最近、沙代は槙島と会うたびに、胸がどきどきした。
来る前に鏡を見直したり、隣に座ると本の内容が入ってこなくなったり。
名前を呼ばれるだけで、顔を上げてしまう。
なんでだろう、と思っていた。
けれど、今はもう気づいていた。
ーー好きなんだ。
そう認めると、今までのことが、すっと繋がった。
連絡が来なくて寂しかったことも。
帰ってほしくなくて、泊まってほしいと言ったことも。
もう一度あの顔を近くで見たいのに、近づかれると困ってしまうことも。
友達だから、だけではなかった。
槙島は、隣で本を読んでいた。
沙代は同じ行を、何度も読み返している。
彼がページをめくるたびに、指先へ目が行ってしまう。
「沙代」
顔を上げる。
「今日は、進まないね」
彼の視線が、沙代の本へ落ちた。
「……はい」
「難しいところ?」
首を横に振る。槙島は本にしおりを挟んだ。
話を聞こうとしてくれる。
そういうところも、好きなのだと思った。
「考え事です」
「僕に話せることかな」
沙代は本を閉じた。
今までなら、うまく言えないと言って、別の話にしたかもしれない。
でも、今日は自分で分かっている。
分かっていて黙るほうが、難しかった。
「……最近、槙島さんと会うと、どきどきするんです」
彼は動かなかった。
「なんでだろうって思ってました。前は、もっと普通に話せたのに」
膝の上で、閉じた本の角を押さえる。
「でも、私も馬鹿じゃないので」
少し笑おうとしたけれど、うまくいかなかった。
「今はもう、これがなんなのか気づきました」
顔を上げる。
槙島は、こちらを見ていた。からかう時の笑みはなかった。
「それは何か、聞いてもいいのかな」
分かっているのかもしれない。
それでも、沙代の言葉を待っている。
沙代は息を吸った。
「……槙島さんが、好きです」
言ってしまった。
静かな部屋で、自分の声だけが妙にはっきり聞こえた。
彼はしばらく沙代を見て、それから本をテーブルへ置いた。
「沙代」
「……はい」
「僕も、君を友人としてだけ見ていない」
押さえていた指から、力が抜けた。
「君に会いたいし、そばにいたい。触れたいとも思っている」
沙代は彼の顔を見たまま、何も言えなくなった。
穏やかな声だった。
でも、聞き流せる言葉は一つもなかった。
「僕も、少し時間がかかったよ」
彼の口元が、わずかに緩む。
「君から連絡が来ないのを気にして、自分から会いに行っておきながらね」
「……会いに来てくれました」
「うん。会いたかったから」
目の奥が熱くなった。
彼は沙代の手元へ視線を落とす。まだ本を握っていた。
「君に言わせて申し訳ない。僕から言いたかったんだけど、…君の恋人になってもいいかな」
沙代は頷いた。
頷くだけでは足りない気がして、もう一度、声に出した。
「はい」
槙島が、笑った。
その顔を見て、ようやく沙代も笑えた。
「……からかってませんよね」
「今は、からかっていないよ」
「今は、って」
いつもの言い方に、少しだけ力が抜ける。
彼が手を差し出した。
沙代は本をテーブルへ置き、その手に自分の手を重ねた。
指が、ゆっくり握られる。
通りで引かれた時とも、具合が悪くて助けてもらった時とも違う。
手を繋ぐために、繋いでいる。
「どきどきする?」
聞かれて、沙代は頷いた。
「……すごく」
彼は沙代の手を離さなかった。
「そうか」
声に、少し笑いが混じった。
でも今度は、目を逸らさずにいられた。