約束の時間に呼び鈴が鳴った。
扉を開けると、狡噛と宜野座が立っていた。
「悪いな。受け取りに来た」
「はい。ちょっと待ってください」
沙代は二人を玄関に残し、居間へ戻った。
小皿からライターを取り、念のため確かめてから持っていく。
「これですよね」
「ああ」
狡噛は受け取ると、手の中で一度返した。
「助かった」
「なくなったら困るかなと思って」
「気づいた時には、もう戻ってた。手間をかけたな」
沙代は首を横に振る。
今日は部屋に上がらない。
それだけで、少し気が楽だった。
宜野座が軽く会釈した。
「こちらでのお話は終わっています。今日は受け取りだけですので」
ほっとしたのが顔に出たらしい。
狡噛が沙代を見て、わずかに口元を緩める。
「また聞き取りかと思ったか」
「……少し」
「悪い。最初に言えばよかったな」
その返事に、沙代も小さく笑った。
狡噛はライターをポケットへ入れる。
その時、玄関の棚に置かれた本が目に入った。
「それ、読んでるのか」
沙代も視線を向ける。
昨夜、槙島が帰る前に置いていった本だった。
「これからです。……面白いですか?」
「好みは分かれると思う。俺は好きだ」
「そっか」
本の話になると、彼女の声は少し柔らかくなった。
狡噛はそれ以上、誰が選んだ本かを聞かなかった。
「前に話した本より、長いぞ」
「じゃあ、ゆっくり読みます」
「その方がいい」
横で宜野座が時計を見た。
「狡噛」
「ああ」
沙代は扉を少し広く開ける。
二人が帰る前に、ふと口を開いた。
「あの……あの事件は、もう大丈夫なんですか」
宜野座が彼女へ向き直る。
「当日の男は確保されています。別件については捜査中ですが、あなたから伺いたかったことは確認できました」
「そうですか」
狡噛は彼女の表情を見た。
「何か気になることがあるのか」
一瞬、沙代の頭に聖護の声が浮かぶ。
捕まるようなことにも、関わっている。
それは、この二人に話すことではなかった。
「……また、ああいうことが起きたら嫌だなって」
「そうだな」
狡噛の返事は短かった。
「怖いと思ったら、近づかずに助けを呼んでくれ」
「はい」
沙代は今度こそ、二人を見送った。
*
建物を出てから、宜野座が言った。
「忘れ物は二度とするな」
「気をつける」
狡噛はポケットの中でライターに触れた。
倉橋沙代は、前の二回より落ち着いていた。
それでも、事件の話をした最後の数秒だけ、また言葉を選んでいた。
ただ、それが何を意味するかは分からない。
「気になるのか」
宜野座に聞かれ、狡噛は顔を上げる。
「……いや。今は何もない」
彼女の持つ本と、彼女が話さなかったこと。
その二つを結びつける根拠はなかった。
*
扉を閉めた沙代は、棚の本を手に取った。
端末を開き、聖護へ送る。
『ライター、返したよ。今日は受け取りだけだった』
少し考えてから、もう一通。
『この本、狡噛さんも好きだって』
送ったあと、昨夜の「気をつけて」を思い出した。
沙代は画面を見たまま、付け足す。
『今度、聖護と読もうと思ってる』