古いものには、持ち主の知らないところで勝手に物語が付け加えられていくことがある。
例えば、長いあいだ誰も使っていなかった教室には、いつの間にか幽霊が出るという噂が生まれるし、開かずの戸棚には、学校の秘密が隠されていることになっている。実際に確かめてみれば、そこにあるのは大抵、埃をかぶった教材か、処分する機会を逃した備品くらいのものだ。
だから、第二資料室から見つかった金属製の保管箱についても、月白玲はそれほど大きな期待を抱いていなかった。
少なくとも、そういう顔をしていた。
「……封印された記録、か。」
朝の生徒会室には、まだ人が少なかった。窓から入る風が机上の書類をわずかに揺らし、棚に並んだ古いファイルの背表紙へ、淡い陽光を落としている。
玲は金属製の箱を見下ろし、ゆっくりと目を細めた。
銀白の髪が肩を滑り、紫の瞳に窓の光が映り込む。
傍目には、長い年月を経て発見された何かを、静かに見定めているように見えただろう。
実際には、玲の頭の中では、まったく別のことが起きていた。
(これ、開けた瞬間に昔の生徒会長の手紙とか出てきたら最高なんだけど。『未来の生徒会へ』みたいなやつ。いや、むしろ意味深な鍵だけ入っていて、そこから新しい謎が……。)
箱は昨日、第三階の第二資料室から運び出されたものだった。
古い写真やアルバムを整理する過程で発見されたのだが、蓋には学校の管理印が押された封印紙が残っており、生徒会長の判断で、その場では開けずに持ち帰ることになったのである。
玲としては、あの薄暗い資料室で開封する方が雰囲気はあったと思う。
しかし、そこはそれ、現実の学校運営というものには手続きがある。
謎めいた少女であっても、備品管理の規則には従わなければならない。
「玲、もう来てたんだ。」
振り返ると、朝倉真帆が生徒会室の入口に立っていた。
片手には端末、もう片方には紙袋を提げている。昨日の作業で使った筆記具を持ってきてくれたらしく、玲が礼を言うと、真帆はいつものように笑って机へ袋を置いた。
「会長は、事務室で昔の台帳を確認してるって。もう少ししたら戻るみたい。」
「そうなんだ。じゃあ、それまで待っていようか。」
「うん。……ところで、さっき箱に何か話しかけてなかった?」
玲の指先が止まった。
聞かれていた。
こういうとき、取り繕おうとすると余計なことを言ってしまう。過去の経験から、玲はそれをよく知っていた。
「……少し、気になってね。」
「そりゃ気になるよね。あんなところから出てきたんだもん。」
真帆はあっさり納得し、椅子を引いた。
玲は内心で胸を撫で下ろした。
真帆は優しい。非常に優しい。そして、ありがたいことに、玲の独り言をいちいち追及するような性格ではない。
もっとも、だからといって何でも見逃してくれるわけではなかった。
「それより、今日の説明会準備、ちょっと大変かも。」
「何かあったの?」
「昨日、参加予定者の人数が確定したんだけど、思っていたより多いみたい。会長が案内の順番を考え直してた。」
玲は目を瞬かせた。
学校説明会は、次年度の入学を考えている生徒や、その関係者に黎明高等学校を知ってもらうための催しだった。
大きな学園なら珍しくもない行事だろうが、全校生徒が十数人しかいない黎明高等学校にとっては、来年度の入学希望者を増やすための大切な機会である。
もっとも、見学者が多いといっても、数十人が押し寄せるわけではない。
真帆によれば、申込者は九人。
そのうち、実際に入学を検討している生徒は六人だった。
「……九人。」
玲は静かに繰り返した。
(九人! 全校生徒の半分以上!)
学校の規模を考えれば、かなりの人数である。
全員が入学してくれたなら、それだけで学校の雰囲気は大きく変わるだろう。
もちろん、説明会に来たからといって入学するとは限らないし、来年度までに考えが変わることもある。それでも、学校に関心を持ってくれる人がいるという事実は、玲には素直に嬉しかった。
「……楽しみだね。」
「うん。ただ、問題もあるんだよね。」
真帆は端末を操作し、学校の見取り図を表示した。
「説明会で見てもらう場所が、あんまり多くないの。」
それは、なかなか切実な問題だった。
♢
黎明高等学校の校舎は、かつて今よりずっと多くの生徒が通っていた時代に建てられたものだった。
現在使われている教室は限られており、空き教室のいくつかは物置になっている。理科室や実習室も設備そのものは残っているものの、古くなった器具を整理する予算は十分ではなかった。
日常の授業は、教育用のBDや端末を利用した自習が中心である。
教員ロボが教壇に立ち、生徒が一斉に授業を受けるような風景を期待して訪れたなら、戸惑う人もいるだろう。
生徒会長が戻ってきたのは、玲と真帆が見取り図を眺めながら、案内の順番を検討しているところだった。
「二人とも、おはよう。早くからありがとう。」
会長は書類の束を机に置き、椅子へ腰を下ろした。
昨夜も遅くまで準備をしていたのだろう。いつも整っている髪の一部が少し跳ねており、玲はそれを見て、何となく親しみを覚えた。
「先に箱の方を確認してもいいかしら。管理記録が見つかったの。」
会長は一枚の古い台帳を広げた。
そこには、箱と同じ管理番号が記されていた。
内容欄には「旧校舎施設資料一式」とある。
「学校の設備に関する書類みたいね。封印も当時の生徒会がしたものだから、状態を記録したうえで確認していいそうよ。」
会長は箱を机の中央へ移し、封印紙を撮影してから、慎重に蓋を開けた。
古い紙特有の、乾いた匂いが漂った。
中に収められていたのは、何冊かの薄い冊子と、封筒に入った図面、それから厚手の台紙に貼り付けられた写真だった。
玲は、ほんの少しだけ肩を落とした。
(……普通に施設資料だった。)
いや、分かっていた。
分かっていたが、心のどこかで、もう少し劇的なものを期待していたのである。
しかし、会長は興味深そうに書類を取り出していた。
「これ、昔の校舎の図面ね。……あら?」
真帆が身を乗り出した。
「どうしました?」
「この建物、今の配置と少し違うわ。」
図面には、校舎の東側に細長い建物が描かれていた。
現在は使われていない渡り廊下の先に位置しており、玲にも見覚えがある。窓の多い、平屋の小さな建物だった。
「あそこって、今は倉庫ですよね。」
真帆が言った。
「そうね。でも、この図面だと『交流棟』になっているわ。」
会長は別の書類を取り出した。
そこには、かつて黎明高等学校が近隣の学園や地域の生徒を招いて行っていた、交流活動の記録が残されていた。
小規模な展示会。
共同制作の発表。
音楽会。
進路についての相談会。
古い写真には、見知らぬ生徒たちが並んで笑っていた。
今の学校からは想像しにくいほど、賑やかな光景だった。
「こんなこともやってたんですね。」
真帆は写真を手に取り、感心したように呟いた。
会長は頷いたものの、その表情は少し複雑だった。
「交流棟のことは聞いたことがあるけれど、詳しい資料が残っているとは思わなかったわ。今は物置としてしか使っていないし、設備もずいぶん古くなっているはずよ。」
玲は図面を見つめた。
交流棟。
何ともよい響きだった。
しかも、今では使われなくなった建物に、かつての学校の賑わいが眠っているという。
これはもう、いかにも何かが始まりそうな場所ではないか。
「……一度、見に行ってみませんか。」
気づけば、玲はそう口にしていた。
会長が顔を上げた。
「交流棟を?」
「はい。図面だけでは、今どうなっているのか分かりませんから。」
玲はそこで少し間を置き、窓の外へ目を向けた。
ここで何か、雰囲気のある言葉を添えたい。
しかし、昨日のように思いつきで意味深なことを言って、あとから説明に困るのも避けたかった。
結局、玲は少しだけ微笑んだ。
「……使われていない場所にも、まだ役目が残っているかもしれません。」
自分としては、なかなか上手く言えたと思う。
会長はしばらく考え、それから頷いた。
「そうね。説明会で使えるかは分からないけれど、現状を確認する価値はあると思うわ。」
真帆も賛成した。
「私、あそこに入ったことないんです。ちょっと見てみたいかも。」
こうして三人は、午後の準備に入る前に交流棟を確認することにした。
玲は表情を変えずに端末を閉じた。
(やった。探索イベント二回目。)
本人にとっては、それだけでも十分な収穫だった。
♢
交流棟へ続く渡り廊下には、長いあいだ人が通っていなかったらしく、窓際に薄く埃が積もっていた。
廊下の外では、初夏の風が木々を揺らしている。遠くから聞こえる車の音に混じって、鳥の鳴き声が時折響き、古い窓枠がかすかに軋んだ。
玲は歩きながら、壁に残された掲示板へ目を向けた。
色褪せた紙が何枚か貼られている。
文字はほとんど読めなかったが、端の方に小さな花の絵が描かれていた。
誰かが、ずっと昔に描いたものだろう。
そう思うと、ただの古い掲示板にも、少し違った印象が生まれる。
「……ここ、思っていたより広いですね。」
真帆が言った。
交流棟の入口は、古いガラス扉だった。
会長が管理用の鍵を取り出し、錠を開ける。
扉は少し重かったが、三人で押すと、ゆっくりと内側へ動いた。
中には、折り畳み式の机や椅子、使われなくなった展示用のパネルなどが並んでいた。
倉庫として使われているという話は本当らしい。
しかし、建物そのものは思ったより傷んでいなかった。
大きな窓からは十分な光が入り、床板も、歩くたびに多少軋む程度である。
玲は室内を見渡した。
壁には、昔の掲示物を取り付けていたらしい金具が残っていた。
天井には古い照明器具が並び、奥には小さな準備室もある。
ここを片づければ、展示室として使えそうだった。
もっとも、そう簡単にはいかないだろう。
埃を払い、備品を整理し、安全を確認しなければならない。説明会までの時間を考えると、すべてを終えるのは難しいかもしれなかった。
「……思ったより、ちゃんとしてますね。」
真帆が言った。
「ええ。でも、電気設備や床の状態は確認が必要ね。勝手に使うわけにはいかないわ。」
会長は端末で室内を撮影しながら答えた。
玲は、奥の壁際に積まれた展示パネルへ近づいた。
そこには、古い写真が何枚か挟まっていた。
交流棟で行われた催しの記録らしい。
玲が一枚を手に取ると、写真の中には、机を囲んで何かを作っている生徒たちが写っていた。
楽しそうだった。
誰もが、今の自分たちと同じくらいの年齢に見える。
玲はしばらく、その写真を眺めた。
ふと、背後で会長の声がした。
「……困ったわね。」
振り返ると、会長が準備室の前に立っていた。
「どうしました?」
「この建物、説明会の展示に使えたらいいと思ったんだけど、今から全部片づけるのは難しそうね。安全確認にも時間がかかるし。」
真帆も室内を見渡した。
「そうですね。机だけでも、かなりありますし……。」
玲は少し考えた。
確かに、この建物を使うのは難しい。
しかし、古い写真を眺めているうちに、一つの考えが浮かんでいた。
玲は写真を元の場所へ戻し、二人へ向き直った。
「……全部、使わなくてもいいんじゃないでしょうか。」
会長が首を傾げた。
「どういうこと?」
「この建物そのものを説明会で使う必要はないと思うんです。写真や資料だけ、今使っている教室に持っていけばいいんじゃないかなって。」
真帆が「ああ」と声を上げた。
「それなら、昨日のアルバムと一緒に展示できるね。」
「うん。昔の学校がどんな場所だったのか、今の学校と比べてもらえると思う。」
玲はそこで言葉を切り、少しだけ考えた。
説明会に来る人たちは、学校の歴史を知りたいだけではない。
自分がここへ通うことになったら、どんな毎日を過ごすのか。
それを知りたいはずだった。
「……それに、昔の写真だけじゃなくて、今の私たちの写真も並べたらどうでしょう。」
会長が顔を上げた。
「今の学校の写真?」
「はい。昔はこんなに賑やかだった、というだけだと、今の学校が寂しく見えるかもしれません。でも、今だって、みんなでいろいろなことをしていますから。」
玲は、壁際に並んだ机へ目を向けた。
「昔の学校と、今の学校。どちらも、同じ黎明高等学校なんだって伝わったらいいなと思います。」
会長はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頷いた。
「……そうね。確かに、その方がいいかもしれないわ。」
真帆も嬉しそうに笑った。
「それ、すごくいいと思う。今の写真なら、私たちでも用意できるし。」
玲は少し照れくさくなった。
今の提案は、特に謎めいたものではなかった。
むしろ、かなり普通の意見だったと思う。
しかし、二人が喜んでくれたのなら、それで十分だった。
玲は微笑み、写真をもう一度眺めた。
そのとき、会長が何気なく呟いた。
「……不思議ね。」
「何がですか?」
「玲さんが昨日、第二資料室のことを気にしていたでしょう。あそこを調べたおかげで、この交流棟の記録も見つかった。今日も、ここを見に来ようって言ってくれたし。」
玲は瞬きをした。
「……そうですね。」
「もちろん、偶然なんでしょうけど。」
会長は少し笑った。
「何だか、玲さんが昔の学校に案内してくれているみたい。」
真帆も笑った。
「確かに。玲って、こういう場所を見つけるの上手だよね。」
玲は静かに微笑んだ。
その内心では、冷静な分析が行われていた。
(……いや、単に古い部屋が好きなだけなんだけど。)
第二資料室に興味を持ったのも、薄暗い廊下の奥にある、いかにも秘密がありそうな部屋だったからだ。
交流棟へ来たかったのも、使われなくなった建物という響きに惹かれたからである。
そこに深い意図はない。
少なくとも、学校の歴史を調べるために計画していたわけではなかった。
しかし、会長が言うように、結果として役立つ資料が見つかったことは確かだった。
玲は少し考え、控えめに答えた。
「……たまたま、気になっただけですよ。」
「ふふ。そういうことにしておくわ。」
会長は冗談めかして言った。
玲も微笑み返した。
真帆は二人のやり取りを見ながら、楽しそうに笑っていた。
その場では、それ以上の話にはならなかった。
ただ、会長はその後、展示資料の選定を玲にも相談するようになった。
玲自身は、その変化をまだ大きなものとは思っていなかった。
♢
昼休みを過ぎる頃には、交流棟から持ち出した資料の整理が始まっていた。
もちろん、持ち出す前には会長が管理記録を確認し、必要な手続きを済ませている。
玲と真帆は、写真の年代を調べ、展示用の説明文を作成することになった。
図書室の一角に設けられた作業机には、古い写真と現在の学校生活を写した画像が並んでいる。
かつての交流会。
今の自習風景。
昔の校庭で行われた行事。
現在の生徒たちが協力して清掃をしている様子。
写真を並べてみると、確かに違いは大きかった。
昔の方が、生徒の数はずっと多い。
しかし、今の写真にも、それなりの温かさがあった。
少人数だからこそ、誰がどこにいるのかすぐに分かる。
笑っている生徒の顔も、真剣に作業をしている姿も、玲には見慣れたものだった。
「……こうして見ると、今の学校も悪くないね。」
真帆が言った。
「うん。」
玲は頷いた。
自分たちが毎日過ごしている場所を、こうして改めて眺めるのは少し不思議だった。
いつもは気に留めない廊下の窓や、教室の机、図書室の棚。
写真の中では、それらが少しだけ特別に見える。
玲は、説明文を入力していた手を止めた。
「……ねえ、真帆。」
「ん?」
「説明会で、見学に来た人たちにも、何か体験してもらえたらいいと思わない?」
真帆は顔を上げた。
「体験?」
「うん。学校の説明を聞くだけじゃなくて、実際に私たちと一緒に何かしてもらうの。」
玲は少し考えながら続けた。
「例えば、普段使っている学習端末を触ってもらったり、みんなで簡単な課題を考えてみたり。そうしたら、この学校で過ごす感じが、少しは伝わるんじゃないかな。」
真帆はしばらく考え、それから頷いた。
「……いいかも。説明だけだと、どうしても堅くなっちゃうし。」
「そうだよね。」
「会長に相談してみようか。」
二人はそのまま生徒会室へ向かった。
会長は提案を聞くと、少し驚いたようだった。
「体験型の案内、ね。」
「はい。短い時間でもいいので、実際に学校生活を感じてもらえたらと思って。」
玲が説明すると、会長は端末に目を落とし、予定表を確認した。
「時間は少し調整が必要だけれど……できなくはないわね。」
真帆も補足した。
「私たちが普段使っている教材を紹介するだけでも、見学者には分かりやすいと思います。」
「そうね。じゃあ、一度、案をまとめてみましょう。」
会長は二人に向かって微笑んだ。
「ありがとう。準備が進むたびに、説明会の内容がよくなっていく気がするわ。」
玲は静かに頭を下げた。
その言葉は素直に嬉しかった。
自分の考えが、学校の役に立っている。
それは、謎めいた台詞を上手く決められたときとは、また違う喜びだった。
♢
放課後、図書室には数人の生徒が集まっていた。
展示用の写真を並べる者。
説明文を印刷する者。
机の配置を考える者。
それぞれが、自分にできる仕事を進めている。
玲は、その様子を少し離れた場所から眺めていた。
今朝までは、説明会の準備といっても、生徒会が中心になって進めている印象が強かった。
しかし、こうして見ると、少しずつ学校全体の仕事になりつつある。
その中には、雨宮栞の姿もあった。
栞は、古い写真を一枚ずつ丁寧に確認し、展示用の台紙へ並べている。
玲が近づくと、栞は顔を上げた。
「あ、月白先輩。」
「お疲れさま。どう、進んでる?」
「はい。真帆先輩に教えてもらいながら、写真を整理してます。」
栞は少し照れくさそうに笑った。
「私、こういう作業、けっこう好きみたいです。」
「そうなんだ。助かるよ。」
玲が微笑むと、栞は嬉しそうに頷いた。
そしてしばらくして、栞は少しだけ表情を曇らせた。
「あの……先輩。」
「どうしたの?」
「説明会、上手くいくでしょうか。」
玲は、栞の顔を見つめた。
その不安は、よく分かった。
学校の存続に関わるかもしれない大切な行事なのだから、心配になるのも無理はない。
玲自身、説明会が成功する保証など持っていなかった。
見学者が学校を気に入ってくれるかどうかも、来年度の入学希望者が増えるかどうかも、今は分からない。
だから、簡単に大丈夫だとは言えなかった。
「……どうだろうね。」
玲は正直に答えた。
栞は少し驚いたように目を瞬かせた。
「私にも、分からないよ。」
玲は穏やかに続けた。
「でも、今日、みんなが準備しているところを見ていたら、少なくとも、来てくれる人たちに見せたいものはあるんだなって思った。」
栞は黙って聞いていた。
「だから、上手くいくかどうかを心配するより、まずは、ちゃんと迎えられるようにしたいな。」
玲は写真の並んだ机へ目を向けた。
「……栞ちゃんが今日頑張ってくれたことも、きっと、その一つになるから。」
栞はしばらく俯いていたが、やがて小さく頷いた。
「……はい。」
その声には、少しだけ力が戻っていた。
玲は微笑み、作業台の上に残された写真を一緒に整理し始めた。
栞は、そんな玲の横顔をちらりと見つめた。
月白先輩は、いつも不思議な人だと思う。
何か特別なことを言っているようで、よく考えると、当たり前のことを話しているだけのときもある。
けれど、その当たり前の言葉が、なぜか胸に残る。
学校がなくなってしまうかもしれないと聞いたときも、そうだった。
先輩は、必ず大丈夫だとは言わなかった。
それでも、自分にもできることがあるのだと思わせてくれた。
栞は、写真を一枚、丁寧に台紙へ貼り付けた。
自分も、少しは役に立てているだろうか。
そう考えると、胸の奥がほんの少し温かくなった。
♢
夕方、生徒会室では、説明会の準備状況を確認する会議が開かれていた。
会長は、机に並んだ資料を見渡しながら、各担当の進捗を確認している。
交流棟で見つかった写真の整理は、ほぼ終わっていた。
展示の構成も決まり、体験型の案内についても、必要な端末の数や時間配分を検討する段階に入っている。
まだ準備は残っているものの、説明会の形は少しずつ見えてきた。
「……今日だけで、ずいぶん進んだわね。」
会長は小さく息を吐いた。
真帆が頷いた。
「みんな、思ったより協力してくれましたね。」
「ええ。本当に助かったわ。」
会長は、机の端に置かれた古い写真へ目を向けた。
そこには、かつての黎明高等学校の生徒たちが写っていた。
今よりずっと多くの生徒が、同じ校舎で笑っている。
会長はしばらく、その写真を見つめていた。
「……私ね、正直に言うと、説明会のことが少し怖かったの。」
玲と真帆は顔を上げた。
「この学校の良さを伝えたいとは思っていたけれど、人数が少ないことも、設備が古いことも、どうしても気になってしまって。見学に来た子たちが、がっかりしたらどうしようって。」
会長は苦笑した。
「だから、最初はできるだけ立派に見せようとしていたのかもしれないわ。」
玲は黙って聞いていた。
「でも、今日、二人と話していて思ったの。無理に大きな学校の真似をする必要はないのかもしれないって。」
会長は玲へ視線を向けた。
「特に、玲さんの提案が印象に残っているわ。」
「……私の、ですか?」
「ええ。昔の学校と今の学校を並べて見せようっていう話。それに、見学者にも実際に体験してもらおうっていう話。」
玲は少し驚いた。
どちらも、思いついたことを口にしただけだった。
特別な知識があったわけでも、深い計画があったわけでもない。
しかし、会長は真剣な表情で続けた。
「玲さんは、この学校の何を見てもらいたいのか、ちゃんと考えてくれているのね。」
玲は、少しだけ言葉に詰まった。
自分がそんなに立派なことを考えていたかと問われると、少々自信がない。
古い建物を見に行きたかったのは、単に興味があったからだ。
写真を並べようと思ったのも、見比べたら面白そうだと感じたからである。
体験型の案内を提案したのも、説明を聞くだけでは退屈かもしれないと思ったからだった。
けれど、それらが学校のためになっているのなら、嬉しい。
玲は少し考えてから、静かに答えた。
「……私は、ただ、この学校のことを好きになってもらえたらいいなと思っただけです。」
会長は微笑んだ。
「それが、一番大切なことなのかもしれないわね。」
真帆も頷いた。
「うん。私もそう思う。」
玲は二人の顔を見つめ、それから少し照れくさそうに微笑んだ。
その場にいた誰も、玲が何か特別な能力を持っているなどとは考えていなかった。
ただ、会長の中では、彼女に対する印象が少し変わり始めていた。
見た目が美しく、時折不思議な言葉を口にする少女。
それだけではない。
玲は、学校のことをよく見ている。
少なくとも、会長にはそう思えた。
そして、玲が何気なく提案したことが、結果として準備を前へ進めているのも事実だった。
偶然なのかもしれない。
けれど、偶然だけで片づけるには、少し惜しい気がした。
「……玲さん。」
会長が声を掛けた。
「はい。」
「説明会が終わったあとも、時々、生徒会の仕事を手伝ってもらえないかしら。」
玲は瞬きをした。
真帆も驚いたように会長を見た。
「もちろん、無理のない範囲でいいの。今回の準備で、二人には本当に助けてもらったでしょう。これからも、学校のことを一緒に考えてくれたら嬉しいなって。」
玲は、真帆へ視線を向けた。
真帆も玲を見つめた。
二人の間に、短い沈黙が流れた。
玲は少し考えた。
生徒会の仕事。
それは、思っていた以上に地道で、面倒なことも多いのだろう。
今日だけでも、資料の整理や確認、連絡調整にかなりの時間を使っている。
けれど、その仕事を通して、学校のことを以前より少し知ることができた。
そして、真帆や栞たちと一緒に何かを作り上げる時間は、思っていたより楽しかった。
「……私は、いいと思います。」
玲が答えると、真帆も頷いた。
「私も、できることなら手伝いたいです。」
会長は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。二人とも、頼りにしているわ。」
玲は静かに頭を下げた。
その内心では、別の感情も芽生えていた。
(……生徒会の仕事を任される銀髪の美少女。)
悪くない。
むしろ、かなりよい。
しかし、それ以上に。
この学校で、自分にもできることがある。
そう思えるのが、嬉しかった。
♢
帰り道、玲と真帆は並んで歩いていた。
夕暮れの街には、少しずつ灯りがともり始めている。
遠くの道路を走る車の音が、建物の間を抜けて聞こえてきた。
玲は肩に掛けた銃の位置を直しながら、今日の出来事を思い返していた。
古い保管箱。
交流棟。
学校説明会の準備。
そして、生徒会の仕事。
一日のうちに、ずいぶんいろいろなことがあった。
「玲。」
真帆が声を掛けた。
「ん?」
「今日、会長に褒められてたね。」
「……そうかな。」
「うん。すごく頼りにされてたと思う。」
玲は少し照れくさくなった。
「……真帆だって、頼りにされてるよ。」
「私は、できることをやってるだけだよ。」
「私も同じだよ。」
二人は顔を見合わせ、笑った。
しばらく歩いてから、真帆がふと呟いた。
「……来年も、この学校で一緒にいられるといいね。」
玲は足を緩めた。
夕暮れの光が、真帆の横顔を淡く照らしている。
その言葉には、学校の存続に対する不安が滲んでいた。
玲は、すぐには答えなかった。
来年のことなど、分からない。
学校がどうなるのかも、説明会がどんな結果になるのかも、まだ決まっていない。
けれど、今できることがあるのなら、それを続けたいと思った。
「……うん。」
玲は静かに頷いた。
「私も、そう思う。」
その言葉に、まほpは微笑んだ。
二人は再び歩き始めた。
空には、薄い雲が広がっている。
その向こうで、夕陽がゆっくりと沈んでいった。
玲は、少しだけ顔を上げた。
明日も、説明会の準備がある。
まだ決めなければならないことも、考えなければならないことも多い。
それでも、今日のように一つずつ進めていけば、きっと何かが変わるのだろう。
玲は、そう思った。
そして、その変化が、いつか自分の想像もしなかった場所へつながっていくことを、まだ知らなかった。