絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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20.呼び捨て

 

 

 

次のページにも、猫は見つかった。

沙代は小さく笑って、指を離す。

 

「今度は、すぐでしたね」

「君が見方を覚えたからかな」

 

二人の手が、本の両端にあった。

ページをめくろうとすると、槙島が先に押さえていた指を退ける。

その何気ない動作にも、今日は目が向いてしまう。

沙代は絵を見ているふりをした。

 

「沙代」

 

すぐ隣で、声がした。彼女の指が止まる。

一瞬、自分が呼ばれたのだと分からなかった。

顔を上げると、槙島がこちらを見ていた。

 

「……はい」

 

返事をした後で、頬が熱くなる。

彼は何か言おうとしていたのに、沙代の反応を見て、少しだけ口元を緩めた。

 

「名前で呼ばれるのは、嫌?」

「嫌じゃ、ないです」

 

急いで答える。

それから、本へ視線を戻しかけて、戻せなくなった。

 

「ただ……急だったので」

「そうだね」

 

彼は言い直さなかった。

沙代は膝の上へ手を下ろす。

本の端を押さえていた指先が、妙に落ち着かなかった。

 

「……何ですか?」

「うん?」

「呼んだので。何か……」

 

槙島は彼女を見た。

声に出した名前は、思っていたより自然だった。

これまで名字を添えていた場所に、それだけを置く。

彼女がこちらを向く。

それを、もう一度してみたいと思った。

 

「そろそろ、お茶を淹れ直そうかと思って」

 

沙代はテーブルのカップを見た。二つとも空になっている。

 

「あ、私が——」

「場所は分かるよ。君は、続きを見ていて」

 

彼が立ち上がった。沙代はその背中を見送った。

台所へ歩く、いつもと同じ人だった。

それなのに、さっきの声が頭から離れない。

 

沙代。

何度も聞いてきた名前を、初めて聞いたような気がした。

 

 

湯が沸くまでの間、沙代は一枚もページをめくれなかった。

台所から槙島が顔を向ける。

 

「見つかった?」

「……まだです」

 

彼は本が同じページのままなのを見た。

少し笑いかけたけれど、今度は何も言わずにカップを取った。

戻ってきた彼が、沙代の前へ紅茶を置いた。

 

「熱いから、気をつけて」

「ありがとうございます」

 

隣へ座る音がする。

沙代はカップを両手で包み、それから彼を見た。

 

「……これからも、そう呼ぶんですか?」

 

槙島は顔を向けた。

 

「君がよければ」

 

沙代は、すぐに頷いた。

 

その後で、少し小さな声で答えた。

 

「はい」

 

彼はその返事を受け取り、手元の本へ視線を落とした。

 

「では、沙代」

 

また、顔が上がる。

今度は自分でも分かっていて、呼ばれたほうを向いた。

 

「このページは、二人ともまだ探していないね」

 

沙代は本を見て、それから笑った。

 

「……槙島さんも、見てなかったんですか」

「ああ」

「じゃあ、一緒に探しましょう」

 

彼が頷く。

沙代は本を少しだけ、二人の中央へ寄せた。




後悔はしていないよ
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