転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語   作:板前さん

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21.蜘蛛と賞金と過去

小さな卓の前で、黒髪の少年が、丸太のような腕の大男と組み合っていた。

大男の顔が、真っ赤に膨れ上がっている。全身の力を、腕の一点に込めていた。少年のほうは、涼しい顔だった。少しだけ眉を寄せて、相手の力を、真正面から受け止めている。

 

それから、ぱたん、と。

大男の手の甲が、卓に押しつけられていた。

人だかりが、どっと沸いた。大男が、信じられないという顔で、自分の腕と、少年の顔を見比べている。

 

「はい、次の挑戦者! 誰か、この坊主に勝てるやつはいねえのか!」

 

スーツの若い男が、手を叩いて叫んだ。

アッシュは、人だかりの後ろから、少年を見ていた。

ゴンだった。

 

天空闘技場で会った時よりも、少しだけ背が伸びていた。三角巾は、もう取れている。凝で見るまでもなかった。少年の腕を、オーラが、厚く、まっすぐに包んでいた。闘技場の頃とは、比べものにならない。この数か月で、どれほど鍛えたのだろう。

 

「あれ」

 

人だかりの端から、声がした。

 

「闘技場のおっさんじゃん」

 

振り返ると、銀髪の少年が、露店の柱にもたれて立っていた。片手に、どこかで買ったらしい菓子の袋を提げている。

キルアだった。

 

「……よう」

 

「よう、じゃねーよ。なんでこんなとこにいんの」

 

「仕事だ」

 

「ふーん」

 

キルアは、菓子を一つ口に放り込みながら、アッシュを上から下まで眺めた。

 

「相変わらず、纏、地味だな」

 

「お前の目が良すぎるんだ」

 

「ゴン!」

 

キルアが、卓の方へ声をかけた。

 

「闘技場のおっさん来てるぞ!」

 

ゴンが、ぱっと顔を上げた。人だかりの向こうにアッシュの姿を見つけて、目を輝かせる。

 

「あ、アッシュさん!」

 

大きく手を振った。人だかりが、一斉にアッシュの方を振り返る。アッシュは、少しだけ顔をしかめた。

 

「なんだ、知り合いか?」

 

スーツの若い男が、アッシュの方へ歩いてきた。背が高く、丸い眼鏡をかけている。年は、二十歳前後だろうか。人懐っこそうな顔に、どこか抜け目のない笑みを浮かべていた。

 

「ゴンとキルアの知り合いってことは、あんたも腕っぷしには自信があるんだろ? どうだ、一勝負。挑戦料は一万ジェニー。ゴンに勝てたら、この宝石は丸ごとあんたのもんだ」

 

「レオリオ、アッシュさんはお客さんじゃないよ」

 

「お客さんじゃねえやつは、この世にいねえんだよ、ゴン」

 

レオリオと呼ばれた男は、悪びれもせずに言って、卓の前の椅子を引いた。

アッシュは、少し迷ってから、一万ジェニーを卓の上に置いた。

 

「お、話が早え!」

 

ゴンの向かいに座る。少年の手のひらが、アッシュの手のひらを、しっかりと握った。小さな手だった。それなのに、握った瞬間に分かった。この手は、岩を握り潰せる。

 

「よーい」

 

レオリオの声で、ゴンの腕に、力がこもった。

重かった。

念を使わずに受け止めるには、重すぎた。アッシュは、纏の下に隠していた力を、ほんの少しだけ腕に回した。それでようやく、ゴンの腕が止まった。

卓の上で、二人の腕が、ぴたりと静止した。

人だかりが、ざわめいた。今まで、誰もゴンの腕を止められなかったのだ。

 

ゴンが、目を丸くした。

それから、嬉しそうに、にっと笑った。腕に、さらに力がこもる。

アッシュは、その力を、真正面から受け止めた。

そして、ほんの少しだけ、力を抜いた。

ぱたん、と。

アッシュの手の甲が、卓に押しつけられていた。

 

「勝者、ゴン!」

 

レオリオが、嬉々として一万ジェニーを懐に入れた。

ゴンは、勝ったのに、少しだけ不満そうな顔をしていた。

 

「……アッシュさん、今、わざと負けたでしょ」

 

「強くなったな、ゴン」

 

アッシュは、それだけ言って、立ち上がった。

 

露店を畳んだ後、四人は、近くの公園の長椅子に腰を下ろした。

レオリオが、屋台で買ってきた串焼きを配った。

ゴンは嬉しそうにかぶりつき、キルアは文句を言いながら一番大きいのを取った。

 

「で、おっさん、仕事って何」

 

キルアが、串を咥えたまま聞いた。

 

「お前らこそ、なんでこの街で腕相撲なんかしてる」

 

「金がいるんだよ。それも、とんでもねえ額の」

 

レオリオが、肩をすくめて答えた。

 

「グリードアイランドっていうゲームを、競売で落としたいんだ。ゴンの親父の手がかりが、そのゲームの中にあるらしくてな。最低でも、何十億って値がつくって話だ」

 

「何十億……」

 

「だから、腕相撲なんかじゃ、とても足りねえ」

 

レオリオは、懐から、くしゃくしゃになった紙を取り出した。

手配写真だった。七枚の顔が、並んでいる。

 

「で、こいつらだ」

 

アッシュの手が、止まった。

 

「昨日、十老頭が懸賞金をかけた連中だ。一人捕まえりゃ、億単位の金が入る。七人全員なら、グリードアイランドだって」

 

「やめとけ」

 

アッシュの声は、自分でも驚くほど、強かった。

三人が、一斉にアッシュを見た。

 

「昨日の夜、荒野で、マフィアの陰獣が全滅した。十人全員だ。俺は、そのうちの一人と、去年、戦ったことがある。地面の下を泳ぐ男だった。俺は、そいつ一人を相手に、逃げることしかできなかった」

 

アッシュは、手配写真を指差した。

 

「その男を、こいつらは、一晩で片づけた。」

 

公園に、短い沈黙が落ちた。

レオリオが、唾を飲み込む音がした。キルアは、串を咥えたまま、黙ってアッシュの顔を見ていた。

 

「でも」

 

ゴンが、口を開いた。

 

「やるよ」

まっすぐな目だった。迷いが、一つもない。

 

「ジンに会いたいんだ。そのためには、グリードアイランドがいる。だから、やる」

 

アッシュは、その目を見つめた。

止めるべきだ、と思った。こんな子どもたちが、手を出していい相手ではない。昨夜、気球の籠から溢れ出していたオーラを、この子たちは知らない。

 

けれど、同時に、頭の奥で、霧の向こうの何かが、かすかに囁いていた。

釣り竿の少年。父親を探して、ハンターになる話。物語の、主人公。

この子は、ここで死なない。たぶん。

 

確信では、なかった。霧は厚く、物語のこの先で何が起きるのか、アッシュには、ほとんど何も見えていなかった。ただ、物語の主人公が、こんなところで終わるはずがない。そんな、頼りない予感があるだけだった。

それを、言い訳にしていいのか。

 

アッシュは、自分の中の、その予感が嫌だった。この子たちを、物語の登場人物として見ている自分が。止めない理由を、物語に預けている自分が。

それでも、力ずくで止めることは、できなかった。止めたところで、この子は、一人ででも行くだろう。そういう目をしていた。

 

「……分かった」

 

アッシュは、息を吐いた。

 

「なら、一つだけ約束しろ」

 

「なに?」

 

「見つけても、手は出すな。顔を確かめて、居場所を掴んだら、それで引け。追いかけるなら、自分の気配を、完全に消せ。少しでも漏れたら、気づかれる。気づかれたら、終わりだ」

 

ゴンは、少し考えて、それから、こくりと頷いた。

キルアが、ようやく串を口から離した。

 

「おっさんは? 仕事って、まさか」

「ああ」

アッシュは、手配写真をレオリオに返した。

「俺も、こいつらを追ってる」

「……なんだよ。ライバルじゃん」

 

キルアは、呆れたように言った。けれど、その目は、少しだけ、ほっとしているように見えた。

 

ゴンとキルアが、屋台へ追加の串焼きを買いに走っていった後、長椅子には、アッシュとレオリオだけが残った。

レオリオは、しばらく黙って、アッシュの手元を見ていた。

 

「あんた、その左腕」

 

「……ん」

 

「袖から、傷跡が見えてる。結構深いやつだろ、それ。縫った跡が、雑だ」

 

アッシュは、自分の左腕を見下ろした。去年、港の倉庫で、鎖の男の鉤爪に食い込まれた傷だった。その夜、安宿で、酒をぶっかけて、裁縫用の針で自分で縫った。

 

「自分で縫った。医者じゃない」

 

「だろうな。ちゃんと縫ってりゃ、そんなに引きつらねえ。ちょっと、見せてみろ」

 

レオリオは、有無を言わさずアッシュの袖をまくり上げた。傷跡を指でなぞり、腕を軽く曲げさせ、肘の動きを確かめる。手つきが、驚くほど慣れていた。

 

「……医者なのか」

 

「目指してる」

 

レオリオは、傷跡から目を離さずに言った。

 

「ハンターになったのも、そのためだ。ハンターのライセンスがありゃ、医大の学費がただになる。国によっちゃ、免許の取り方も変わる。金持ちしか通えねえ学校にも、入れる」

 

「金のためか」

 

「ああ、金のためだ」

 

レオリオは、あっさりと認めた。それから、少しだけ、声の調子が変わった。

 

「昔、ダチが病気で死んだ。治せる病気だった。医者に診せる金がなかった。それだけの理由で死んだ」

 

アッシュは、黙っていた。

 

「だから、医者になって、金のねえやつを、ただで診てやるんだ。どんな貧乏人でも、どこの誰でもな」

 

「……どこの誰でも、か」

 

アッシュは、少し間を置いてから、聞いた。

 

「存在しない人間でも、か」

 

「存在しない人間?」

 

「生まれた記録も、親の記録も、どこにもない人間だ。どこにも、名前が載ってない。そういうやつが、お前のところに、病気になって来たら」

 

レオリオは、眉をひそめた。

何を聞かれているのか、少し考えるような顔をした。

それから、当たり前のことを聞くなという顔で、言った。

 

「診るに決まってんだろ。病気に、身分なんか関係あるか」

 

アッシュは、思わず、少しだけ笑った。

爺さんの咳を思い出した。薬になりそうなものを探して、ゴミ山を歩き回った冬。医者など、どこにもいなかった。いたとしても、流星街の人間を診てくれる医者など、いなかっただろう。

 

「……いい医者になれ」

 

「言われなくても、なるよ」

 

レオリオは、アッシュの袖を下ろして、ぽんと腕を叩いた。

 

「その傷、無理に動かすなよ。筋が一本、引きつったまま固まってる。今度、ちゃんとした医者に診てもらえ。……俺が医者になったら、俺が診てやってもいいけどな。ツケにしといてやるよ」

 

屋台の方から、ゴンとキルアが、両手に串焼きを抱えて戻ってくるのが見えた。

 

日が傾き始めた頃、アッシュは長椅子から立ち上がった。

 

「もう行くの?」

 

ゴンが、串焼きの最後の一本を頬張りながら聞いた。

 

「ああ。仕事だ」

 

「旅団?」

 

「……ああ」

ゴンは、少しだけ心配そうな顔をした。それから、にっと笑った。

 

「アッシュさんも、気をつけてね」

 

「お前に言われたくない」

 

レオリオが、手を振った。ゴンも、大きく手を振った。

アッシュは、軽く片手を上げて、公園の出口へ向かった。

公園の門を出たところで、背後から、足音が追いついてきた。

キルアだった。

ポケットに手を突っ込んで、アッシュの隣に並ぶ。何も言わずに、しばらく一緒に歩いた。

 

「……おっさん」

 

「なんだ」

 

「さっきの話。陰獣と戦ったって」

 

キルアは、前を向いたまま言った。

 

「おっさんが、逃げることしかできなかった相手を、旅団は一晩で片づけた。それ、分かってて、追いかけるんだよな」

 

「ああ」

 

「なんで」

 

アッシュは、少しだけ考えた。

 

「許せない連中だからだ」

 

「それだけ?」

 

「それと、あいつらを捕まえれば、俺が探してるものに、手が届くかもしれない」

 

「探してるもの……昔の友達?」

 

アッシュは、足を止めた。

キルアも、足を止めた。それから、ようやくアッシュの方を見た。夕陽が、銀色の髪を、橙色に染めていた。

 

「闘技場で、言ってたじゃん。ずっと探してるって」

 

「……覚えてたのか」

 

「別に。たまたまだよ」

 

キルアは、またそっぽを向いた。

アッシュは、少しだけ笑った。それから、真顔に戻って、キルアを見下ろした。

 

「キルア」

「なに」

「ゴンは、止まらないだろう。あいつは、そういうやつだ」

「……知ってるよ」

「だから、お前が見てろ。あいつが突っ込みすぎたら、お前が止めろ。止められなかったら、隣にいてやれ」

 

キルアは、何も言わなかった。けれど、その横顔が、ほんの少しだけ、強張った。

 

「死ぬなよ。二人とも」

 

「……おっさんもな」

 

キルアは、それだけ言うと、くるりと背を向けて、公園の方へ走って戻っていった。

アッシュは、その背中を見送ってから、また歩き出した。

日が沈みかけていた。街の外れの方角へ。仲介屋から聞いた、廃ビルのある方へ。

小柄な男と、ジャージ姿の大男。写真にない顔。

アッシュは、外套の襟を立てた。

夜が、来ようとしていた。

 

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