夏休みとはいえ、別にやることはあんまりない。宿題くらいはあるが、初めの一週間あれば終わるくらいの量だ。意外と最初の方に終わらせるタイプなんだよね。あとに残ってるとだるいし。
いつもなら部屋でぼーっと天井を見つめて過ごすか、何度も読んでヘタった本をもう一度読み返すくらいだが、今年はちょっと事情が違う。
インターホンが殺風景な部屋に鳴り響く。のそりと重たい体を起こして玄関の扉を開けると、ヘーゼルの頭がぴょこんと揺れていた。
「おはよ晴久くん。起きたばっかり?」
「……ん」
おじゃましまーす、と俺の脇をすり抜けて部屋に上がる美少女に、もう止める気力もなく素通りさせる。夏休みが始まってから毎日繰り返される光景に、もういい加減慣れてしまった。
「よしよし、ちゃんと食べてるね。えらいぞー」
「犬じゃねーんだから…………」
「だって晴久くん、すぐご飯抜くんだもん。ちゃんと三食食べなきゃだめよ」
綾辻さんは宣言通り、毎日俺の家に入り浸るようなった。何にもない男の家に来て何が楽しいんだか知らないが、課題を持ってきてうちでやったりDVDを持ってきたり、好き勝手に過ごしている。ご飯を作り置きしていくのも日課だ。
ちなみに食料のお金は全部綾辻さん負担である。最初は俺が出すと言ったのだが、お金の使い道がないとか飯をちゃんと食えとか、しまいには押し倒されて要求に屈した。実に情けない限りである。実質ヒモです。
「はい朝ごはん。めしあがれ~」
「いただきます」
みすぼらしいテーブルに、つやつや光るお米が盛られた茶碗と香しい匂いの味噌汁、ほこほこと湯気を上げるだし巻き卵が並ぶ。全部ちゃんと二セットずつ。一見質素だが、俺からしたらこれでも大変なご馳走なのだ。俺がこれに慣れちゃったらどうしてくれるのだろう。
「…………んまい」
「ふふ、よかった。お米とお味噌汁はお代わりあるからね。余ったらお昼と夜に食べて」
綾辻さんが入り浸るようになってからしばらく経つので流石にもう慣れたが、最初の方はまともな飯が初めてで思わず泣いたりもした。めっちゃ慌てふためいた綾辻さんに思い切り抱き締められたのは忘れたい記憶だ。
彼女のご飯はじんわりと、暖かい気持ちになる。入り浸るのは正直勘弁してほしいが、これだけは本気で感謝している。
「いつも悪いな」
「やりたいことしてるだけだもん。これできみのことを縛れるなら安いものだし」
「縛るって言い方良くないよな」
束縛癖だけはちょっと御免被りたいけど。
「そうだ、今日はこの後用事があるから帰っちゃうね。おかずは冷蔵庫に入れてあるから」
「はいはい」
「明日も朝から仕事があるから来れないけど、ご飯はちゃんと食べるんだよ。お水もちゃんと飲むこと」
「わかってるよ」
先に食事を終えた綾辻さんはぱたぱたと荷物を抱えて玄関を出て行った。食うのが遅い俺はのんびりと箸を動かす。少し冷めた味噌汁は、変わらず心を温めてくれた。
食器を洗い、壁にもたれて座る。ちゃぶ台と備え付けのテレビ、一人分の布団しかない空間がどうにも寂しい。それだけ綾辻さんがいることに慣れてしまっているのだろう。
「――――図書館いこ」
やることがない、と最初に言ったが訂正する。図書館に行って本を読み漁ったりすることもあった。小学生の頃は家にも帰りたくなかったので、閉館すれすれまで絵本や漫画を読みまくっていた。多分蔵書分は全部読んだんじゃなかろうか。それ以外やることもほとんどなかったしな。
数百円しか入っていない財布とぼろぼろのサンダル、家の鍵だけを持って家を出る。空は快晴で、太陽はレーザーのように俺の肌を焼き焦がそうと照り付ける。汗拭く用のタオル持ってこればよかった。
図書館に入った途端、ありえないほどの清涼感が全身を包む。ゆで卵が冷水を浴びた瞬間ってきっとこんな感じなんだろうな。
外界の茹るような暑さをまるで感じない受付を素通りし、文学作品が並べられているコーナーへ向かう。市民図書館は住民なら無料で開放されている。流石に貸し出しは少し金を払う必要があるが、読むだけならいくらでもできるのがいいところだ。
とりあえず読んだことないタイトルを数冊抜き出し、空いた机に積み上げる。
どうせ時間は腐るほどあるのだ。じっくりゆっくり物語の世界にのめりこむのも悪くないだろう。そうして俺は活字を追う作業だけに意識を集中した。
この三門市民図書館には有名人が時々出没する。と言ってもテレビに出ている有名人とかそういうことじゃなく、言うなれば名物客みたいなものだ。
小学生くらいの男子がふらりと訪れ、閉館時間まで大量の絵本や漫画を読み漁り続けるのだ。特に春休みや夏休みの長期休暇によく見られた。俺も課題を片付ける最中によく見かけた。
ガキが年を取り、ぼろぼろの私服から制服に変わる頃には、読むもんが絵柄主体のものから文学小説に変わっていった。それに気が付いたとき、ガキ相手にらしくもなく感心した覚えがある。学生っつったら普通は漫画だのを読むのが当然だと思っていたし、俺もそうだった。そもそも本を読むこと自体多くなく、友人と遊びに行くことがほとんどだったろう。遊び盛りのガキがそうしているのに感心すると同時に、強烈な違和感も覚えてはいた。
とはいえ何か世話を焼くこともない。俺は課題をやっつけ、ガキは本を読み耽る。それだけで、話しかけも気遣いもしなかった。俺もそこまでお人好しではないのだ。
大学へ入学して初めての夏休み。俺は与えられる課題の内容と量に絶望しながら図書館へ向かった。家でやるのもいいが、図書館は冷房が効いていて涼しいし、エアコンの電気代もかからない。何より五月蠅い奴に邪魔されない。まさしく理想的な勉強場所だ。
いつものように空いている席に腰かけ、鞄に突っ込んだ課題を広げていると、対面に座っている人が目に入った。
例のガキだった。記憶にあるよりかなりデカくなっていたが、成長期だしそんなもんだろう。積まれている本は日本を代表するような純文学ばかり。最近本をよく読むようになった俺でも読んだことがないような小難しいやつも含まれていて、思わず感嘆の声を漏らしそうになった。
(人間失格に檸檬、銀河鉄道、羅生門、雪国、斜陽…………なかなか渋いもん読むなコイツ)
気になっているタイトルも読んだことのあるタイトルも含んでいて、課題がなけりゃ語り合いたいところだが、こんだけじっと見つめても気付かないほど集中している邪魔をするのも悪いだろう。
視線を切り課題へ目を向ける。割とウザい方の教授のツラが脳裏に浮かび、うんざりしながらペンを持った。
「――い、おいガキ、聞いてんのか」
苛立ったような声と乱暴な言葉に沈んでいた意識が浮上する。活字から目を離し、声のした方に向けると、顰めっ面をした金髪の男がいた。
「…………なんすか」
「閉館時間だ。放送なってたの聞こえてねェのか」
「あ?」
壁掛け時計は六を指している。つまりは十八時ということ。なんということだ。たっぷり九時間ずっと物語に没頭していたことになる。そうと自覚した途端に重く感じた肩をさする。
「……マジか」
「お前ずっとここから動かなかったよな。どんな集中力してんだよ」
「そういえば動いてないのか」
「それも自覚ねェのかよ」
集中力がある方だとは自覚しているが、九時間は初めてだ。流石に少し無理をしすぎたかもしれない。
ああそうだ、閉館なら本を返さないといけない。積まれた本を手早く回収していると、金髪が本をいくつかかっさらっていった。
「手伝ってやるよ。時間かかると職員に悪いだろ」
「あざす」
意外とお人好しなのか?この男は。だとしたら見た目で損しすぎだろ。
背が高い金髪、しかも目つきは悪い。そのうえ言葉遣いも乱暴と来た。そのくせ野良猫に餌あげたりしてそうな精神性。現に今も苛立ちの色はなく、どちらかと言えばくすんだ青っぽい色が強い。だいぶ苦労していそうな男に勝手な同情を覚えた。
結局職員さんにも見つかって片付けを終えた頃には、時間は午後七時前になっていた。
ぎゅるる、と情けなく腹が鳴る。思えば朝食以降水すら口にしていなかった。少しめまいを覚えて思わず頭を押さえる。
「あ?おい、大丈夫か」
「……ちょっとめまいしただけです」
「あー……お前昼も食ってねェもんな」
家に綾辻さんが置いていったおかずがあるので、それをあっためて食べるか。電子レンジは備え付けで置いてあるので問題ない。味噌汁も飲み切りたいし。
「坊主、お前親は」
「いない。一人暮らしです」
「マジか。いくつだお前」
「十五です」
「おいおい…………いや、今は良い。ってことはこの後は特に予定もないな?」
「?まぁ、ないっすけど」
なんだなんだ、要領を得ないな。ジト目で金髪を睨んでいると、不意に腕をがっしりと掴まれた。
「うっし、俺んち行くぞ。俺も晩飯食いてェ。付き合え」
「ちょ、おい、待て」
力強っ。こけそうになったので慌てて足を動かす。すわ誘拐拉致かと疑ったが、金髪の纏う色は依然としてくすんだ青で満たされている。さっきから誰に何の心配をしているんだ?
掴まれた腕は解かれることなく、しばらく歩き続けて辿り着いたのは普通のアパートだった。若干古びてはいるが、過ごしやすそうなアパート。
階段を上がると、知らない男が二人、ある部屋の前でたむろしていた。
「遅いぞ、呼び出しておいて」
「悪かったな」
「今度飯奢れよ」
「レイジはともかくテメェはただ飯食いにくっついてきただけだろうが」
どうやらこの金髪の友人らしい。方やデカい筋肉ダルマ、方や同い年にも見える黒髪ツンツン頭の男。どちらも憎まれ口やらを叩いてはいるが、怒りの色は纏っていない。むしろ、このくすんだような白色は呆れているのか?
「ところで諏訪、お前が連れてきたその子供は誰だ」
「答えろ。事と次第によっては、俺たちは友人を一人失うことになる」
「誰が誘拐犯だ!図書館で知り合った素行不良のガキだわ」
「有無を言わさず連れてこられましたけど」
「諦めろ諏訪。お縄につけ」
「俺たちはお前が勤めを終えるのをいつまでも待っているぞ」
「だっかっら誘拐犯じゃねーっつーの!ガキコラテメェも適当なこと言うな!」
適当どころか事実だが。金髪男の色がやましい感じでもなかったから何もしないだろうと思ってついてきただけで、行きますとは一言も言っていないが。
ガチャガチャバン、と雑に扉を開け、中に押し込まれる。金髪はともかく、他二人も我が物顔で靴を脱いでいた。
「なに作んだ?レイジ」
「風間ご所望のカツカレーだ」
「愛しているぞ木崎。ダンベルをプレゼントしてやる」
「足りているからいらん」
デカい筋肉が体躯に似合わないエプロンをつけてキッチンに消えていき、ツンツン頭は牛乳パック片手にテレビをつけ、金髪はため息を吐きながら荷物を片付けている。
突然連れてこられて何をどうすればいいのか全くわからん。座るのもなんだか憚られるので、部屋の隅っこにまとまるように立っていた。
「さて諏訪、いい加減説明してもらおう。俺たちを呼んだ理由とその子供について」
「あー待て。その前にまだ名前聞いてなかった」
その辺座れ、と座布団を指さされたのでとりあえず正座した。そんな金髪をマジかコイツ、という顔でガン見しているツンツン頭。そりゃそう。俺もそう思う。
「あー……朝田晴久です」
「おう。俺は諏訪洸太郎。こっちのチビが風間蒼也で、あっちの筋肉ダルマが木崎レイジ」
めちゃくちゃ蹴りを入れられている金髪もとい諏訪さんと蹴りまくっている風間さん、キッチンで料理している木崎さん。でこぼこフレンズに見えてかなり仲がいいらしい。
「で、諏訪……さんはなんで俺を連れてきたんすか」
「お前今何歳だ?」
「なんすか急に」
「いいから」
「十五です。中三。てかさっきも言いませんでしたっけ」
「…………その体でか」
なによ。俺の見た目に何かあるって?
確かに同い年の他連中と比べても痩せてるし背も小さいが、それはしょうがない。いままでちゃんとした飯ほとんど食ってなかったんだから。
「なるほどな。朝田、どうやらこの馬鹿はお前を放っておけなかったらしい。だから無理やり飯を食わそうとしたわけだ」
「うるせー。飲まず食わずでずっと本読んでるガキを放っておけるわけねェだろ」
諏訪がピンク色をまき散らしながらそっぽを向く。
なるほど、俺が放っておけなかっただけか。ならあの心配っぽい色は俺に向けられたものだったのか。理解して、体の奥深くがむず痒いような、そんな感覚に陥った。
「そういうことなら、今日は腹いっぱい食っていけ。木崎のカツカレーは絶品だぞ。俺が保証してやる」
「なんでテメェが威張ってんだよ……。ま、そういうこった」
「…………ありがとう、ございます?」
正直、なぜ今日初めて会った俺みたいなガキにこんな世話を焼くのか、理由が全く分からない。が、純然たる厚意であるのはなんとなく色でわかる。無下にするのは流石に人の心がないというものだろう。
「お前たち、食器の準備を手伝ってくれ。もう少しでできる」
「待ちに待ったぞ木崎。俺と朝田の分は多めに盛れ。諏訪は少なくていい」
「フザけんな馬鹿が」
おめーは座ってろ、と言われたので上げた膝を座布団に戻す。
ふわふわと香るカレーの匂いに鼻をひくつかせながら、渦巻く感情の処理をしようとして、やめた。どうせ考え込んだって答えは出ない。だって俺の知らない感情なのだ。一人で考えたって答えなど出るはずもなし。
うん、諦めよ。今度綾辻さんにでも聞いてみればよろし。
そうして初めて味わうカレーライスに全神経を集中することにした。
…………あ、うちの味噌汁どうしよ。
21歳組をなんとなく出したかった。
現状5話までは書き溜めてて、放出後は週一ペースで出せたらいいなと思っております。
感想とても嬉しいです。ありがとうございます。