絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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40.倉橋沙代という女

 

 

 

 

捜査資料を読み直しているうちに、狡噛は倉橋沙代の名前で手を止めた。

証言には、目立った矛盾がない。

 

それでも、人と一緒だったかを聞いた時の、あの短い間が気になった。

怯えているだけなのか。

言いたくないことがあるのか。

 

「宜野座。倉橋の過去の事件記録、確認していいか」

 

宜野座が端末から顔を上げる。

 

「何を調べる」

「聞き取りで、男の叫び声について話す時に様子が変わった。以前にも似た経験があったのかもしれない」

「今回の事件に関係する範囲にしろ」

 

狡噛は頷いた。

開いた記録の中に、一件の火災があった。

 

発生日。

 

死亡者。

 

生存者、一名。

 

倉橋沙代。

 

狡噛は画面へ身を寄せる。

親が潜在犯と判定された後、自宅に火をつけた。

 

家族を巻き込んだ火災で、沙代だけが救出されている。

祖母が避難を助けたとする記載があった。

 

添付された当時の報告を読む。

本人の記憶は不鮮明。

聴取は慎重に行う必要がある。

 

狡噛は椅子の背にもたれた。

通り魔の叫び声を思い出そうとした時、彼女が見ていたのは、あの路地だけではなかったのかもしれない。

 

「何かあったか」

 

宜野座が近づく。

狡噛は画面を向けた。

 

「幼い頃に、放火で家族を失ってる」

 

宜野座は報告に目を通し、眉を寄せる。

 

「なら、証言が途切れる理由にはなるな」

「ああ」

 

続いて表示されたサイコパスの記録を、狡噛は見た。

火災のあとも、その後の経過観察でも、色相はクリアだった。

確認できる記録の中に、大きな悪化を示すものがない。

 

「……ずっとクリアなのか」

 

宜野座も数値を見る。

 

「記憶が曖昧だったとある。本人がどう受け止めたかも分からない。これだけで何かを判断するなよ」

「分かってる」

 

狡噛は記録を遡った。

現在は就労していない。

 

職業適性は複数出ているが、選択した形跡はない。

保険金と相続した資産で生活している。

 

あの静かな部屋を思い出した。

紙の本が並び、窓際に椅子があって、誰かの上着が掛かっていた。

時々来る人がいる、と彼女は言った。

 

家族を失ってから、あそこへ来る人間がどれほどいたのだろう。

 

「調べれば何でも分かる、という顔をするな」

 

宜野座の声に、狡噛は顔を上げる。

 

「そんな顔をしてたか」

「お前は、気になった相手を追いすぎる」

 

狡噛は少し黙ってから、資料を閉じた。

これで、彼女の恐怖には理由が見えた。

だが、誰かと一緒だったかを聞かれた時の緊張まで、すべて説明できたとは思えない。

 

「次に話す機会があっても、火事のことはこっちから持ち出さない」

「当然だ」

 

宜野座が席へ戻る。

狡噛は聞き取りの記録へ視線を落とした。

 

一人でいました。

 

その言葉を疑いたくなるのは、自分の勘だ。

裏付けは、まだない。

 

それでも、もし彼女が誰かを庇っているなら。

 

その相手は、家族を失った彼女が、ようやく迎え入れた人間なのかもしれなかった。

 

 

 

 

*

 

通り魔事件当日の映像を確認しても、倉橋沙代の姿は見つからなかった。

狡噛は再生を止め、彼女が示した経路図へ目を移す。

 

ここにいた。

 

この方向へ逃げた。

証言をもとに周辺の映像を追ったが、顔を確認できる場面がない。

 

「映ってないのか」

 

宜野座が背後から尋ねた。

 

「ああ。少なくとも、確認できた範囲ではな」

「騒ぎの最中だ。人も動いている」

「それは分かる」

 

狡噛は映像を少し戻した。

沙代が映っていないことは、あの日そこにいなかった証拠にはならない。

まして、一人だったという話を崩す材料にもならなかった。

ただ、証言を映像で確かめようとすると、そこで途切れる。

 

「同行者を探しているのか」

 

宜野座に聞かれ、狡噛は画面から目を離した。

 

「いたなら、別の証言が取れる」

「いたと決まったわけじゃない」

「……そうだな」

 

彼は記録へ、映像による本人確認には至らず、と書き加える。

違和感は残った。

けれど、確認できない映像から、誰かの顔を見つけることはできなかった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

沙代は、彼との散歩が好きだった。

 

大通りを離れ、静かな道を歩く。

 

小さな店を覗いたり、建物の隙間に夕日を見つけたりする。

どちらへ行くか迷うと、いつも槙島が手を引いた。

 

「こっちへ行こうか」

 

その道を選ぶ理由を、沙代は尋ねたことがなかった。

二人で歩ければ、それでよかったから。

 

槙島は、そんな彼女の様子をよく知っていた。

 

彼と過ごす沙代の姿が記録に残らないよう、会う場所や出かけ方には、初めから気を配っていた。

 

そのために選んだ道も、彼女には楽しい寄り道として残っている。

 

「聖護って、こういうところよく知ってるね」

 

そう言われるたび、彼は笑っていた。

 

「君と歩くのに、いいと思ってね」

 

それも、本心だった。

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