「ダンナ。例の男、銀行で立てこもったあと、公安に連行されたそうです」
グソンは報告を開き、槙島へ画面を向けた。
二人が以前から動向を追い、その行動に関わっていた男だった。
銀行で何が起きたのか。
居合わせた人々がどう動き、公安がどう対応したのか。
記録を読み進める槙島の指が、一度止まる。
「沙代が、そこにいたんだ」
グソンが顔を上げた。
「……巻き込まれたんですか」
「ああ。銀行へ手続きに行っただけなんだけどね。帰ったら、会う約束をしていた」
「怪我は?」
「ないよ。家まで帰ってきた。さっきまで、そばにいたんだ」
「それは、よかった」
槙島は頷いた。
帰宅した沙代の身体は、まだ強張っていた。
玄関で服を掴まれ、名前を呼ばれた。
話すのはあとでいいと言うと、ようやく泣いた。
その顔を思い出しながら、槙島は報告の続きを開く。
「行内の記録も残っているんだね」
「ええ。まだ全部ではありませんが」
「見せてくれるかな」
グソンが画面を切り替えた。
刃物を持つ男。
動けずにいる客。
逃げようとした者と、その場に留まった者。
槙島はそれぞれの反応を眺め、公安が入ってきたところで、少し映像を戻させる。
「……なるほど」
口元が緩んだ。
「いいサンプルが手に入ったね」
嬉しそうな声だった。
グソンは、画面ではなく彼を見た。
「彼女も、そこにいたんでしょう」
「うん」
槙島は視線を動かし、鞄を抱えた沙代の姿を見つける。
帰宅してから聞いた話が、映像の中で起きていた。
隣の女性へ顔を向ける。
男が近づくと、身体が動かなくなる。
「彼女、隣にいた人が無事だったと、先に教えてくれたよ」
「そういう子ですね」
「ああ」
槙島はその場面をしばらく見た。
沙代が怖い思いをしたことは、気になる。
もう一度あの電話を受けるのは嫌だった。
迎えに来てほしいと言った直後、自分の立場を思い出して、来ないでと訂正する声も。
それでも、今回の記録には見ておきたいものがあった。
彼は映像を止める。
「残りも、揃ったら確認しよう」
グソンは短く息を吐いた。
「……分かりました」
槙島は机の端末を取る。
沙代から、メッセージが届いていた。
『今日はありがとう。もう少し休んだら、本読めそう』
返事を打ちかけ、止めた。
本を読めるなら大丈夫だと、簡単に済ませたくはなかった。
『今日は読まなくてもいいよ。何か食べられそう?』
送信してから、槙島は椅子の背にもたれる。
「まさか、僕のせいで怖い思いをさせるなんてね」
「屍を見せに行った人が言うセリフですか、それ」
槙島が顔を上げた。
グソンは真顔だった。
「あれは彼女には見えていなかったよ」
「ええ。綺麗な光を見て、喜んでたんでしょうね」
「まあね」
「今日だって、ダンナが関わってるとは知らない。本人からすりゃ、怖い事件に巻き込まれた。それだけです」
槙島は返事をしなかった。
「違うのは、彼女が泣いたか、笑ったかですよ。ダンナが何をしてたかは、今さら変わりません」
あの広場で、沙代は手を引いていた。
もう一度、金色になるまで待とう、と。
槙島はそれを望み、一緒に立っていた。
彼女が何も知らずに楽しんでいることに、満足していた。
「君は今日、ずいぶん手厳しいね」
「彼女が怖がらなければ、よかったんですか?」
問い返されて、槙島は目を細める。
「……少なくとも、あの夜はそう思っていたんだろうね」
グソンは椅子にもたれた。
「ダンナが大事にしてるのは分かりますよ。ただ、知られなきゃ関わらせてない、とは限らないでしょう」
槙島は机の上の端末を見た。
沙代に、危険なことをしていると認めた。
それでも彼女は、自分の家へ帰ってきた彼を迎え、そばにいてほしいと頼んだ。
銀行でも、まず自分へ電話をかけた。
「彼女は、僕が来れば安心するんだ」
「ええ」
「今日の件も、僕に関係があるとは思っていない」
グソンは黙って彼を見ていた。
槙島はしばらく考え、それから小さく息を吐く。
「……それを利用しているね、僕は」
認めても、沙代にすべて話すつもりにはならなかった。
次に会えば、また抱きしめるだろう。
彼女が落ち着けば嬉しいし、自分もそばにいたい。
そして、机に残った記録も、あとで続きを見るつもりだった。
グソンはその顔を見て、言った。
「で、また会いに行くんでしょう」
「うん」
槙島の返事に、迷いはなかった。
「彼女に会いたいからね」
端末が震える。
『少し食べたよ。聖護は?』
槙島の口元が、わずかに緩んだ。
グソンはそれを見て、首を振る。
「……本当に、困った人ですね」
槙島は否定せず、沙代へ返事を打ち始めた
「それにしても、巻き込まれすぎですよ、彼女」
グソンが呆れたように言った。
「熱を出して、通り魔に遭って、今度は立てこもり。ダンナと知り合ってから、ずいぶん忙しいですね」
「熱は事件じゃないだろう」
「こっちが慌てたことには変わりありませんよ」
槙島は端末を置き、椅子にもたれた。
「本人にも言ったよ。君はトラブルが多すぎる、と」
「あぁ、前の。」
思い出して、口元が緩む。
グソンも少し笑った。
「もう、その言い訳は使えませんね」
「そうだね。三つになってしまった」
「次はなしにしてほしいもんです」
槙島は頷いたが、すぐに何か考える顔になる。
グソンが先に釘を刺した。
「だからって、家に閉じ込めるのはなしですよ」
「まだ何も言っていないよ」
「顔に出てます」
槙島は声を立てて笑った。
「彼女にも叱られそうだね」
「叱ってもらってください」
端末が震える。
『明日、買い忘れたものだけ買ってくるね』
槙島はその一文を眺めた。
「……グソン。明日の午後、予定はあったかな」
「一緒に行くんですか」
「うん」
「ダンナが一番危ないって話、さっきしましたよね?」
槙島は返事をせず、沙代へ文字を打つ。
『僕も行っていいかな』
送ってから、グソンを見た。
「買い物だけだよ」
「本当に、買い物だけにしてください」
「分かっているよ」
すぐに返事が来る。
『うん。一緒に行きたい』
その画面を見て笑う槙島に、グソンはそれ以上何も言わなかった。