絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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28.眠り

 

 

 

毛布を取りに立った沙代が、寝室の前で足を止めた。

振り返ると、槙島はソファの端を空けている。

 

「……今日は、そっちじゃなくても」

 

彼が顔を上げた。

沙代は扉の縁へ指をかける。

 

「ベッドで、一緒に寝ませんか」

 

槙島は少し黙った。

前に泊まった時、彼女はここでおやすみと言い、扉を閉じた。

今は、その扉を開けたまま待っている。

 

「君の隣で?」

 

沙代は頷いた。

 

「もう、恋人なので」

 

言ってから、顔が赤くなる。

 

「……嫌じゃなければ」

 

槙島は立ち上がった。

 

「嫌なわけがないよ」

 

彼女の前まで来て、頬へそっと触れる。

 

「一緒に眠ろう」

 

沙代はほっとしたように笑った。

 

*

 

寝る支度を済ませ、明かりを落とすと、部屋には窓から入る淡い光だけが残った。

隣へ横になる気配に、沙代は少し身体を固くする。

ソファで寄り添うのとは、また違った。

 

「緊張している?」

「……少し」

 

「僕を誘ったのに?」

 

「誘った時と、今は違います」

 

槙島が笑った。

 

沙代も笑い、枕の上で彼のほうを向く。

 

近くに顔があった。

 

今度は、目を逸らさなかった。

 

彼が腕を開く。

 

「こちらへおいで」

 

沙代は少しずつ近づき、胸元へ頬を寄せた。

 

背へ腕が回る。

 

温かくて、先ほどまでの落ち着かなさがゆっくりほどけた。

 

「……ソファより、いいですか」

 

「ずっと」

 

即答され、沙代は笑った。

 

槙島はその髪へ唇を触れさせる。

 

「ただ、朝になっても起きたくなくなるかもしれないね」

 

「私もです」

 

声が、胸元から聞こえた。

 

彼は彼女を抱いたまま、少し笑った。

 

「では、少し早く目を覚まさないと」

 

「どうして?」

 

「起きなくていい時間を、長く取れるだろう」

 

沙代が顔を上げる。

 

「……それ、好きです」

 

「何が?」

 

「その考え方」

 

彼は頷き、額へ短く口づけた。

 

「おやすみ、沙代」

 

「おやすみなさい、聖護さん」

 

彼女が再び頬を預ける。

 

槙島は背に添えた手を、そのままにした。

 

今夜は、朝に扉が開くのを待たなくていい。

 

目を覚ませば、もう隣にいる。

 

彼は目を閉じた。

 

*

 

それでも、槙島はなかなか眠れなかった。

 

腕の中で、沙代が小さく動く。

 

肩のあたりへ頬を寄せ、落ち着く場所を探しているらしかった。

 

ようやく静かになったと思うと、今度は彼の服を指で軽く掴む。

 

「……聖護さん」

 

「うん」

 

「一緒に寝るの、嬉しいです」

 

声が、すぐ近くから聞こえた。

 

槙島は目を開け、天井を見た。

 

それから、ゆっくり息を吐く。

 

「僕も、嬉しいよ」

 

嘘ではなかった。

 

ただ、嬉しいだけでは済まない。

 

彼女を抱き寄せたのは自分だった。夕方、何を望んで、どこでやめたのかも忘れていない。

 

沙代が顔を上げた。

 

「眠くないですか?」

 

「……今は、あまり」

 

「私、邪魔してます?」

 

「そういう意味ではないよ」

 

彼は彼女の背から手を離し、枕の上で顔を向けた。

 

「沙代。少しだけ離れてくれる?」

 

沙代の身体が止まる。

 

「狭いですか?」

 

「いや」

 

槙島は彼女を見た。

 

「僕が、さっき何を我慢したか、覚えているかな」

 

一拍置いて、沙代の顔が熱くなった。

 

「あ……」

 

掴んでいた服を離す。

 

慌てて後ろへ動こうとすると、槙島が肩へ手を添えた。

 

「そんなに急がなくていい」

 

「すみません」

 

「謝らなくても。こちらへおいでと言ったのは、僕だからね」

 

彼は少し笑った。

 

二人の間に、わずかな隙間ができる。

 

沙代はそこを見てから、布団を引き上げた。

 

「……一緒に寝るだけでも、なんですね」

 

「君が好きだからね」

 

言われると、また困ってしまった。

 

沙代は目を伏せる。

 

「私も、好きです」

 

槙島が黙った。

 

その沈黙に気づき、顔を上げる。

 

「……今、言わないほうがよかった?」

 

彼はとうとう笑った。

 

「そんなことまで、我慢しなくていいよ」

 

*

 

少し離れて横になっても、沙代は彼のほうを向いていた。

 

目が慣れると、顔が見える。

 

近いのに触れていないのが、妙な感じだった。

 

槙島も、こちらを見ている。

 

「……手は、繋いでもいいですか」

 

彼の視線が、布団の上へ落ちた。

 

沙代は片手を出していた。

 

「それなら」

 

指先が触れる。

 

今度は、身体を寄せずに握った。

 

沙代は安心したように息を吐く。

 

槙島はその音を聞いて、彼女の手を少し握り直した。

 

「今日は、ずいぶん僕を試すね」

 

「試してないです」

 

「知っているよ」

 

だからこそ、返す言葉が難しかった。

 

彼女は、一緒にいたくて誘った。近づくのが嬉しくて、寄り添った。

 

自分を信じて、そうしている。

 

槙島は繋いだ手へ目を落とした。

 

「……僕も、思っていたほど器用ではないらしい」

 

沙代が少し笑う。

 

「聖護さんでも?」

 

「僕でも」

 

その答えに、彼女の表情が和らいだ。

 

いつも余裕がある人が、自分と同じように落ち着かなくなっている。

 

それを知るのは、恥ずかしいけれど嬉しかった。

 

「じゃあ、今日は手だけ」

 

沙代が言った。

 

槙島は頷く。

 

「そうしよう」

 

*

 

しばらくすると、沙代のまばたきがゆっくりになった。

 

繋いだ手にも、力が入らなくなる。

 

「……おやすみなさい」

 

「おやすみ、沙代」

 

彼女は目を閉じた。

 

槙島は、すぐには閉じなかった。

 

眠りに落ちる顔を見ていると、近づきたくなる。

 

けれど今度は、その気持ちのまま動かなかった。

 

指先だけが、温かい。

 

やがて沙代の呼吸が落ち着いた頃、槙島もようやく枕へ頭を預け直した。

 

少し離れた場所で、沙代が眠っている。

 

手は繋がっている。

 

今夜は、それで十分だと決めた。

 

十分だと感じられるまでには、もう少し時間がかかった。

 

 

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