Cyberpunk: After Glow — Short Stories 作:AfterGlow
「俺たちの明日に!」
「「俺たちの明日に!」」
「……俺たちの明日に」
高々と掲げたグラスが打ち鳴らされる。
「なんだよアレックス、ノリ悪いな」
「逆になんでそんなテンション高いワケ?大体、俺は酒は……」
「細かいこと言うなって、チューマ!」
ワトソン区、リトルチャイナ。パーム・ビューにあるバー、ライオット。メインフロアでは重低音のEDMが流れ、人々が何かを忘れようとするかのように踊り狂っている。
煙草の煙が立ち込める階段を上った先。バーカウンターの一角を、四人の若い傭兵が占領していた。
事の発端は、数時間前に終わった共同のギグだった。
依頼自体はそう難しくない。倉庫に保管された荷物の回収。ところが依頼人の説明より警備が厳重で、結局ちょっとした銃撃戦になった。ノヴァも遠隔支援で参加し、現場のハッキングを担当するカイと通信を繋いで連絡先を交換していた。
「だから俺は待てっつったんだ」
カイがグラスを置いて言う。
「お前が正面のカメラを潰すまで待ってたら日が暮れちまうだろ!」
オズが反論した。
その横では、レムが静かにグラスを傾けている。
三人とは、今日の仕事で初めて顔を合わせた。
小柄で口の達者なカイ。長身で寡黙なレム。そして、身体も声もでかいオズ。
三人とも独立した傭兵チームのメンバーらしい。
最初は少し警戒していたものの、こうして飲み食いしていると、案外悪い連中ではなさそうだった。
「しかし、お前すげえよな」
オズがアレックスのGorilla Armsへ視線を落とした。
「何が?」
「その腕だよ、腕! あのデカブツぶっ飛ばしたやつ!」
「別に。あのくらい普通でしょ」
「普通じゃねえって! なあ?」
「まあ、確かにな」
カイは腕を組み、大きく頷いた。
「俺らより若いのに、大したもんだよ実際」
アレックスは小さく鼻を鳴らして、グラスへ口をつける。悪い気はしなかった。
普段、こんなふうに同年代の男たちから持ち上げられる機会なんて、まずないことだった。
「そういやさ」
カイが思い出したように言った。
「お前、いつも女二人と一緒にいるよな」
アレックスの手が止まった。
「ほら、紫髪のネットランナーと、眼帯の美人」
「……ああ。リリィとノヴァ?」
「そうそう!」
オズが勢いよく身を乗り出した。
「あの眼帯の姉ちゃん! めちゃくちゃ美人だよな!」
カイが口を挟む。
「何なんだよ、お前ら。どういう関係?」
「どういうって……」
アレックスは少し考えた。家族、仲間。どちらも間違ってはいない。ただ、わざわざ説明するのは少々面倒だった。
「一緒に仕事してるだけだよ」
「へえ」
カイがニヤリと口の端を歪める。
「それで?もうヤッたのか?」
アレックスが勢いよく口に含んだバーボン・シラスコーラを噴き出した。
「……なんて?」
口を拭うこともせず、アレックスはカイをじっと見つめた。
「うっわ、ベタな反応」
カラカラと笑うと、カイは手に持ったエールを飲み干した。
「いや、だってさ。あんな美人と毎日一緒にいるんだろ? 何もないワケ?」
「何って……」
「羨ましいよなあ」
オズが天井を仰いだ。
「俺もあんな姉ちゃんと一緒に暮らしてえなあ!」
「お前はまず部屋を片付けろ」
レムが呆れたように言うと、再び笑い声が上がった。
アレックスもつられて笑った。けれど、どこか面白くなかった。リリィが美人なのは知っている。強くて、優しくて、料理も上手い。それをこいつらに教えてやったっていい。ただ、何も知らない連中に、勝手に羨ましがられるのは、何となく気に入らなかった。
「で、どうなんだよ?」
オズが尋ねる。
「どうって……」
「ま、あんな美人お前にどうこうできるとも思わねえけど」
目の前に運ばれてきた新たなボトルに口をつけながら、カイが声を落とした。
「はいはいはい!じゃあ、今度俺誘っちゃおうかな!」
芝居がかった動作で手を挙げ、オズが高らかに宣言する。
「ダメだ」
返事は、思いのほか早く出た。
カイが眉根を持ち上げる。
「何で?」
「いや、別に」
「何だよ。お前の女じゃねえんだろ?」
「…………」
アレックスはグラスを見下ろした。もう何杯目だったろう。頭は心地のいい浮遊感に包まれ、頬は火を点けたように熱い。それに、さっきからカイの勝ち誇ったような顔が気に入らない。後で言い訳を並べるとしたら、ざっとこんなところだろう。
「……リリィは俺のだよ」
言ってしまった。
一瞬、四人とも水を打ったように静まり返った。メインフロアから聞こえてくる音楽だけが、鼓膜を激しく鳴らしている。
「「「…………は?」」」
カイが目を丸くし、レムが顔を上げる。オズは口に運びかけていたブリトーを止めた。
そして三人の視線が、一斉にアレックスへ集まる。
「……お前の?」
「そう。俺の」
アレックスが手にしたグラスの中で、溶けた氷がからん、と音を立てた。
「……いや、いやいやいや」
カイが手を左右に振った。
「嘘つかなくていいって、だってお前どう見ても……」
アレックスはグラスの酒を一息に飲み干すと、カイの発言を遮るように大きな音を立ててカウンターに置いた。グラスにひびが入る。
「……どう見ても、何?」
「……いや、何でもない……」
「リリィはなぁ。俺がいないと寂しくて眠れないんだよ」
酒臭い息を吐き出しながら続ける。
バーテンダーはそそくさとグラスを引き取ると、新たに酒を注いだグラスをアレックスの前に置いた。
「おい、ちょっと落ち着……」
「まあまあまあ。いいじゃねえか」
諫めようとしたレムの口を、オズが慌ててふさいだ。
「つまり何だ?お前じゃなくて、向こうが惚れてるって言いたいのか?」
ひったくるように手に取ったグラスを呷る。安い酒と、場の空気に当てられたアレックスの口は止まらない。
「そういうこと。もうメロメロ」
グラスの中身は、すでに空になっていた。
「メロメロって……」
噴き出すのを堪えながら、カイが呟いた。
「ノヴァなんて、妹みたいなもんさ。普段は生意気だけど、なんだかんだ俺を頼ってくるからね」
「へぇ。ああ、そう」
レムと、それに続いて二人が冷めた目でアレックスを見つめる。
「んだよその顔。信じてないだろ」
「いや、信じるも何も……」
「……見せてやる」
「え?」
アレックスは勢い良く立ち上がる。その膝ははっきりと揺れていた。
「明日、リリィとデートするから。カブキのマーケットだ。見に来い!」
三人はしばらく呆気にとられた後、やがて大きな声で笑い出した。
「オーケー。嘘ついてたら一杯奢りだぜ。逃げんなよ?」
カイが涙を拭いた。
「そっちこそ。一番高い酒飲んでやるからな」
アレックスが張り上げた大きな声は、店に響き渡る音楽に飲まれて消えた。
◇
「……ゔっ」
翌朝、割れるような頭の痛みが、アレックスの目を覚ました。窓から差し込む朝日がやけに煩わしく、乾いたのどは呼吸のたびに張り裂けそうに感じた。
「……あれ?俺……」
枕もとに置いてあった水差しを手に取ると、精製水をグラスに注ぐ。
「何か、大事なことを忘れてるような……」
水を一口飲んだその時、アレックスはグラスを取り落とした。中にわずかに残った水がこぼれ、カーペットにシミを作る。
「……あ」
昨日の発言が、徐々に脳裏によみがえってくる。
『……リリィは俺のだよ』
『リリィはなぁ。俺がいないと寂しくて眠れないんだよ』
『そういうこと。もうメロメロ』
アレックスの額を、冷たくへばりつくような汗が流れ落ちる。
「ああああああぁ……」
アレックスはへなへなと床にへたり込み、両手で頬を挟んだ。
「やっちゃった……。どうしよう……」
夢であってくれ、と願うように、視界UIを開く。そこにはカイからのメッセージが入っていた。
『昨日はおつかれー。今日楽しみにしてるぜ!』
「夢じゃ……ないよなぁ」
深く息を吐き、項垂れる。五分ほどそうしていただろうか。やがてアレックスは立ち上がると、一件のホロコールをかけた。
『もしもし、俺だけど。うん。実はちょっと相談したいことが……え?いや違うって……』
ワードローブから上着を取り出して羽織り、洗面所に向かう。歯を磨き、髪を梳かしてから玄関に向かった。
『うん。……うん。そう。じゃあ、トムズダイナーで』
そう言って昨晩脱ぎ散らかした靴を履き、玄関から外に出た。その後ろ姿を、小さな影が見つめていることに気づかないまま。
◇
「……なんでノヴァがいるんだよ」
「なに?あたしがいちゃまずいことでもあるわけ?」
トムズダイナーのテーブルには、先ほどホロコールをかけたレジー。そして、なぜかノヴァが座っていた。
アレックスは視線を落とした。
その様子を見かねたレジーが口を開いた。
「で、坊主。なんなんだよ相談って」
「いや、ノヴァがいたら話しづらいっていうか……」
昨夜の醜態が脳裏をよぎる。
「……リリィはなぁ。俺がいないと寂しくて眠れないんだよ」
おもむろに口を開いたノヴァに、アレックスが固まる。
「もうメロメロ」
俯いた顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。
「ノヴァなんて、妹みたいなもん……」
「なんで知ってんだよ!」
耐えきれず声を荒げたアレックスを冷えた目で見ながら、ノヴァは合成ポテトを一口齧った。
「昨日のギグでカイと連絡先交換したの。今朝、あいつから連絡来たんだよ」
レジーは二人を交互に見つめると、やがて息を吐いた。
「大方、酒の席での失敗ってところだろ。ある事ないこと言っちまって引くに引けないとか……」
ぴたりと言い当てたレジーを複雑な面持ちで見つめながら、アレックスはテーブルに着いた。
「うん……。どうしよう。今日リリィとデートしてるとこ見せるって言っちゃった……」
それを聞いたレジーは顎に手を当てた。
「なるほどな。俺も経験あるぜぇ。……あの時は本当に死ぬかと思った……」
遠い目をしながら、コーヒーを一口すする。
「……どうすればいいと思う?」
「どうするも何も、全部嘘でしたって言って謝るしかないじゃん」
ノヴァが口を挟む。
「いやいやいや……。そりゃあちょっと酷だろ。いいか、お嬢ちゃん。男ってなぁ、メンツの生き物なんだ。そんなこと言っちまうのは、アラサカとミリテク相手に一人で戦争仕掛けるようなもんだぜ。だろ?坊主」
アレックスは、力なく頷いた。
「……あっそ」
ノヴァは心底興味がなさそうにグラスに入ったクロノマンティコアへ口をつける。
レジーは所在なさげに手を揉むアレックスに視線を投げた。
「……安心しろ坊主。俺にいい考えがある」
そう言って、人差し指を立てたレジーをアレックスは不安そうに見つめていた。
◇
「お出かけ……ですか?」
「うん。……ダメ?」
アジトに戻ったアレックスはリリィに声をかけていた。
『いいか、坊主。嘘をついてにっちもさっちも行かなくなった時は……嘘じゃなくしちまえばいいのさ』
脳裏に、ダイナーでのレジーの言葉が響く。
「ダメではありませんが、どちらへ?」
『デートに誘っちまえ。なに、適当に仲良さげな所見せりゃ奴らも納得すんだろ。あ!ホロコールは繋いどけよ。近くで見ながらアドバイスしてやっから』
「カブキ!なんか無性にKNJ'sのバーガーが食べたくなっちゃってさ」
リリィは少しだけ考えるように顎に手を当てた後、アレックスの顔を見ながら微笑んだ。
「いいですね」
アレックスは安堵の息を漏らした。
「ではノヴァにも声を……」
「ちょちょっ、ちょっと待って!」
ノヴァの部屋に向かおうとするリリィを慌てて制する。
「いや……その……ノヴァは忙しいってさっき言ってた!」
もちろんノヴァには事前に協力を要請してある。だが、口から出た言葉は存外言い訳がましいものになった。
「分かりました。では、二人で行きましょうか」
「……うん!」
アレックスは元気よく頷いた。
◇
カブキ・マーケットの喧騒の中、二人はKNJ'sの店先にいた。
そのすぐ近く、店に向かって右側にはレジーと、専用ホバーチェアSTELLAに乗ったノヴァ。
「……しかし、お前さんまで来なくてよかったんじゃねえか?アレックスにムカついてたろ」
「当たり前じゃん。こっちは恥かいてんだから、せめて笑わせてもらわないとね」
「……おまえも大概いい性格してんな」
逆の左側には、カイ、レム、オズがそれぞれ身をひそめていた。
「おい、押すなよ」
「狭いんだよ」
「見えねえぞ!」
小声で言い争う三人。物陰からでは、二人の様子は十分には見えない。ハックできるような監視カメラもなかった。
そんな三人を視界の端にとらえながら、アレックスはバーガーを頬張った。
「うまい」
「ええ。久しぶりにいただきましたが、悪くありませんね」
「でしょ?」
得意げに頷いたその耳元に、通信越しの声が響く。
『いいか坊主。まずは自然に距離を縮めろ』
「自然にって……」
アレックスは椅子を持ち上げた。リリィのそばに近寄ると、椅子を下ろす。
「……坊ちゃん?」
レジーは天を仰ぎながら、片手で目を覆った。ノヴァは口を押さえて、必死に笑いをこらえている。
「いや……なんか遠いかなって……」
「……」
言い訳を探すアレックスの頬へ、リリィがそっと手を伸ばした。
二人の顔が近づく。
普段なら気にもしないその行動に、アレックスの鼓動が跳ねる。ぎゅっと目を閉じた。
リリィはハンカチで、アレックスの頬をそっと拭った。
「……ケチャップがついておりましたよ」
「ケチャップ?……ああ、ケチャップね」
見ると、リリィのハンカチに赤いケチャップがついている。
「おい、見たか!?」
「今キスしたんじゃねえのか!?」
「見えねえ!」
三人は物陰で、小声のまま大騒ぎしていた。
『よし坊主! 上出来だ!』
レジーの声に、アレックスは小さく拳を握った。
「……坊ちゃん?」
「な、何?」
「先ほどから、どなたかとお話しされているのですか?」
「……いや、別に?」
リリィは一瞬だけアレックスの顔を見つめた。
「……そうですか」
それ以上は何も尋ねず、彼女は小さく微笑んだ。
◇
バーガーを食べ終えた二人は、マーケットをぶらぶらと歩いていた。雑多な露店が並ぶ通路には、客を呼び込む威勢のいい声と、商品を値切る客の怒鳴り声が飛び交っている。
「……で、次は?」
アレックスが小声で呟く。
『いい調子だ。あいつらもすっかり信じ込んでるぜ。』
レジーは上機嫌を通り越して、すっかり調子に乗っていた。
『次で決めるぞ。そこのホテル入れ』
「……は?」
『ぶふっ』
ノヴァが吹き出した。
『なんだよ。恋人同士なら当たり前だろ?なに。別にヤれってんじゃねえ。適当なところであいつらは俺が連れてってやるよ。……まあ、そのまましけこんでもかまわねえが……』
「ちょ、ちょっと……」
『男なら腹括れ!』
『チャンスじゃーん。頑張んなアレックス』
二人はそれきり黙り込んだ。ホロコールは繋がったままだ。
アレックスは隣を歩くリリィを見上げた。いつもと変わらない、涼しげな横顔。目の前には、けばけばしいネオンを灯したホテルの入口があった。アレックスは思わず足を止めた。顔が茹で上げられたように赤くなる。アレックスは深く息を吸い込んだ。
「……坊ちゃん?」
「な、何?」
突如投げかけられた言葉に、心臓が早鐘を打つ。
「どうかされましたか?」
微笑んだリリィが、アレックスの顔を覗き込んだ。金色のピアスが揺れる。
「今日は、少し落ち着きませんね」
「そ、そんなことないって!」
リリィは何か言いたげに小首を傾げたものの、それ以上追及することはなかった。
その少し後方。三人の若い傭兵が、露店の陰から二人を覗き込んでいた。
「おいおいおい、あいつらホテルの前で止まったぞ!?」
「押すな押すな!」
「だから見えねえって!」
カイが身を乗り出す。
「いや、マジでそういう仲なのか、あいつら……」
オズがカイの肩越しに頭を突き出した。
「おい、押すなって!」
「お前がどけよ!」
「二人とも、いい加減に……」
レムが口を挟んだ、その時だった。
「……あ」
オズの背中が、露店の商品棚にぶつかった。不安定に積み上げられていた缶詰が、雪崩を打って崩れ落ちる。
「うおっ!?」
「馬鹿! 何やってんだ!」
「お前が押すからだろ!」
床に転がった缶詰が、通行人の足元を縫うように散らばっていく。
「おい! 何してくれてんだ、このクソガキども!」
店主の怒声が響き渡った。
アレックスが振り返る。
「……え?」
見覚えのある三人が、崩れた商品棚の前で揉み合っていた。
「……何やってんの、あいつら」
「坊ちゃん、危ないですよ」
リリィがアレックスの肩を抱き、転がってきた缶詰を避けるように脇へ引き寄せる。
「……あ、うん」
アレックスは一瞬だけ、ほっとした。これでホテルに入らずに済む。それに、この騒ぎなら自然に三人と合流できるかもしれない。
「お、おーい! 何してんの、こんなところで!」
わざとらしく声を張り上げる。
カイが顔を上げた。
「……アレックス?」
「いやー、偶然だな! こんなところで会うなんて!」
「…………」
カイとレムが顔を見合わせる。
その横から、オズが勢いよく立ち上がった。
「おお! アレックスじゃねえか!」
「お、おう。奇遇だな!」
「いやあ、しかしお前、すげえな!」
「……何が?」
オズは満面の笑みで、アレックスの肩を叩いた。
「昨日言ってたこと、マジだったんだな! ほんとにあの姉ちゃん、お前にベタ惚れじゃねえか!」
「…………」
アレックスの笑顔が固まった。
カイが口を開けたまま、動きを止める。レムは静かに目を閉じた。その時、耳元でレジーの声が響いた。
『……こりゃまずい』
「……坊ちゃん?」
背後から、柔らかな声が聞こえた。
振り返ると、リリィがいつもどおりの微笑みを浮かべている。
「昨日のお話、ですか?」
「…………」
「それに……ベタ惚れ、とは?」
アレックスは答えなかった。答えられなかった。
少し離れた露店の陰では、ノヴァがSTELLAの上で腹を抱え、背を丸めていた。
◇
「……あの、リリィ」
「はい?」
「その……これは、ちょっとした誤解っていうか……」
アレックスは助けを求めるようにカイへ視線を送った。
カイは小さく首を横に振り、レムは目を逸らした。オズだけが、相変わらず満面の笑みを浮かべている。
「昨日は正直、ホラ吹いてんのかと思ったぜ!」
「オズ! お前ちょっと黙れ!」
カイが慌てて制止する。
しかし、時すでに遅かった。
「……ホラ?」
リリィが小さく首を傾げた。
「……坊ちゃん。昨日、何をお話しされたのですか?」
「…………」
アレックスは俯いた。
「いや、だから……その……」
「リリィは俺の女だ、って言ってたぜ!」
「オズ!!」
カイの悲鳴が響いた。
「それに、あの姉ちゃんは自分がいないと寂しくて眠れないって……」
「やめろって言ってんだろ!!」
カイがオズの口を塞ぐ。
アレックスはその場にしゃがみ込んだ。
「……殺して」
リリィはしばらく考え込むように口元へ指を添えていたが、やがてアレックスの前に屈み込んだ。
「坊ちゃん、嘘はいけませんね」
「…………はい」
消え入りそうな返事に、リリィは小さく息を吐いた。
その時だった。
「ぶっ、あはははははは!!」
とうとう我慢できなくなったノヴァが、STELLAを滑らせて露店の陰から姿を現した。
「ノヴァ!? おい、出てくんなって!」
「もう黙って見てらんないって! いやー、最高だったよ。おにーいちゃん♡」
「やめろぉ!!」
リリィが驚いたように目を丸くする。
「そうそう。ちなみに、今日のデートはレジーの入れ知恵だから」
「おい、ノヴァ!?」
続いて姿を現したレジーが、慌てて声を張り上げた。
「いや、待て待て! 俺はあくまで坊主のメンツを立ててやろうと……」
「ホテルに入れって言ったのもレジーだよ」
「ノヴァ!!」
リリィの視線が、ゆっくりとレジーへ移った。
「……ホテル?」
「い、いや! 違うんだリリィ! ただ入るふりをすりゃいいって話でな! 別に変な意味じゃ……!」
「感心しませんね。いい大人が……」
極めて理性的に放たれたその言葉が、レジーの心をえぐった。
アレックスは両手で顔を覆った。
レムは黙って店主に散らばった商品の代金を支払っていた。
「……なるほど」
リリィが静かに頷いた。
「ようやく分かりました。今日、坊ちゃんの様子がおかしかった理由が」
「……ごめんなさい」
アレックスは顔を上げないまま答えた。
「全部、嘘です……。俺が調子に乗って……」
「そうですか」
リリィはそれ以上責めなかった。代わりに、少しだけ寂しそうな顔をして尋ねた。
「それでは、坊ちゃん」
「……何?」
「今日、私と二人でお出かけになりたかったのも、嘘だったのですか?」
「…………」
アレックスが顔を上げる。
リリィはじっと彼を見つめていた。
「……それは」
言葉が喉につかえる。昨日の約束を取り繕うためだった。だが、今日の外出が嫌だったかと聞かれれば、決してそんなことはない。
「……嘘じゃ、ない」
小さな声だった。
「……リリィと出かけるのは、楽しいし……」
「…………」
「……だから、その……」
「おおおおおお!!」
突然、オズが雄叫びを上げた。
「お前! やっぱ惚れてんじゃねえか!!」
「うるさい!!」
アレックスは、今度こそ本当に消えてしまいたかった。
その様子を見て、リリィが小さく笑う。
「……ありがとうございます、坊ちゃん」
「…………」
「私も、楽しかったですよ」
そして立ち上がると、アレックスへ手を差し伸べた。
「では、せっかくですから……」
「……え?」
「デートの続きをしましょうか?」
一瞬、辺りが静まり返った。
「……おいおい、マジかよ」
カイが口笛を吹いた。オズはこれ見よがしに拍手を始め、レムまで堪えきれずに噴き出した。
「リ、リリィ!? いや、だから、その……!」
「嫌ですか?」
「……いや、嫌じゃないけど……!」
「では、参りましょう」
リリィはにっこりと微笑むと、アレックスの手を取った。そのまま、何事もなかったかのように歩き始める。
背後からは、ノヴァの笑い声と、三馬鹿の冷やかしがいつまでも聞こえていた。
「……リリィ」
「はい?」
「……絶対、わざとでしょ」
「……何のことでしょう?」
リリィは答えず、ただ楽しそうに微笑んでいた。