絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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33.会いたい

 

 

 

 

 

「彼女の方は、今のところ問題ありません」

 

グソンが言うと、槙島は小さく頷いた。

 

「ありがとう」

「だからって、会いに行っていいという話じゃありませんよ」

「分かっているよ」

 

返事は穏やかだった。

けれど、机に置いた端末へ、また視線が落ちる。

グソンはそれを見て、椅子にもたれた。

 

「……そんなに会いたいんです?」

 

槙島は少し笑った。

 

「感情が止められないのは、初めてだよ」

 

グソンが黙る。

 

「連絡が来れば嬉しい。声を聞けば、顔が見たくなる。話し終わる頃には、どうして僕はここにいるんだろうと思っている」

 

槙島は端末を手に取ったが、画面を開かずに置き直した。

 

「会わない方がいい理由は、いくらでも説明できるんだけどね」

「それで納得はできない、と」

「判断は変わっていないよ。ただ、会いたい気持ちも変わらない」

 

グソンはしばらく彼を見ていた。

 

「電話、すればいいじゃないですか」

「さっきしたところだ」

「……それは重症ですね」

 

槙島が声を出して笑った。

その時、端末が震える。

 

『さっき声が聞けて嬉しかったです。今日はよく眠れそう』

 

槙島は読み終えても、しばらく画面を見ていた。

 

「彼女ですか」

「うん。眠れそうだって」

「なら、今日は寝かせてやってください」

「そうだね」

 

返信を打つ。

 

『おやすみ、沙代。また明日、話そう』

 

送信して、端末を伏せた。

もう一度声を聞きたかった。

けれど今夜は、彼女が安心して眠れる方を選んだ。

 

 

 

「生きててほしい、だってさ。全く、察しがいい子だよ」

 

槙島は伏せた端末を眺めながら言った。

グソンが顔を上げる。

 

「何か知られたんですか?」

「いや。何をしているのかは知らない。ただ、僕がもう会えなくなるような話し方をする、と言われた」

「……そういう話し方、してたんです?」

「していたんだろうね。気づかないうちに」

 

槙島は椅子の背にもたれた。

沙代には、仕事が忙しいとしか伝えていない。

彼女もそれ以上は尋ねなかった。だから、理由を聞かずに待っていてくれると思っていた。

 

「帰ってくる日が分からなくてもいい。会えなくても、どこかにいてほしい、と」

 

グソンはしばらく黙ってから、尋ねた。

 

「ダンナは、何て?」

「帰りたいと思っていると答えたよ」

「彼女のところへ?」

「うん」

 

その返事に迷いはなかった。

槙島は小さく笑う。

 

「会いたいと言われた方が、まだ答えやすかった。僕もそうだと言えるからね」

「生きててほしい、は?」

「……簡単に安心させる気にはなれなかったな」

 

あの声を思い出す。

泣くのを堪えながら、それでも自分の願いを伝えようとしていた。

沙代は、彼が何をしているか知らないまま、その先にある別れを怖がっていた。

 

「僕と会うことより、僕が生きていることを選ぶんだね、あの子は」

「そりゃ、好きならそうでしょう」

 

槙島がグソンを見た。

あまりに当然のこととして言われて、少しだけ目を細める。

 

「そうか」

 

机の上の端末へ、手を伸ばしかけた。

けれど、もう眠っているかもしれないと思い直す。

 

「明日は?」

 

グソンに聞かれ、槙島は予定の開かれた画面を見た。

 

「予定どおりでいい」

 

それから、付け足す。

 

「夜は、少し時間を空けておいてくれるかな」

「また電話ですか」

「約束したからね」

 

グソンは頷いた。

 

 

*

 

作業中の画面を切り替え、グソンが口を開いた。

 

「ダンナ。もう一つ、確認しておきたいことが」

 

槙島は顔を上げる。

 

「何かな」

「公安の佐々山です。こっちまで辿りついたかもしれません」

 

画面に、一人の男の顔が表示された。

槙島はそれを見て、わずかに目を細めた。

 

「佐々山……ああ。最近、あちこち嗅ぎ回っていた男か」

「ご存じで?」

「名前までは覚えていなかったよ。少し鬱陶しいとは思っていたけれど」

 

声は穏やかだった。

グソンが別の画像を開く。

 

「ダンナらしい人物の写真を手に入れたようです。まだ、どこまで分かっているかは確認中ですが」

 

槙島はしばらく眺めた。

遠くから捉えられた姿だった。

白い髪は分かるが、顔は鮮明ではない。写り込んだ背景にも、居場所を示すものはなかった。

 

「これだけなら、僕だと特定するのは難しいね」

「ええ。ただ、これを探すまでに何を掴んだのか、そこが気になります」

「そうだね」

 

槙島は佐々山の顔へ視線を戻した。

 

「鬱陶しいだけで済ませておくには、少し近づきすぎたかな」

 

口元に、薄い笑みが浮かぶ。

グソンはその顔を見てから、言った。

 

「一旦、沙代さんから離れて正解でしたね」

「この件と、彼女との繋がりは?」

「今のところ、何も。名前も住所も、向こうの捜査には出てきていません」

「なら、いい」

 

槙島はもう一度、写真を見た。鮮明ではないが、沙代と歩いていた時のものではない。

彼女の部屋も、通っていた本屋も、そこには写っていなかった。

 

「念のため、今のままでいてくださいよ」

「分かっているよ」

 

返事は、先ほどと変わらず穏やかだった。

 

「こちらが落ち着いたら、会いに行くよ」

「……まだ、何も片づいてませんが」

「片づけるつもりで話しているんだけれど」

 

槙島は小さく笑った。

グソンは笑わなかった。

 

「佐々山が、ほかにも持っているかもしれません」

「それは確かめよう」

「ダンナを見つけたら、次は周りを調べますよ」

「なら、その前に彼と話すことになるかもしれないね」

 

槙島は画面に残った男の顔を見た。

どこから辿ってきたのか。

誰の言葉を拾い、何を見つけたのか。

聞いてみたいことはあった。

 

ただ、それを沙代のところまで持っていかせるつもりはなかった。

 

「沙代さんに会う前に、そっちを済ませてください」

「ああ」

 

槙島は自分の端末を取り、彼女とのやり取りを開いた。

最後に送った言葉は、まだ同じだった。

おやすみ、沙代。また明日、話そう。

 

「彼女には、何か言うんです?」

「明日の夜、電話するよ。約束したからね」

「会えるとは、まだ言わないでくださいよ」

「日が決まるまでは言わない」

 

槙島は画面を閉じた。

会いに行けるようになったら、先に連絡しよう。

沙代はきっと、何時ですかと尋ねる。

 

自分は三時と答えるかもしれない。

彼女が白いカップを出し、お湯を沸かして待てるように。

そこまで考えてから、槙島は佐々山の資料を引き寄せた。

 

「続きを見せてくれるかな。彼がどこまで知ってしまったのか、確かめよう」

 

声には、もう仕事を進める時の落ち着きが戻っていた。

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