数日後、槙島から連絡が届いた。
『今度、グソンと少しお茶を飲まないかい』
沙代は画面を読んでから、返事を打った。
『はい。お会いしたいです』
送信して、少し考える。
恋人になったことを、話すのだろうか。
その言葉はまだ、自分の中で落ち着く場所を探していた。
槙島の名前を見るたび、ふと浮かんでは嬉しくなる。
*
待ち合わせの店に入ると、グソンはすでに席にいた。
二人に気づき、軽く手を上げる。
「どうも。お久しぶりです」
「こんにちは」
沙代が頭を下げると、槙島が隣の椅子を引いた。
座ろうとしたところで、彼が口を開く。
「グソン。改めて紹介しておこうかな」
沙代は顔を上げた。
槙島がこちらを見て、それからグソンへ視線を戻す。
「沙代は、僕の恋人だよ」
自分でも分かっていた。
それでも、人にそう紹介されると、顔が熱くなった。
「……よろしくお願いします」
何をお願いしたのだろう、と言ってから思う。
グソンは少し笑った。
「ええ。ようやくですね」
沙代が瞬きをする。
「ようやく?」
「ずいぶん前から、お話は聞いていましたから」
槙島へ顔を向ける。彼は笑っていた。
「何を話したんですか」
「君と過ごすのが楽しいと」
「……それだけ?」
「ほかにも、少し」
グソンがメニューを取り上げた。
沙代には、その動きが笑うのを隠すために見えた。
「槙島さん」
「うん?」
「変な話、してませんよね」
「君が思っている変な話によるかな」
グソンが、とうとう小さく笑った。
「心配しなくていいですよ。悪い話は、一つも聞いてません」
沙代は少し安心した。
でも、それでは何を聞いていたのか、余計に気になる。
槙島は隣へ座り、メニューを開いた。
「何を飲む?」
いつもの声で尋ねられる。
沙代は答える前に、もう一度だけグソンを見た。
彼は二人を眺めていたが、視線が合うと頷いた。
「お二人とも、良かったですね」
今度は、からかう調子ではなかった。
沙代は笑った。
「……ありがとうございます」
注文を終えると、グソンが尋ねた。
「本は、増えましたか」
「はい。少しずつ」
「ダンナの分も?」
沙代は槙島を見る。
「三冊、あります」
「今度、一冊は持って帰るよ」
「別に、邪魔じゃないです」
すぐに返すと、グソンの目がわずかに細くなった。
「なるほど」
槙島は、特に何も言わなかった。
沙代も、言い直さなかった。
自分の棚に彼の本があることが、好きだったからだ。
飲み物が運ばれてくる。
槙島は、沙代のカップを彼女の前へ寄せた。
取っ手が、使いやすいほうを向く。
グソンがそれを見た後、自分のカップを持ち上げる。
沙代はお茶を一口飲み、前に会った時から気になっていたことを尋ねた。
「グソンさんも、本を読むんですか?」
「たまにはね。ただ、彼ほどでは」
「槙島さん、読むの速いですよね」
「ええ。話し始めると長いですが」
沙代は思わず笑った。
「それは、分かります」
槙島がこちらを見る。
「君も、話したいところはたくさんあるだろう?」
「ありますけど」
「では、お互いさまだね」
グソンはカップを置いた。
二人が話し始めると、自分の入る隙間が少し減る。
けれど、沙代は途中でこちらにも顔を向け、読んだ本の話をしてくれた。
置き去りにしないようにしているのだろう。
その気遣いが、いかにも彼女らしかった。
「……最後に家へ戻る話だったんですけど」
沙代が本の題名を言う。
グソンは頷いた。
「ああ、荷造りが長い人の」
沙代の目が丸くなった。
「それも聞いてたんですか?」
槙島が笑った。
「君の実況が、面白かったからね」
「実況……」
沙代も笑う。
「でも、本当に長かったんです」
その隣で、槙島は彼女の顔を見ていた。
グソンには、少し前の報告が思い出された。
ーー今は、すごく楽しいんだ。
今日も、そうらしい。
*
店を出ると、グソンは二人と反対の方向を指した。
「では、俺はこっちなので」
「今日は、ありがとうございました」
沙代が頭を下げる。
「こちらこそ。また」
グソンは槙島へ目を向けた。
「ダンナ、あとはよろしく」
「ああ」
短い返事だった。
沙代には、普通の別れの挨拶に聞こえた。
グソンはそれ以上言わず、歩き出した。
*
少し進んだところで、沙代は隣を見上げた。
「……恋人って、紹介してくれましたね」
槙島が顔を向ける。
「そうだろう?」
「はい。そうなんですけど」
口にすると、また頬が熱くなる。
「嬉しかったです」
彼は沙代を見て、小さく笑った。
「僕も、言いたかったよ」
沙代の足が一瞬遅れる。
槙島も、同じように歩く速さを落とした。
それから手を差し出す。
「帰ろうか」
沙代はその手を取った。
前にグソンと会った日は、二人で並んで歩いていた。
今日は、指が繋がっている。
「グソンさん、驚いてませんでしたね」
「前から、色々聞かれていたからね」
「私のこと?」
「ああ」
沙代は繋いだ手へ目を落とした。
「……何て答えてたんですか」
槙島は少し考えた。
大事なのか。
どうするつもりなのか。
会わずにいられるのか。
どれも、すぐには答えられなかった。
今は隣に、沙代がいる。
「初めは、僕にもよく分からなかったんだ」
彼女が顔を上げる。
「でも、君といたかった。それは、伝えていたよ」
沙代はしばらく彼を見てから、笑った。
繋いだ指に、少しだけ力がこもる。
槙島も、その手を握り返した。