槙島が来ると、沙代は玄関で小さな袋を受け取った。
「今日は、何ですか?」
「茶葉と、一冊」
「また本、増えましたね」
「読んだら、持ち帰るよ」
そう言いながら、彼は部屋へ入った。本は棚の、自分が置いた二冊の隣へ。
茶葉は、台所の戸棚へ。沙代は、その一連の動きを見ていた。
「あ、お茶は——」
「僕が淹れるよ。君のカップ、洗ってある?」
「伏せてあります」
槙島は水切りのところへ手を伸ばした。
沙代が説明しなくても、白いカップと一緒に並べる。
湯を沸かす間に窓のそばへ行き、少しだけ開けた。
「今日は、暖かいね」
「……はい」
戻ってきた彼が、ソファの膝掛けを端へ寄せる。
いつもの場所に座れるように。
沙代は、つい笑った。
「なんだか、一緒に住んでるみたいですね」
槙島が振り向いた。
言った後で、沙代も自分の言葉を聞き直した。
「……あ」
彼は少し目を細める。
「僕の物が増えてきたから?」
「…それもありますけど。お茶とか、窓とか。私が言わなくても、分かってるので」
言い訳のように続けてから、沙代は黙った。
槙島は棚へ目を向けた。
彼の本が三冊。彼が使う白いカップ。
いつ来ても座る場所。
「確かに、ずいぶん馴染んできたね」
否定されず、沙代の頬が熱くなる。
「変な意味じゃなくて」
「どんな意味なら、変なの?」
彼は穏やかに尋ねた。
沙代は答えに困り、視線を落とす。
「……今みたいなこと、聞くところです」
槙島が笑った。湯の沸く音がして、彼は台所へ戻る。
沙代はソファへ座った。
言わなければよかっただろうかと考えているうちに、カップが運ばれてくる。
槙島はいつもどおり、隣へ座った。
「僕がいると、落ち着かない?」
沙代は顔を上げた。
「いえ。逆です」
今度は、すぐ答えられた。
彼は黙って続きを待つ。
「前は、誰かが来たらちゃんとしなきゃって思ってたんですけど。槙
島さんだと、今は……読んでた本をそのままにしててもいいし」
テーブルの上には、読みかけの本があった。
カップを置く時、彼はそれを閉じずに横へずらしてくれた。
「お茶を淹れてくれるのも、嬉しいです。でも、それより」
沙代は言葉を探した。
「帰る時間まで、ずっと何か話さなきゃって思わなくていいので」
槙島は彼女を見ていた。
初めて来た時、沙代は何度も立ち上がった。
お茶を出し、食器を片づけ、話すことを探した。
今は、膝掛けを自分の脚へかけながら話している。
「それなら、居心地は悪くないようだね」
「……はい」
沙代はカップに手を伸ばした。
「だから、ああいうこと言っちゃったんです」
槙島は少し考えてから、本棚を見た。
「僕も、ここに来ると落ち着くよ」
沙代の手が止まる。
「本当に?」
「ああ」
彼は彼女へ視線を戻した。
「今日はどこに座ろうかと、考えなくて済む」
「そこばっかりですね」
「君の隣が空いているからね」
沙代はカップへ目を落とした。
槙島は、その頬がまた赤くなるのを見た。
けれど今日は、もう一つ問いを重ねる気にはならなかった。
一緒に住んでいるみたい。
彼女は暮らしの中に入り込んだ自分を見て、そう言った。
困ったこととしてではなく、笑いながら。
槙島は紅茶を飲んだ。
帰る時には、カップを洗って本を棚に残す。
その繰り返しを、少し変えたらどうなるのか。
浮かんだ考えを、彼はまだ口にしなかった。
隣で沙代が本を開く。
「今日は、読み終わりました」
「では、聞けるね」
「……でも、少しこうしててからでもいいですか?」
本を開いたまま、彼女がこちらを見る。
槙島は頷いた。
「もちろん」
窓から入った風で、ページの端が揺れた。
沙代が押さえ、彼もそっと本の反対側へ手を置く。
しばらく、二人とも何も話さなかった。