転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語   作:板前さん

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25.蜘蛛と賞金と過去

競売の十日間が終わると、ヨークシンは、嘘のように静かになった。

 

富豪たちは、それぞれの国へ帰っていった。

目録を売る露店は畳まれ、通りの看板は外され、街はただの大きな都市に戻った。九月の初めに起きたことを覚えている者は、もう、表の通りにはほとんどいなかった。

 

アッシュは、まだ、その街にいた。

 

クラピカとの約束があった。緋の眼の手がかり。それを先に果たしておきたかった。

安宿の部屋に、五年分の手配書の写しを広げた。この五年で追った賞金首。捕らえた運び屋。その取引先として名前の挙がった、金持ちの収集家たち。人の体の一部を、美術品のように扱う連中の噂。

 

一枚ずつ、洗い直していった。

何日も、部屋に籠もった。眠れない夜は、そのほうがよかった。紙の上の名前を追っている間だけは、廊下の窓の外の、ひどく白い日差しを思い出さずに済んだ。

 

ウボォーも。パクも。

二人とも、もう、いない。

考えないようにしても、手が止まるたびに、それは戻ってきた。

 

十日目の夜、アッシュは、一つの名前に行き当たった。

三年前に捕らえた、人体の部品の運び屋。トリックタワーに収監されている男だった。その男の取引先の一覧に、ある国の、古い家柄の老婦人の名前があった。表向きは、慈善家。裏では、人の目玉ばかりを集めている、という噂があった。

 

赤い目を、特に好むという。

アッシュは、トリックタワーに電話をかけた。

 

「やあ、アッシュくん。久しぶりだね」

 

リッポーの声は、相変わらず、楽しそうだった。

 

「三年前に預けた運び屋に、聞きたいことがある。取引先の、ある老婦人のことだ」

 

「おや。囚人の取り調べは、君の仕事じゃないはずだけど」

 

「頼む」

 

受話器の向こうで、リッポーが、くすりと笑った。

 

「君が、頼む、なんて言うのは初めてだね。いいよ。貸し一つだ」

 

三日後、リッポーから、短い報告が届いた。

運び屋は、老婦人に、二度、赤い目を納めていた。

一対は、本物の緋の眼だったと、運び屋自身が確かめたという。

アッシュは、その報告書を、封筒に入れた。

宛先は、ノストラード・ファミリー気付、クラピカ。

 

クラピカから連絡が来たのは、十月の半ばだった。

 

指定されたのは、ヨークシンの外れの、客のまばらな喫茶店だった。窓際の席に、クラピカは座っていた。黒い背広を着ていた。民族衣装ではなかった。熱は、とうに下がっているようだった。だが、九月のホテルの寝台の上で見た時よりも、さらに痩せたように見えた。

 

「老婦人の件、感謝する」

 

アッシュが向かいに座るなり、クラピカは言った。

 

「調べた。確かに、一対、持っていた。今、取り戻す算段をつけている」

 

「……そうか」

 

「君は、約束を守った。だから、私も守る」

 

クラピカは、鞄から、紙の束を取り出して、卓の上に置いた。

帳簿の写しだった。

 

「十老頭の一人が、表向きに持っていた貿易会社がある。その会社の情報だ。十老頭が死んで、会社の権利を巡って、いくつかのファミリーが揉めている。私の雇い主も、その一つだ。その揉め事の中で、私の手元に、写しが回ってきた」

 

クラピカの声は、淡々としていた。マフィアの内側の話を、何の感情も交えずに語っている。九月に会った時の青年とは、どこか違う人間のように見えた。

アッシュは、紙の束をめくった。

日付と、品名と、数量と、金額。品名の欄には、天然茶葉、乾燥薬草、手織りの布、と並んでいる。数量は、どれも、ただの茶葉にしては多すぎた。そして、九月の欄で、それが倍に跳ね上がっていた。

 

九月。ヨークシン。倍量。

 

「仕入れ先は、最後の頁だ」

 

クラピカが言った。

アッシュは、最後の頁を開いた。

ミザイストムと見た帳簿では、空白だった欄。金が、最終的に送られていく先。

そこに、一行だけ、書かれていた。

ネオ・グリーン・ライフ自治国、国営交易所。

その下に、小さな印が押されていた。

一枚の木の葉を、簡素な線で描いた印。

茶葉の箱の、焼き印と同じものだった。

 

「NGLと呼ばれている国だ」

 

クラピカが言った。

 

「その印は、その国の紋章らしい。私も、それ以上のことは知らない。調べようとしたが、ほとんど何も出てこなかった。外の世界との関わりを、極端に避けている国だ」

 

アッシュは、木の葉の印を、指でなぞった。

倉庫の木箱。採石場の木箱。グリマルディの屋敷の木箱。そのすべてに押されていた、あの焼き印。それが今、ようやく、一つの名前に繋がった。

 

「……感謝する」

 

アッシュが言うと、クラピカは、小さく首を振った。

「取引だ。礼は要らない」

 

それから、クラピカは、窓の外に目をやった。

 

「一つだけ、聞かせてほしい」

 

「何だ」

 

「君は、なぜ、この麻薬を追っている。賞金が懸かっているわけでもない。マフィアの懐にまで潜り込んで、旅団にまで手を出して。ブラックリストハンターの仕事の範囲を、とうに超えている」

 

アッシュは、少し考えた。

「人を、探してる」

 

「人」

 

「この薬を流している奴が、俺の探してる人間かもしれない」

 

クラピカは、しばらく黙ってアッシュを見ていた。それから、ふっと目を伏せた。

 

「……そうか」

 

それ以上は、何も聞かなかった。

探している相手が、もし、こんなものを作っていたら。クラピカは、そうは聞かなかった。聞かなくても、たぶん、分かっていた。

 

その夜、アッシュは、ハンター専用サイトで、その国の名前を打ち込んだ。

ネオ・グリーン・ライフ。

出てきた情報は、驚くほど少なかった。

 

大陸の端にある、小さな自治国。国土のほとんどが、手つかずの森と湿地と草原。そこで暮らす人々は、機械を一切使わない。電気も、車も、電話も、薬品も。土を耕し、獣を狩り、川の水を飲み、木の家に住む。自然と共に生きることを、国の唯一の理念として掲げている。

 

入国は、極めて難しい。機械と化学製品は、一切持ち込めない。衣服でさえ、合成繊維のものは国境で脱がされる。入国審査は、何日もかけて行われる。外国の調査機関や報道機関は、一度も受け入れたことがない。

 

建国は、二年前。

アッシュは、画面を見つめた。

 

二年前。一九九七年。

D²が裏の市場に出回り始めたのと、同じ年だった。

記事の最後に、一行だけ、国の成り立ちが書かれていた。

前身は、一九八八年に設立された、ある環境保護団体。

 

一九八八年。

アッシュの指が、止まった。

十一年前。二十歳になった年の春。

用心棒の仕事を受けたその夜、安宿で広げた古新聞。

パンを包むのに使った、遠い国の小さな記事。

自然と共に生きることを掲げた、新しい団体が設立された。

設立者は、まだ二十一歳の若者だそうだ。

読み流して、丸めた。明日からの仕事のことで、頭がいっぱいだった。

アッシュは、ゆっくりと、指を折って数えた。

 

一九八八年に、二十一歳。

なら、生まれたのは、一九六七年。

自分より、一つ上。

あの子と、同じぐらいの年齢。

部屋の空気が、急に冷たくなった気がした。

 

偶然だ、と思った。世界中に、一九六七年に生まれた人間が、何千万人いると思っている。環境保護団体を作った二十一歳の若者が、たまたま、同じ年だっただけだ。

だが、指は、止まらなかった。

 

レンガの山を、小さく分けて並べておく。積み手の手が届くところに。

まわりみち、しない。むだ。

 

一つ先しか知らされない売人たち。どの線を一本切っても、隣の線が、すぐに穴を埋める網。無駄が、一つもない。

 

アッシュは、画面を閉じた。

設立者の名前は、どこにも書かれていなかった。国の指導者の名前も。ただ、国民からは、王、とだけ呼ばれているらしい、という噂が、一行だけ。

 

NGL。

 

アッシュは、その三文字を、口の中で転がした。

霧の向こうで、何かが、かすかに揺れた気がした。前の人生で読んだ物語の、どこかで。この三文字を、見たような。

だが、何も浮かんでこなかった。ただ、ひどく嫌な予感だけがした。

 

翌朝、アッシュは、外套の内ポケットから、手帳の切れ端を取り出した。

一年半前、港の安い食堂で、ミザイストムが書いて渡してくれた連絡先。この件で何か掴んだら、必ず知らせてくれ。俺も、そうする。

 

約束だった。

電話は、三度目の呼び出し音で繋がった。

 

「ミザイストムだ」

 

落ち着いた、変わらない声だった。

 

「アッシュだ。去年の、白い粉の件」

 

電話の向こうで、短い沈黙があった。

 

「……何か、掴んだのか」

 

「仕入れ先が分かった」

 

アッシュは、クラピカから受け取った帳簿のことを話した。十老頭の貿易会社。茶葉と薬草の箱。九月に倍に跳ね上がった数量。そして、最後の頁の、一行。

 

「ネオ・グリーン・ライフ自治国」

 

ミザイストムは、すぐには何も言わなかった。

やがて、低い声が、受話器から聞こえてきた。

 

「……やはり、そこだったか」

 

「知ってたのか」

 

「いや。ただ、去年、言っただろう。外の調査を一切受け付けない国が、いくつかある、と。俺の頭の中にあった、その筆頭が、NGLだった」

 

ミザイストムは、言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。

 

「アッシュ。残念だが、協会としては、あの国には手が出せない。NGLは、正式に承認された自治国だ。協会の権限は、国境の内側には及ばない。あの国の政府が、捜査を受け入れることも、まずないだろう。外交の筋から圧力をかけようにも、あの国は、外の世界との取引を、ほとんどしていない。表向きは」

 

「表向きは」

 

「ああ。裏では、マフィアに茶葉を売っていたわけだからな」

 

ミザイストムの声に、かすかな苦さが混じった。

 

「法は届かない。少なくとも、今は」

 

アッシュは、受話器を握り直した。

 

「……なら、直接行く」

 

電話の向こうで、ミザイストムが、息を呑む気配がした。

 

「一人で、か」

 

「ああ」

 

「あの国には、機械を一切持ち込めない。電話も、無線も。入ってしまえば、外との連絡は、完全に途絶える。何かあっても、誰も助けに行けないぞ」

 

「知ってる」

 

「それでも、行くんだな」

 

アッシュは、窓の外を見た。十月の、高い空だった。

 

「探してる人間が、そこにいるかもしれない」

 

ミザイストムは、長いあいだ、黙っていた。

 

「……止めはしない」

 

やがて、静かな声が言った。

 

「止めても、お前は行くだろうからな。ただ、一つだけ。あの国で見たことを、生きて持ち帰ってくれ。法の手が届く日のために。それが、今の俺にできる、精一杯の頼みだ」

 

「……分かった」

 

「それと」

 

ミザイストムの声が、少しだけ、柔らかくなった。

 

「探している相手が、見つかるといいな」

 

電話が、切れた。

アッシュは、受話器を置いて、しばらく動かなかった。

探している相手が、見つかるといいな。

もし、見つかったとして。その相手が、この白い粉を作り、あの整然とした網を張り、何千人もの人間の意思を溶かしてきたのだとしたら。

 

自分は、何を言えばいいのだろう。

二十年前、言えなかった言葉。今度こそ、言うと決めた言葉。それが、何だったのか。アッシュには、もう、よく分からなくなっていた。

 

その日のうちに、アッシュは、ヨークシンを発った。

向かう先は、北の山だった。半日歩いた山の中腹の、丸太を組んだだけの小屋。

機械を一切持ち込めない国に、入るのなら。

機械を一切使わずに生きる方法を、もう一度、体に叩き込まなければならなかった。

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