悪役令嬢の影武者ですが、主人が姿を消してから五年が経ちました 作:パンデュ郞
◇ ◇ ◇
「おい、そこで何をしている」
「……何もしてませんよ」
私は、ガラントという人の誘いを受けてしまった。
なんて弱い人間なんだろう。
「何もするなと言ったのはそっちでしょ」
私は毎晩、裏町へやってきています。
このガラントという人物の誘いを受け、交渉の末にそのような結末になりました。
「お前はここにいるだけでいい」
「ミリス様なら、きっと来ませんよ」
「来るさ。あいつは身内にだけは甘いからな」
……身内には甘い。
私は果たしてあの人に身内判定してもらえてるんだろうか。
してもらえてるのなら、私は……。
「ん? 雨が降ってきたか?」
私たちがいまいる裏町の一軒家。
その窓から外を見ると、僅かに雨が降ってきているのが見えます。
音もぽつぽつと。
「雨が降ってきたなら、あの方がくるはずありませんね」
雨に濡れるなんて真似、絶対にしないだろうから。
付き人もいないから、自分で傘を差さないといけないし。
そんなの、きっと家の外聞を悪くするから良くないとするに違いない。
「いいさ。お前がここにいる限り、いつかは来るんだ」
「だと、いいですね」
本当に来てくださるのだろうか。
一応、アークライト家の外聞を悪くしないために腕章は返上したけど。
元付き人が門限破りしてるって聞いたら、怒りそうだなぁ。
呆れたと放置されるんじゃないかな。
もしも、ティカ様が私の事を見限ったのなら。
……ははっ、笑える話。
私は未だに、ティカ様の事を思ってる。
こんな不義理を働いていながら、迎えに来てほしいと思っている。
「どうしようもないな、私は」
誰にも聞こえない程度の声で呟く。
考えれば考えるほど、あの方の隣にいたい。
打算や計算なんかじゃないって祈ってる。
あの方の真実の姿がかっこいいものであってほしいと願ってる。
あの日見た輝きを、忘れられないでいる。
「ミリスだ! ミリスが来たぞー!」
「……え?」
耳を疑った。
雨が激しく地面に音と共に、玄関の扉から入ってきたその声は。
私が想像しうる限り、あり得ない情報を含んでいたから。
「……来たか。長年我々の邪魔をしてくれた、怨敵ミリス・アークライト」
嘘だ。だって、来るはずがない。
でも、どうして。
私はこんなに、嬉しさでにやけてしまっているんだろう。
「総員迎え撃て! 地の利はこちらにある!」
「ですが、ぎゃあ!」
目の前で人が、氷の茨に刺し貫かれた。
地面から咲き出でたそれは、まるで血しぶきを花弁の代用のように散らし。
伝令の人を、たやすく無力化した。
「……相も変わらず、化け物め」
コツコツと、靴が地面を叩く音が響く。
音すら優雅で、規則正しく。
それでいて、あの方の服は雨に濡れていた。
ざー、ざー、と。うるさいほどに。あけ放たれた玄関から、雨の音が鳴り響いている。
「ごきげんよう、ミスティア教の皆さん。手厚い歓迎をどうも」
銀糸の髪を揺らし、雨粒を払いのけながら。
濡れていてもなお凛々しく、気高く、そこに立っていた。
――私が憧れたまま、何一つ変わらない姿で。
「私の従者がお世話になっているようで」
「外の連中はどうした」
「ああ、丁重なおもてなしをしていただけたので――お礼として安らかな眠りをプレゼントいたしました」
背筋に冷たいものが走る。
姿は私が知っているあの方なのに、あまりにも冷酷な笑いを浮かべるものだから。
「……ミリス様」
奥の部屋から、そっと姿だけ現す。
ティカ様、と呼べたらどれだけ良かっただろう。
臆病でどうしようもない私は、未だにこの名前で呼んでしまう。
言ってしまえば、嫌われてしまうんじゃないかって恐ろしくて。
この期に及んで、今更? って感じなんだけれども。
「あら、そこにいたのね、フルリナ」
「どうして、ここに」
私の問いに、こちらを安心させるようにゆったりと笑ってくださる。
その笑みが、今は恐ろしくて仕方がない。
「あなたのルームメイトから、手紙と腕章を預かったの」
「っ!?」
もしかして、と思ったけれど。
あの手紙には、この家の場所が記されている。
要するに、私はここにいますよというアピールがしたかった。
――ガラントの案じゃない。私が、したことだった。
「そしたらまあ、何というべきか――会いに来てくださいというラブレターだったもので」
ティカ様は、あの文章をそう受け取ってくれた。
ただ簡素に、私はここにいますと記しただけだったのに。
会いに来てほしいと、受け取ってくれた。
それが、胸の奥を温かくする。
「迎えに来ましたよ、フルリナ。しようがない子ですね」
ああ、この笑顔は。
私が、知っているミリス様の笑顔だ。
「感動の再会を邪魔して悪いが、お前にはここでくたばってもらう」
「……女神ミスティアの信徒風情が、私の邪魔をできるとでも?」
再び、ぞわりとした悪寒が全身を包み込む。
その場に尻もちをつかなかっただけ褒めて欲しい。
ティカ様からあふれ出る覇気は、殺気は、あまりにも濃密すぎて。
私から、一瞬呼吸すら奪い取った。
ガラントもあの方の覇気に圧倒されたかのように、一歩後ずさる。
それに自分で気が付いて、気に食わなさそうに笑った。気がする。
「化け物め」
「邪教徒にかける慈悲は持ち合わせていないもので」
「だが、勝算もなく呼びだしたわけではない!」
ガラントが右腕を天へと掲げると、彼の周りに幾つもの魔法陣が生じる。
見たことがある紋様……これは召喚魔法っ!?
「……なるほど、魔物の召喚魔法ですか」
「不浄の地に住まうキメラだ。幾らお前でも、これらを相手に――」
一瞬の出来事だった。
ガラントが喋っている最中に、ミリス様が右腕を軽く上げる。
その動作と同時に、地面から生えた氷の樹が、かの魔物どもを貫いた。
氷は瞬く間に魔物を蝕んで、氷のオブジェへと変えていく。
ガラントが自信満々に隠し持っていた奥の手は、一瞬で無力化された。
今度こそ、私はその場に尻もちをついてしまう。
圧倒的すぎる。
これが、これが本物の貴族様?
違う。きっと、この方だからこそこんなにも強いんだ。
「大道芸は終わりですか?」
扱う魔法のように、ティカ様は冷徹に言い放つ。
用が終わったのなら、次はお前だと言わんばかりに。
「化け物、め」
「邪教徒に言われたくありませんわね。人を人と思わない残酷な連中に」
「ミリス、アークライト……っ!」
趨勢は決した。
ティカ様の勝利は、もう疑いようがない。
「お前さえ、お前よりも先に我々が彼女を見つけてさえいれば!」
「何の話ですか? 妄言なら、地獄で悪魔に語るのがよろしいかと」
「ここで終われるものか!」
ガラントは私の方へ手を向けて。
え、私の方へ?
「女神ミスティアよ! 破壊の一身、どうか我らが献身に報いて降ろしたまえ!」
「っ!?」
「え?」
目の前に、黒い渦が見えた。
同時に、本能が察知した。
あっ、私は死ぬんだって。
だって、こちらに迫ってくる黒い渦は物凄い力を持っているのが目に見えてわかって。
防ぐ方法なんて、到底思いつかなくて。
世界がスローモーションになったように見えて。
どうしようもないなって考えて考えて。
まあ、これも罰なのかなって、受け入れた。
だから、私はその場で目を閉じたんだ。
「フルリナっ!」
最後に聞こえたのは。
あの方の、泣きそうな叫び声だった。
……
…………
………………
あれ?
いつまで経っても、覚悟した衝撃が来ない。
無だった暗闇に、ガラントの高笑いが聞こえてくる。
「ははっ。はははっ! やった、やったぞ! 我らが怨敵、ミリス・アークライトを殺した!」
――え?
まさか、そんなことがあるはず。
だって、狙われたのは私なのに。
死ぬのは、私の方じゃないの?
そっと、目を開けた。
開けたことを、後悔した。
「どう、して?」
私の目の前には、幾重にも張られたであろう氷の壁の残骸と。
無残にも衣服が破れ、背中が大きくえぐられた。
ティカ様が、うつ伏せで倒れていた。
きっと、私を庇って。
「身内にだけは甘いお前の弱さが敗因だったな! ははは、ははははっ!」
「……ミリス様、ミリス様?」
この期に及んで、ティカ様と呼べない私の弱さが辛い。
「……フル、リナ」
「ミリス様っ!」
顔を少しだけ持ち上げて、こちらの無事を確認したティカ様は。
ゆっくりと――笑った。
「良かった……」
「嫌だ……」
目の前の光景を受け入れたくなかった。
でも、ティカ様の背中から流れ出る血は、地面に流れ出る血は、どうしようもない現実を見せつけてくる。
ぴちゃりと、私の足元まで、血だまりが広がってきた。
「嫌だっ!」
私のせいで。
こんなことになるのなら、最初から。
何もかもが、私のせいで。
倒れていたティカ様をぎゅっと抱きしめる。
体温がどんどん失われていくのが分かる。
命がどんどん零れ落ちていくのが分かる。
時間が残されていないのが、よくわかる。
――どうか、神様。へレム様。
悪い子だった私は悔い改めます。
誰でもいい、何でもいい、なんだってします。
だから、どうか。
ティカ様を助けて――っ!
「おい、なんだ、お前のそれは」
「……え?」
気が付けば。
私の体から、金色の光が漏れ出ていた。