悪役令嬢の影武者ですが、主人が姿を消してから五年が経ちました 作:パンデュ郞
◇ ◇ ◇
私は大きな過ちを犯しました。
見捨てるべきだったのです。
私が今死ねば、ミリス様の座がなくなってしまう。
ミリス様が帰ってくる場所がなくなってしまう。
頭ではわかっていた。わかっていたのです。
でも、気が付けば。
体が、飛び出していた。
「……良かった」
五体無事なフルリナの姿を見て、零れ落ちた言葉。
後悔も、反省も、幾らでもしています。
そのうえで、同じ状況に立たせられた時。
私は同じことを繰り返すでしょうね。
何ともまあ、愚かなこと。
愚かな私。
「嫌だ……」
ああ、泣かないで。
泣かれてしまっては、どうしていいのかわからなくなります。
「嫌だっ!」
ああ、抱きしめられている。
体に力は入らないけれど。
ゆったりと意識は薄れていくけれど。
温もりだけは感じられる。
「おい、なんだ、お前のそれは」
「……え?」
声も遠く聞こえてくる。
ああ、眠い。
この温もりの中で、眠りたい。
「……へレム様。御心に感謝いたします」
目を閉じて、静かに眠りに付こうとしていた私を。
急に、熱が包み込んだ。
「馬鹿な、なんだ、お前は……っ!」
「そっちが神様なら、こっちも神様のお力を借りるだけですよ」
「神……お前、太陽神へレムの巫女かっ!?」
体に熱が沁み込んでくる。
流れ落ちていく命の雫が満たされている。
私のひび割れた生命の盃に、並々と生命力が注がれていく。
だけじゃない。入ったひびすらも、癒されていく。
「フル、リナ?」
「ミリス様。後は任せてください」
目が開く。
そこには、黄金色の光に包まれている、フルリナの姿があった。
「今ならわかります。私のやるべきことが、できることが」
気が付けば、鉛のように重かった体が軽くなっている。
あれだけ血を流したのも嘘のように。
「黒い靄。これが洗脳なのですね」
「なんだ、お前。何を見ている!」
起き上がり、フルリナの背中を見る。
金色の粒子を纏う彼女は、聖女と呼ぶにふさわしい神々しさを放っていた。
「ミリス様。今度は私が」
「フルリナ」
上半身を起こした私を見て、フルリナは満足そうに笑いました。
その微笑には、これまでにない余裕が含まれていて。
どこか、別人のように見えたのです。
「くそっ。我らが御霊に応え、我らが主よ! 御身の力を傍らに!」
「させない!」
太陽神へレム様のお力は、浄化。
日差しが降りかかるところ健やかなるように。
あのお方の威光の届くところに、邪悪は芽生えない。
カッ、とフルリナがかざした手が輝くと、邪教徒の男は後ろに吹き飛ばされました。
何が起きたのかわからない。
今、私の目の前で引き起こされているのは、貴族が扱う魔法の応酬ではない。
神の御力を借りた、奇跡の応酬だ。
「くそっ、ミリス・アークライトの後にこんなのが控えているなんてな……」
「大丈夫。その暗闇、私が祓ってあげるから」
おそらく、今のフルリナにはナニカが見えている。
私にはわからない、何かが。
それはへレム様の御力。浄化の加護。
邪神の誘惑を払いのけろと、我らが主が言っておられるのだと。
「やる気のところ悪いが、逃げさせてもらう」
「なっ!」
空間に黒い穴が開いた。
これは……転移魔法? 違う、空間の繋がりを破壊して無理やりつなげているんだ。
咄嗟に魔法のジャミングをしようとして、弾かれたことでわかった。
「ミリス・アークライトの身内の甘さを再認識できただけで十分だ」
「待ちなさい! こんなことをして――」
「逃げるとも! 我らが巫女——ティカ・アークライトは必ず我々がいただくぞ、ミリス・アークライト!」
――え?
今、なんと?
「待て!」
フルリナが手を伸ばすも、邪教徒の男は闇の渦の中に体を投げ入れ。
渦ごと、姿を消した。
雨音が、静かになった屋内に響き渡る。
残されたのは、私と、フルリナの二人だけ。
他は、もういないでしょう。
「……ごめんなさい、逃がしてしまいました」
「いいえ、気にしないで。それよりも……覚醒したのね?」
聖女に。
ゆったりと、フルリナは頷きました。
「はい……ティカ様」
――ティカ様?
ああ、なるほど。そういうことだったのですね。
「いつのを聞いていたの?」
「先日の、お二人の会話を。……ごめんなさい」
ああ、あの時のを。
なるほど。それで、気まずくなっていたわけですね。
「いけない子ですね。近づかないように言っておいたはずですが」
「……ごめんなさい」
しゅんと落ち込んでいる様は、何とも小動物のようで愛らしい。
こういうところが、怒りづらいんですよね。
体も随分と軽くなったので、そっと立ち上がり、下を向いているフルリナの頭にポンと手を置いてあげます。
その後、そっと抱きしめます。
「許しましょう。愚かな私の、大切な従者を」
「うっ、ううぅ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
「いいのよ。二人とも無事だったのだから」
泣きながら謝るフルリナの背を、すっとさすってあげます。
ごめんなさい。ごめんなさい、と。
確かに、先ほどは死にかけましたが。
今はこうして動けているのですから。
……まあ、淑女としては背中が丸出しで非常によろしくない格好ですけれども。
「しかし、聖女として目覚めたということは」
「……? 何かあるんですか?」
「フルリナ? あなたは授業をきちんと聞いていたのですか?」
授業でやった内容ですよ? と暗に言えば。
涙を湛えた瞳を、そっと他所に逸らしました。
本当に、この子は。
「聖女となれば、教会との結びつきが強くなります。もう、ただの平民ではいられませんよ」
「……あの、その」
フルリナは何かを言いたそうにして、もじもじし始める。
「何ですか?」
「……それって、もうティカ様の付き人にはなれないって、ことですか?」
ふふっ。愛らしい子。
そんなことを、気にしているだなんて。
「戻りたいのですか?」
「うっ」
意地悪な質問をします。
少し気をもませてくれたのですから、このぐらいの意地悪は許されるでしょう?
あわあわしているのを感じ取り、少しの間楽しませてもらった後。
私は、ふっ、と笑います。
「まったく。素直じゃないですね。——お互いに」
抱きしめていた手を緩めて。
一歩、後ろにあとずさり距離を置きます。
それが不安にさせてしまったのか、名残惜しそうにこちらに手を差し伸べてくるフルリナの手に。
付き人の腕章を、そっと握らせました。
「あなたが望むのなら、いつだってあなたは私の付き人ですよ」
元より、最後まで面倒を見るつもりはありました。
打算や計算で繋がったものだとしても。
今の私には、とても大切なものですから。
「ミリス様、いえ、ティカ様ぁ」
「おっと。まったく、おっきい赤ん坊みたいですね」
血だらけになった腕章を握ると、再び先ほどの光景が目に浮かんだのか、フルリナは再び泣き出して今度は向こうから抱き着いてきました。
抱き着かれても、背中の傷は痛まない。
いえ、きっと傷も残ってないのでしょう。
聖女の浄化、癒しの力というのはそういうものですから。
……今後については、レオと相談する必要がありそうですね。
フルリナについても……私についても。
『我らが巫女——ティカ・アークライトは必ず我々がいただくぞ』
ティカ・アークライト。
私が、アークライト家の人間?
そんなこと、ご当主様もミリス様もおっしゃっていなかった。
ですが、もしもそうならば。
ミリス様が私を特別視してくれていた理由が、わかる気がします。
でも、だとしたらどうして?
どうして、私はスラム街にいたのでしょう。
どうして、私を拾った時に、教えてくださらなかったのでしょうか。
ミリス様はご存じじゃなかった?
いいえ、ご存じでなければあの男の口ぶりは違和感があります。
ミリス様は、私がアークライト家の人間だと知っていた。
そのうえで、私やご当主様には何も教えてくださらなかった。
本当に、あの方の真意はどこにあるのでしょう。
それを確かめられる日は……いつ頃来るのでしょう。
気が付けば、雨音は止み。
薄暗い闇夜の道を、月明かりがはっきりと照らしていました。