Cyberpunk: After Glow — Main Story 作:AfterGlow
曲がった椅子を通りの端へ運び終える頃には、屋台の周囲から戦いの痕跡はほとんど消えていた。
動かなくなった男たちは通りの端へ寄せられ、割れた食器は集められていた。血に濡れた路面には水が撒かれ、赤黒い筋が排水溝へ流れていく。チェン爺はその様子に目もくれず、寸胴鍋の中をかき混ぜていた。
「坊ちゃん、ほっぺたに血がついていますよ」
リリィがハンカチをアレックスの頬に寄せる。上品な刺繍の施されたハンカチが、乾きかけた返り血を拭おうとした。
「いいって、自分で拭くから!」
アレックスは乱暴に腕で頬を拭うと、丼の中の麺を口に運んだ。
行き場を失ったリリィの腕は宙を泳いだのち、自分の丼の前へ落ち着いた。
アレックスが麺を啜る。麺に絡んだ熱いスープが喉を落ちていく。食べ慣れた、いつもの味だった。濃くて、少し塩辛くて、その奥にある合成豚骨の旨みを味わいながら、アレックスは顔を上げた。
「……やっぱり美味しい」
「当たり前だ」
チェン爺は新しい器を用意しながら答える。
「ふふん、プロの技だね」
評論家気取りで楽しそうにスープを啜ったノヴァは、満足げに腕を組んだ。
リリィも静かに箸を進める。
チェン爺が彼女を見る。
「どうだ」
「とても……美味しいです」
何かを思い出すように麺を啜るリリィを、アレックスの赤い瞳が見つめた。何も言わず、再び麺を啜る。
その時、アレックスの視界UIに一件のホロコール。
「……ワカコからだ」
ワカコ・オカダ。ジャパンタウンを根城とするフィクサーで、タイガークロウズとは浅からぬ親交を持つ女傑だ。
アレックスはやや緊張した面持ちで、口の中に残った麺を水で流し込んだ。
「……もしもし、ワカコ?」
『ああ、坊か』
ワカコからは何度か仕事を受けたこともある。それでも、ホロコールの先から放たれるワカコの圧。百戦錬磨のフィクサーが持つ独特の迫力に、アレックスは少しだけ気圧された。
「……クロウズの連中のこと?」
その声音には、やりすぎたことを咎められるのを覚悟したような硬さが滲んでいた。ワカコはそれを見透かしたように、電話口で小さく笑う。
『いや、ちがうんや。坊、クロウズの若いのがえらい迷惑かけたようやな』
「まぁね、五、六人やっちゃったけど、良かった?」
『かめへんよ。私の目を盗んでカタギさんに迷惑かけるような連中や。閻魔さんにお灸据えられるくらいがええよって』
アレックスは努めて強い口調を保ちながら、カウンターに肘を置いた。
「あ、そう。ワカコからも言っといてよ。次この辺の店に手出したら今度は全員やっちゃうぞ、ってさ」
ワカコは、そんなアレックスの気骨を示そうとする態度を見透かしたように目を細めた。
『おお、こわいなぁ、坊は。まぁ、私からもきつぅく言っておくさかいに、堪忍したってや』
「まぁ、ワカコがそう言うなら」
『ほな、これで。またジャパンタウンに遊びにおいで』
そう言うと、ワカコはホロコールを切った。
「っふう〜〜〜」
アレックスはホロコールが切れたことを確認すると、長い長い安堵の息を吐きながらカウンターへ突っ伏した。
「ご立派でしたよ、坊ちゃん」
横で会話を聞いていたリリィが、手を合わせて微笑んだ。
「立派なもんか。ったく、怖いんだよあの婆さん」
ノヴァは注文した替え玉を丼に流し入れた。
「ま、アレックスにしては上出来だね。ワカコに睨まれたらジャパンタウンで仕事できないし」
「……俺にしてはってなんだよ」
ノヴァを睨むアレックスを見て、チェン爺は口を開いた。
「どうでもいいが坊主、早く食わねぇと麺が伸びるぞ」
アレックスは目の前の丼の事を思い出すと、再び麺を啜った。
◇
オフィスで煙草を燻らしていたマーリンの視界UIに、一件のメッセージが届いた。
『クロウズ撃退!』
ノヴァから送られてきたそれに、一枚の写真が添付されている。
ラーメンを一心不乱に口に運ぶアレックスと、その頬を拭おうとするリリィ。チェン爺のラーメンにありついたノヴァは、テンションが上がったのか胸の前で腕を交差させる謎のポーズを披露している。
「……くくっ」
マーリンは低く笑うと写真を横にどけ、別の画面を開いた。そこには、もう一件のメッセージ。送信元はマーリンと交流のあるフィクサーだった。
マーリンの視線が、ホロ画面上で左右に走る。そこには闇市場に流れたいくつかの奇妙なクロームの情報が記載されていた。
軍用規格の部品、出所を潰した試作品、通常市場に流れない神経系パーツ。一つ一つはさほど珍しくも無い事象だったが、その取引線の奥の名前が、マーリンの胸をざわつかせた。
スクラップ。
アレックスが追い続ける男の名前だった。
メッセージを転送しようとしたマーリンの指が、アレックス・ヴェイルの名を指し示した所で止まった。
煙を吐き出し、横へどけた三人の写真へ視線を戻す。
やがて、マーリンは送信動作をキャンセルすると、椅子に身体を沈み込ませた。
アレックスが追い続ける男は、今もナイトシティのどこかで動いている。
そして、その痕跡をマーリンはアレックスへ伝えなかった。
暗いオフィスの中で、ホロ画面だけが煌々と光る。その隅には先の写真が残っている。ラーメンを前にした三人が、何も知らずに笑っていた。