午前の稽古がひと段落すると、決まっていつもの面々が集まった。
食堂のテーブルを囲むように、グレイの正面にニナ、隣にアイシャ、そしてジノが腰を下ろしている。中央の木鉢に盛られているのは、アイシャが給仕の手伝いの合間に作ってくれた豆と干し肉の煮込みだ。
湯気の立つ木鉢を前にして、グレイは密かに眉をひそめた。
「グレイお兄ちゃん! ちゃんと食べないと」
アイシャが木スプーンを握り直し、隣からジッとグレイの小鉢を覗き込んでくる。鉢の端に寄せられた小さな緑色の豆を見逃す気はないらしい。
「いいかアイシャ、この緑の豆は食べなくても強くなれるんだ。実際、俺はこの場なら一番強い」
「グレイ……せっかくアイシャちゃんが作ってくれたんだから、食べた方がいいよ」
ジノが苦笑しながら、自分の鉢から豆を口へ運んだ。咀嚼するジノの様子を横目で見やり、グレイは木剣の柄に手を置く真似をする。
「ジノ、それなら今から試合をしようか。食べられるお前と、食べられない俺。どっちが正しいか証明しようぜ」
「でも、お父さんは食べてたと思うから、食べた方が強くなるんじゃない?」
正面で小鉢を抱えたニナが、悪戯っぽく口元を緩めた。
「……ニナさん。どうでしょうか、この前の剣について教えるので」
「……あーん、してあげましょうか?」
そう言うと、ニナは自分の木スプーンでグレイの小鉢から豆をすくい上げ、正面からすっと身を乗り出して口元へ突き出してきた。
突然の距離感と予期せぬ行動に、グレイは「っ……」と息を呑み、わずかに頬を朱に染めて後ずさる。
「ニナさん! グレイお兄ちゃんを甘やかさないでください!」
アイシャが頬を膨らませて割って入り、食堂に小さな笑い声が広がった。
◆
昼食を終え、午後の稽古へと戻った三人は、そのまま本堂へと呼び出された。
広い道場には、すでに聖級以上の身分を持つ上位の剣士たちが居並び、独特の静けさが満ちている。
奥の上座に胡坐をかいていたガル・ファリオンが、重々しく膝を叩いて立ち上がった。
「よし、揃ったな」
ガルは太い眉を上げ、目の前に並ぶ三人を見回した。
「お前ら三人、そろそろ『光の太刀』を習得してもいい頃合いだ」
ジノとニナの顔つきが変わる。二人はすでに最高峰の技の軌道を目にしたことがあったが、グレイにとっては初耳だった。
ガルが自らの愛刀の柄に手をかける。
次の瞬間、空気が引き絞られるような感覚すらなく、世界が一瞬だけ跳んだ。
視界を横切ったのは、一筋の閃光。
刃が鞘から抜かれ、収められるまでの過程が完全に削ぎ落とされていた。道場の一本柱に深く刻まれた斬痕を見て、グレイの背筋を冷たいものが駆け抜ける。
「技術は申し分ねえ。あとはこの『光の太刀』さえ覚えりゃ、三人とも聖級に上げてやる」
ガルは無造作に鼻を鳴らし、道場を去りながら背中越しに言い放った。
「ただし、やり方は自分なりに模索しろ。型をなぞるだけじゃ出ねえぞ。……まあ、お前らならすぐできるだろ」
その夜。
静まり返った稽古場の中央に、一人木剣を握り、目の前の標的を見据えるグレイの姿があった。
昼間見せられたあの技は、「見えた」というよりも「感じ取った」と言う方が正しい。
先生があえて教え込まず「自分なりに模索しろ」と言った理由。三人で話し合わせなかったのは、各自が自身の身体感覚に落とし込んだ方が習得の早さに明確な違いが出るからだ。先生はその差を見たいのだろう。
(闘気を集中させ、一気に解放して斬る……感じ取ったのはそれだ)
グレイは深く息を吐き、静かに木剣を構えた。
(今はゆっくりでいい。闘気を圧縮し、研ぎ澄ませる。自分自身の感じる時間すらも——)
体内の感覚が極限まで静まり返っていく。
沈黙を破り、鞘に見立てた腰元へ左手を添え、右手を柄へと滑らせる。
その瞬間、グレイの双眸が鋭く細められ、標的の一点を射抜くように捉えた。世界から余計な雑音が削ぎ落とされ、視界のすべてがただ一点に収束する。
踏み出した拍子に、世界が引き伸ばされた。
視界が切り替わった時には、グレイはすでに標的の後ろへ通り抜けていた。
一瞬の遅れを置いて、目の前の標的がゆっくりと斜めに滑り落ち、地面へ倒れ伏す。
グレイは握りしめた木剣を見つめ、思わず声が漏れた。
「よしっ!」
手応えはあった。できた。
——だが、すぐにグレイは首を横に振る。
「……先生は、こんなもんじゃなかった」
闘気を練り上げる時間も、解放の速度も、全てが次元違いだった。自分の放った一撃など、まだガルの足元にも及ばない。
けれど、グレイの口角は自然と上がっていた。
まだ上がいる。自分は、もっと強くなれる。
翌朝。
本堂の引き戸を開け、中へ足を踏み入れたグレイの姿を捉えるなり、奥に座していたガル・ファリオンは口元をニカッと歪めて笑った。
昨日までの気配とは一線を画す、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを一目で見抜いたのだ。
「グレイ、今日から聖級を名乗れ。今から、俺様の直弟子だ。覚悟しとけ」
「……いいんですか? 実技を見なくて」
「見なくても分かる。最初はお前だと思ってたが、苦戦しなかったようだな」
ガルは無造作に鼻を鳴らし、満足そうに腕を組んだ。
それから少し遅れてジノとニナも『光の太刀』をものにし、三人は揃って聖級剣士へと肩を並べることとなった。
◆
ミリス神聖国の都ミリシオンの酒場で、奇跡的な再会を果たしていた親子がいた。
旅の疲弊を漂わせながら現れたルーデウスの顔を、男がまじまじと見つめる。
「ルディ……か?」
「父様は随分ヒゲが伸びましたね」
ルーデウスのその言葉を聞いた瞬間、パウロは感極まったように力いっぱいルーデウスを抱きしめた。
生きていた。無事だった。成長し、頼もしくなった我が子が目の前にいる。
「よかった……よかった……」
パウロの胸の中で、ルーデウスは周囲を見回した。酒場に居合わせたパウロの捜索隊の仲間たちが、ニヤニヤと温かい視線を送ってきているのが少々恥ずかしい。
だが、何度も「よかった」と呟く父親の身体の温もりに触れ、ルーデウスもそっと腕を回して抱き返した。
「そんなに寂しかったですか? 父様」
「バカ言え……」
パウロは袖で粗雑に目元を拭うと、息を整えてルーデウスに向き直った。
転移のあの日から今日まで何をしていたのかと問われ、ルーデウスは魔大陸での冒険やエリス、スペルド族のルイジェルドとの旅路を、まるで滑稽な冒険譚のように語ってみせた。
それをじっと聞き終えたパウロは、深く溜息をつきながら苦笑いを浮かべる。
「ルディも、死に物狂いで頑張ってたんだな……。でもまあ、ギルドに顔出すなら、俺が出した伝言くらい読んで欲しかったがな」
「すいません、そこまでの余裕がなくて……」
「大丈夫だ。あの混乱だ、転移で誰もが自分のことで精一杯になるさ」
パウロはルーデウスの肩をポンと叩き、どこか誇らしげに表情を緩めた。
「そうだ、お前に報告がある。グレイとアイシャの所在と無事は確認できてる」
「ふたりが見つかったんですか!?」
ルーデウスは目を大きく見開いた。
脳裏に浮かんだのは、この異世界で初めてできた大切な友達の顔だ。まだ幼かった頃、引きこもりがちだった自分を見つけると、屈託のない笑顔で駆け寄ってきてくれたあのグレイの姿が鮮明に思い出された。
「あぁ。どうやら二人で一緒に飛ばされたらしくてな。雪山に落ちたそうだが、グレイがアイシャを庇って連れ出し、今は剣の聖地で修行中らしい」
「そうなんですか……グレイが……」
アイシャを守り抜き、前を向いて剣を振るっているグレイの無事を知り、ルーデウスは心の底から安堵のため息を漏らした。
「俺の息子と弟子は、本当に立派だよ。飛ばされて、誰かのために動けるんだからな。ルディが見つかって、後は母さんとリーリャだけだ。お前はこれから、お嬢様を送り届けるんだろ?」
「はい。フィットア領へ送り届けた後、母様たちの捜索に当たろうと思います」
「分かった。しっかりと届けてやるんだぞ。……それと、行く前にノルンに会っていくか?」
「そうですね。僕の事を覚えてるか不安ですが」
「まぁ、ルディと離れた時はまだ小さかったからな。……でも、グレイのことはしっかり覚えてたぞ」
その言葉を聞いた瞬間、ルーデウスはぴたりと動きを止めた。
脳裏をかすめるのは、幼いノルンがグレイに懐いていた記憶の断片。兄である自分よりも、頼もしく成長したグレイの方に懐かれている未来の光景が勝手に脳内を駆け巡り、冷や汗が背中を伝う。
「まさか、グレイはすでに兄の座を自分の物に……?」
顔面を蒼白にさせるルーデウスを見て、パウロは面白そうに口元をニヤリと歪めた。
「しっかりしないと、お兄ちゃんの居場所をとられるかもしれないぞ?」
ルーデウス
「今日は父様と再会しました」
ルイジェルド
「そうか、それはよかったな」
ルーデウス
「しっかりとルイジェルドさんに助けられた事も報告したので、スペルド族の汚名改善にも繋げました!」
エリス
「それでいつもより機嫌がいいのね」
ルーデウス
「はい。それにグレイと妹達の無事も確認できたので」
エリス
「グレイって誰よ?」
ルーデウス
「俺がブエナ村にいた時に、父様に剣を教わってた友達ですよ」
エリス
「剣士? 強いのそいつ?」
ルーデウス
「今は分かりませんが……俺がエリスの所に向かった時は、まだ初級だった気がします」
エリス
「それなら、弱いわね!」
ルーデウス
「でも、今は剣の聖地で修行をしているようで」
ルイジェルド
「剣の聖地か……それなら昔よりは強くなっているだろう」
エリス
「絶対に私は負けないわ!」
ルーデウス
「(どうして会ったこともないのに張り合うんですか……)」