Cyberpunk: After Glow — Short Stories 作:AfterGlow
午前一時四十三分。
夜も更けたリトルチャイナでは、昼間から降り続いている雨が、窓の向こうで無数のネオンを滲ませていた。時折、けたたましいエンジン音が通りを駆け抜けていく。それも遠ざかってしまえば、After Glowのアジトには雨音と、ノヴァの部屋から漏れてくるゲームの音だけが残った。
「……ない」
ゲームの音が止んだと思った矢先、部屋の奥から声が聞こえた。アレックスはソファに寝転んだまま、目の前に展開したホロ画面から目を離さない。キッチンでは、リリィが使い終わった食器を片づけていた。
「なぁいっ!」
今度は先ほどよりも大きな声。ノヴァの私室のドアが勢いよく開け放たれたかと思えば、ラベンダー色の髪を靡かせながら、専用のホバーチェアであるSTELLAごと部屋から飛び出してきた。空になったスナック菓子の袋を片手に、そのままアレックスの眼前へ滑り込む。
「何が?」
ようやくアレックスが尋ねた。
「ポテチ切らしちゃったの」
「ふーん」
アレックスは興味もなさそうに、ホロ画面から目を離さない。
「それ食べたばっかりでしょ?」
アレックスはホロ画面を閉じながらノヴァに言う。
「過去は振り返らない主義なの」
「……そりゃ随分立派な生き様で」
ノヴァは空袋を丸め、そのままゴミ箱へ向かって放り投げた。綺麗な放物線を描いた袋は、ゴミ箱の中に吸い込まれた。
「イェイ!3てーん!」
「はいはい」
ノヴァはアレックスへ向き直ると、声のトーンを落とし、神妙な面持ちで呟いた。
「アレックス、お願い」
「?」
「外のマーケットまで買ってきて」
「なんで俺が?」
「めんどくさいから」
即答だった。
「却下」
アレックスも即答で返す。
「え〜なんで〜?」
ノヴァは口を尖らせたが、アレックスは聞く耳を持たない。ノヴァは一瞬黙ったかと思うと、STELLAの上で胸を押さえ、前屈みになった。
「うぅっ……」
「……ノヴァ?」
アレックスは訝しげにノヴァの顔を覗き込んだ。
「すぐにでもスパイシー・ライム・チリ味のチップスを食べないと死んでしまう……」
「じゃあ死ね」
「ひどっ!」
そしてまた、ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた。
「ちょっと!リリィも言ってやってくれよ!」
アレックスはキッチンのリリィへと視線を投げた。二人のやり取りを聞いていたリリィが、食器を棚へ戻す手をピタリと止めた。
「……私、ストロベリー・ミルクのアイスクリームを食べないと死んでしまいます……」
アレックスはそれを聞くと一瞬だけ目を見開き、やがて大きく息を吐きながらソファへと沈み込んでいった。
◇
「ポッテチ〜♪ポッテチ〜♪」
鼻歌交じりにノヴァはSTELLAを滑らせた。長いツインテールがネオンを反射し、極彩色に煌めいている。しとしとと降り続く雨粒は、STELLAに取り付けた簡易レインカバーによって、ノヴァの体を濡らすことはなかった。
その後ろに、アレックスとリリィは連れ立って歩いていた。結局、リリィの提案で三人全員で夜のマーケットに行くことに決めたのだった。
建物と建物の隙間を走る配管から汚れた雨水が垂れ、高架から落ちてくる雫が路面の油膜を虹色に光らせている。雨に霞んだ頭上では巨大な広告ホロが瞬き、新型のKiroshi、格安の神経治療、合成酒を代わる代わる宣伝していた。こんな時間でも広告だけは眠らない。
アレックスはリリィに差し出された傘に入りながら、ぐちぐちと文句を垂れていた。
「俺別に欲しいもんないんだけど」
「まあまあ。坊ちゃん、たまには良いではありませんか」
リリィはアレックスが濡れないよう、傘を細かく動かしながら口を開く。心なしか、その口調は弾んでいた。
「まあまあ、坊ちゃん」
ノヴァが繰り返すように口にしたセリフに、アレックスのこめかみへ青筋が浮かんだ。
深夜とはいえ、リトルチャイナの通りから人影が消えることはない。軒先では、まだ屋台の油が音を立てている。雨宿りをしながら酒を回している傭兵らしき男たち。その少し先では、路肩に停めた車のボンネットを開け、二人組が何やら揉めていた。
どこか遠くで、銃声が一発鳴った。三人の歩みは止まらない。ノヴァだけが音のした方へ顔を向ける。
「今の近くかな?」
「いや、音からしてそこまで近くないだろ」
アレックスが答えた。リリィも耳を澄ませる。
「三ブロック以上は離れていますね」
「じゃあ問題ないね」
ノヴァはすぐに前へ向き直った。道端で誰かが撃たれようが、企業が新しい商品を売ろうが、明日の朝にはまた別の誰かが同じ場所を歩いている。ナイトシティでは、どちらも同じくらいありふれた出来事だった。
◇
目当ての店は、集合住宅の一階へ無理やり押し込んだような小さなマーケットだった。入口の看板は半分消え、自動ドアも片側が壊れている。アレックスが動かない扉へGorilla Armsの指を掛け、そのまま横へ滑らせた。
「やっぱ便利だね、その腕」
「ドア開けるためにつけてるんじゃないっての」
「帰りは荷物も持てるね」
「……お前の奴隷になるためにつけてるわけでもない」
店内へ入ると、薄汚れた外観とは対照的に、白い照明だけは妙に明るかった。レジでは年老いた店主が椅子に座ったまま眠っていた。ノヴァはそんなことには目もくれず、STELLAを菓子売り場へ滑らせた。
「どこだ、どこだ……」
「売り切れてはいないでしょ。そんな不味そうなの」
アレックスは頭の後ろで手を組んだ。
「なんだと!限定なんだぞ!」
その横で、リリィはアイスクリームの棚を確認していた。
「坊ちゃん。なにか召し上がりますか?」
「いや、俺は……」
「一緒に食べましょうよ」
アレックスは数秒だけ考えると、やがて頷いた。
「うん、一緒に食べよう」
リリィはにっこりと笑うと、アレックスをアイスクリームの棚に招いた。
「どれにしますか?」
「えーっと……」
リリィは迷うことなく、ストロベリー・ミルクのアイスクリームを手に取った。アレックスも棚を眺めた末に、一つを手に取る。
「あたし、チョコミント!」
色とりどりのアイスクリームを眺めていたアレックスの隣に、いつの間にかノヴァがいた。
「ポテチはいいのかよ?」
「スパイシー・ライム・チリ味なくてさー。仕方ないからスーパーコンソメ味にしといた」
ノヴァの膝には、大きなポテトチップスの袋が置かれていた。
「いや、どっちかにしろよ」
「頭脳労働はカロリー使うの。おバカなアレックス君にはわからないかもしれないけどね」
アレックスの眉がひくついた。言い返そうとしたアレックスの声を、大きな物音が遮った。
店の奥、レジのそばで商品棚が倒れる音に、店主が飛び起きた。
「おい! 何してやがる!」
見ると、酒の臭いを纏った男が二人、店主へ詰め寄っていた。一人は頭を剃り上げ、安物らしい光学インプラントを両目に入れている。もう一人の右腕には、身体に合っていない旧式の義肢。その手には、店の商品であろう酒瓶が握られていた。
「何って……こりゃ廃棄品だろ?仕方ねぇから俺たちがもらってやろうってんだよ」
「ふざけんな、返しやがれコソ泥!」
店主の怒号が響いた。
「俺たちに楯突こうとは、いい度胸だなジジイ」
剃り頭の男が懐から拳銃を取り出すと、店主の禿げ上がった頭に突きつけた。
「これは善意で言ってやってんだぜぇ?」
アレックスが小さく息を吐いた。
「……面倒なのがいるな」
「坊ちゃん」
静かなリリィの声。
「分かってる」
ノヴァは遠くからレジを見ていた。
「あれたぶんパワーピストルだね」
アレックスは手にしていたアイスクリームを棚へ戻した。
「喧嘩まで買うつもりはなかったんだけどなぁ」
「仕方ないよ。こんな街だしね」
リリィは隣の通路を抜け、レジの横に並ぶ冷蔵棚の手前へ回った。義肢の男が酒瓶をカウンターへ置くと、そのまま店主の胸倉を掴んだ。
「迷惑料だ!金庫開けやがれ!」
「やめた方がいいよ」
不意にかかった声に、男が振り返る。
「あ?」
アレックスは通路の真ん中に立っていた。
「何だ、ガキ」
アレックスは何も答えずにフードを外した。黒髪の隙間から覗く赤い瞳が、男をまっすぐ見据えた。
「そのへんにしときなって」
男が鼻で笑った。
「ガキが首突っ込んでんじゃねぇよ。痛い目見たくなきゃ失せな」
アレックスはGorilla Armsの指を軽く握り込む。関節部から低い駆動音が鳴った。
「買い物の邪魔なんだ」
剃り頭の男が銃をアレックスに向けようとした。その瞬間、男の視界が暗転した。
「なっ……!?」
「はい、残念」
ノヴァの瞳に薄い光が灯る。
「安物使うのはいいけど、最低限セキュリティくらい更新しなよ」
男は何も見えないまま、銃を握った腕を闇雲に振り回す。アレックスが距離を詰めると、Gorilla Armsでその手首を軽く払い上げた。拳銃が男の手から離れ、床を滑っていく。
アレックスはそのまま足先で銃を通路の奥へ蹴り飛ばした。続けて男の腕を背中へ捻り上げ、カウンターへ伏せさせる。
「このクソガキ!」
義肢の男は店主を突き飛ばすと、アレックスに殴りかかった。大振りの拳。
アレックスは剃り頭の男を押さえたまま身体を半歩ずらしてかわすと、空いているGorilla Armsの掌を義肢の男の胸へ当てた。殴る必要もなかった。腕を伸ばす。それだけで男の身体が床を滑り、背中から冷蔵棚へ叩きつけられた。
ガラスが震え、中のボトルが何本か倒れる。義肢の男が左手でピストルを引き抜いた。
「ぶっ殺してやる!」
銃口が持ち上がる。その時には、もうリリィが目の前にいた。
「……はっ?」
男の手首を掴み銃口を床へ向けると、そのまま関節を返した。悲鳴と同時にピストルが床へ落ちる。
リリィは男を棚へ押しつけると、耳元で静かに言った。
「次に動けば、腕を折ります」
男の動きが止まる。
「……手加減されましたね」
リリィは男を押さえながら、アレックスへ顔を向ける。
「店壊したら俺たちが払うことになるだろ」
「賢明です」
「褒めてる?」
「どうでしょう」
ノヴァがSTELLAで近づきながら感心したように頷いた。
「アレックスにしちゃ上出来だね」
「てめえら……何者だ……?」
棚に押しつけられた義肢の男が呻く。リリィが男を押さえたまま、落ちたピストルを通路の奥へ蹴り飛ばした。カウンターで剃り頭の男を押さえているアレックスが答える。
「夜食買いに来ただけだよ。こうなったのは成り行き」
◇
数分後。二人組の男は店の外へ放り出されていた。NCPDへ通報する者はいない。警察沙汰にすれば、今度は店側が余計なことを聞かれる。その程度のことは、店主も理解していた。
倒れた商品棚を眺め、店主は長く息を吐く。
「助かったよ」
「別に」
アレックスが答える。
「買い物の邪魔だっただけ」
「それでもだ。好きなもん一つ持ってけ」
ノヴァの顔が一瞬で明るくなった。
「マジ!?」
「ノヴァ」
リリィがすぐに釘を刺す。
「別に構わないさ。安い菓子くらい」
「あー、でも……スパイシー・ライム・チリ味もうないんだよね」
「スパイシー・ライム・チリ?」
店主は少しだけ考え込むと、店の奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。その手にはスパイシー・ライム・チリ味のチップス。
「えっ!?なんで?」
「あとで食おうと思って一つ置いといたんだ。こんなんでいいならやるよ」
「やった!いいことしてみるもんだね!」
ノヴァは袋を抱きしめながら、STELLAの上で上体を弾ませた。
◇
店を出る頃には、雨脚も少し弱くなっていた。ノヴァの膝には、念願の限定チップスとNiCola。それと、チョコミントのアイスクリームが置いてある。その他の買い物袋はアレックスが持っていた。
「最近、戦うよりこういうことに使ってる気がする」
「その腕?平和でいいじゃん」
「さっき二人ぶっ飛ばしたろ」
「ナイトシティ基準なら平和でしょ」
その言葉を否定できない辺りが、この街のどうしようもないところだった。三人は雨の中を、来た道へ戻っていく。リリィが差す傘は、相変わらずほとんどアレックスの方へ傾いていた。
「リリィ」
「何でしょう?」
「そっち濡れてる」
リリィの肩は、既に雨で色が変わっている。
「問題ありません」
「いや、問題あるだろ。もっとこっち寄ればいいじゃん」
「大丈夫です。坊ちゃんは昔から体を冷やすとすぐにお風邪をひかれますので」
アレックスは何か言い返そうとしたが、やめた。代わりに少しだけリリィの方へ寄る。傘の中心が、ちょうど二人の間へ戻った。
そのやり取りをノヴァが横目で見ている。
「はいはい」
「何だよ」
「別にー」
STELLAのレインカバーを雨粒が叩く。路面に溜まった水へ、企業広告の赤や青が揺らめいていた。
「ねえ、二人とも」
ノヴァが声を上げる。
「何?」
「帰ったら映画見ようよ」
アレックスが視界の時計を確認する。
「もう二時過ぎてるよ」
「夜食を食べたら就寝すると、先ほど仰っていませんでしたか?」
「えー、いいじゃん!一緒にお菓子食べながら見ようよ!」
「何見るの?」
「見たかったやつあるんだよね」
三人の声が、雨のリトルチャイナへ響く。その横を、雨水を跳ね上げながら車が走り抜けていった。
頭上では相変わらず広告が輝き、どこかではまた銃声が聞こえる。さっきの男たちも、明日になれば懲りずに別の店で似たようなことをしているのかもしれない。ナイトシティは、今日も何一つ変わらない。
ノヴァは膝の上の袋を大事そうに抱え直した。その少し後ろを、一つの傘に入ったアレックスとリリィが歩いている。
そんな夜が明日も来ることを、三人ともまだ疑っていなかった。