちゃいました」

「今の返事で、よく分かったよ」

 

沙代は小さく笑った。

頬に残った熱をごまかすように、鞄の口を開く。

本をしまう前に、もう一度だけ表紙を見た。

彼女は、この本を買った日のことを覚えていてくれるだろうか。

猫を一緒に探したことも。

その後で伝えた言葉も。

 

「また、こういう時間があるといいですね」

 

沙代は本を鞄へ入れながら言った。

槙島は彼女の顔を見た。

 

「また作ろう」

 

短い返事だった。

沙代が顔を上げる。

 

「はい」

 

今度は、すぐに笑った。

槙島はその笑顔を見てから、テーブルに残っていた自分の本を取った。

 

彼女は次を楽しみにしている。

自分も、その次に会いたいと思っている。

それを、もう曖昧なままにしておく必要はなかった。

 

「そろそろ出ようか」

「はい。今日は、道をちゃんと見て帰ります」

「本は開かずに?」

「家まで我慢します」

 

槙島は笑って立ち上がった。

沙代が鞄を肩へかけるのを待ち、二人で席を離れた。

 

 




一つ一つ、思い出せばキリがないね
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