絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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ねぇ、今聞けたら聞きたいな。この時のこと


17.気持ちに名前を

 

槙島が戻ると、グソンは画面から顔を上げた。

 

「今日は、お帰りで」

「泊まらずに戻ったよ」

「見れば分かります」

 

槙島はコートを脱いだ。

そのまま席へ向かうかと思ったが、グソンの机の前で足を止める。

 

「少し、話してもいいかな」

 

グソンは彼を見た。

 

「……何かありました?」

「沙代がね、今日も泊まっていかないかと言ったんだ」

 

仕事の話ではなかった。

グソンは手を止め、椅子の背にもたれた。

 

「断ったんですか」

「ああ」

「それはまた、どうして」

 

槙島は少し笑った。

 

「僕が男には見えないかと聞いてみた」

「……ほう」

「顔を近づけたら、真っ赤になってね。前に泊まってくれたじゃないか、と」

 

彼は、その時の声を思い出したように目を細めた。

 

「僕を信用しているから誘ったんだろうけれど、意識していないわけでもなかったらしい」

 

グソンは黙って聞いた。

聞かなくても、話は続きそうだった。

 

「それが、可愛かった」

 

槙島は率直に言った。

グソンの視線が、一瞬だけ画面へ逃げる。何の報告を受けているのだろう。

 

「……それで、帰ってきたんですね」

「そう。今日は、そのほうがいいと思った」

「彼女は?」

「少し残念そうだったから、本の話がなくても会いに来ていいかと聞いたよ」

「何と?」

「もちろん、と」

 

すぐに返ってきた。

その返事の速さに、グソンはもう尋ねなくても結果を察したが、槙島は続けた。

 

「何も話さなくても、僕が来たいなら来てほしいと言っていた」

 

彼は机の端へ軽く手を置いた。

 

グソンは、ゆっくり頷いた。

 

「……なるほど」

 

槙島は笑っていた。

いつもの、相手の答えを待つ笑みとは少し違う。

今は自分から話したくて、話している。

 

「これが恋なのか、愛なのかは、まだ分からないけれど」

 

そこで一度、言葉を切る。

 

「今は、すごく楽しいんだ」

 

グソンは彼の顔を見た。

面白い計画を思いついた時の顔は知っている。

本の一節について話し始める時も。

 

けれど、女性が赤くなったことを、こんなに楽しそうに報告されるのは初めてだった。

 

――中学生か、この人は。

 

口には出さなかった。

 

「良かったですね」

 

代わりに、そう答えた。

槙島は頷く。

 

「ああ」

 

皮肉として受け取るつもりもないらしい。

グソンはカップを持ち上げた。

中身はもう空だった。

 

「だから、来たいから聞いているんだと答えた」

「次は、いつ会うんです?」

「来週。三時に」

「決まってるんですね」

「彼女が予定に入れていたからね」

 

槙島の声に、また笑いが混じる。

グソンはカップを置いた。

以前なら、次にどうするかを尋ね、危険について念を押した。

今も、それが消えたわけではない。

 

ただ、目の前の男は、何が起きたかを話すために帰ってきていた。

今夜くらいは、聞いておいてもいいだろう。

 

「その時間は、空けておきますよ」

 

槙島が顔を上げる。

 

「ありがとう」

「ええ。後から予定をずらされるより、助かりますんで」

 

彼は画面を開き直した。

槙島も自分の席へ向かう。

鞄から本を出して、机へ置いた。

けれど、すぐには開かなかった。

 

『今日はありがとうございました』

 

沙代からのメッセージが届いていた。

少し遅れて、もう一通。

 

『次は、本を用意してなくてもいいんですよね』

 

槙島は画面を見て笑った。

その声に、グソンが横目を向ける。

 

「……また、何か?」

「彼女が確認している」

「今度は、ダンナの番ですね」

「何が?」

「顔に出ていますよ」

 

槙島は一度グソンを見た後、否定せずに入力した。

 

『うん。君がいてくれれば』

 

送信して、端末を置く。

グソンはその短い動作を見届けてから、静かに仕事へ戻った。

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