ーー数年後。
沙代の膝の上で、息子が絵本を開いていた。
古い紙の端を、小さな指が押さえている。
「ここ、もういっかい」
「また?」
「うん」
沙代は笑って、少し前のページへ戻った。
同じところを三度読んだあと、息子が棚の写真を指さす。
「お父さんも、この本よんだ?」
沙代は顔を上げた。
あの一周年の写真だった。
「うん。お母さんと、一緒に読んだよ」
「お父さん、本すき?」
「すごく好き。難しいのばっかり読んでたけどね」
息子はしばらく写真を見て、それから沙代の胸元へ視線を移した。
「これ、お父さんの?」
「そうだよ」
チェーンを引っ張らないよう、手を添える。
息子は指輪に触れて、自分の指を当てた。
「おっきいね」
「手も、大きかったんだよ」
沙代は、その小さな手を包んだ。
*
夜、息子が眠ったあと。
沙代は絵本を棚へ戻した。
表紙は、昔より擦れていた。
祖母との思い出。
聖護と出会った日。
一緒に過ごした夜。
そこへ今は、息子の声も重なっている。
写真の前で、沙代は小さく笑った。
「今日も、同じところ三回読んだよ」
返事はなかった。
胸元の指輪へ触れる。
「あの子ね、本が好きみたい」
その時、寝室から声がした。
「おかあさん」
沙代は振り返った。
もう一度呼ばれる前に、立ち上がる。
「うん、今行くね」
廊下を歩き、扉を開けた。
ベッドの上で起き上がった息子が、両手を伸ばしてくる。
沙代はそのそばへ座り、温かい身体を抱き寄せた。
「大丈夫。ここにいるよ」
昔、自分が聞きたかった言葉を、今度は自分の声で伝えた。
息子が眠り直してからも、沙代はしばらく、その手を握っていた。
昼間はあんなに小さく見えるのに、こうして握り返されると、思っていたより力がある。
「……聖護の手も、温かかったよ」
眠っている息子へ、そっと話しかけた。
いつか、この子がお父さんについて、もっと知りたがる日が来るのだろう。その時、何をどう話すかは、まだ分からない。嬉しかったことだけを選んで、すべてだったことにもできなかった。
それでも、会いたがっていたことは伝えたかった。
その声を覚えているのは、自分なのだから。
息子の指がほどける。沙代は布団を掛け直し、額に触れた髪を払った。
「おやすみ」
立ち上がると、胸元の指輪が小さく揺れた。
居間の灯りを消す前に、写真へ目を向ける。
「明日も、早いんだよ」
少し笑ってから、寝室へ戻った。
隣の寝床には、息子がいる。
沙代は自分の布団へ入り、目を閉じた。明日の朝は、何を食べさせよう。
考えているうちに、ゆっくり眠りが訪れた。
ーーここにいるよ。
彼の声が聞こえた気がした___