Cyberpunk: After Glow — Main Story 作:AfterGlow
「はっ……はっ……」
男の荒い呼吸が、ナイトシティの夜気を震わせた。
「くそっ……なんだってんだ!」
辺りを照らすはずの月は雲に隠れ、代わりにネオンの光だけが煌々と灯っていた。悪態をつきながら角を曲がり、路地裏に逃げ込む。
「あのガキ……俺が何をしたって……」
その時だった。
「ぐっ!」
出し抜けに路地の向こうから現れた機械腕に襟首を掴まれた男は、そのまま宙吊りにされた。
「ま……待ってくれ……」
苦しげな吐息を漏らしながら、男は懇願した。機械腕の主は聞く耳を持たずに、路地の壁へ男を力任せに押し付けた。
「よぉ」
暗がりの中に、赤い瞳が陽炎のようにゆらめいた。男は壁に押し付けられたまま首を回すこともできず、目だけがその姿を捉える。
「な、何が望みだ」
ネオンが長い黒髪と、その内側に覗く赤を照らし、その顔を闇から浮かび上がらせた。まだ若い。いや、若すぎるくらいだ。少年と言って差し支えない機械腕の主は、ゆっくりとその口を開いた。
「あんたさ、バーで気になること言ってたもんだから」
「はぁ!?なんの話だよ!?」
少年が腕に力を込めると、男は苦しそうな息を漏らした。
「スクラップ……って口にしてたよな。その名前、どこで聞いた?」
「し、知らねぇ!」
少年が目を細めると、腕に込められた力は更に増した。骨が軋み、内臓が震える。
「ほ、本当に知らないんだ……!仕事中に少し聞いただけだ!」
「へぇ……なんて?」
男は濡れた犬のような怯え切った瞳を向ける。恐る恐る口を開いた。
「や、約束してくれ……殺さないって……」
「別に殺したりなんかしないよ。まぁ、返答次第だけど」
そう言うと、少年は僅かに力を緩めた。ようやく少しの余裕を取り戻した男は脳内の記憶を必死にかき集めて、口から吐き出した。
「妙な仕入れだった……。匿名のドロップ経由で、滅多に出ないクロームをまとめて寄越せって」
「依頼元は?」
「知らねえ! 受け渡しも自動倉庫だ! 顔も名前も知らねえ!」
「じゃあ、なんでスクラップの名前が出た?」
「一度だけ確認のホロが入ったんだ……その時、向こうの奴が言ってた。『スクラップも喜ぶ』って。それだけだ!」
その時、僅かに少年の肩が震えた。あまりにも些細で見間違いかと思ってしまうほどのそれは、夜の闇に紛れた。
「知ってるのはこれだけだ……。もういいだろ!うちに帰してくれ!」
「嘘つけ」
「本当だ!神に誓ってもいい!」
やがて息を吐いた少年がようやく力を緩めると、男は壁にもたれながら、ずるずると力なく腰を下ろした。
「そっか、邪魔したな」
男はぜいぜいと苦しげに息を吐きながら、少年を睨め付けた。もう用はないと言わんばかりに踵を返した少年の背へ向けて、男は腰の拳銃を抜いた。
「ガキがっ……舐めやがって……」
震える指を引き金にかける。
「死ねっ!」
放たれた銃弾は、振り返った少年の機械腕によってあっさりと弾かれた。
「はっ?」
そのまま男に詰め寄る。
「ま、待てっ……」
なおも命乞いをしようとした男の顔面に機械の拳がめり込み、鼻と口がべこりとひしゃげた。二、三度痙攣すると、男は意識を失った。
少年は息を吐くと、再び踵を返した。雲が晴れ、月明かりがその相貌を照らし出す。
「スクラップ……!」
機械腕についた血を払うと、奥歯を割れんばかりに噛み締める。黒髪の少年——アレックス・ヴェイルは、そのまま歩き出すと、二度と振り返ることはなかった。
◇
午前五時十二分。
ナイトシティに、朝が来た。
ワトソン地区、リトルチャイナ。
空を埋める高層建築の隙間から、白み始めた光が差し込んでいる。
雲より低い位置を走る高速道路。広告を垂れ流しながら、ビルの壁面を泳いでいく巨大なホログラム。道路では早くもクラクションが鳴り、遠くでは乾いた銃声が二発続いた。
誰かが撃ち、誰かが撃たれた。それでも街は止まらない。
屋台はシャッターを開け、清掃ドローンは血の跡を洗い流し、徹夜明けの会社員たちは自動販売機の合成コーヒーを喉へ流し込む。
ナイトシティにとって、朝とは一日の始まりではなく、生き延びた夜の結果だった。
リトルチャイナの一角、古い雑居ビルの上層階に、アフターグロウのアジトはある。その中の洗面所でアレックスは自身の機械腕——Gorilla Armsを繰り返し洗っていた。
「クソっ……、落ちない……」
何度擦っても、各関節に入り込んで乾き切った血が落ちることはなかった。
「……おはようございます、坊ちゃん」
唐突にかけられた声に、アレックスの小さな肩が跳ねた。まるで悪戯を見つかった子供のように、バツの悪い顔をしながら振り返った。
「おはよ、リリィ」
「ええ、昨夜はずいぶん遅かったようですね」
アレックスの視線の先にはリリィ・コールドウェルが、静かに立ち塞がっていた。銀白色のアシンメトリーショートボブと、左眼を覆う黒い眼帯。袖をまくった両腕には、——この街では珍しくもないが——本来、人の身体には存在しない細い継ぎ目が走っていた。凛とした佇まいとは対照的に、その身には使い込まれたエプロンが掛けられている。
「坊ちゃんももう十六歳です。口うるさく言うつもりはありませんが……」
その視線が、アレックスのGorilla Armsについた血へ落ちた。
「わかってるってば、もう」
リリィのお説教が始まる気配を察したアレックスは、やや強引に話題を逸らした。そのままリビングへ向かって歩を進める。
「お腹すいた。今日の朝飯なに?」
リリィは大きく息を吐いてアレックスへ続いた。
「今日はSCOOPと人工卵のベーコンエッグです」
「やった、好物だ。ノヴァは……まだ寝てるか」
そう言うとアレックスは同居人の部屋へと視線を投げた。アレックスはひどく腹を空かせていた。それでも食べ始める前に、一応ノヴァの部屋へ声をかける。
「おーい、ノヴァ!朝メシ!」
そう言いながら個室のドアを叩く。返事の代わりに、すぴー、すぴーと間の抜けた寝息が返ってきた。
「坊ちゃん、今日は仕事があるわけでもないですし、無理に起こしてはノヴァがかわいそうですよ」
リリィは、諫めるようにアレックスの肩へ手を置いた。
「……まぁいいか、二人で先食べよ」
そう言ってアレックスはリリィの手を引いてリビングへと歩き出した。
◇
「ちょっと!今日ベーコンエッグじゃん!なんで起こしてくんないの!?」
正午も過ぎた頃、ようやく起き出してきた同居人は、アレックスに詰め寄った。アレックスはほとほとうんざりした顔をしながら、目の前で揺れるツインテールを眺めていた。
ノヴァ・クイン。淡いラベンダー色のTechHairを、腰まで届くツインテールにまとめている。彼女は、自作のホバーチェア——STELLAに乗っている。髪と同じラベンダー色の瞳を怒りに燃やしながら、なおもノヴァはアレックスに掴み掛かった。
「ねぇ、なんで〜!」
「うるっさいな、もう!お前が起きなかったんだろ!?」
「昨日夜遅くまで配信やってたんだもん!」
そう言いながら頭を掻きむしった。
「うああ〜!あたしのベーコンエッグ〜!」
まったく筋違いの怒りをアレックスにぶつけ続ける彼女を見かねたように、リリィがノヴァへ声を投げた。
「ノヴァ、朝ごはんはとってありますから。チンして食べてください」
その言葉にノヴァは感激したように目を潤ませ、リリィへ向かってSTELLAを滑らせた。勢いそのままにリリィの腰へ抱きつく。
「リリィ大好き!」
リリィは少し困ったように笑いながら、ノヴァの頭を撫でた。
人工コーヒーを啜りながら、その様子を見つめるアレックスの視界HUDに、突如ホロコールの表示が浮かんだ。
『俺だ』
お決まりの挨拶に苦笑しながら、アレックスは言葉を返した。
「もしもし、マーリン?」
ホロコールの先の重い空気を感じ取ると、アレックスは表情を険しくした。
「……仕事?」
『ああ、そうだ』
「……詳しく聞こうか」
アレックスはそう言って、こめかみへ指を当てた