絵本のつづきを、君と。   作:小池蒼司

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50.タリスマン

 

 

 

最近、槙島がアバターを使ったチャットに接続していることがあった。

 

自分で選んだ姿をまとい、さまざまなチャンネルへ行って、そこにいる人たちと話す。

 

沙代も名前は知っていた。

けれど、始めてみようと思ったのは、聖護が使っていると聞いてからだった。

 

家で過ごす時間が増えた今、息抜きにもなるかもしれない。

 

「聖護は、どんな姿にしてるの?」

 

沙代が尋ねると、槙島は端末から顔を上げた。

 

「見てみたい?」

「うん」

 

画面を向けられ、沙代は少し黙った。

麦わら帽子を被った、狐のようなアバターがいる。

 

「……聖護?」

「僕だよ」

「なんか、かわいいね」

 

彼女が笑うと、槙島も口元を緩めた。

 

「君はどうする?」

「まだ決めてない。選べるもの、多くて」

 

沙代は候補を順に見た。

普段なら着ない色の服も、動物の姿もある。

迷った末に、耳の先が薄茶色になった白い猫を選んだ。首元には、小さな青いリボンをつける。

 

「これにする」

「よく似合っているね」

「こんなの初期装備だよ?」

「君が選びそうだと思ったんだ」

 

表示名の入力欄で、沙代の指が止まった。

本名を入れかけて、隣の彼を見る。

 

「名前は、違うのにした方がいい?」

「うん。君だと分かるものは避けておこうか」

 

沙代は少し考え、『しおり』と入力した。

 

「本から?」

「うん。覚えやすいし」

「いい名前だね」

 

彼に褒められると、それだけで少し楽しくなった。

 

*

 

最初に入ったのは、本について話すチャンネルだった。

空間の中には、さまざまな姿のアバターがいる。

人の形をしたものも、浮かぶ球体のようなものもいた。

 

沙代は入口の近くで立ち止まった。

 

《初めまして?》

 

近くにいた鳥のアバターに声をかけられる。

 

「は、はい。今日、始めたばかりで」

 

《ようこそ。何か好きな本ある?》

 

沙代は隣の槙島へ顔を向けた。

彼は本を開いていたが、視線を上げて頷く。

沙代は向き直り、最近読んだ本の題名を答えた。

 

知っている人が二人いた。

一人は好きな場面を話し、もう一人は結末が納得できなかったと言った。

沙代は少し迷ってから、口を開いた。

 

「私も、最初は寂しい終わり方だと思ったんです。でも……」

 

話し始めると、相手が頷いた。

 

誰かの感想から、前には気づかなかった読み方が見えてくる。

それを聞いているうちに、入口に立っていたことも忘れていた

 

 

 

*

 

接続を終えると、沙代は小さく息を吐いた。

 

「……楽しかった」

「そう。それはよかった」

「私が知らない本、いっぱい出てきた。あと、同じ本でも全然違うこと考えてるんだね」

 

槙島は栞を挟み、本を閉じた。

 

「また行ってみる?」

「うん。聖護も、あそこに行く?」

「今日は行かなかったよ」

「そっか。一緒にいたら、聖護だって分かるかな」

 

彼は少し笑った。

 

「どうだろうね。試してみようか」

 

沙代が頷いた時、彼の端末へ通知が届いた。

画面の端に、名前が表示される。

 

「タリスマン……?」

「知っている?」

「さっき、話に出てた。人気の人なんだって」

 

槙島は通知を閉じた。

 

「そうだね。彼の話を聞きに来る人は多い」

「聖護も、お話するの?」

「うん。時々ね」

 

沙代は興味深そうに頷いた。

 

「今度、私も聞いてみようかな」

 

槙島は彼女の端末を見た。

白い猫が、接続待ちの画面で静かに尻尾を揺らしている。

 

「今度、君が話したいことを考えてみるといい」

「聞くだけじゃなくて?」

「君の考えも、聞きたい人がいるかもしれないよ」

 

沙代は照れたように笑った。

その隣で、槙島は届いたメッセージを開いた。

沙代がこれから出会うアバターの向こうに、誰がいるのか。

 

彼女よりも、自分の方が多くを知っていた

 

 

 

 

次に接続したのは、聖護が出かけている午後だった。

 

沙代はソファにクッションを置き、楽な姿勢で端末を開いた。

前に話した鳥のアバターがいる。

 

《しおりさん、こんにちは》

 

「こんにちは」

 

名前を覚えていてもらえたことが、少し嬉しかった。

しばらく本の話をしていると、誰かがタリスマンのいるチャンネルへ行こうと言った。

 

《今日は、相談を受けてるみたいだよ》

 

沙代も一緒に移動した。

集まっている人は、前の場所よりずっと多い。

中心にいるアバターへ、順番に言葉が投げかけられていた。

 

仕事のこと。

友人とのこと。

誰にも言えない、小さな迷い。

 

タリスマンは落ち着いて答えていた。

沙代は聞くだけのつもりだったが、ふと問いかけられる。

 

《そこの猫さん。何か話したいことはある?》

 

「……私?」

 

《うん。初めて来てくれたのかな》

 

周りの視線が向く。

沙代は膝の上で指を重ねた。

 

「初めてです。今日は、聞くだけのつもりだったんですけど」

 

《話せることだけでいいよ》

 

少し考える。

 

名前も、場所も、聖護のしていることも言えない。

けれど、それらを言わずに尋ねられることがあった。

 

「大切な人が、話してくれないことがある時って……聞かない方がいいんでしょうか」

 

タリスマンは、すぐには答えなかった。

 

《君は知りたい?》

 

「……はい。でも、話したくないなら、無理には聞きたくないです」

 

《その人を信頼しているんだね》

 

「してます」

 

その返事には迷わなかった。

 

「でも、知らないから不安になることもあって」

 

口にすると、胸が少し軽くなった。

顔も名前も知らない相手だから、言えることがある。

沙代はそれを初めて知った。

 

《聞くことと、責めることは違うよ。君が不安に感じていることを、伝えてみたらどうかな》

 

「……うん」

 

《相手のために黙っているつもりでも、相手には伝わらないことがあるからね》

 

沙代は小さく頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

接続を終えたあとも、しばらく画面を見つめていた。

聖護とは、以前にも話した。

危ないことをしていると認めてくれたし、全部は話さないとも言った。

それでも、これからのことは聞いていいのだろう。

 

子どもが生まれたあとのこと。

留守にする時のこと。

自分が、不安になった時のこと。

 

 

*

 

 

「今日は、何をしていた?」

 

夕方に帰ってきた槙島が尋ねた。

 

「少し本を読んで……あと、タリスマンのところに行ってみた」

 

彼の手が、コートの襟元で止まった。

 

「そう。話したの?」

「うん。少しだけ」

 

沙代は彼を見上げた。

 

「大切な人が話してくれないことがある時、聞いてもいいのかなって」

 

槙島は静かにコートを脱いだ。

 

「何と答えてくれた?」

「不安に思ってることを、伝えてみたらって」

「なるほど」

 

彼は隣へ座った。

沙代が、少し近づく。

 

「名前とか、私たちのことは話してないよ」

「うん」

「でも……誰かに聞いてもらうの、久しぶりだった」

 

槙島は彼女の顔を見た。

自分に話せないことを、自分の関わる場所で、別の誰かに話していた。

沙代はその繋がりを知らない。

 

「少し、楽になった?」

「うん」

 

彼女は頷いてから、彼の手に触れた。

 

「聖護にも、話したくなった」

 

槙島はその手を握った。

 

「聞かせてくれるかい」

 

彼女が言葉を探す間、彼は待った。

御堂がタリスマンとして、どんな言葉を選んだのか。

それを聞いた時には、借りた声でよく言うものだと思った。

けれど、その言葉を受け取った沙代が何を話すのかには、耳を傾けたかった。

 

*

 

「……留守にする時、帰れなくなったらどうするか、決めておきたい」

 

沙代は繋いだ手を見ながら言った。

槙島は黙って続きを待った。

 

「待ってるのは平気。でも、何も分からないままなのは怖い。これからは、私だけじゃないから」

 

彼女の空いた手が、お腹へ触れた。

 

「何日か帰れないなら、そう言ってほしい。詳しく話せなくてもいいから」

「うん」

「連絡できなくなった時も……私、誰に聞けばいい?」

 

槙島は少し考えた。

これまで、沙代から届いた連絡に返事をすることは、自分が選べることだった。

彼女が待っていると知りながら、あとに回したこともある。

今、彼女はその間をどう過ごせばいいのか尋ねている。

 

「グソンに連絡できるようにしよう」

「いいの?」

「彼にも話しておくよ。ただ、君が知りたいことに、何でも答えられるとは限らない」

 

沙代は頷いた。

 

「それでも、誰にも聞けないよりいい」

 

槙島はその返事を聞いて、彼女の手を握り直した。

 

「不安にさせていたね」

「……うん」

 

今日は、否定してくれなかった。

彼は少し目を伏せる。

それから顔を上げた。

 

「留守にする予定は、分かっている範囲で伝える。変わった時もね」

「ありがとう」

 

沙代はようやく彼を見た。

 

「もっと早く言えばよかった」

「僕が聞くべきだったこともあるよ」

 

彼女が寂しくないように、欲しいものを揃えることは考えていた。

安心できる部屋を作り、帰れば抱きしめて、嬉しい話を聞く。

その部屋で自分を待つ時間については、彼女に聞かずにいた。

 

沙代が肩へもたれてくる。

 

「怒られるかなって、ちょっと思った」

「僕に?」

「うん。聞かない方がいいこと、あるでしょ」

「あるね」

 

槙島は正直に答えた。

 

「でも、君が困っていることまで、言わずにいてほしくはないよ」

「……分かった」

 

彼女の声が少し柔らかくなった。

槙島は髪を撫でながら、卓上の端末へ目を向ける。

 

タリスマンを通して、沙代は話す勇気を得た。

 

そのことには感謝してもよかった。

けれど、あのアバターを操る人間に、これ以上彼女の暮らしを渡したいとは思わなかった。

 

「タリスマンには、ほかにも話した?」

「ううん。今日はそれだけ」

「そう」

「また行ってもいい?」

 

沙代が顔を上げた。

槙島はすぐには答えず、その目を見た。

 

「君が楽しいなら、行っておいで。ただ、家のことや、個人が分かる話はしない方がいいね」

「うん。気をつける」

 

彼女は素直に頷いた。

その信頼を受け取りながら、槙島はタリスマンの正体について何も言わなかった。

 

「……でも次は、本の話だけでもいいかな」

 

沙代が小さく笑う。

 

「今日、少し疲れちゃった」

「では、今夜は僕と話そうか」

「うん」

 

彼女が読んでいた本を持ってくると、彼は隣を空けた。

 

*

 

その夜、沙代が眠ったあとで、槙島はグソンへ連絡した。

 

「頼みたいことがある」

『何です?』

「僕と連絡が取れなくなった時、沙代が君に尋ねられるようにしたい」

 

向こうが少し静かになる。

 

『……本人に言われたんですか』

「うん」

『分かりました。連絡先を伝えておいてください』

「ありがとう」

 

通話を終える前に、槙島はもう一つ尋ねた。

 

「それから、タリスマンの様子は?」

 

声の温度が変わったことに、グソンは気づいた。

 

槙島は寝室の方へ目を向けたまま、返事を待っていた。

 

 

 




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