【パエトーン視点:アキラ&リン】
ビデオ屋『Random Play』のカウンター奥。作業用モニターの明かりだけが浮かび上がる暗がりで、リンが青ざめた顔で一枚の紙片を差し出してきた。
「六分街の裏路地で、例の男――千歳が落としたメモだよ。街の防犯カメラの映像で、本人が落としたところも確認済み」
街で不穏な動きを見せる千歳をマークしている二人は、ここ数日、彼の行動を過剰なまでに警戒していた。アキラは受け取ったメモの画像データに目を走らせる。そこに書かれていたのは、神経質なまでに整った、几帳面な字だった。
・業務用高濃度・強アルカリ洗浄剤
・耐圧ゴムホース
・メタルバルブ
・18:00 カフェにて会合
・内部洗浄
「…まさか」
アキラはゴクリと唾を飲み込み、モニターの光を反射する目を細めた。
「強アルカリの洗浄剤に、高圧対応の耐圧ホース…。こんな道具を使って、一体何をしようとしてるんだ…? 最後の『内部洗浄』だって、どう考えてもタダ事じゃない。僕たちの知らないところで、もう何か取り返しのつかない計画が始まってるんじゃ…」
「嘘でしょ…。そんな危険な道具を揃えて、何か良からぬことでも企んでるってこと…?」
リンが信じられないというように顔をしかめる。
モニターの隅から、Fairyの無機質な合成音声が響く。
「マスター。対象者(千歳)の日常の行動ログ、ならびに生活パターンの分析結果から、当該リストが一般的な『浴室および排水管の清掃用品』ならびに『日常の備忘録』である確率は97.4%です。解釈および今後の対応はマスターに一任します」
Fairyは淡々と客観的なデータを提示し、それ以上の追及をせず静観の構えをとった。
「うーん、フェアリーは素直だなぁ…」
リンが画面を覗き込みながら、腕を組んで首をひねる。
「あの男が、ただの不注意で買い物メモを落とすなんて思えないよ。私たちが探りを入れていることに気づいていて、あえて『日常の買い物』に見せかけた暗号を罠として置いていったんじゃない?」
「…たしかに、相手が相手だからね。警戒するに越したことはないか」
アキラも顎に手を当て、深く考え込む。
「18時、カフェでの会合…仲間との合流時間だね。Fairy、現場付近の監視カメラ映像と音声を拾えるかい?」
黄昏時に包まれた六分街の裏路地。静かなジャズが流れるオープンカフェのテラス席を、『Random Play』のモニター越しにアキラとリンは注視していた。
18時ちょうど。
スーツを完璧に着こなした千歳が、静かな足取りでテラス席へと現れた。
その向かいに腰掛けたのは、黒いレザージャケットを羽織った筋骨隆々の巨漢だった。強面で、いかにも裏社会の危険な空気を纏っている。
(あの強面で迫力のある人…! あの千歳と平然とサシで会うなんて、やっぱり重大な作戦の相手なんだ…!)
画面の前で、リンが思わず息をのむ。
カメラの音声マイク越しに、千歳の静かな声が拾われてきた。
『――それでは、開場と同時に最前列へ。前線の維持、よろしくお願いします』
『おう、任せとけ。後方の連中が押し寄せても、俺がしっかり壁になって安全を確保してやるぜ』
言葉短くに交わされる会話。千歳と巨漢の男は、互いの目をじっと見つめ合い、静かに、しかし圧倒的な圧力を伴ってガッチリと力強い握手を交わした。
『定刻通りに一斉に動きます。現場では一瞬の隙も作らないように』
『分かってる。絶対にミスは許されねえからな』
(『前線の維持』に『押し寄せる連中に対する壁』…それに『現場』! 現場を完全に包囲して大惨事を引き起こす、極秘の襲撃作戦だ…!)
アキラの額から冷や汗が流れる。
先入観で凝り固まったプロキシ兄妹の耳には、冷酷な作戦の合図にしか聞こえていなかった。
「本当に、本気で大惨事を起こす気なんだ…!」
「…モニターを切ろう、リン。これ以上探ってたら、僕たちの存在に気づかれる…」
二人は映像を閉じ、息をひそめた。
しばらくして。『Random Play』のカウンター奥で、毛布を被り、温かい紅茶を飲みながらモニターを注視するアキラとリンの前で、壁掛けテレビの画面が緊急ニュースに切り替わった。
『――速報です。本日夕方、〇〇地区の化学工場にて有毒ガスの漏洩事故が発生しました。現場の調査により、原因は設備の老朽化と従業員の過失が重なったものであり、治安局は事件性はないと発表しています…』
「「……ッ!!!!」」
アキラとリンは言葉を失い、画面を見つめた。
「…さっき二人が話していた計画って、この事故のことだったのか…」
アキラは手にしていたコップを静かに置き、冷や汗を流した。
「僕たちが裏を読もうとしていることまで計算に入れて、事件を『事故』に見せかけて見せしめにしたのか…? しかも、治安局に『事件性はない』とまで発表させるだなんて…完全に証拠を隠滅したってことか…!」
「嘘でしょ…」
リンも画面を見つめたまま、血の気を引かせて呟く。
「これ、ただの警告ってこと…? 治安局の調査すら手玉に取るなんて、あの男、やっぱり軽々しく触れちゃいけない相手なんじゃ…」
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【千歳視点:最前線の防衛と完璧なる水回り】
六分街の静かなマンションの一室。スーツを脱ぎ、ラフな部屋着に着替えた千歳は、先ほどのカフェでの会合を思い返し、一人満足げに頷いていた。
(今週末は『妄想エンジェル』の重要なライブ…。歴戦の同志である彼が壁になってくだされば、熱狂した後方のファンが押し寄せるようなことがあっても前列の安全が保てます。ファンが怪我などしたら千夏ちゃんが悲しんでしまいますからね。絶対に事故を防ぎ、笑顔で最高の景色をお届けしなければ…!)
同じ地下アイドルを推す歴戦のオタク仲間との強固な連携に胸を熱くしていると、リビングのテレビから緊急ニュースが流れてきた。
「うわぁ、工場でガス漏れ事故ですか。事件性はないみたいですが、怖いですね。近所の方々は大丈夫でしょうか」
心から痛ましそうに呟いた千歳は、気を取り直すように腕まくりをした。
右手には、今日買ってきた「業務用高濃度・強アルカリ洗浄剤」。
足元には、新しく交換するための「耐圧ゴムホース」と「メタルバルブ」のセット。
「よし。うちもしっかり換気して、配管の『内部洗浄』を始めるとしましょう」
もちろん、強アルカリ洗浄剤を正しく扱い、老朽化したパッキンを交換して水漏れを防ぐことなど、几帳面で知性的な千歳にとっては朝飯前だ。完璧な水回りメンテナンスの段取りが、すでに頭の中に組み上がっている。
「千夏が急に遊びに来た時、水回りが汚いとがっかりされてしまいますからね。しっかり綺麗にしておかないと」
キュッと厚手のゴム手袋をはめ、千歳はまるで戦場へ赴く特殊部隊のような凛々しい足取りで、ピカピカのお風呂場を目指してドアを開けるのだった。