学校は俺にとっては肩身の狭い場所だ。不良とレッテルを貼られていることからもそれはわかりやすい。教師の偏見と憐憫、同年代の無知故の悪意。どれもこれも、俺の心の表面を音を立てて削り取っていく。元々痛みには鈍い性質なので気にすることは少なかったが、鬱陶しいことに変わりはなかった。それは今でも変わらない。
だが、前とは別の意味での鬱陶しさが増えた。
前に言ったかもしれないが、学校でも綾辻さんはよく絡みに来る。朝の登校も、昼休みも、下校時も。
それを羨む連中から向けられる嫉妬の念が激増したのだ。
考えてみれば当然である。片や学校のマドンナであり、ボーダーのアイドル的存在。片や栄養失調気味で目つきの悪い不良と評判の男。なんで綾辻さんとこんな野郎が、と思われるのも当然の帰結である。
そして厄介なのは、綾辻さん側がそういった噂や評判に気付いていないことだ。もしかしたら知っているかもしれないが、そうなら意図して無視していることになる。あまりにも豪胆。
一度学校で一緒にならないように綾辻さんを避けたこともあったが、壁ドンされて問い詰められたのでやめた。あの子たまにマジで怖くなるんだよな。
別に綾辻さんが鬱陶しいわけじゃない。むしろ話しかけてくれるのは嬉しい。鬱陶しいのは周りだ。俺と綾辻さんが話しているときは必ず視界に紫色が生えてくるのだ。
想像してみてほしい。視界の端っこで常にハエが飛び回っていたらどう思う?ウザいだろ?そういう感じだ。
「そういうわけで、ちょっと学校での接触は控えてほしくて」
「ヤダ」
ぷん、と擬音がつきそうなほどに頬を膨らませてそっぽを向く美少女。燃え上がるような赤色は怒り心頭、ってところか。
夏休みが終わってから一か月ほど経つ。夏休み中もほぼ毎日綾辻さんと会っていたから何も疑問に思わなかったが、無関係の他人からしたらとんでもない光景に見えたのだろう。今日だって勉強会してるし。
休み明けから一組の男女が急接近している。それが不良少年とマドンナの組み合わせなら、思春期の青少年が想像することなど分かりきったことだろう。
「頼むって。俺だって嫌だけどさ、俺のせいで綾辻さんまでなんだかんだ言われたくないんだよ」
「私も晴久くんの悪口言われるの嫌だもん。私評判いいから、私と一緒にいれば悪く言われなくなるでしょ?」
「そんなことないって絶対。みんなセンセーショナルな話題に引っ張られるんだから。思春期真っ最中の連中は特にな」
俺は誰に何言われようと構わない。自業自得な面もあるし、何より最底辺な評価だからこれ以上落ちようがない。
しかし綾辻さんはダメだ。成績優秀で六頴館へ行けるほどの頭と素行のよさがある。おまけに今をときめくボーダーの広報部隊、その紅一点なのだ。評判の下落は将来へ直結してしまう。それは許されない。
「君のことだから、自分の価値がわかってないわけじゃないだろ。とりあえず卒業まででいいから、学校内での接触は減らした方が…………」
「ヤダ!」
駄々っ子ちゃんになっちゃった。かわいい。
じゃなくて。とんでもなく真っ赤なんだが、もしかしてヤバいくらいキレてる?
「風評被害がマズイんだってば」
「知らないもん」
「嵐山さんたちに迷惑かかるかもしれないぞ」
「それならボーダーでも会えなくなるじゃん。絶対ヤダ」
「う、確かに」
むむ、仕方あるまい。こういうのは難しい要求をしてから妥協すれば通りやすくなるって映画で見たぞ。ドアインザフェイスってやつだ、確か。
「うーむ……わかった。なら会うのは良しにしよう」
「ほんと?」
「ただし人目につかないようにする。校舎裏とか、屋上とか。人がいないところで会おう」
「えー…………ヤダ」
「ヤダかぁ」
心理学は呆気なく敗北した。
一体どうしたというんだこの子は。綾辻さんなら俺と仲良くするリスクくらい重々承知だと思ってたんだけど。
何せこちとら不良少年だ。学校側もそういうレッテルで俺を見るし、同級生たちは言わずもがな。それを目の前でそっぽを向いている少女が知らないはずはないのだ。
「なにがそんなに嫌なんだ?」
「…………だって、晴久くんが悪い人みたいじゃん」
「実際いい人ではないからなぁ」
「私を助けてくれたのに?」
「それはそれ、これはこれだろ」
助けたって言っても俺がしたことは自己犠牲の囮でしかない。アレを助けたと言っていいのかは微妙なところだ。
それに、評判ていうのは積み重ねの結果だ。一つ程度の善行でひっくり返るものじゃない。
「晴久くんが悪く言われるのは嫌。でも評判が早々覆らないのもわかってる。だったら私を使えばいい」
ヘーゼルとマゼンタを練り合わせたような色の瞳が爛々と輝く。いつしか感じた、一等星の如き光を湛えて俺を見つめていた。
「私だって私の価値くらいわかってる。それを使わない理由はないでしょ。みんなも私が嘘をつくはずないって思ってるだろうし」
「…………忘れてた、相当強かだったな君」
「えへへ、そうだよ。結構性格悪いの、私」
べ、と舌を出しながら笑う綾辻さんは確かに強かで、いたずらっ子のように悪い顔だった。
「はぁぁ…………わかったよ」
「わーい」
ごくごく美味そうにジュースを飲む光景を薄目で見つめる。俺はさぞしょっぱい顔をしているのだろう。なんだか途轍もない敗北感と徒労を感じて、残っていたコーヒーを一気に呷った。
「…………とまぁ、複数の生徒から報告があってね。何にもないとは思うけど、形式上話は聞かせてもらわないといけないんだ。いいかね?」
早速先日の懸念が実現したんだけど、それについてはどうですか綾辻さん。
「心外です」
だそうです。
風評の件について話し合ったのがつい先日。昨日の今日で先生に呼び出されるとは流石に思っていなかった。
これが嫌だったんだよな。まぁ俺も相談するのが遅かったんだけど、にしたってタイミングが良すぎるのでは。
「そもそもどこの誰ですか?私が晴久くんに体を売ってるだの晴久くんが私を脅してるだのふざけたことを言ってる人は。名誉棄損ですよね私に対しても晴久くんに対しても」
「ステイステイステイ落ち着け綾辻さん」
「教えてください先生さもないと出るとこ出ますよ」
「頼むから息継ぎはしてくれ、怖い」
赤を通り越して黒が混じりだしている綾辻さんの背後に般若を幻視する。焔の如く揺らめいている怒りに冷や汗を流した。
綾辻さんが売女扱いされているのに俺もキレたかったが、俺より激しくキレている美少女のせいで毒気はほとんど抜けてしまっている。というかマジギレしている綾辻さん怖い。普段にこにこしてる分凄みが割り増しだ。
「お、落ち着け綾辻。流石に先生も全部鵜吞みにしてるわけじゃないからな!?あくまで形式上!形だけだから!綾辻はもちろん、朝田もそんなことするとは思ってないから!」
「そうですか。風評被害を広めた人たちにはそれ相応の処罰があるんですよね?」
「ももももちろん!根も葉もない誹謗中傷なんだからな!」
…………こっわ。怒らせないようにしよう。真っ正面から詰められてる先生には同情する。あんなんに詰められたら誰でも怖気づくわ。情けないとは言わないぞ。
「はぁ…………お願いしますね?本当に」
「任せろ。先生として仕事はするさ」
「お手数おかけします」
「いいよ。朝田にも新しく友人ができて一安心だ。高校も進学するっていうし、先生も肩の荷が下りる」
ガハハと笑う生徒指導の先生は、俺の過去の出来事についても知っている。そのせいか、顔を合わせる度に近況を聞かれるくらいには関わりがあった。
「ともかく、今回のことは事実無根として報告しておく。学校としても注意喚起するように伝えるよ。二人は気を付けて帰れよ」
「あざす」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
強面のくせして性格は気のいいおっちゃんである先生に頭を下げ、揃って学校を出る。空は既に茜色に染まっていた。
ちらりと綾辻さんを盗み見る。赤と黒の炎は先ほどよりいくらか鎮火したものの、熾火のように燻っている。完全に鎮火していないあたり、本当に怒っているらしい。
「…………今からでも学校で会うの控えたり「ヤダ」はい」
ちょっと赤強くなったわ。ダメか。
「というより、今私たちが距離取ると噂に真実味が出ちゃうからダメだよ。なんのダメージも無いってアピールした方が、風評広めた人たちに対しても牽制になるだろうし」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんだよ」
綾辻さんの言うことも一理ある。図星っぽい反応をすると調子に乗らせる可能性もあるしな。
調子に乗って綾辻さんに実害が出てからでは遅い。未然に防げるのならそれに越したことはないのだから。
「次それ言ったらお仕置きね」
「もう言いません」
「うふふ」
握られた左の手首がちょっと冷たくなった気がする。うふふじゃないが。
こういう時の綾辻さんは強い。基本的に俺は勝てる手札を持っていないので、言い分に従うほかないのだ。別にいいけどね。綾辻さんの言うことなら特に文句はないし。
ま、今後とも綾辻さんに迷惑かけないよう気を付けるとしよう。もう俺一人で生きているわけじゃないし。不便だと思わないわけじゃないが、不愉快じゃない。むしろ少し心地良いくらいだ。着心地のいい服を着てるようなもん。
「…………なに笑ってんの」
「別に。楽しいだけ」
「今のどこに楽しい要素があったの…………?」
ドM……?と首を傾げるのはやめていただきたい。違います。
単純に、誰かのことを考えながら生きるということが初めてで新鮮で楽しいのだ。
自分のことしか考えない人生は確かに楽だ。でも、目的が無いことは酷く虚しかった。
誰かと共に生きることは不便だ。抱えることが増えるから。その分退屈することはない。常に誰かのことを考え、誰かのために日々を生きる。それが、俺にとってはとても楽しいことだと、彼女と出会って初めて知った。
こんなに楽しいことは、しっかり味わわなきゃ損ってものだろう?
意外と好意的に見てくださる方が多くて感激してます。
毎回結びの文が思いつかなくてだらだら書き続けてしまう。三千~五千字辺りを目途にしてるんで悩みどころです。