次のページにも、猫は見つかった。
沙代は小さく笑って、指を離す。
「今度は、すぐでしたね」
「君が見方を覚えたからかな」
二人の手が、本の両端にあった。
ページをめくろうとすると、槙島が先に押さえていた指を退ける。
その何気ない動作にも、今日は目が向いてしまう。
沙代は絵を見ているふりをした。
「沙代」
すぐ隣で、声がした。彼女の指が止まる。
一瞬、自分が呼ばれたのだと分からなかった。
顔を上げると、槙島がこちらを見ていた。
「……はい」
返事をした後で、頬が熱くなる。
彼は何か言おうとしていたのに、沙代の反応を見て、少しだけ口元を緩めた。
「名前で呼ばれるのは、嫌?」
「嫌じゃ、ないです」
急いで答える。
それから、本へ視線を戻しかけて、戻せなくなった。
「ただ……急だったので」
「そうだね」
彼は言い直さなかった。
沙代は膝の上へ手を下ろす。
本の端を押さえていた指先が、妙に落ち着かなかった。
「……何ですか?」
「うん?」
「呼んだので。何か……」
槙島は彼女を見た。
声に出した名前は、思っていたより自然だった。
これまで名字を添えていた場所に、それだけを置く。
彼女がこちらを向く。
それを、もう一度してみたいと思った。
「そろそろ、お茶を淹れ直そうかと思って」
沙代はテーブルのカップを見た。二つとも空になっている。
「あ、私が——」
「場所は分かるよ。君は、続きを見ていて」
彼が立ち上がった。沙代はその背中を見送った。
台所へ歩く、いつもと同じ人だった。
それなのに、さっきの声が頭から離れない。
沙代。
何度も聞いてきた名前を、初めて聞いたような気がした。
湯が沸くまでの間、沙代は一枚もページをめくれなかった。
台所から槙島が顔を向ける。
「見つかった?」
「……まだです」
彼は本が同じページのままなのを見た。
少し笑いかけたけれど、今度は何も言わずにカップを取った。
戻ってきた彼が、沙代の前へ紅茶を置いた。
「熱いから、気をつけて」
「ありがとうございます」
隣へ座る音がする。
沙代はカップを両手で包み、それから彼を見た。
「……これからも、そう呼ぶんですか?」
槙島は顔を向けた。
「君がよければ」
沙代は、すぐに頷いた。
その後で、少し小さな声で答えた。
「はい」
彼はその返事を受け取り、手元の本へ視線を落とした。
「では、沙代」
また、顔が上がる。
今度は自分でも分かっていて、呼ばれたほうを向いた。
「このページは、二人ともまだ探していないね」
沙代は本を見て、それから笑った。
「……槙島さんも、見てなかったんですか」
「ああ」
「じゃあ、一緒に探しましょう」
彼が頷く。
沙代は本を少しだけ、二人の中央へ寄せた。
後悔はしていないよ