【パエトーン視点:アキラ&リン】
六分街の路地裏。
ビデオ屋『Random Play』の買い出しの帰り道、アキラとリンは、建物の陰から聞こえてくる怪しげで落ち着いた声に足を止めた。
「…ええ、私です。例の件ですが…すべて処理は完了いたしましたよ」
声の主は、青い髪を几帳面に整えた、仕立ての良いスーツ姿の男だった。うっすらと穏やかな笑みを浮かべているが、糸目のせいで視線がどこに向けられているのか全く窺い知れない。どことなく街の喧騒から浮いた、異質な雰囲気を纏っている。
「…お兄ちゃん、あの人」
「ああ、静かに」
アキラはリンを制し、さりげなく建物の陰に身を潜めた。
男はスマホを耳に当て、一切の感情を排した冷徹なまでに丁寧な語り口で会話を続けている。
「…はい。障害となっていた『数千の邪魔者』につきましては…まとめて『処理』しておきました。これで障害は一つもありません」
静まり返った路地裏に、男の落ち着いた声だけが響く。
「…ええ。すべては、あの方たちの輝かしい未来のためです…フフフ。では、会場の『最前列』でお会いしましょう」
男は短く会話を切り、スマホをポケットに収めた。
会話を聞いていたアキラとリンは、背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
(『数千の邪魔者を処理』…数千もの人を消したということか…!?)
(『最前列』って、まさか裏社会の処刑場か何かの最前列ってこと…!?)
男の放つ言葉の重みと、読めない微笑。それは明らかに一般人の領域を超えていた。
「…リン、一旦離れよう。気づかれたら不味い」
「うん…」
二人は気配を殺し、足早に路地裏を抜け出そうとした。
しかし、大通りに出る直前、アキラがふと振り返ると——男はこちらをじっと見つめ、頭を下げていた。糸目の奥で、穏やかな笑みを浮かべたまま。
(気づかれていた…!? 僕たちが盗み聞きしていたことに…!?)
ゾクッとした戦慄が走り、二人は急ぎ足で店へと戻った。
◇
『Random Play』のモニタールーム。
店に戻ったアキラとリンは、すぐさまモニターの前に立ち、Fairyを呼び出した。
「Fairy、路地裏で見かけた青髪の男の身元を照会してくれ。特徴は——」
「検索完了しました、マスター」
アキラが説明を終えるより早く、Fairyの合成音声がスピーカーから響いた。画面には、先ほどの男の写真と詳細なデータが表示される。
「名前は
「千夏ちゃんの実のお兄さん…!? 確かに兄がいるとは聞いてたけど…」
リンが声を上げた。しかし、アキラは腕を組み、画面の「一般社員」という文字を険しい表情で睨みつけた。
「…表向きは、ただの優しいお兄さんを装っているのかもしれない。Fairy、もっと深く検索してくれ。新エリー都の裏データベース、非合法な取引ネットワーク、ホロウ探索の非正規記録…考えうる限りの深層まで潜って、奴の『本当の顔』を暴き出すんだ」
モニター上の青い波形が、微かに、だが明確に不機嫌そうな揺らぎを見せた。
「…否定。マスター、私の初期検索の時点で、既にこの都市のあらゆる暗号化プロトコルを突破した上での結論です。これ以上の『深層』など存在しません」
「でも、あんなに平然と『数千の邪魔者を処理した』と笑っていたんだぞ…。頼む、Fairy。もう一度だけ調べてくれないか。何かしらの痕跡があるはずなんだ」
アキラの強い要求に、Fairyは短く無機質な電子音を鳴らした。それは、彼女なりの明らかな『ため息』だった。
「…了承しました、マスター。私の完璧な演算能力を疑うというのであれば、ご納得いただけるまで証明いたしましょう。…検索再開。対象の過去10年間の全通信記録、および金銭授受の履歴を再スキャン…完了しました」
モニターに膨大なデータが滝のように流れ、そして一枚の電子レシート画像とログが表示された。
「対象の直近の異常な行動記録を発見。…『妄想エンジェル スペシャルライブ プレミアムチケット』1枚の単独購入。および、チケット供給システムへ高負荷アクセスを行っていた数千の自動購入BOTプログラムを、個人用端末から手動でブロックした痕跡を確認。これらが、対象の『隠された行動』のすべてです」
「…? ライブのチケット? BOTのブロック…?」
リンが目を丸くした。しかし、アキラの表情はさらに険しさを増していた。
「…なるほど、そういうことか。裏社会の闇取引を『アイドルのプレミアムチケット』という符丁でカモフラージュし、敵対組織からのサイバー攻撃(数千の邪魔者)を個人で防ぎきったということか…。なんて恐ろしい男だ…!」
「えっ、お兄ちゃん…それって、本当にそう…?」
リンの引きつった声をよそに、アキラは冷や汗を流しながら深く頷いた。
「ああ。間違いない。あの男、ただのフィクサーじゃない。新エリー都のサイバー空間すら単独で掌握する、バケモノ級の凄腕だ…!」
「…マスター」
Fairyの波形が、ひどく呆れたように明滅する。
「…マスター。この結果は新エリー都のあらゆる深層ネットワークを照合した上での最終結論です。彼に関して、これ以上の『裏の顔』はどこを探しても存在いたしません」
「すまないFairy、君の能力を責めているわけじゃないんだ。相手の偽装工作があまりにも完璧すぎるんだよ」
「…」
アキラは固い決意を込めてモニターを見つめた。
会話を打ち切ったFairyの冷ややかな静寂の中、二人は「新エリー都の闇を暗躍するフィクサー」への警戒を、より一層強めるのだった。
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【千歳視点:妹の笑顔を守る男】
「…ふぅ。今日もコサンボンプとの作戦会議は、実に熱のこもったものでしたねぇ」
路地裏でファンクラブ会長であるコサンボンプ殿との通話を終えた私は、新エリー都の爽やかな風を浴びながら、胸中で深く感銘を受けていた。
私の名前は千歳。データ処理会社に勤める、至って真面目で善良なサラリーマンである。
そして私には、世界で一番愛らしく、世界で一番尊い妹がいる。そう、地下アイドルグループ『妄想エンジェル』で健気に頑張っている、あの千夏だ。
(やれやれ…コサンボンプ殿も電話で
『ンナナ、ンナ!(妄想エンジェルのステージ、絶対に最前列で応援する!)』
と興奮しておられましたが、同志の情熱には頭が下がる思いです)
私は涙をハンカチでそっと拭った。
妹がアイドル活動を始めてからというもの、兄として彼女の夢を陰ながらサポートすることが、私の人生における最高の生き甲斐となっている。
「それにしても…今回の『妄想エンジェル スペシャルライブ』のチケット争奪戦は、なかなか骨が折れましたねぇ」
私はスマホの画面を見つめ、満足げに頷いた。
転売目的でチケット供給システムに負荷をかける悪質な自動購入BOT——それら数千件に及ぶ不審なアクセスアカウントを、仕事で培ったセキュリティ知識を駆使し、全て『処理(アクセスブロック)』してやったのだ。
邪魔者(BOT)を完全に排除したおかげで、私は無事に『最前列』のプレミアムチケットを自力で確保することに成功した。
「すべては、千夏の輝かしいステージのため…。妹の晴れ舞台を最前列で見守るためでしたら、この程度のこと、幾らでもこなしてみせますよ」
スマホをポケットに収め、ふと路地裏の出口に目をやると、角を慌てた様子で曲がっていく背中が見えた。千夏がいつもお世話になっているという、ビデオ屋のご兄弟だ。
(おや…? あのビデオ屋のご兄弟、こんなところで何をしておられたのでしょう)
私は立ち止まり、去っていくお二人の背中に向けて、社会人として磨き上げた極上の営業用スマイルで、丁寧にお辞儀をした。
(ふむ…私が不審な者ではないかと、街の防犯のために警戒してくださっていたのかもしれませんね。妹が活動する街のセキュリティ意識が高いのは実に喜ばしいことです。いつも千夏がお世話になっている素晴らしい方々へ、感謝を込めて精一杯のお辞儀をお届けするといたしましょう)
私は静かに頷き、次なる「妹活」の準備へと足を進めたのだった。