Cyberpunk: After Glow — Main Story 作:AfterGlow
ブルー・ヒートの中に入ると、安い香水の匂いはより一層強くなった。アレックスは僅かに顔を顰めながら辺りを見回す。趣味の悪いピンクのネオンライト。腹の底に不快さが響くような重低音。体を絡め合う男女、ドラッグをヤる老人、BDであちらの世界へ飛び立った者もいる。
快楽だけを煮詰めて腐らせたような場所だった。
アレックスが辟易していると、向かいの事務所と思しき部屋からスタッフが現れる。
『アレックス! きたよ!』
ノヴァが通信を送る。
「いちいち言わなくてもいい」
アレックスは口には出さず通信を返し、そのままスタッフへ声をかけた。
「あの……」
普段の生意気な態度が嘘のように、ジョイトイを演じた。
「わたし、ここでなら働けるって聞いて……」
喉元のボイスモジュレーターには、あらかじめノヴァが学習させた女性音声を仕込んである。経験上、場慣れして気の強そうな女を演じるより、初めての仕事に怯える娘を装う方が、こういう男は扱いやすいことを知っていた。
「ああ、聞いてるよ」
スタッフの男は疑う素振りもなく信じた。
「こっちだ。ついてきて」
「ありがとうございます」
アレックスはおずおずと頭を下げるフリをした。
『いいねぇ〜、サンディちゃんエロいよ〜』
「黙れ」
軽口を叩くノヴァに通信を送る。リリィはここまで一言も喋らなかった。
アレックスはスタッフの男について行った。
◇
通されたのは、ちょっとしたブースのような席だった。普段は男女の盛り場として使われているのだろう。いくつか、そういう道具が置いてある。アレックスは反吐が出る気分だったが、嫌悪を自分の中へ押し込んだ。
「きゃっ……」
「ああ、びっくりしちゃったかな」
「い、いえ。大丈夫です」
アレックスは穏やかに微笑んでみせた。
男は笑いながらホロ画面を開き、マーリンが手配した偽の履歴書を見る。
「アレクサンドラ・ヴェスパーね。なんだかすごく品があるね。前にもこういう仕事やってたの?」
「いえ、実は初めてで……」
「あ、そう。まあ君みたいにかわいい娘なら、すぐに稼げるようになるよ」
「本当ですか?」
アレックスは表情を少し明るく見せる。
「弟を食べさせないといけないんです……なんとかお願いします」
男の面接は尋問のようだったが、アレックスはすべて、事前に用意した回答を返してみせた。
年齢、身元、家族の有無、クローム搭載歴など。
Gorilla ArmsもBerserkも、人工スキンで隠していた。
「クロームを入れているかどうかが、関係あるんですか……?」
アレックスは手で口を隠しながら聞く。
「いやいや、セキュリティ上の問題だよ」
「クロームは、基本OSくらいで……他はあまり……」
「OK、ちょっとごめんね」
「あ、はい」
男が手首からコードを引き出し、アレックスの首のニューロポートに接続する。
「んっ……」
『いや、マジでアレックス演技上手いね』
「……」
ノヴァの軽口は止まらない。
リリィはなおも押し黙ったままだった。ただ、その掌には爪が食い込んでいた。
「おっ、きたきた。いらっしゃいませぇ〜」
ノヴァはアレックスと男の接続を確認すると、相手側へ偽情報を流しつつ、こちらへは男のセキュリティ情報を吸い寄せた。
「クソ雑魚ICEだね。ちょろいちょろい」
「ノヴァ、早くしてください」
リリィはいつになく急かす。
「まあまあ、ちょっと落ち着きなよ。ん?」
ノヴァの指が止まる。
「どうしたのですか?」
そこに並んでいた項目は以下の通りだった。
神経負荷耐性、高出力OS適合率、疼痛耐性、クローム拒絶反応、精神崩壊率。
「なにこれ? こんなの検査する必要なくない?」
ノヴァが訝しむ。
男はコードを抜いた。
「うん、OK。綺麗な体して……」
言いかけて、男の口が止まった。ホロ画面の上を視線が走る。
「おい」
「はい」
男が別のスタッフを呼び寄せる。小声で話しているため、内容のすべては聞き取れなかった。
「壊れたところで、適合した個体だけ残せばいい」
その言葉だけが、はっきりと聞こえた。アレックスは、なぜかその言葉に既視感を覚えた。
「……?」
不意に、背中に埋め込まれたBerserkが疼いた。しかし、その理由がアレックスには分からないままだった。
◇
「アレクサンドラ、ついておいで」
男はアレックスを呼んだ。もしかしたら、そこに行方不明となった人たちがいるのかもしれない。
作り物の名だと分かっていても、そう呼ばれることに虫唾が走ったが、アレックスは大人しく従った。
「あの……」
「なんだい?」
「どこへ行くんですか?」
アレックスは初心な少女を装いながら問いかける。
「いいところ。君も稼ぎたいんだろ?」
「はい……そうなんですけど……少し怖くて」
言ってから、その言葉がすべて演技というわけではないことに気づいた。
怖い。そう思っている自分が確かにいる。深呼吸し、心を落ち着けた。
大丈夫だ。あの頃とは違う。そう、自分に言い聞かせた。
「大丈夫だよ。あ、こっちだ」
男が示したのは、さらに地下へ続く階段だった。その先を、重苦しい鉄の扉が塞いでいる。
「はい」
アレックスは階段を降りる。その時、リリィから通信が入った。
『坊ちゃん、作戦は中止です。撤退を』
「何言ってるんだよ。もうすぐで尻尾を掴めるって時に」
『そこは危険です。……なんだか、嫌な予感がします』
予感なんてリリィらしくもない。アレックスがそう思っていると、ノヴァからの通信が乱れた。
『やばいかも。つ……しんが……』
『アレッ……地下……入った?』
「なんだって?」
『ただの電波不良じゃな……多分、ジャミング……』
——プツン。
通信が切れた。地下へ入ったせいか、それとも意図的な妨害か。
二人の声が消え、自分の呼吸しか聞こえない。その沈黙に、アレックスは足を止める。ここで引き返せば、店側に勘づかれるかもしれない。そうなれば、失踪者たちを別の場所へ移される可能性もある。
「……もうちょい」
小さく息を吐く。
「……まあ、いざとなれば大暴れしてやる」
アレックスは、店の入口よりさらに下層へと降りていった。
◇
「着いたよ。ここだ」
男に通された部屋は、まるで監獄のような様相だった。殺風景な部屋の奥に、鉄格子だけがある。
その奥に、幾つかの光るものが見えた。瞳だ。誘拐されたのであろう少年少女たちが、鉄格子の中に閉じ込められていた。
アレックスは男へ振り返る。
「あ、あの……これは……」
その時、男がアレックスを突き飛ばした。
「きゃっ」
短い悲鳴と共に、アレックスは鉄格子の中へ押し込まれる。
「言ったろ? いいところだって」
アレックスは演技を続けた。
「ひどい……騙したんですね!」
男は悪びれもせず答える。
「騙してなんかいないさ。稼げるってのは本当だぜ。……まあ、その金がお前に入ることはないけどな」
そう言って笑うと、階段を上って去っていく。
「いいコにして待ってな。サンディちゃん」
そう言うと、地下室の扉を閉めた。
アレックスは周囲を見回す。少年少女たちは、怯えた目でアレックスを見つめていた。
「お前ら、こいつらに見覚えはあるか?」
あらかじめ許可を得ていた依頼者たちの写真を見せる。写真を順番に見せると、何人かが小さく頷いた。どうやら、失踪した者たちはここへ連れてこられているらしい。
「助けに来たぞ」
ボイスモジュレーターの細い声のまま告げる。
「助けに……って、お姉さんも捕まってるじゃない」
「うるせぇ。そもそも俺は……まあいいや」
彼らへ向き直る。
「お前ら、動けるか。ここから逃げるぞ」
返事はなかった。皆一様にひどく怯えていて、状況を飲み込めていない。中には薬漬けにされているのか、目の焦点が合わない者もいる。
その時だった。
『坊ちゃん!!!!!』
『アレックス!!!』
いきなり回線が開き、耳をつんざくリリィとノヴァの叫びが聞こえた。アレックスは耳を押さえた。もちろん、そんなことをしても意味はないのだが。
「うるせぇな!」
『も、申し訳ありません。坊ちゃんはご無事なのですか?』
『やっと繋がった! ジャミング固くてさー、今どんな感じ?』
「ああもう、いっぺんに喋るなよ!」
アレックスは息を吐くと答えた。
「今んとこ問題ない。被害者たちと合流した」
『では、突入します』
「待て、まだ早いっての」
アレックスは鉄格子の中へ目を向けた。怯えた少年少女たち。まともに動けそうにない者もいる。
「……今ここで騒ぎになったら、こいつらを危険に晒すかも」
『ですが——』
「分かってる。長引かせる気はないよ……っつーか、そういうのは俺の役目だろうが」
二人の声を聞いて少し安心すると、改めて囚われている少年少女へ目を向ける。
彼らの腕には番号の焼印。番号で管理されていることを示していた。そして、その横にはアルファベットとクロームの名前が焼き付けられている。
中でも数人には、「出荷待ち」や「再教育」といった、人間へ刻むにはあまりにも無機質な言葉が焼き付けられていた。
「なんだ……こいつら」
『アレックス、視界共有して』
ノヴァが言う。
アレックスは頷いた。視界共有が開始される。ノヴァはアレックスのKiroshiを通して、地下牢の端末をハックした。
『……そういうことか』
ノヴァの声が低くなる。
「どういうことだよ?」
『移植履歴と経過観察ログがある。あいつら、この人たちへ違法クロームを無理やり入れて、検査結果を記録してるんだろうね』
「人体実験ってことか?」
『うん。ジョイトイの面接にしては、検査項目が明らかにおかしかった』
「……それでか」
合点がいく。ジョイトイへ現在入れているクロームを聞くこと。訳の分からない検査項目。
——そして。
「壊れたところで、適合した個体だけ残せばいい」
あの言葉。目の前の彼らは、あの時のアレックスと同じだった。無理やりクロームを入れられ、自分の人生を滅茶苦茶にされている。
そう気づいた瞬間、アレックスの鼓動が早くなった。
背中のBerserkがひどく疼く。
『笑え!!!』
『そこに並べ。おい、動くな!!!』
『リリィは……リリィはどこ!?』
『大丈夫です……』
『いっ……だっ……い゛い゛!!!』
さまざまな記憶が、浮かんでは消えていく。強烈な吐き気を覚え、口を押さえた。
『……坊ちゃん?』
リリィの通信が届く。
「だ……大丈夫だ……。まだいける」
それを聞いて、リリィは即座に決断した。
『突入します。以降は、坊ちゃんの身の保護を最優先とします』
「待て……」
アレックスがリリィを制止した、その時。後ろから、扉を開く大きな音がした。
「やあ、子猫ちゃんたち! ご機嫌いかがかな?」
入ってきたのは、歳の頃五十前後の男だった。腹はでっぷりと膨らみ、歯はすべて金歯になっている。オイルで撫で付けられた金髪が、ベタベタと光っていた。
その体からは、香水をいくつも混ぜたような、なんとも言えない異臭が漂っている。
「ちっ」
舌打ちをして、アレックスは少年少女たちの中に紛れる。
「新しく入ったのって、どの娘?」
男は部下に尋ねた。パーキンスと部下たちは部屋へ入り、そのまま開かれた鉄格子の中へ足を踏み入れる。男はアレックスを見つけると、品定めするように全身をじろじろと眺めた。
「ふむ……」
アレックスへ近づき、べたべたと体を触り始める。たまらなく不快で、アレックスは今すぐ男を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。
だが、できない。ここで暴れれば、同じ鉄格子の中にいる少年少女たちへ危害が及ぶ。リリィとノヴァへ突入のメッセージを送り、耐える。
「この娘、実験台にしちゃうのもったいなくない?」
男は下卑た笑みを浮かべながら、部下の方を見る。
アレックスはひたすらに耐えていた。
「パーキンス様、そいつは……」
部下の一人が口を開く。
「ああ、報告にあったやつか。まあ、上に引き渡す前に一回くらいいいでしょ」
アレックスは、パーキンスと呼ばれた男を睨め付けた。パーキンスはようやくアレックスから手を離す。
「まあ、今は我慢だね。それよりも今は……君だ!」
男が、アレックスの隣に立っていた少女の腕を掴む。
彼女の腕には「再教育」の焼印。
「い、嫌っ……」
少女は手を振り解こうとするが、男の手は離れない。
『坊ちゃん』
通信越しに聞いているらしいリリィの顔が、視界の隅に映る。
『坊ちゃん、今そちらへ向かいます。どうか冷静に……』
「分かってる」
「君は前からいいと思ってたんだよ。出荷前に楽しむために、再教育にしておいたんだ」
「……ッ!」
その言葉を聞いた瞬間、アレックスは激昂した。
開かれた鉄格子の扉、そのすぐ内側。アレックスはパーキンスの顔面を渾身の力で殴り飛ばした。
人工スキンが破れ、両腕のGorilla Armsが露出する。パーキンスは金歯を何本か撒き散らしながら、部屋の入口方向へ数ヤード吹き飛び、壁に激突した。
「い、いひぃ〜! 痛いぃ!」
情けない声を上げるが、死んではいなかった。でっぷりとした身体の下には、衝撃吸収用の皮下装甲でも仕込んでいるらしい。
瞬間、部下たちがアレックスへ銃を向ける。アレックスは、やってしまったと思いながらも、開け放たれた鉄格子を抜け、部屋の出口へ駆けた。
自分が外へ出れば、銃口はこちらへ集中する。その隙に、少年少女たちを逃がせるかもしれない。そう判断した。
だが、
「動くな!!!」
アレックスは足を止め、振り返る。部下たちはアレックスではなく、鉄格子の中に残された少年少女たちへ銃を向けていた。
「お前、傭兵か? さしづめこいつらの救出ってとこか」
「下衆野郎どもが……」
アレックスが唇を噛む。すると、パーキンスが壁に手をつきながら、ひょこひょこと近寄ってきた。涙と鼻水を垂らしながら、憎悪だけを剥き出しにしている。
「おー、いてぇ。思いっきり殴ってくれちゃって」
「顔面が砕け散る勢いで殴ったんだけどな。どうやら相当、面の皮が厚いらしい」
「クソガキが……!」
パーキンスが顎で示す。部下が短銃を抜き、アレックスの脇腹へ複合弾を撃ち込んだ。
「うぐっ……!」
着弾と同時に、青白いノイズがアレックスの視界を走る。Gorilla Armsの駆動音が途切れ、Kiroshiの表示が激しく明滅した。
膝から力が抜ける。遅れて、弾頭から注入された鎮静剤が血流へ回り始めた。
『坊ちゃん……? 坊ちゃん……!』
『アレックス!』
『坊ちゃん!!!』
事態を察したのか、リリィとノヴァがアレックスの名を呼ぶ。
しかし、その声はもう遠い。
「クソガキめ。上へ引き渡す前に、たっぷり遊んでやる……!」
パーキンスは高笑いした。アレックスは悪態をつこうとしたが、舌も動かない。そのまま、意識は暗闇へ溶けていった。