──魔王城の廊下──
「ふーんふーんふーん♪」
今日もケルベロスのお世話をしてきたフェリスは、上機嫌で廊下を歩いていました。
後ろには侍女のメルシェもお供しています。
途中、通りかかった部屋から大きな物音がしたかと思うと、ぼさぼさ頭の男が出てきました。
「いってて……ん? おー、フェリスじゃん」
「るくすあにうえ!」
彼はルクス。
魔王の次男です。
「大きな物音がしましたが~……」
メルシェが何事かと伺うと、
「あはは……ちょっと積んでた魔道具が落ちてきただけだよ」
「ちょっと……ですか~?」
メルシェが中を見ると、床は足の踏み場もなく、山のように積まれた物で部屋の半分ほどが埋まっていました。
指摘するべきか迷うメルシェの視線に耐えられず、
「まあ……扉を開けられるだけ、これでもマシな方なんだよね……」
ルクスは弁解にもならない弁解をしました。
「そうじしたほうがいい!」
「はは……そのうちな……あ、そうだ! フェリスに面白い物を見せてやろう──」
話題を逸らすように、ルクスは部屋の中で何かを探し始めました。
あれでもない、これでもないと山の中を漁っていると、
「お、あったあった」
ようやく見つけたのは、金属製のコップのようです。
「なにそれ?」
「こいつはな、この横に付いてるボタンを押すと──」
ルクスが説明しながらボタンを押すと、コップの底から水が湧き上がってきました。
「匂い嗅いでみ?」
「すんすん……あ! りんごじゅーちゅのにおい!」
「へへ、味もちゃんとリンゴジュースだぞ?」
目を輝かせるフェリスにルクスはコップを渡します。
受け取ったフェリスは、最初こそおそるおそる口を付けていましたが、カッと目を見開くとゴクゴク飲み始めました。
「……ぷはーっ! りんごじゅーちゅだ! すごい! これ、まほうのこっぷ!?」
「魔法のコップだな。兄ちゃんが作ったんだぜ? すごいだろ?」
「すごいすごい! めるしぇものんで!」
フェリスからコップを受け取ったメルシェも、口を付けてみます。
「……ん~! 確かにリンゴジュースですね~。水魔法……で生み出しているのですか~? でもリンゴジュースを生み出すなんて、できるんでしょうか~?」
「はは、そこがミソだな。これ、本当はただの水なんだ。風味でリンゴジュースだと錯覚させてるだけ。そういう魔道具なんだよ」
「なるほど~。ガラクタばかり作ってるかと思ってました~」
「お、お前……結構毒舌だな……まあガラクタって言われるのはしゃーねえが、失敗を積み重ねなきゃ成功も見えてこねえ。発明ってのは百回やって一回成功すればいいんだからな」
その積み重なった失敗作が、部屋にある山の正体でした。
「ルクス様のこと見直しました~」
「……俺、一応は魔王の息子なんだけどな……」
二人が話していると、再びガラクタの山が音を立てて崩れていきました。
先ほど魔道具を探したせいで、崩れやすくなっていたのでしょう。
「あ~、床が見えるくらいには片づけましょうか~」
そう言ってフェリスにコップを渡したメルシェは、部屋の中に散らばったガラクタを拾い上げていきます。
「悪いな……そっちに寄せてくれればいいから。あ、フェリス、その魔道具だけど……フェリス?」
ルクスが振り返ると、そこにフェリスの姿はありませんでした。
◆ ◆ ◆
「これはいいものだ! みんなにじまんするぞー!」
フェリスはコップを抱え、廊下を走っていました。
階段を下りていくと、近くに人を発見します。
フェリスはすぐさま駆け寄り、その裾を引っ張りました。
「ねえねえ」
「ん? おや、フェリス様。どうかされましたか?」
服装を見るに、偉い立場の人のようです。
しかしフェリスは物怖じしません。
「これ! りんごじゅーちゅ! のんでのんで!」
いきなりのことに偉い人は困惑した表情を浮かべますが、フェリスの屈託のない笑顔に覚悟を決めました。
「……では、いただきます……ん? 確かにリンゴですな」
「おいしかった?」
「ええ、とても甘味のあるリンゴジュースでしたよ」
「へへへ。このこっぷ、るくすあにうえがつくったの! みずにりんごあじをつけるんだって!」
「ほう、ルクス様が。魔道具作りの才がおありですからな」
「うん! ほかのみんなにもじまんしてくる!」
そう言って、フェリスは元気よく駆け出しました。
「……この後の会議も頑張ろう」
一人呟く偉い人でした。
◆ ◆ ◆
次に訪れたのは厨房でした。
オーク族のシェフたちはちょうど昼休憩だったようで、フェリスの姿を見ると慌てて姿勢を正しました。
「こ、これはフェリス様。どうなさいました?」
ニヤッと笑ったフェリスは、後ろ手に持っていたコップを差し出しました。
その際にボタンを押したようで、水が湧き出ています。
「これのんで!」
頭にはてなマークを浮かべるシェフたちでしたが、やがてコップを受け取り、回し飲みし始めました。
「リンゴジュースですね」
「甘味と酸味が半々でちょうどいい塩梅だな」
「しかし、どうして私たちに?」
「このこっぷがすごいんだよ! りんごあじにしてくれるの!」
だいぶ端折った説明だったので、シェフたちもよく分かっていない様子ですが、その笑顔に心を奪われたのか「すごいですね!」「さすがフェリス様!」とフェリスを持ち上げ始めました。
ルクスの功績を我が物にした自覚などなく、気分を良くしたフェリスは次の獲物を探しに行くのでした。
◆ ◆ ◆
──コンコン。
「おとどけものでーす」
「はいよー……ん? フェリス様じゃねえですか。詰所になんか用ですかい?」
ノックに応じて出てきたのは、魔王軍の兵士である狼男でした。
「これ! おいしいあまいりんごじゅーちゅ!」
「何ですかい? いただけるんですかい?」
フェリスに目線の高さを合わせてコップを受け取ると、狼男は器用に飲んでみせました。
しかし──
「すっぱっ!!?? これ酸っぱすぎですぜ!?」
「えー!? そんなことないもん! あまいもん!」
フェリスは狼男の言葉を信じず、コップを奪って口を付けます。
「──しゅっぱっっっ!!??」
「でしょう? お酢かなんかと間違えてるんじゃねえですかい?」
「えー!? なんでー!?」
◆ ◆ ◆
あれから何度かボタンを押してみたものの、水は酸っぱくなるばかりで、壊れてしまったと思ったフェリスは肩を落としながら歩いていました。
「どうした、フェリス」
声をかけてきたのは、供を連れ、軍服を着た赤髪の男でした。
黒く艶やかな二本の角が、雄々しく天に向かって伸びています。
「りんですあにうえ……」
彼の名はリンディス。
魔王の長男にして、魔王軍の一個師団を指揮する師団長でもあります。
リンディスを見上げたフェリスは悪戯っぽい笑顔を浮かべました。
「あにうえ! これ、りんごじゅーちゅ! のんでのんで!」
お供の女性が毒見のためか前に出ようとすると、リンディスはそれを制するように視線を送りました。
側近は一拍置いて、恭しく頭を下げ、後ろに控えます。
「俺のためにわざわざ? ありがとう、いただこうか」
コップを受け取ったリンディスは、フェリスの表情に気づきながらも、中の水を呷ります。
リンディスはケロッとした表情で言いました。
「ふむ、うまいリンゴジュースだな。甘みが強くて嫌いじゃない」
信じられない物を見る顔をしたフェリスは、
「う、うそだ! すっぱかったもん!」
と驚いています。
「ならフェリスも飲んでみればいい」
フェリスが恐る恐る口を付けると──
「……あれ、すっぱくない……? あまくておいしい! な、なんで?」
「ふっ、その魔道具の術式に誤りがあったのでな。修正しておいた。これで何回使っても酸っぱくはならないだろう」
一瞬で術式を解析し、修正してのけるのは何気に凄いことなのですが、フェリスはその凄さをつゆ知らず、
「おー! りんですあにうえすごーい! ありがとう!」
軽く感謝を述べるのでした。
「ところでフェリス、俺に酸っぱい水を飲ませようとしていたのか?」
「ば、ばれた……」
怒られるかと思い、フェリスは肩を震わせます。
と、そこにルクスとメルシェが駆け付けました。
「フェリス様~」
「はぁ……はぁ……ちょっと……タンマ……」
ルクスは部屋に籠りきりの生活が祟ったのでしょう、肩で息をしています。
「このコップを作ったのはルクスだな? 悪いが勝手に術式を修正させてもらったぞ?」
「はぁ……はぁ……どこ間違ってた?」
「《風味生成》の術式の一部が《水生成》の術式と共鳴して、酸味が余計に生成されていた」
「あー……くっそ、共鳴か。やっぱ兄貴には敵わねえや……」
「そんなことはない。俺ではそもそも、こんな魔道具も術式も思いつかない」
リンディスはフェリスに視線を落とします。
「ルクス。お前が作る魔道具は、いつも誰かを幸せにしている。他者を幸せにできるお前が、俺は兄として誇らしい」
「こ、子ども扱いするなし……」
リンディスに頭を撫でられたルクスは、照れ隠しにそう呟きました。
「リンディス様、そろそろ……」
側近がリンディスの耳元で呟きます。
「分かってる……フェリスは魔王を目指しているんだったな。先ほどの件、俺は怒っていない。騙し討ち、大いに結構じゃないか。俺に一泡吹かせられないようでは、魔王など夢のまた夢だ。いつでも挑んでくるがいい」
「う、うんっ!」
「メルシェ、これからもフェリスのことをよろしく頼む」
「は、はい~!」
声をかけられると思っていなかったのか、メルシェの頬が赤くなります。
「ではな」
そう言って、リンディスとお供は去っていきました。
「あれが次期魔王の背中かー。でけえなー」
「はい~……素敵です~……」
「ぬっふっふ、いつかぎゃふんといわせてやる!」
そう息巻くフェリスの背中も、いつか同じくらい大きく見える日が来るのでしょうか。
「そういえば、るくすあにうえ! これ……」
フェリスは魔道具のコップをルクスに差し出します。
「ん? ああ、そのコップはフェリスにやるよ。元々プレゼント用に作ってたし」
「え!? いいの!?」
「ああ。ただし、あんまり夜に飲みすぎるなよ? おねしょしても知らないぞ~?」
「も、もうおねしょ、してないもん!」
メルシェは知っているのでした──フェリスがまだおねしょしていることを。
──そしてその後、フェリスのおねしょが増えたとか、増えなかったとか。