悪役令嬢の影武者ですが、主人が姿を消してから五年が経ちました 作:狸のピクルス炙り
◇ ◇ ◇
僕の知るミリス・アークライトという人物を一言で表すのならば――傲岸不遜。これ以外に適切な言葉を知らない。
『あなた、その程度の所作を自慢げに披露して恥ずかしくありませんの?』
五歳の頃、初対面だった人物に言い放った言葉だ。
婚約者を定める可能性もある、単純な相性を見るだけの社交の場だった。
同年代から近い年頃の令嬢令息が集められた場で、彼女だけが異質だった。
『ここがどこだかわかっておりますの? 王宮ですのよ? 役者不足を自覚してますの?』
年相応の未熟な所作を披露した子を、そう言って泣かせていたのを、今でも鮮明に覚えている。
もちろん、未熟とはいっても五歳だ。周囲の大人は微笑ましいものを見る目で見ていた。
ただ、彼女だけは違った。
『泣くということは、言われたことを認めるということでしてよ』
何故そんなに鮮明に覚えているのか、はっきり答えられる。
誰も彼女を咎められなかったからだ。
彼女の所作は完璧だった。齢五つにして、大人たちですら彼女の前に跪くだろう貫禄と威厳を持っていた。
王族である僕を差し置いて、その場を支配していたのは彼女だった。
『ほら、どうするんですの? 泣いて逃げる? 言われたままで終わるというのですか? ――私なら、そんな恥ずべき真似は到底できませんが』
圧倒的な我。それを認めさせるだけの能力。
ミリス・アークライトという人物は完璧な人物だった。
――完璧すぎた、人物だった。
「――殿下、殿下」
「ん、キンディか」
「そろそろお時間になりますので」
「起こしてくれたんだね、ありがとう」
うたた寝していたらしい。
おかげで、懐かしい夢を見た。十年前に、彼女と初めて会った時のことだ。
かつて王宮で開かれた、僕の将来の伴侶を決めるための会。
ミリス・アークライトという暴君の手によって、全てを白紙にさせられた会。
「そうか、もう十年か」
「殿下?」
「いや、なに。僕らも大きくなったなと思ってね」
キンディとルーファスとは、昔からの付き合いだ。
それこそ、ミリスよりも古い。この二人は、産まれた時から僕に仕えることを定められていたからだ。
「行こうか。淑女を待たせてはいけないからね」
「はい、殿下」
キンディを従えて、部屋のすぐ前で待機していたルーファスも連れて
この先に待っているのは二人の女性。
一人はフルリナ嬢。平民の、今のところ胆力以外は特筆するべきところのない女性。
もう一人が――ミリス・アークライト。
僕の第一婚約者候補であり――玉座を食いかねないと危惧され候補から除外された人物。
僕の婚約者が未だ決まっていないのは全て彼女のせいと言ってもいい。
ミリスを越えなければ婚約者としては不適格で、でもミリスを越える人物は玉座を食いかねない。二律背反に縛り付けた張本人。
おかげで身軽ではあるんだけれどね。僕個人としては、感謝している側面もある。
だからこそ、今の彼女は大変興味深い。
「やあ、待たせてしまったかな?」
約束の場所に行くと、既に二人が待っていた。
フルリナ嬢の方はやたらと疲れているように見える。——ただ、細かい所作が改善されている。
どうやら、ミリスに相当しごかれたらしい。
完璧主義な彼女の事だ。
本日までにある程度仕上げてくることは容易に想像ができた。
「レオ様におかれましては、本日も――」
「いや、形式ばった挨拶はいいよ。せっかくの休日なんだからね」
やはり、ミリスの所作は完璧だ。
隣で咄嗟に真似しようとしているフルリナ嬢も、見違えたように向上している。
まだ、合格点をあげるわけにはいかないけれど。
男爵家の娘ぐらいには見えるかもしれない。
「では、おはようございます。レオ様」
「ああ、おはよう。ミリス」
改めて挨拶を交わし、夢で見たミリスと比較する。
所作はどうだ。完璧と思われた以前よりも格段に洗練されている。
もはや彼女に礼儀作法を教えられる講師はいないだろう。有名な講師の方が頭を下げて彼女に頼み込むかもしれない。
だが、覇気がない。
その場にいるだけで、周囲の者全てを圧倒するような、あの王者の覇気が。
お前は格下なのだと、地に頭をつけよと命ずるような覇気が、ない。
これを成長と取るか、牙を抜かれたとみるか。人それぞれだと思う。
ただ、たったの七年であの強烈な我が抑え込まれるとは思えない。
ミリスの身に何かがあった。それだけは確実だ。
それを、僕は知りたい。
「さあ、町へ行こうか。フルリナ嬢、案内を頼むよ」
「――はい、任せてください!」
……本当に、どれだけしごかれたのか。
ミリスの一睨みでぴしりと背筋を伸ばす姿は、さながら訓練された騎士のようにも見えた。
町へ行くと、流石に賑わいがある。
他にも学院の生徒たちが買い物を楽しんでいる様が散見される。
とても良いことだ。
僕が将来背負うべき王国で、民草と貴族が融和している。
こうして、貴族も市井を知り、その在り方を考慮することができるようになる。
無知を恥じよ。これも、ミリスがいつの日か僕に言い放った言葉だった。
『王族ですのに、随分とお高く留まっているんですのね』
『——君ぐらいだよ、僕にそんなことを言うのは』
『よいですか、レオ。王というのは――誰よりも強く、何よりも脆い座だと自覚なさい』
あの言葉の意味を、当時の僕は理解できなかった。
今なら理解できる。
王とは国あっての存在だ。己一人だけで王を自称したとて、下につくものがいなければ王になりえない。
最も権力を持っているのが王であるが、その力の多くは己そのものが自由自在にできるわけではない。それが、王の実態だ。
実際、宰相と騎士団長に謀反を起こされれば、たやすく王の座は覆る。
愚王である余裕などどこにもないということだ。
同時に、愚かものに権力を与えることの危険性も理解した。
故に、僕に必要なのは不完全な僕を支えらえる、僕にできないことを補えるパートナーだ。
そんな伴侶は早々見つからないわけなんだけれどね。
「あっ、見てくださいミリス様!」
「はいはい、なんですか」
フルリナ嬢が楽しそうにミリスを連れまわしている。
その後ろをついて回る僕らは、まるで保護者のようだ。
「良いのですか、殿下」
ルーファスが後ろから声をかけてくる。
「いいさ。どうせ、ミリスは僕の伴侶になりえない」
「それは……」
「何度も言っただろう。あの子が、本気で僕に靡くことはない」
同い年の誰よりも先に進んでいた女性だ。
大人たちの道理を理解していないわけがない。
なら、彼女がわざわざ僕の伴侶の座を望むことはない。
――ルーファスには訓練の一部を見られたことがあったから、それで勘繰られてしまっているけれどもね。
本当に悪女だよ、ミリスは。
「はしたないですよ、フルリナ嬢」
「こうやって食べるのが市場のマナーなんですよ! ほら、ミリス様も!」
視界の先では、串焼きを買ったフルリナ嬢がミリスに食べ歩きを勧めている。
以前の彼女ならば、決して頷くことはなかっただろう。
けれども――。
「はぁ、仕方がありませんわね」
「えへへぇ、お揃いですね!」
「分別をつけなさい。口に物を入れてるのに喋るべきではありません」
――ミリスは串焼きを受け取った。
以前のミリスからは、到底考えられない状況だ。
これは、本当に本当かもしれない。
実は耳にしたことがあったんだ。
密かな噂、王宮内でも広まっていない、微かな噂。
父上ですら沈黙しているほどに、広めるべきでない噂。
――ミリス・アークライトが失踪した。
七年前、滅多に表に姿を見せなくなったのは、そのせいだと。
で、あるならば。
今僕の目の前にいるのは誰なんだろうね。
ねぇ、ミリス。
君は、君の姿をして君の名を騙る誰かを許せるぐらい寛容だったのかな。
きっと、君は笑って答えるだろう。
挑発的に、どこまでも高い視座から。
『私の名を冠することができるほどの人物がいるならば、ええ』
是非、名乗ってみるといい。と。