転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語 作:板前さん
九月七日の朝、ハンター専用サイトの伝言板に、短い書き込みが届いていた。
宛先は、アッシュ。差出人は、レオリオ。
『闘技場のおっさんへ。キルアが、たぶんこれで届くって言うから書いてる。会わせたいやつがいる。この前、大通りで会った金髪のやつだ。あんたの仕事の話をしたら、向こうから会いたいって言い出した。今、熱でぶっ倒れてるが、話くらいはできる。気が向いたら、下の住所に来てくれ』
住所は、ヨークシンの中心街の、高級ホテルだった。
アッシュは、しばらく画面を見つめていた。
金色の髪の青年。クラピカ。クルタ族の、たった一人の生き残り。
会って、どんな顔をすればいいのか、分からなかった。
それでも、昼過ぎには、ホテルの前に立っていた。
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部屋の扉を開けたのは、レオリオだった。
シャツの袖をまくり、首から聴診器をぶら下げている。
「お、来たか。入れよ。ゴンとキルアは、今ちょっと出てる」
部屋の奥の寝台に、クラピカが横たわっていた。
額に濡れた布を載せている。頬が、熱で赤く染まっていた。
大通りで会った時の、氷のような張り詰め方は、どこにもなかった。
ただ、ひどく疲れ果てた、十七歳の青年がそこにいた。
「何日も、ぶっ通しで、限界以上に使い続けた。体のほうが、悲鳴を上げてる。俺も医者の卵だが、こういうのは、寝て治すしかねえ」
寝台の上で、クラピカが目を開けた。
焦点の定まらない目が、アッシュを捉えた。
それから、ゆっくりと、上半身を起こそうとした。
「おい、寝てろって」
「……大丈夫だ、レオリオ」
クラピカは、レオリオの手を借りて、枕に背を預けた。額の布が、膝の上に落ちた。
「来てくれて、感謝する」
掠れた声だった。それでも、その目には、大通りで見たのと同じ、何かを氷の下に押し込めた光が、まだ残っていた。
「単刀直入に言う。君の力を借りたい」
「緋の眼を、知っているか」
クラピカが、静かに言った。
「クルタ族の目だ。感情が昂ると、赤く光る。その状態で死ぬと、色がそのまま残る。闇の市場では、世界七大美色の一つとして、高値で取引されている」
「……五年前の、新聞で読んだ」
「そうか」
クラピカの声は、平坦だった。平坦すぎるほどに。
「私は、そのすべてを取り戻すつもりでいる。世界中の、どこかの金持ちの屋敷に、飾られている」
クラピカは、膝の上の布を、強く握った。
「緋の眼を集める人間は、大抵、まともではない。人体の一部を、美術品として飾って喜ぶような連中だ。中には、手に入れるために、人を殺すことも厭わない者もいる。ゴンたちから、君がブラックリストハンターだと聞いた。そういう連中の居場所を、知っているかもしれないと思った」
アッシュは、黙って聞いていた。
グラナートの屋敷で子どもを売りさばいていた男。
収集家と名乗る人間の中に、どれほど腐ったものがいるか、アッシュはよく知っていた。
「……心当たりは、いくつかある」
アッシュは言った。
「人の体の一部を集める収集家の噂は、裏の世界じゃ珍しくない。この五年で追った賞金首の中にも、そういう連中に品を流していた運び屋が何人かいた。そいつらの取引先を洗えば、緋の眼に辿り着けるかもしれない」
クラピカの目が、わずかに見開かれた。
「ただし、条件がある」
「聞こう」
「俺は、ある麻薬を追ってる。D²と呼ばれてる、白い粉だ」
アッシュは、上着の内ポケットから、走り書きのメモを取り出した。
九月。ヨークシン。倍量。
「この麻薬は、マフィアンコミュニティが流通を請け負ってる。十老頭が、直々にな。この競売の時期に、大量の荷がこの街に入るはずだった。俺は、それがどこから来て、どこへ流れていくのかを知りたい」
クラピカは、メモを見つめた。
「君は、マフィアの内側の人間だろう。ノストラード・ファミリーの護衛だと、ゴンたちから聞いた。マフィアの中にいれば、俺には届かない話も、耳に入るはずだ」
部屋に、短い沈黙が落ちた。
レオリオが、二人の顔を交互に見比べていた。
「……私が雇われているファミリーは、今、混乱している」
やがて、クラピカが言った。
「十老頭が死んだ。マフィアンコミュニティは、頭を失った。今、空いた席を巡って、ファミリー同士が水面下で動いている。その中で、十老頭が直々に扱っていた荷が、誰の手に渡るのか。それは、どのファミリーにとっても、喉から手が出るほど知りたい話だ」
クラピカは、アッシュを見た。
「私の立場なら、探れる。ただ、時間はかかる」
「構わない」
「なら、取引成立だ」
クラピカは、右手を差し出した。指に巻きついた細い鎖が、かすかに鳴った。
アッシュは、その手を握った。
熱を出しているはずの手が、驚くほど、冷たかった。
レオリオが、氷を取りに部屋を出ていった。
二人きりになった部屋で、クラピカは、しばらく窓の外を見ていた。
それから、アッシュの方を見ないまま、口を開いた。
「九月二日の夜」
アッシュの背筋が、わずかに強張った。
「街の外れの廃ビルで、賞金首ハンターが七人殺された。その場にいて、一人だけ生き延びたハンターがいたと聞いた。旅団の二人を相手に。……君だろう」
否定しても、無駄だと分かった。アッシュの頬と肩には、まだあの夜の傷が残っていた。
「……ああ」
「何を見た」
クラピカの声は、静かだった。だが、膝の上で握られた拳が、白くなっていた。
「どんな連中だった。何ができた。どう戦った。知っていることを、話してほしい」
アッシュは、すぐには答えなかった。
話せることは、あった。ジャージの男の、回すほど強く拳。傘の男の、目で追えない速さ。かすり傷を負った時に、あの男の中で、何か底の見えないものが渦を巻き始めたこと。
それを話せば、この青年は、いつか、それを使うかもしれない。
あの子たちを、殺すために。
話さなければ、自分は、一族を皆殺しにされた、
たった一人の生き残りの前で、殺した側を、庇うことになる。
アッシュは、口を開いた。
戦ったことは、全部、話した。ジャージの男の拳のこと。傘の男の速さのこと。
かすり傷の後の、あの不気味なオーラのこと。
二人がかりで、勝ち目がなかったこと。
最後に、もう一人、女が現れて、逃げたこと。
嘘は、一つもつかなかった。
ただ、一つだけ、話さなかった。
クラピカは、目を閉じて、最後まで黙って聞いていた。
それから、ゆっくりと目を開けた。
「感謝する」
それから、少し間を置いて、言った。
「だが、君は、何か隠しているな」
アッシュは、息を止めた。
「話の中に、一箇所だけ、違和感があった。ジャージの男が、戦いの途中で、手を止めたと言ったな。なぜ、止めたのか。そこだけ、君は、話を飛ばした」
クラピカの目が、まっすぐにアッシュを見ていた。熱で潤んだ目の奥で、一瞬だけ、何かが赤く揺らめいた気がした。
アッシュは、その目を、見返した。
言えなかった。
言えば、この青年は、どんな顔をするだろう。
仇の、子ども時代を知っている男。仇に、パンを分けてやっていた男。仇の過去を知っている男。
「……言えない」
それだけ、言った。
嘘をつかなかったのは、この青年の前で、それだけはしたくなかったからだった。
クラピカは、長いあいだ、アッシュの顔を見ていた。
やがて、ふっと、目を逸らした。
「……いいだろう。今は、問わない」
窓の外に、目を戻す。
「旅団は、もう追わないことにした」
アッシュは、顔を上げた。
「眼を、取り戻す。それを、優先する。……そう決めた。決めなければならなかった」
クラピカの横顔は、何かを、無理やり飲み込んだ後のように、静かだった。その間に、何があったのか。アッシュには、分からなかった。
「だから、君が何を隠していようと、今の私には、関係のないことだ」
関係のないことだ、と言いながら、クラピカの拳は、まだ白いままだった。
ホテルの廊下に出たところで、ゴンとキルアが戻ってきた。
二人とも、両手に大きな紙袋を抱えていた。ゴンが、アッシュを見つけて、顔を輝かせた。
「アッシュさん! 来てくれたんだ!」
「レオリオに呼ばれた」
「クラピカと、話できた?」
「ああ」
ゴンは、嬉しそうに笑った。それから、紙袋を床に置いて、胸を張った。
「聞いて、アッシュさん。俺たち、グリードアイランドに行けるかもしれないんだ!」
「……落とせたのか。何十億って話だったろう」
「落としたのは、俺たちじゃねえよ」
キルアが、肩をすくめた。
「バッテラっていう大富豪が、競売に出るやつを、全部買い占めるつもりらしい。で、ゲームをクリアしてくれるプレイヤーを募集してる。その選考会に、受かればいい」
「受かるよ!」
ゴンが、拳を握った。
「ジンが作ったゲームなんだ。絶対、クリアしてみせる」
アッシュは、ゴンの顔を見た。まっすぐな目だった。
迷いが、一つもない。闘技場で会った時と、何も変わらない。
「……親父さんに、会えるといいな」
「うん!」
ゴンは、大きく頷いた。
それから、ふと、その笑顔が、少しだけ陰った。
「あのね、アッシュさん。旅団のこと、追ってたでしょ」
「……ああ」
「昨日、競売の会場で、旅団の人たちに会ったんだ。二人。ジャージの人と、ちっちゃい人。もう、俺たちのこと、殺すつもりはないって言ってた」
アッシュの胸の奥で、何かが、小さく軋んだ。
ジャージの男と、傘の男。あの二人は、まだ、この街にいたのか。
「それでね」
ゴンは、少しだけ、言いにくそうに続けた。
「パクノダって人が、死んじゃったんだって」
アッシュは、動けなくなった。
「俺たちが、旅団に捕まった時に、俺たちを見張ってた人。女の人で、手で触ると、記憶が読めるんだ。でも、最後は、俺たちを、人質交換で、ちゃんと返してくれた。団長さんを助けるために、ルールを破って。それで、死んじゃったんだって」
パクノダ。
パク。
渡してない。置いてくだけ。
麻袋の口に、半分のパンを押し込んで、振り返らずに歩いていった、小さな背中。自分の分を、全部小さい子に配ってしまう女の子。クロロの手を引いて、弟みたいなのが悪いのよ、と言っていた。
廃ビルの階段から現れた、背の高い女。静かな目。あなた、と言いかけて、手を伸ばしかけた。
あれが、最後だった。
「……アッシュさん?」
ゴンが、心配そうに覗き込んでいた。
「ごめん。アッシュさんが追ってた人たちだから、知りたいかなって思って」
「……いや」
声が、うまく出なかった。
「教えてくれて、ありがとな」
キルアが、黙ってアッシュの顔を見ていた。何かを言いかけて、やめた。それから、ゴンの肩を軽く叩いた。
「行くぞ、ゴン。クラピカに、薬届けるんだろ」
「あ、うん」
二人が、廊下の奥の部屋へ歩いていく。扉の前で、キルアが、一度だけ振り返った。
「おっさん」
「……なんだ」
「隣にいるやつに言いたいことは、言える時に、ってやつ」
キルアは、そっぽを向いたまま言った。
「覚えとく」
扉が、閉まった。
アッシュは、誰もいない廊下に、しばらく立ち尽くしていた。
王様も。パクも。
二人とも、もう、いない。自分が、何も知らないうちに。何も言えないうちに。
窓の外で、ヨークシンの午後の日差しが、ひどく白く見えた。