転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語   作:板前さん

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ヨークシン編
19.蜘蛛と賞金と過去


ヨークシンに着いたのは、八月の終わりだった。

 

街の入り口から、もう人の波だった。世界中から集まった富豪と、その従者と、彼らを相手に一儲けしようとする商人と、その商人を相手に一儲けしようとする詐欺師と。通りという通りに、競売の看板が掲げられている。骨董。宝石。美術品。珍しい獣の剥製。目録を売る露店が、どの角にも出ていた。

 

ヨークシンの大競り市。毎年九月、十日間にわたって開かれる、世界最大の競売。表の会場だけで、何十という競売が同時に開かれる。

そして、その裏で、マフィアンコミュニティが仕切る、地下競売が開かれる。

アッシュは、安宿の窓から、ごった返す通りを見下ろしていた。

 

上着の内ポケットから、一枚の紙切れを取り出す。

蚯蚓の窪地で拾った、走り書きのメモ。九月。ヨークシン。倍量。

この数か月で、その意味は、だいたい分かっていた。

九月のヨークシンには、世界中から、とてつもない量の荷が流れ込んでくる。競売にかけられる品々。それを運ぶ木箱。梱包の詰め物。富豪たちの持ち込む、山のような手荷物。港にも、駅にも、空港にも、荷が溢れ返る。税関の役人たちは、その量を、まともに調べきれない。

 

木を隠すなら、森の中。

普段の倍の量の白い粉を、一度に流し込むには、これ以上の機会はない。

そして、その荷を守るのは、地下競売を仕切っているのと、同じ連中だ。十老頭。彼らが、この街に、顔を揃える。

 

アッシュは、紙切れを内ポケットにしまった。

マフィアの懐に、入り込む。荷がどこから来て、どこへ流れていくのか。それを、内側から見る。それが、この街に来た理由だった。

 

問題は、どうやって入り込むかだった。

ハンターのライセンスは、使えない。自分がブラックリストハンターだとわかってしまう可能性がある。その場合ライセンスを見せた瞬間に、チャンスは閉ざされるだろう。

 

入り込むなら、別の顔で。

アッシュには、もう一つの顔があった。ハンターになる前の、腕だけが取り柄の、用心棒の顔が。

 

裏通りの、薄暗い酒場の奥の席に、その男は座っていた。

小太りで、愛想がよくて、目だけが笑っていない。十年前より、髪が薄くなり、腹が出ていた。それ以外は、何も変わっていなかった。

 

「……驚いた。まだ生きてたのか」

 

仲介屋は、アッシュの顔を見て、目を丸くした。それから、いつもの、目の笑っていない笑顔に戻った。

 

「グラナートの旦那の一件の後、ぱったり姿を見なくなったから、てっきりどこかで野垂れ死んだかと思ってたよ。あの晩、旦那の屋敷にハンターが来て、用心棒は皆やられたって聞いてたからな」

 

「運が良かった」

 

「らしいな。で、何の用だ。また仕事か」

 

「九月の間だけ。ヨークシンで、用心棒の口はないか」

 

仲介屋は、喉の奥で笑った。

 

「今のヨークシンで、それを聞くか。口なら、いくらでもあるさ。どこのファミリーも、競売の間だけ、腕の立つ護衛を掻き集めてる。地下競売に出入りするお偉方の、身辺警護だ。身元は問わない。腕と信用があればな」

 

昔と、同じ台詞だった。

「どこがいい。大きなところは、もう埋まってる。中堅なら、まだ空きがあるが」

 

「荷を扱ってるところがいい」

 

仲介屋の目が、すっと細くなった。

 

「……荷、ね」

 

仲介屋は、しばらく黙ってアッシュを見ていた。何を考えているのか。何を嗅ぎつけたのか。十年前から変わらない、計算高い目だった。

 

アッシュは、懐から札束を一つ取り出して、卓の上に置いた。

仲介屋は、札束を見て、それから、肩をすくめた。

 

「何を探ってるのかは、聞かないでおくよ。俺は、口を利いてやるだけだ。その先で、あんたがどうなろうと、知ったこっちゃない」

 

札束が、仲介屋の懐に消えた。

 

「グリマルディ・ファミリー。中堅どころだが、去年から、急に羽振りがよくなった。茶葉の輸入を始めたって話だ。茶葉で、そんなに儲かるもんかね」

 

グリマルディ・ファミリーの屋敷は、ヨークシンの郊外にあった。

面接は、短かった。護衛団の頭だという、顔に古傷のある男が、アッシュの体つきを眺め、軽く手合わせをさせ、それで終わりだった。手合わせの相手を、アッシュは念を使わずに、三秒で床に転がした。

 

「採用だ。九月の十日間、ボスの身辺警護に入ってもらう」

 

ボスのグリマルディは、六十がらみの、太った、陽気な男だった。部下たちに、気前よく酒を振る舞い、冗談を飛ばしては、自分で一番大きな声で笑う。人のいい親父にしか見えなかった。

 

だが、屋敷の倉庫には、木の葉の焼き印の押された木箱が、天井まで積み上げられていた。

 

「九月一日の夜、ボスは地下競売に出席される」

 

護衛団の頭が、新入りたちを集めて言った。

 

「会場は、セメタリービル。十老頭の方々の名代も、お見えになる。中に入れるのは、ボスと、側近が二人だけだ。お前たちは、外の警備だ。ビルの周りを固めて、怪しいやつを一人も近づけるな」

 

それから、頭は、声を落とした。

 

「それと、競売の翌日から、港に大きな荷が入る。ボスが、十老頭の方々から直々に任された荷だ。その荷の受け取りにも、何人か回ってもらう。いいか、余計な詮索はするな。中身を覗いたやつは、海に沈むと思え」

 

アッシュは、黙って頷いた。

九月二日から。港に。十老頭から直々に任された、荷。

手が届く場所まで、来た。

 

九月一日の夜。

セメタリービルは、ヨークシンの中心街の外れに、黒々とそびえていた。表向きは、ただの古い商業ビル。その地下で、今夜、世界中のマフィアが集まる地下競売が開かれる。

 

ビルの周りは、黒いスーツの男たちで埋め尽くされていた。

どのファミリーも、外の警備に、自前の護衛を出していた。通りの角という角に、男たちが立っている。屋上にも、向かいのビルの窓にも。銃を持った者。念の気配を纏った者。ヨークシン中の腕自慢が、今夜、この一棟のビルを守るために集まっていた。

 

アッシュは、ビルの裏手の、搬入口の前に配置された。

グリマルディは、側近を二人連れて、正面の入り口から入っていった。陽気に手を振って、笑いながら。それが、アッシュの見た、グリマルディの最後の姿だった。

 

競売の開始は、夜の九時だった。

九時を過ぎた。何も起きなかった。

搬入口の前は、静かだった。時折、無線から、他の持ち場の報告が流れてくる。

 

アッシュは、凝で、ビルを見上げていた。

分厚い壁の向こうは、何も見えない。地下の会場で何が起きているのか、外からは何一つ分からなかった。ただ、ビルの中に、念の気配がいくつもあるのは感じ取れた。各ファミリーの、選りすぐりの護衛たちだろう。その中に、ひときわ大きな気配が、二つか三つ、混じっていた。

 

九時半を過ぎた頃、アッシュは、ふと違和感を覚えた。

静かすぎる。

競売が始まっていれば、地下からでも、何かが伝わってくるはずだった。人の気配のざわめき。競り人の声の響き。床を通して伝わる、何百人という人間の熱。

 

それが、なかった。

ビルの地下は、まるで、誰もいないかのように、しんと静まり返っていた。

念の気配も、さっきまで感じていた数が、減っていた。いや、減ったのではない。消えていた。一つ、また一つと、灯りを吹き消すように。

大きな気配だけが、残っていた。

アッシュの背筋を、冷たいものが這い上がった。

無線は、相変わらず流れていた。異常なし。異常なし。外の警備の誰も、気づいていなかった。ビルの外からは、何も見えない。何も聞こえない。

十時を少し過ぎた頃、無線が、突然、怒鳴り声で埋め尽くされた。

 

「会場が空だ!」

「客がいない! 一人もいない!」

「金庫を見ろ! 競売品は」

「金庫も空だ!」

 

通りが、一気に騒然となった。黒いスーツの男たちが、ビルの入り口に殺到していく。怒号と、無線のノイズと、走り回る足音。

アッシュは、搬入口の前に立ったまま、動かなかった。

空。客が、一人もいない。

何百人という人間が、ビルの中で、跡形もなく消えていた。

その時、誰かが、空を指差して叫んだ。

 

「あれだ!」

 

アッシュは、顔を上げた。

ビル街の上の、夜空に、何かが浮かんでいた。

気球だった。

大きな、黒い気球が、街の灯りに下から照らされて、ゆっくりと、西の方角へ流れていく。籠の中に、いくつかの人影が見えた。遠すぎて、顔は見えなかった。

 

凝で、その籠を見た。

籠の中から、溢れ出していた。重く、厚く、そして、まったく隠す気のないオーラが。一つではない。いくつも。

黒いスーツの男たちが、車に飛び乗って、気球を追いかけていく。西へ。街の外の、荒野の方角へ。

 

アッシュは、遠ざかっていく気球を、ただ見送っていた。

追えば、追いつけたかもしれない。だが、追ってどうする。あの籠の中にいる連中が何者なのかも、何人いるのかも分からない。あの籠の中の一人一人が、蚯蚓と同じか、それ以上だった。

 

グリマルディは、戻ってこなかった。

側近の二人も。地下競売の会場にいた、何百人という客の誰一人として。夜が明けても、どこからも、何の知らせもなかった。死体すら、見つからなかった。ただ、跡形もなく、消えていた。

 

郊外の屋敷は、朝から混乱の渦だった。

護衛団の頭が、電話にしがみついて怒鳴っている。幹部たちが、誰がボスの代わりを務めるかで、早くも言い争いを始めている。新入りの護衛たちは、自分の給金がどうなるのかを、ひそひそと囁き合っていた。何人かは、もう荷物をまとめて、屋敷を出ていった。

アッシュは、倉庫の前に立っていた。

 

木の葉の焼き印の押された木箱が、昨日と同じように、天井まで積み上げられている。

昼過ぎに、黒い車が三台、屋敷に乗りつけてきた。降りてきたのは、グリマルディ・ファミリーの誰よりも格上らしい、別のファミリーの男たちだった。幹部たちが、慌てて頭を下げる。

 

「十老頭の方々のご判断だ」

 

先頭の男が、冷たく言った。

「グリマルディが預かっていた荷は、今日から、我々が引き継ぐ。港の受け取りも、我々の手でやる。お前たちは、手を出すな」

 

木箱が、次々と、黒い車の後ろに付いてきたトラックに積み込まれていった。

アッシュは、それを、ただ見ていることしかできなかった。

雇い主は、消えた。ファミリーは、荷を取り上げられた。九月の十日間の、港の荷の受け取り。手が届く場所まで来たはずの足がかりが、一晩で、根こそぎ崩れていた。

 

夕方、屋敷の台所で、古参の護衛たちが、ラジオに耳を傾けていた。

ニュースは、昨夜の事件のことばかりだった。地下競売の会場から、客が一斉に消えたこと。マフィアが、街中を血眼になって犯人を探していること。そして。

 

「……陰獣が、やられたらしい」

 

古参の一人が、青い顔で言った。

 

「十老頭直属の、あの陰獣がだ。昨夜、荒野で、気球を追いかけていった先で。四人、まとめて。それから、夜明けまでに、残りの連中も」

 

アッシュの手が、止まった。

 

「……陰獣が」

 

「ああ。十人全員だって噂だ」

 

アッシュは、去年の秋の、採石場の夜を思い出した。地面の下から突き出してきた、木の根のような腕。石の礫を何十発と浴びても、傷一つつかなかった体。あの男一人を相手に、自分は、宙に逃げることしかできなかった。

 

その男が、一晩で。

昨夜、夜空を流れていった、黒い気球。籠の中から溢れ出していた、あの重いオーラ。いくつも。

 

「誰がやったんだ」

 

アッシュの問いに、古参の男は、首を振った。

 

「分からねえ。だが、十老頭が、今夜、正式に発表するらしい。犯人どもに、懸賞金をかけるってな。それも、とんでもねえ額の」

 

台所の窓の外で、ヨークシンの街の灯りが、一つ、また一つと灯り始めていた。

アッシュは、窓の外を見つめながら、ゆっくりと拳を握った。

足がかりは、崩れた。

だが、マフィアの頂点が、今、何を一番欲しがっているのかは、はっきりした。

あの気球に乗っていた連中の、首だ。

 

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