転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語 作:板前さん
競売の十日間が終わると、ヨークシンは、嘘のように静かになった。
富豪たちは、それぞれの国へ帰っていった。
目録を売る露店は畳まれ、通りの看板は外され、街はただの大きな都市に戻った。九月の初めに起きたことを覚えている者は、もう、表の通りにはほとんどいなかった。
アッシュは、まだ、その街にいた。
クラピカとの約束があった。緋の眼の手がかり。それを先に果たしておきたかった。
安宿の部屋に、五年分の手配書の写しを広げた。この五年で追った賞金首。捕らえた運び屋。その取引先として名前の挙がった、金持ちの収集家たち。人の体の一部を、美術品のように扱う連中の噂。
一枚ずつ、洗い直していった。
何日も、部屋に籠もった。眠れない夜は、そのほうがよかった。紙の上の名前を追っている間だけは、廊下の窓の外の、ひどく白い日差しを思い出さずに済んだ。
ウボォーも。パクも。
二人とも、もう、いない。
考えないようにしても、手が止まるたびに、それは戻ってきた。
十日目の夜、アッシュは、一つの名前に行き当たった。
三年前に捕らえた、人体の部品の運び屋。トリックタワーに収監されている男だった。その男の取引先の一覧に、ある国の、古い家柄の老婦人の名前があった。表向きは、慈善家。裏では、人の目玉ばかりを集めている、という噂があった。
赤い目を、特に好むという。
アッシュは、トリックタワーに電話をかけた。
「やあ、アッシュくん。久しぶりだね」
リッポーの声は、相変わらず、楽しそうだった。
「三年前に預けた運び屋に、聞きたいことがある。取引先の、ある老婦人のことだ」
「おや。囚人の取り調べは、君の仕事じゃないはずだけど」
「頼む」
受話器の向こうで、リッポーが、くすりと笑った。
「君が、頼む、なんて言うのは初めてだね。いいよ。貸し一つだ」
三日後、リッポーから、短い報告が届いた。
運び屋は、老婦人に、二度、赤い目を納めていた。
一対は、本物の緋の眼だったと、運び屋自身が確かめたという。
アッシュは、その報告書を、封筒に入れた。
宛先は、ノストラード・ファミリー気付、クラピカ。
クラピカから連絡が来たのは、十月の半ばだった。
指定されたのは、ヨークシンの外れの、客のまばらな喫茶店だった。窓際の席に、クラピカは座っていた。黒い背広を着ていた。民族衣装ではなかった。熱は、とうに下がっているようだった。だが、九月のホテルの寝台の上で見た時よりも、さらに痩せたように見えた。
「老婦人の件、感謝する」
アッシュが向かいに座るなり、クラピカは言った。
「調べた。確かに、一対、持っていた。今、取り戻す算段をつけている」
「……そうか」
「君は、約束を守った。だから、私も守る」
クラピカは、鞄から、紙の束を取り出して、卓の上に置いた。
帳簿の写しだった。
「十老頭の一人が、表向きに持っていた貿易会社がある。その会社の情報だ。十老頭が死んで、会社の権利を巡って、いくつかのファミリーが揉めている。私の雇い主も、その一つだ。その揉め事の中で、私の手元に、写しが回ってきた」
クラピカの声は、淡々としていた。マフィアの内側の話を、何の感情も交えずに語っている。九月に会った時の青年とは、どこか違う人間のように見えた。
アッシュは、紙の束をめくった。
日付と、品名と、数量と、金額。品名の欄には、天然茶葉、乾燥薬草、手織りの布、と並んでいる。数量は、どれも、ただの茶葉にしては多すぎた。そして、九月の欄で、それが倍に跳ね上がっていた。
九月。ヨークシン。倍量。
「仕入れ先は、最後の頁だ」
クラピカが言った。
アッシュは、最後の頁を開いた。
ミザイストムと見た帳簿では、空白だった欄。金が、最終的に送られていく先。
そこに、一行だけ、書かれていた。
ネオ・グリーン・ライフ自治国、国営交易所。
その下に、小さな印が押されていた。
一枚の木の葉を、簡素な線で描いた印。
茶葉の箱の、焼き印と同じものだった。
「NGLと呼ばれている国だ」
クラピカが言った。
「その印は、その国の紋章らしい。私も、それ以上のことは知らない。調べようとしたが、ほとんど何も出てこなかった。外の世界との関わりを、極端に避けている国だ」
アッシュは、木の葉の印を、指でなぞった。
倉庫の木箱。採石場の木箱。グリマルディの屋敷の木箱。そのすべてに押されていた、あの焼き印。それが今、ようやく、一つの名前に繋がった。
「……感謝する」
アッシュが言うと、クラピカは、小さく首を振った。
「取引だ。礼は要らない」
それから、クラピカは、窓の外に目をやった。
「一つだけ、聞かせてほしい」
「何だ」
「君は、なぜ、この麻薬を追っている。賞金が懸かっているわけでもない。マフィアの懐にまで潜り込んで、旅団にまで手を出して。ブラックリストハンターの仕事の範囲を、とうに超えている」
アッシュは、少し考えた。
「人を、探してる」
「人」
「この薬を流している奴が、俺の探してる人間かもしれない」
クラピカは、しばらく黙ってアッシュを見ていた。それから、ふっと目を伏せた。
「……そうか」
それ以上は、何も聞かなかった。
探している相手が、もし、こんなものを作っていたら。クラピカは、そうは聞かなかった。聞かなくても、たぶん、分かっていた。
その夜、アッシュは、ハンター専用サイトで、その国の名前を打ち込んだ。
ネオ・グリーン・ライフ。
出てきた情報は、驚くほど少なかった。
大陸の端にある、小さな自治国。国土のほとんどが、手つかずの森と湿地と草原。そこで暮らす人々は、機械を一切使わない。電気も、車も、電話も、薬品も。土を耕し、獣を狩り、川の水を飲み、木の家に住む。自然と共に生きることを、国の唯一の理念として掲げている。
入国は、極めて難しい。機械と化学製品は、一切持ち込めない。衣服でさえ、合成繊維のものは国境で脱がされる。入国審査は、何日もかけて行われる。外国の調査機関や報道機関は、一度も受け入れたことがない。
建国は、二年前。
アッシュは、画面を見つめた。
二年前。一九九七年。
D²が裏の市場に出回り始めたのと、同じ年だった。
記事の最後に、一行だけ、国の成り立ちが書かれていた。
前身は、一九八八年に設立された、ある環境保護団体。
一九八八年。
アッシュの指が、止まった。
十一年前。二十歳になった年の春。
用心棒の仕事を受けたその夜、安宿で広げた古新聞。
パンを包むのに使った、遠い国の小さな記事。
自然と共に生きることを掲げた、新しい団体が設立された。
設立者は、まだ二十一歳の若者だそうだ。
読み流して、丸めた。明日からの仕事のことで、頭がいっぱいだった。
アッシュは、ゆっくりと、指を折って数えた。
一九八八年に、二十一歳。
なら、生まれたのは、一九六七年。
自分より、一つ上。
あの子と、同じぐらいの年齢。
部屋の空気が、急に冷たくなった気がした。
偶然だ、と思った。世界中に、一九六七年に生まれた人間が、何千万人いると思っている。環境保護団体を作った二十一歳の若者が、たまたま、同じ年だっただけだ。
だが、指は、止まらなかった。
レンガの山を、小さく分けて並べておく。積み手の手が届くところに。
まわりみち、しない。むだ。
一つ先しか知らされない売人たち。どの線を一本切っても、隣の線が、すぐに穴を埋める網。無駄が、一つもない。
アッシュは、画面を閉じた。
設立者の名前は、どこにも書かれていなかった。国の指導者の名前も。ただ、国民からは、王、とだけ呼ばれているらしい、という噂が、一行だけ。
NGL。
アッシュは、その三文字を、口の中で転がした。
霧の向こうで、何かが、かすかに揺れた気がした。前の人生で読んだ物語の、どこかで。この三文字を、見たような。
だが、何も浮かんでこなかった。ただ、ひどく嫌な予感だけがした。
翌朝、アッシュは、外套の内ポケットから、手帳の切れ端を取り出した。
一年半前、港の安い食堂で、ミザイストムが書いて渡してくれた連絡先。この件で何か掴んだら、必ず知らせてくれ。俺も、そうする。
約束だった。
電話は、三度目の呼び出し音で繋がった。
「ミザイストムだ」
落ち着いた、変わらない声だった。
「アッシュだ。去年の、白い粉の件」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
「……何か、掴んだのか」
「仕入れ先が分かった」
アッシュは、クラピカから受け取った帳簿のことを話した。十老頭の貿易会社。茶葉と薬草の箱。九月に倍に跳ね上がった数量。そして、最後の頁の、一行。
「ネオ・グリーン・ライフ自治国」
ミザイストムは、すぐには何も言わなかった。
やがて、低い声が、受話器から聞こえてきた。
「……やはり、そこだったか」
「知ってたのか」
「いや。ただ、去年、言っただろう。外の調査を一切受け付けない国が、いくつかある、と。俺の頭の中にあった、その筆頭が、NGLだった」
ミザイストムは、言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「アッシュ。残念だが、協会としては、あの国には手が出せない。NGLは、正式に承認された自治国だ。協会の権限は、国境の内側には及ばない。あの国の政府が、捜査を受け入れることも、まずないだろう。外交の筋から圧力をかけようにも、あの国は、外の世界との取引を、ほとんどしていない。表向きは」
「表向きは」
「ああ。裏では、マフィアに茶葉を売っていたわけだからな」
ミザイストムの声に、かすかな苦さが混じった。
「法は届かない。少なくとも、今は」
アッシュは、受話器を握り直した。
「……なら、直接行く」
電話の向こうで、ミザイストムが、息を呑む気配がした。
「一人で、か」
「ああ」
「あの国には、機械を一切持ち込めない。電話も、無線も。入ってしまえば、外との連絡は、完全に途絶える。何かあっても、誰も助けに行けないぞ」
「知ってる」
「それでも、行くんだな」
アッシュは、窓の外を見た。十月の、高い空だった。
「探してる人間が、そこにいるかもしれない」
ミザイストムは、長いあいだ、黙っていた。
「……止めはしない」
やがて、静かな声が言った。
「止めても、お前は行くだろうからな。ただ、一つだけ。あの国で見たことを、生きて持ち帰ってくれ。法の手が届く日のために。それが、今の俺にできる、精一杯の頼みだ」
「……分かった」
「それと」
ミザイストムの声が、少しだけ、柔らかくなった。
「探している相手が、見つかるといいな」
電話が、切れた。
アッシュは、受話器を置いて、しばらく動かなかった。
探している相手が、見つかるといいな。
もし、見つかったとして。その相手が、この白い粉を作り、あの整然とした網を張り、何千人もの人間の意思を溶かしてきたのだとしたら。
自分は、何を言えばいいのだろう。
二十年前、言えなかった言葉。今度こそ、言うと決めた言葉。それが、何だったのか。アッシュには、もう、よく分からなくなっていた。
その日のうちに、アッシュは、ヨークシンを発った。
向かう先は、北の山だった。半日歩いた山の中腹の、丸太を組んだだけの小屋。
機械を一切持ち込めない国に、入るのなら。
機械を一切使わずに生きる方法を、もう一度、体に叩き込まなければならなかった。