今回いつもより長くなりました。
聖地の自室、その外にある庭先。
グレイは剣を脇に置き、自身の右手を前に掲げていた。
掌を地面に向け、意識を集中させる。
やがて、その手の下から土がゆっくりと盛り上がり始めた。
土は形を変えながら広がり、人が横になれるほどの幅を持った足場へと変化していく。
ただ平らにするのではない。身体を預けられるだけの強度を保ちながら、踏み込んだ際にはしっかりと体重を支えられる土台。
完成した足場を確かめるように、グレイはその周囲を歩いた。
(……悪くないな)
ジノとの、あの一戦。
あれをきっかけに、グレイの戦い方は少しずつ変わっていた。
それまでは剣神流の型にこだわり、真正面から相手の攻撃を受けて立つことが多かった。
剣速や技量を磨き、相手の剣を正面から打ち破る。
それが剣神流の剣士として当然の在り方だと考えていたからだ。
しかし、ジノの光の太刀を前にして、それだけでは勝ちきれない領域があることを思い知らされた。
それからは、相手との間合いを慎重に測り、攻撃の届く範囲と届かない範囲を見極めることを徹底した。
無理に攻め込むのではなく、相手の動きを予測し、勝機を拾っていく。
時には一歩退き、時には相手の攻撃を誘い、確実に自分が有利になる状況を作り出す。
泥臭くとも、生き残るための戦い方だった。
その結果、ジノとの勝負でも負け越すことはなくなった。
もちろん、勝ち続けているわけではない。
先生の見立てでは、今の二人の実力は拮抗しているらしい。
剣速ではジノに分があり、予測や技術ではグレイが上回る。
互いに異なる強みを持っているからこそ、勝敗は簡単には決まらなかった。
そして、今。
グレイは新しい可能性を探っていた。
剣だけにこだわる必要はないのではないか。
そう考えるようになったのだ。
聖地に来てからというもの、彼は剣術の鍛錬に多くの時間を費やしてきた。
剣聖の位を得て、先生の直弟子として修行を続ける中で、剣の技術は確実に磨かれている。
しかし、だからといって剣以外の可能性を捨てる理由にはならない。
思い返すのは、ルディに教わった無詠唱魔術だった。
転移事件が起きる前、グレイは彼から魔術の基礎を教わっていた。
当時は剣の鍛錬と並行して覚えていた程度だったが、雪山での遭難を経験したことで、その有用性を改めて実感した。
あの時も、土魔術で足場を作り、火魔術で暖を取った。
剣だけではどうにもならない状況で、魔術が命を繋いでくれたのだ。
ならば、剣術と魔術を組み合わせればどうなるだろうか。
例えば、今作った足場。
ただ地面を盛り上げるだけなら、戦闘において大した意味はない。
だが、相手の踏み込みを妨害したり、自分の足場を変化させたりすれば、剣術の補助として十分に使えるはずだ。
現在、無詠唱で扱えるのは土、火、水の三種類。
それ以外の魔術は詠唱が必要になるため、実戦で使うにはまだ課題が残っている。
そもそも、今の段階では魔術を戦闘に組み込めるほどの実戦レベルには達していない。
魔術の発動速度や精度、剣術との連携など、試さなければならないことは多い。
それでも、試してみたいことは次々と浮かんでくる。
(剣と魔術か……)
考えるだけで、自然と気持ちが高揚してくる。
新しいことに挑戦するのは、いつだって楽しい。
剣術の鍛錬とはまた違った難しさがあり、思い通りにいかないことも多い。それでも、少しずつできることが増えていく過程には、確かな楽しさがあった。
グレイは作り上げた土の足場を見つめながら、次に試す方法を考え始めた。
「グレイお兄ちゃん!」
背後から聞き慣れた声が届いた。
振り返ると、アイシャがこちらへ歩いてくるところだった。
両手にはお盆を持ち、その上には茶菓子と二人分のお茶が用意されている。
「アイシャ。どうしたの?」
「そろそろ休憩した方がいいと思って。お茶を持ってきたの」
「ありがとう。ちょうど一息つこうと思ってたところだよ」
グレイは手に付いた土を払い、剣を片付けると、アイシャと並んで縁側へ向かった。
二人で腰を下ろし、用意されたお茶を口に運ぶ。
温かいお茶が喉を通り、鍛錬で少し熱を持った身体を落ち着かせていく。
アイシャが持ってきてくれた茶菓子も、ほどよい甘さで美味しかった。
聖地での生活にも、アイシャはすっかり馴染んでいた。
最初の頃は慣れない環境に戸惑うこともあったが、今では給仕の仕事をこなし、料理の手伝いまで任されるようになっている。
最近では、簡単な料理なら一人で仕上げることもあるらしい。
それだけではなかった。
聖地では日々の鍛錬で怪我をする者も少なくない。アイシャはそうした者たちの傷の手当ても手伝うようになっていた。
治癒魔術を教わると、驚くほど早く使いこなせるようになったという。
今では簡単な怪我なら、自分で治癒魔術をかけられるまでになっていた。
料理も手当ても、誰かに教わったことをすぐに吸収してしまう。
その働きぶりは先生であるガルからも評価されていた。
以前などは、アイシャの仕事ぶりを見たガルが、酒を片手に
『剣でもやらしてみるか!』
などと言い出したこともある。
冗談だとは思う。
思うのだが、あの先生の場合、本気で言っている可能性も否定できない。
「最近は色んなことを任されてるみたいだね」
「うん。お料理も楽しいし、怪我をした人のお手伝いもできるから」
「治癒魔術まで覚えたんだって?」
「ちょっとだけだよ。まだ簡単な傷しか治せないけどね」
そう言って笑うアイシャに、グレイは感心したように目を向けた。
「それでもすごいよ。色々覚えるのが早いね」
「えへへ」
アイシャは少し照れたように笑った。
「でも、あんまり頑張りすぎないでね。疲れたらちゃんと休むんだよ」
グレイがそう言うと、アイシャは少しだけ目を丸くした。
それから、嬉しそうに顔をほころばせる。
「グレイお兄ちゃんのためだもん」
その言葉に、グレイは一瞬返事に迷った。
アイシャは何でもないことのように、お茶を口に運んでいる。
その横顔を見つめ、グレイは小さく笑った。
アイシャ自身も、今の生活に不満はなさそうだった。
何より、以前よりも笑顔を見る機会が増えた。
それがグレイにとっては嬉しかった。
ふと、部屋の中に置いてある手紙のことを思い出す。
先日、パウロ師匠から返事が届いたのだ。
内容によれば、リーリャさんやゼニスさんは、まだ見つかっていないらしい。
ただ、ルディとは無事に再会できたとのことだった。
それだけでも、少し安心できる知らせだった。
一方で、グレイの両親については、依然として何の情報もない。
生きているのか、それとも既に命を落としているのか。
現状では判断できないとのことだった。
(……まだ、何も分からないか)
胸の奥に小さな重みが残る。
それでも、今は焦っても仕方がない。
まずはアイシャを無事に家族のもとへ送り届ける。
その後は、自分も捜索に加わるつもりだ。
今まで自分を助けてくれた人たちのためにも、できることはしたい。
「グレイ」
不意に、別の声が二人の間に割って入った。
顔を上げると、庭の入口にニナが立っていた。
「ニナ、どうしたの?」
「お父さんが呼んでるの。ギレーヌさんが帰ってきたから、みんな集まるようにって」
グレイが返事をしようとしたところで、隣からアイシャが口を開いた。
「ニナさん、また来たんですか? 今、グレイお兄ちゃんと休憩中なんです」
そう言いながら、アイシャはグレイの腕に身を寄せる。
ニナは一瞬だけ呆れたような表情を浮かべた。
「そんなに突っかからないでよ。呼びに来ただけなんだから」
「別に突っかかってません」
「はいはい」
二人のやり取りを見て、グレイは少し困ったように笑った。
普段は普通に会話をしていることもあるのだが、時折こうしてアイシャがニナに対して警戒心を見せることがある。
理由は何となく分かるものの、グレイとしては二人には仲良くしてほしいところだった。
「それで、ギレーヌさんって?」
「剣王ギレーヌ。グレイの先輩よ」
「剣王……」
その名を聞いた瞬間、グレイの胸が期待に膨らんだ。
剣神流の剣王。
聖級を超える実力を持つ剣士であり、先生であるガルとも関わりの深い人物だ。
そんな相手が聖地に戻ってきたとなれば、興味を抱かずにはいられない。
「分かった。すぐ行くよ」
グレイは立ち上がり、アイシャの方へ向き直った。
「ごめんな、アイシャ。お茶ありがとう」
そう言って、彼女の頭に手を置く。
髪を優しく撫でると、アイシャは少し嬉しそうに目を細めた。
「いってらっしゃい」
「行ってくるね」
グレイはニナと並んで歩き出した。
庭先を抜け、本堂へ向かう途中。
ニナが、先ほどまでグレイが鍛錬していた場所に目を向けた。
「ねえ、グレイ。あれ何?」
「あれ?」
「さっき作ってた土の塊みたいなもの」
「ああ、魔術で作った足場だよ。今、練習してるんだ」
「えっ?」
ニナが驚いたように目を見開く。
「グレイ、魔術使えたの?」
「言ってなかったっけ? 転移する前に教わってたんだ」
「初めて聞いたんだけど……」
「そうだったかな」
グレイは少し考えたが、特に話す機会もなかった気がする。
「雪山で遭難した時にも役立ったんだ。ニナも出来るなら覚えた方がいいよ」
「私は剣神流だから、魔術はあまり考えたことなかったわね」
「剣術だけでも十分強いけど、使えるものが増えるのは悪くないと思うよ」
「……それはそうかもね」
ニナは庭先をもう一度振り返った。
「今度、私にも見せてよ」
「いいよ。俺でよければ」
「楽しみにしてるわ」
そう言って、ニナはグレイの隣を歩き始めた。
やがて二人は、本堂の前にたどり着く。
その扉の向こうから、少女の怒声が響いてきた。
「あなたのようなザコには用は無いわ!」
グレイとニナは顔を見合わせた。
何やら穏やかではない様子だ。
ニナが小さく息を吐き、グレイとともに扉へ手をかける。
中の様子を窺うように扉を開き、二人は本堂へ足を踏み入れた。
室内には、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
そして、その中央には二人の訪問者がいる。
一人は赤い髪の少女。
もう一人は、獣人の女性だった。
(……あの人が剣王様かな?)
グレイはそう考えながら、ニナの隣に腰を下ろした。
赤髪の少女は、かなり気が強そうな印象だった。
先ほどの言葉からしても、相当な自信家なのだろう。
その少女が、ふと龍神オルステッドの名を口にした。
それを聞いたガルは、面白そうに笑っている。
(龍神オルステッド……七大列強の一人だよな)
名前だけなら知っている。
世界に名を轟かせる七人の強者。その一角に数えられる存在だ。
実際に会ったことはないが、そんな人物が本当に存在しているのだと思うと、少し不思議な気分になる。
(先生より強いのかな……)
グレイはそんなことを考えながら、周囲を見回した。
すると、本堂の反対側に座っているジノの姿が目に入った。
ジノは中央の二人を見ていた。
ただ、その表情には特に興味を示している様子がない。
それどころか、どこか冷めたような目をしていた。
グレイが視線を向けたことに気づいたのか、ジノの目が一瞬だけこちらを向く。
すぐにジノは目を逸らし、再び中央の二人へと視線を戻した。
(……ジノ?)
グレイは少しだけ気になったが、考え込む前にガルが立ち上がった。
「よし。剣を見る。……グレイ」
「はい」
呼ばれたグレイは、すぐに腰を上げる。
すると、本堂にいた剣士の一人が、中央へ向けて木剣を放った。
グレイはそれを難なく受け取る。
その瞬間だった。
「うらあああぁぁぁ!」
赤髪の少女が、グレイ目掛けて飛び込んできた。
突然の攻撃。
しかし、グレイは慌てなかった。
視線を向けるよりも先に、身体が反応していた。
少女の木剣を受け止め、その勢いを正面から受け流す。
攻撃を受け止められたエリスは、グレイの視線を受けて思わず後退した。
自分の攻撃が通じなかったことへの驚き。
そして、目の前の少年が放つ静かな圧力。
その両方が、彼女の足をわずかに引かせていた。
グレイはエリスから目を離さず、続いてガルへ視線を向ける。
何を求められているのか。
問いかけるように先生の目を見つめた。
言葉にする必要はなかった。
ガルはその視線を受け止め、口元をわずかに緩める。
「ジノだと、すぐ気絶させちまうだろうからな。剣を見て、ここに相応しいか判断しろ」
「分かりました」
グレイは木剣を構え、少女へ向き直った。
相手の実力を見るための試合。
そう理解すると、まずは相手の様子を観察する。
少女は剣を握り直し、正面からグレイを睨みつけていた。
その構えには荒々しさがある。
しかし、ただ力任せに振り回すだけの剣ではなさそうだった。
「名前は?」
グレイが尋ねる。
「エリス・グレイラットよ!」
「グレイラット……」
聞き覚えのある名前だった。
ルーデウスと同じ姓。
親戚か何かだろうか。
そんな考えが頭をよぎったが、今は目の前の相手に集中するべきだ。
グレイは余計な思考を切り捨てた。
「どうぞ、エリスさん」
本堂にいた剣士の一人が、試合の開始を告げた。
エリスは地面を蹴り、一気に間合いを詰めた。
振り下ろされた木剣を、グレイは正面から受け止める。
だが、エリスの攻撃はそこで終わらなかった。
一撃を受け止められても怯まず、すぐさま次の攻撃へ移る。
横薙ぎ、斜めからの斬撃、そして頭上からの振り下ろし。
休む間もなく、次々と剣を繰り出してくる。
その攻撃には迷いがなかった。
一撃一撃に十分な力が込められ、相手を圧倒しようとする勢いがある。
グレイはその全てを受け止めていた。
必要以上に力を込めることはない。
相手の剣筋を見極め、最小限の動きで軌道を逸らしていく。
攻撃を受けるたびに、エリスの癖や踏み込みの特徴が少しずつ見えてくる。
(……勢いはある。でも、次の動きが分かりやすい)
単純に攻めているわけではない。
エリスは時折、わずかに剣筋を変えたり、攻撃の直前に身体の向きをずらしたりしている。
それでも、グレイには次の動きが読めていた。
ニナはその様子を眺めていた。
グレイが聖地へやってきたばかりの頃。
初めてガルに挑んだ時も、今のエリスとよく似た攻め方をしていた。
相手の力量など気にせず、ただ自分の持てる力をぶつけていく。
あの頃のグレイを思い出し、ニナは懐かしそうに目を細めた。
いつの間にか、彼の剣を目で追うことが当たり前になっていた。
一方、ガルの隣に座るギレーヌは、目の前の光景を注意深く観察していた。
「師匠。あの少年は?」
「俺様の直弟子、グレイだ」
ガルは得意げに答えた。
「それと、あそこでグレイをじっくり見てるのが、もう一人の直弟子のジノだ。どっちもやるぜ? 後で試し合ってみるか?」
「そうか……」
ギレーヌはグレイから目を離さずに答える。
「エリスより年下だろう。それにしては、目を見張る動きだな」
「だろう?」
「エリスの行動を予測して、全て受けている」
その言葉の通りだった。
エリスは正面からの攻撃だけではなく、左右へ回り込みながら剣を振るっている。
時にはわざと剣筋を変え、相手の反応を誘う。
殺気を意図的に向け、グレイの身体が反応したところを狙うような動きも見せていた。
しかし、グレイはそれらに惑わされない。
視線や肩の動き、足の運び。
攻撃に移る前のわずかな変化を拾い、次の一手を予測していた。
そして、予測が外れた時にも対応できるよう、常に自分の姿勢を崩さない。
エリスの剣が届く場所に身を置きながらも、致命的な一撃だけは決して許さなかった。
やがて、エリスは大きく距離を取った。
「なんでよ!」
荒い呼吸の合間に、悔しそうな声が漏れる。
「なんで当たんないのよ!」
これだけ打ち込んでいるのに、相手には傷一つ付けられない。
エリスの表情には苛立ちが浮かんでいた。
対するグレイは、構えを崩さずに彼女を見ている。
まだ終わりではない。
そう判断した直後、エリスが大きく地面を蹴った。
身体を高く跳躍させ、頭上からグレイへ木剣を振り下ろす。
重力を利用した、力強い一撃。
グレイは木剣を構え、その攻撃を受け止めた。
その瞬間、二人の木剣が激しくぶつかり合い、エリスの木剣が途中から折れた。
普通なら、ここで勝負は決まる。
実際、周囲の剣士たちもそう考えた。
しかし、エリスは止まらなかった。
折れた木剣を捨てることも、距離を取ることもしない。
剣を失った腕をそのまま引き、もう一方の拳をグレイの顔面へと繰り出した。
「なっ……!」
予想外の行動に、周囲から驚きの声が上がる。
だが、グレイの反応は速かった。
拳の軌道から顔を逸らし、攻撃をかわす。
そのままエリスの手首を掴むと、相手の勢いを利用して身体を回転させた。
エリスの身体が宙に浮く。
「きゃっ!」
投げられたエリスは、空中で姿勢を整え、地面へ着地した。
剣が折れてもなお攻撃を続ける執念。
しかし、まだ終わってはいない。
エリスが着地して顔を上げた時には、既にグレイの姿が目の前から消えていた。
「こっちだよ」
声が聞こえたのは、エリスの横だった。
彼女が振り向くよりも早く、グレイの木剣が振り下ろされる。
エリスは咄嗟に身を動かそうとしたが、間に合わなかった。
木剣の一撃を受け、その意識が途切れる。
身体から力が抜け、エリスはその場に倒れ込んだ。
試合が終わった。
グレイは木剣を下ろし、倒れたエリスの様子を確認する。
その後、ガルへ視線を向けた。
「どうだった、グレイ」
「闘気も十分に扱えていますし、剣が折られても追撃する意地があります。先生好みの剣士だと思います」
グレイの答えに、ガルは満足そうに笑った。
「そうか。なら、俺様の判断も間違ってねえな」
その後、ガルはエリスの実力を聖級相当と認めた。
しかし、それに異を唱える者もいた。
剣神流において、聖級は決して軽い称号ではない。
まして、剣の聖地で修行を続ける者たちにとって、剣聖への道は大きな目標でもある。
光の太刀すら習得していない少女を聖級と認めることに、納得できない者がいたのだ。
だが、ガルはそうした意見を一蹴した。
技の習得だけで剣士の実力が決まるわけではない。
現時点でエリスが持っている技量、身体能力、闘気の扱い、そして何よりも戦いに対する姿勢。
それらを総合しての判断だった。
ただし、今すぐ直弟子として迎えるには早い。
ガルはそう結論づけた。
しばらくは多少の助言を与えながら、ニナと組ませて修行させることになった。
グレイはその決定を聞き、納得したように頷いた。
◆
エリスが目を覚ました時、最初に目に入ったのは木の天井だった。
見知らぬ天井をしばらく眺めていたが、やがて自分が寝台に横たわっていることに気づく。
身体を起こそうとすると、わずかな疲労感が残っていた。
どうやら気絶していたらしい。
最後に覚えているのは、グレイという少年剣士との試合だった。
剣を折られ、それでも攻撃を続けようとしたところまでは覚えている。
その後の記憶はなかった。
「……ここは?」
「気がつきましたか?」
声をかけられ、横に目を向ける。
そこには、盆に水と清潔なタオルを載せた少女が立っていた。
まだ幼さの残る少女だった。
「痛いところはありませんか? 一応、治癒魔術をかけてもらったので大丈夫だとは思うんですけど」
少女は心配そうにエリスの顔を覗き込んでいた。
「ええ、問題ないわ。それより、あなたは?」
「あっ、私はアイシャ・グレイラットと言います。よろしくお願いします」
「……グレイラット?」
エリスの表情がわずかに変わる。
自分と同じ姓だった。
「はい。エリスさんもグレイラットなんですね!」
アイシャは嬉しそうに笑った。
偶然同じ姓というだけなのか、それとも何か関係があるのか。
エリスが答えに迷っていると、部屋の入口から聞き覚えのある声が届いた。
「アイシャ。エリスさんは起きた?」
「グレイお兄ちゃん!」
声のした方へ顔を向けたアイシャの表情が、ぱっと明るくなる。
「はい、今目が覚めたところです」
入ってきたのは、先ほどまで自分と戦っていた少年だった。
グレイはアイシャに礼を言い、寝台のそばまで歩いてくる。
「ありがとう、アイシャ」
「ううん。これくらい大丈夫だよ」
それからグレイは、寝台に横たわるエリスへ視線を向けた。
「エリスさんも大丈夫?」
「ええ、問題ないわ。それより、グレイラットって……」
「ん?」
「さっき、この子もグレイラットだって言っていたけど」
「ああ。ちゃんと自己紹介した方が良さそうだね」
グレイは隣にいるアイシャを見てから、改めてエリスに向き直った。
「この子はアイシャ・グレイラット。ブエナ村のグレイラット家の子だよ。エリスさんとは親戚なのかな?」
「ブエナ村……?」
その地名に、エリスは反応した。
そして、改めてグレイの顔を見る。
「俺はグレイ・カーティス。剣聖で、アイシャとは出身が一緒」
「グレイ……?」
エリスは少年の名前を繰り返した。
どこかで聞いた覚えがある。
記憶を辿るように少し考え、やがて何かを思い出したように目を見開いた。
「あっ! ルーデウスが言ってた初級剣士!」
「……やっぱりルディの知り合いか」
グレイは納得したように頷いた。
どうやら、彼女はルーデウスの知り合いらしい。
それならば、同じグレイラットという姓にも何か事情があるのかもしれない。
そこから話は自然と弾んでいった。
エリスがルーデウスについて話し始めると、話題は尽きなかった。
魔術の腕前や勉強のこと、これまでに見せてきた驚くべき才能。
エリスはルーデウスのことを誇らしげに語り、その凄さを伝えようとしていた。
その様子を見て、グレイは懐かしい気持ちになった。
自分がブエナ村にいた頃も、ルーデウスには何度も驚かされたものだ。
あの年齢で無詠唱魔術を扱い、様々な知識を持っていた少年。
自分にとっては、初めてできた友人でもある。
そんな彼の話を、こうして別の場所で聞くことになるとは思わなかった。
アイシャも二人の会話に加わり、時折楽しそうに笑っている。
気がつけば、先ほどまで寝台で休んでいたエリスも、すっかり会話に夢中になっていた。
もっとも、話の大半はルーデウスのことだったのだが。
三人で穏やかな時間を過ごしていると、部屋の入口に人影が現れた。
「グレイ」
声の主はニナだった。
彼女は寝台に座るエリスの姿を確認すると、グレイへ視線を向けた。
「その子が起きたなら、本堂まで来てくれる? お父さんが、その子のことについて話があるんだって。あなたも一緒に来てほしいらしいわ」
「分かった」
グレイは頷き、立ち上がった。
エリスも身体の具合を確かめながら寝台から降りる。
三人で部屋を出ると、ニナは自然な様子でグレイの隣に並んだ。
「ねえ、二人は知り合いだったの?」
「直接の知り合いじゃないけど、共通の友人がいるんだ」
「共通の友人?」
「ルーデウスって言う子で。エリスさんはルディの知り合いみたい」
「へえ、そうなんだ」
ニナは二人の顔を交互に見た。
「グレイにそんな友達がいたんだ」
「うん。初めてできた友達なんだよ」
「そうなんだ」
ニナは少し意外そうにグレイを見たが、それ以上詳しく尋ねることはなかった。
少し間を置いてから、彼女はグレイの方へ顔を向ける。
「今度、私にもその話を聞かせてよ」
「ルディのこと?」
「うん。グレイの初めての友達なんでしょ?」
「いいよ。話せることなら、いくらでも」
「楽しみにしてるわ」
ニナはそう言って、前を向いた。
そのまま三人は本堂へ向かって歩いていく。
やがて、見慣れた大きな扉の前にたどり着いた。
グレイが扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
中へ入った三人の目に飛び込んできたのは、木剣を構えて向かい合う二人の姿だった。
一人は、先ほどまで顔を合わせていた剣王ギレーヌ。
そして、もう一人は――ジノだった。
二人は互いに間合いを測るように、静かに相手を見据えていた。
グレイはその光景を見て、思わず足を止める。
(……ジノとギレーヌさんが試合をするのか)
先ほどまでの穏やかな空気とは打って変わった、本堂の張り詰めた雰囲気。
グレイは自然と二人の構えに目を向けた。
剣士として、見逃せない光景だった。