悪役令嬢の影武者ですが、主人が姿を消してから五年が経ちました 作:狸のピクルス炙り
で、私が何を優先したかと言いますと……。
「嬉しいです! ミリス様が私の部屋に来てくださるなんて!」
「あなたを貴族寮に入れるわけにもいかないでしょう……」
フルリナ嬢へ貴族マナーを教える約束でした。
レオ様と外出をするまで日時がある以上、こちらを優先するべきという判断です。
それに、レオ様への行動には目に余るものがあります。
現状、フルリナ嬢はアークライト家の娘が目にかけている状態だから許されているのであって、他の平民も真似し始めたらたまったものではありません。
……そんな胆力がある平民がいればですが。
ともかく、フルリナ嬢は貴族の間では公には言えないけれど煙たがられている存在。
そんな子を高位貴族の集まる部屋が集まっている区画に招くことなんてできません。
結果として、私がフルリナ嬢の部屋へ行くこととなりました。
「同室の子はどうしましたの?」
「外出してもらいまいた!」
「そうですか……」
平民の部屋は一人部屋ではなく二人部屋。同室に誰かいるはずですが……。
ベッドの上の様相を見るに、女性ですか。
当然ですね。平民と言えど、女性と男性を同室に住まわせるなんて不埒な真似を学院が許すはずがございません。
「えへへぇ~。いい香りぃ~」
「もう、フルリナ嬢。くっつかれては動きづらいですわ」
「いいじゃないですか! せっかく遊びに来てくださったんですから!」
「遊びに来たわけではありませんわよ!?」
無茶苦茶ですね。やりたい放題ですよこの娘。
はぁ、マナーを教える余地はあるのでしょうか……?
傲慢かもしれませんが、スラム街で拾われた直後の私でももう少し人の話を聞く余裕を持っていたと思いますよ?
「はぁ、貴族のマナーを教えてくださいと言ったのはあなたでしょう?」
「それはミリス様と遊ぶための方便です!」
この小娘! 堂々と言い切りましたよ!
ぐ、でも目を爛々と輝かせて、怒りづらい雰囲気を出してます。
何ともこずるい。
「せっかくの二人っきりなんですから、もっと楽しいことしましょうよ!」
「いけません! ただでさえあなたの殿下への無礼は目に余るところがあるんですから!」
「えっ、てことはミリス様への行いは見逃してくださるんですか! やったぁ!」
こ、この子……。
ああいえばこういう。
「……はぁ。あなたと話をしていると、器というものの小ささを思い知らされますわ」
「ミリス様の器はこの上なく大きいですよ」
「でなければ困りますわ」
ミリス様の代役である私が器の小さい行いをしては、ミリス様本人の器が小さいことになってしまいます。
どんなにイラついても、どんなに不適格な行いをされたとしても、寛大に許すことこそミリス様のためになるのです。
……それに、実際ミリス様はこの程度で怒る方ではありませんもの。
『私はアークライト家の娘、ミリス・アークライトなのですわ!』
思い出すのは、私が影武者に任命されたときの事。
スラム街の隅っこで、盗んだパンを齧っていた私の前に突如あの方は現れました。
『あなたね! 私と同じ顔の人物というのは!』
『え、えと……』
『気に食わないわ!』
『ええっ!』
そう、ミリス様も突飛な方でしたね。
フルリナ嬢を嫌いになりきれないのも、どこかミリス様を思い出すからでしょうか?
『私の顔が、惨めにゴミのようなパンを齧っている! 気に食わないわ!』
『そ、そう言われても……』
『だから、私についてきなさい! 私の言う通りにしなさい!』
あの時、手を差し伸べてくださったミリス様の姿は、瞼を瞑れば今でも思い出せます。
その後のあれこれで非常に大変な目にはあいましたが。
ミリス様。あなたは今どこで何をしてらっしゃるのでしょうか。
帰って来るまで、いつまでも、私はこの席を守り続けておりますよ。
「……はぁ、仕方がありませんね」
昔の事を思い出したら、なんだか毒気が削がれました。
「と、言いますと?」
怒られると思っていたのか、フルリナ嬢はきょとんと想定外だという表情をしています。
ここはミリス様と違うところですね。
ミリス様でしたら、ようやくわかったの? と胸を張られていたでしょう。
「少しの間、付き合ってあげます。ただし、その後はマナーの勉強をすること、良いですね?」
「うっ……」
「少なくとも、最低限のマナー、礼儀作法は身に着けなければなりません。現在の注目度を考えると、あなた自身の身を守るために」
貴族社会において、礼儀作法をはじめとする所作は己の身を守るための武装です。
完璧な礼儀作法で応じられねば、蔑ろにしてはお里が知れるというもの。相応の対応を余儀なくされますもの。
スラム街出身の私がミリス様だと信じられているのは、礼儀作法が完璧に整っているから。疑うという行為をためらわせるほど、所作を洗練させたからです。
仮にスラム街の時の作法でも持ち出してみなさい。
一瞬で、ミリス様ではないという視線を向けられることとなります。
これと同義です。
現在、貴族の間で睨まれている無礼な平民——フルリナ嬢が自身の身を守るためには、貴族の間でも通じるだけの礼儀作法を身に着ける必要があります。
これは生中なものではいけません。
あえて悪い言い方をすれば、ゴブリンであろうが他の追随を許さぬ完璧な作法を披露すれば、歓迎されるのが貴族社会なのです。
見るものすべてを黙らせる、そのぐらいまで研ぎ澄ませてもらわないと。
「ミ、ミリス様……? 目が怖いですよ?」
「怖い? いいえ、むしろ楽しくなってきたところです」
フルリナ嬢の礼儀作法が解決すれば、貴族社会に溶け込める。
悪役令嬢必携ノートによれば、攻略対象の方々は貴族子息の方が大半です。
ならば、礼儀作法を教えるのは必然と言っても過言ではないでしょう。
全てはミリス様のために。ミリス様の平穏のために。
最初はやる気がいまいちでしたが。
ミリス様のためと思えば、どこまでも追及してみせましょう。
「や、やっぱり今日のところは――」
「フルリナ嬢?」
「――ひっ」
あら、どうしてそんなに怯えた表情をしているのですか?
本当に珍しいこともあるものですね。
いつも、私を前にすればあれだけ笑顔になるというのに。
「それでは、何をして遊びますの?」
可能な限り、穏やかな笑顔で。
努めては、柔らかな声色で。
問いかけます。
私の本意はその先にありますから。
遊びという前座ぐらい、華麗にこなしてみせましょうとも。
「~~っ! 私が悪かったです、許してください!」
「あっ」
部屋から飛び出して、逃げて行ってしまいましたね。
「ふふっ」
フルリナ嬢がそんな反応をするなんて、予想していませんでした。
愉快ですね。
――減点、一つ。
「礼儀がなっていませんわよ」
追いかけっこで私に勝てるとお思いで?
私は生まれてから五年間、捕まれば殺される追いかけっこで遊んでいた身なのですよ?
「では、遊びを始めるとしましょうか」
淡々と、淡々と。
そうして捕まえた暁には、きちんと礼儀を教えて差し上げましょう。
ああ、楽しいですね。
やはり、遊びとはこうでなければ。
――おおよそ、十分ほどの時間をかけて。
追い詰められたフルリナ嬢の叫び声は寮中に響いていたそうです。
それすらも減点。
結局、私の礼儀講座は、フルリナ嬢の同室者が帰ってくる深夜まで続きました。
少しだけしか教えられなかったので、続きはまた別日ですね。
え? 勘弁してほしい?
何をおっしゃいますか。
きっかけを作ったのは貴方でしょう?
ねぇ、フルリナ嬢。
私をやる気にしてくださった責任ぐらいは、取ってくださいますよね?