本堂の中央では、二人の剣士が向かい合っていた。
ジノ・ブリッツと、剣王ギレーヌ・デドルディア。
その対峙を見守る門弟たちの間から、グレイは先ほどから気になっていたことを口にした。
「……どうしてジノが戦うことになったんですか?」
隣にいた先輩剣士が、中央に目を向けたまま答える。
「剣帝ティモシー様が焚き付けたらしい」
「ティモシー様が?」
「ああ。最年少で剣聖になったのは、お前たち二人だろう。今、剣王に最も近い剣聖も、おそらくお前たちだ」
先輩剣士は、ジノの背中に視線を向けた。
「ジノの父親であるティモシー様は、息子を早く剣王にしたいんだろう。だからギレーヌ様に手合わせを申し出たんじゃないか」
なるほど、とグレイは納得した。
剣帝としての立場もあるのだろう。息子の実力を確かめさせると同時に、剣王への道を切り開きたいのかもしれない。
中央では、互いに一定の距離を保ったまま、二人が構えを取っていた。
ジノは居合の型。
ギレーヌもまた、腰を落とし、いつでも抜き放てる姿勢を取っている。
「お前も大変だな」
ギレーヌがジノに声をかけた。
親の期待だけではない。そこに別の感情が混じっていることも、彼女には感じ取れているのだろう。
「どうでもいいですよ。別に」
ジノは構えを崩さずに答えた。
「ジノ・ブリッツです。よろしくお願いします」
「ギレーヌ・デドルディアだ」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
「始め!」
号令が響いた。
次の瞬間、二人の姿が視界から消えた。
動きを追えた者は少ない。
本堂に木剣の衝突する音が響き、両者の姿が再び視界に戻る。
「ジノの一撃を止めた!」
ニナが声を上げた。
ジノが放った光の太刀。それをギレーヌは正面から受け止めていた。
「いや、ここからだよ」
グレイは二人から目を離さずに答えた。
両者が地を蹴る。
木剣が交差し、互いの間合いが目まぐるしく入れ替わる。
「すごい……ギレーヌと互角なんて」
目の前の剣戟に、エリスが思わず声を漏らした。
「ギレーヌさんの方が上手だよ」
グレイは二人の剣を追いながら答えた。
「ジノの光の太刀は、常に最短最速を狙っている。相手が守る前に斬り伏せる。仮に防がれても、すぐに次の手を繰り出す。角度を変えて、また最短の一撃を狙うんだ」
ジノの剣は無駄がない。
踏み込みから斬撃まで、余分な動作が削ぎ落とされている。
一太刀を防いだところで終わりではない。防御に使った剣の位置、崩れた重心、そのすべてが次の一撃を導く。
ジノと戦うなら、二手三手先まで読まなければならない。
それでもギレーヌは、ジノの剣を受け止めていた。
「それに、あの間合いで打ち合えるのが本当にすごい」
ギレーヌの剣は、ジノの最短の一撃をわずかに逸らしていた。
獣の直感と、剣王として積み重ねた経験。
斬撃の軌道だけではない。踏み込みの癖、肩の動き、重心の移動。そのわずかな兆候を拾い、剣を合わせている。
ジノの剣は速い。
だが、ギレーヌはその速さに置いていかれていなかった。
弾かれたジノが距離を取る。
再び居合の型。
呼吸を整え、ギレーヌを正面に捉える。
焦りはない。
ただ次の一太刀を考えている。
反撃の機会を与えなければ、いずれ勝てる。
そう考えているのだろう。
余分な動きを削り、一太刀一太刀を鋭くする。
理想の形を積み重ねれば、剣王にも届く。
そんな意志が、ジノの構えから伝わってきた。
グレイは、その剣を知っている。
ジノは本気で剣王を倒すつもりなのだ。
⸻
『結構やるぜ』
ギレーヌは内心でジノの力量を認めていた。
油断などしていない。
それでも、想像していた以上の強さだった。
剣聖の域はとうに超えている。
この年齢で、これほどの速さと精度を備えているのなら、いずれ自分を追い越す日も来るだろう。
だが。
速さはある。
剣の理合いも理解している。
それでも、まだ足りない。
ギレーヌの口元に笑みが浮かんだ。
ジノが踏み込む。
木剣が走った。
狙いは手首。
最短の軌道を通り、ギレーヌの剣を握る手へと迫る。
だが、その一撃が届いた瞬間には、すでにギレーヌの剣がジノの首元に添えられていた。
「参りました」
ジノはあっさりと負けを認めた。
その視線は、自分の首元ではなくギレーヌの手首に向いている。
手首を打った。
それなのに、剣を落としていない。
(……わざと撃たせたのか)
ジノは木剣を下ろし、ギレーヌに手を差し出した。
「真剣なら出来ない手ですね」
「ああ、そうだな」
ギレーヌは短く答える。
「速さだけにこだわるな。一太刀の重さも磨け」
「覚えておきます」
ジノは一礼すると、木剣を持ったままグレイの方へ歩いてきた。
そして、その柄をグレイに向ける。
「次はグレイだよ」
「えっ?」
思わずジノの顔を見る。
「ギレーヌさん、手首を打たれただろ? すぐには……」
「いや。問題ない」
ギレーヌが答えた。
それでもジノは師匠の方を向く。
「師匠、治癒師は?」
「おい、誰か呼んでこい」
ガルの声を受け、門弟の一人が本堂を出ていった。
ジノは改めてグレイを見る。
「僕は君の剣が、剣王様にどこまで通用するのか見てみたいんだ」
その目は真っすぐだった。
グレイは一瞬だけ迷い、それから差し出された木剣を受け取った。
「あ、ああ。分かったよ」
周囲から声が上がる。
「これでグレイがギレーヌ殿に勝てば、次の剣王はグレイか?」
「いや、ジノもいるだろう」
そんな声を聞きながら、グレイは木剣を軽く振って感触を確かめた。
剣王との手合わせ。
自分の剣がどこまで通じるのか。
それを確かめる機会は、そう多くない。
やがて治癒師が到着し、ギレーヌの手首の治療が始まった。
治療を終えたギレーヌは、手首を何度か曲げ、具合を確かめる。
「すまない、待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
グレイは木剣を構えた。
対するギレーヌは、ジノと同じく居合の型を取る。
ただし、その構えにはジノとは異なる重みがあった。
全身の力が抜けているようでいて、どこにも隙がない。
号令が響いた。
二人が動く。
グレイはギレーヌの間合いを読み、距離を取った。
ギレーヌは追う。
間合いに入れば、すぐに斬りかかる。
グレイはそれを避ける。
剣が届く寸前に身を引き、あるいは踏み込んで斬撃の起点を潰す。
その攻防が続いた。
(……すごいな)
グレイはギレーヌの動きを追っていた。
だが、読み切れない。
直線的な動きではない。
踏み込みの幅も、重心の移動も一定ではなく、こちらが予測した位置からわずかに外れてくる。
獣のような動き。
相手の反応を見てから次の動きを決めているのか、それとも最初から複数の選択肢を持っているのか。
一つの動きを読んでも、その先が定まらない。
本堂の中だからこそ、まだ対応できている。
これがもっと広い場所なら。
木々の入り組んだ森や、足場の悪い野外なら。
自分の目が追いつかなくなる場面もあるだろう。
グレイは距離を保ち、ギレーヌの動きを観察し続けた。
その様子を見ていたエリスの隣で、ジノが口を開く。
「グレイの剣は、相手の間合いを読んで、動きを見ながら直感的に予測を立てるんだ」
「予測?」
「相手が攻撃してくると感じれば、間合いから外れる。あるいは、あえて接近して剣を振らせない」
ジノは二人の動きを見つめていた。
「攻撃はほとんどしないの?」
エリスが尋ねる。
「そんなことはないよ。グレイ自身の殺気や動きで隙ができれば攻撃する。相手が痺れを切らして無理に攻撃してくれば、返しの一撃を受けることになる」
ジノは淡々と説明を続ける。
「見方によっては、受け流しやカウンターを狙う剣に見える。だから、グレイの剣は水神流が混じった、本当の剣神流ではないと言う人もいるけど……僕はそうは思わない」
エリスがジノを見る。
「隙を見つけるまで撃たない。撃つときは一撃で決める。それも剣神流の剣だよ」
ジノの視線は、グレイから離れない。
「グレイは本当にすごい」
その言葉に、偽りはなかった。
⸻
勝負は、少しずつ動いていた。
ギレーヌの動きが激しくなる。
踏み込みが深くなり、左右への移動も大きくなる。
だが、剣は振られていない。
剣を振る意思を見せれば、グレイは距離を取る。
反対に、間合いを詰めれば剣を振る前に接近される。
攻撃の起点を作れない。
ギレーヌが剣を振るう機会は、まだ訪れていなかった。
グレイは相手の重心を見ていた。
肩の動き、足の運び、視線の向き。
わずかな変化から次の動きを予測し、間合いを調整する。
攻めているつもりはない。
ただ、相手に攻撃させない。
それがグレイの剣だった。
(なるほどな)
ギレーヌはグレイの剣の意味を読み取っていた。
直感と予測によって間合いを測り、相手の意識の隙間を突く。
剣を振らずとも相手を動かし、攻撃の意思を持たせない。
一見すれば受け身の剣だが、その実、相手の行動を制限する攻めの剣だった。
だが、弱点もある。
常に相手の動きと身体を見続けなければならない。
長時間の戦闘になれば、負荷は蓄積する。
まして格上を相手にするなら、相手の動きを読み続けること自体が大きな負担になる。
ギレーヌは動きの幅を広げた。
本堂の中という制約はある。
それでも、グレイに要求する情報量を増やすことはできる。
前後だけでなく、左右にも揺さぶる。
踏み込みの深さを変え、重心の移動を読ませない。
グレイは対応している。
だが、その分だけ意識を割かれているはずだった。
(……あのジノと戦ってきた剣か)
ギレーヌはグレイの剣を見て、そう考えた。
ジノとの戦いを繰り返す中で磨かれた剣。
最短最速の攻撃を持つジノに対抗するため、相手の間合いを読み、攻撃を成立させない技術を身につけたのだろう。
だからこそ、ジノとの戦いには強い。
だが、相手が変われば話も変わる。
ギレーヌは一歩、踏み込んだ。
グレイの視線が動く。
次の瞬間、ギレーヌは反対側へ重心を移した。
グレイはそれに対応する。
まだ読めている。
だが、わずかに遅れた。
ギレーヌはその変化を見逃さなかった。
さらに動きを大きくする。
グレイの意識が、次々と変化する身体の動きを追う。
その負荷が増していく。
(……そろそろか)
ギレーヌの動きが、一瞬だけ止まった。
グレイの殺意が走る。
ここだと判断したのだろう。
グレイが踏み込む。
木剣が最短の軌道を通り、ギレーヌへと迫った。
だが、ギレーヌはその殺意に乗った。
自ら作った一瞬の硬直。
それを隙と見たグレイが、必ず仕掛けてくる。
そう読んでいた。
グレイの光の太刀が放たれる。
その瞬間、ギレーヌの身体が動いた。
剣が交差する。
光返し。
グレイの木剣が手から離れ、宙を舞った。
勝負は決した。
「参りました」
グレイは素直に頭を下げた。
ギレーヌは構えを解く。
「最後の動きが止まったのは、誘いましたか?」
「ああ」
ギレーヌは答えた。
「あれほど考えながら剣を振るうんだ。負担が掛かれば、こちらの隙に乗ってくると思った」
グレイは自分の手を見た。
確かに、最後の一瞬は好機だと思った。
あの硬直を見逃す理由はなかった。
「だが、冷や汗をかかされたぞ」
ギレーヌが続ける。
「こんなに頭を使ったのは久しぶりだ。あれほど嫌らしい間合いの取り方をする剣士は、そうそういない」
グレイは顔を上げた。
負けた。
だが、剣王に自分の剣を認めてもらえたことは素直に嬉しかった。
⸻
「どうだった? ギレーヌ。俺様の直弟子たちは」
ガルが口を開いた。
ギレーヌは二人を見比べてから答える。
「素晴らしい腕前だった。二人とも剣聖の域はとうに越しているな」
そして、ガルに尋ねた。
「剣王には上げるのか?」
ガルは少し考えるように間を置いた。
「この際だから話しておくか」
本堂にいる門弟たちへ視線を向ける。
「皆も知っている通り、グレイは魔力災害でここに転移してきた。本来なら、すぐにでもここを出たがっていたが、当時はまだ未熟だった。だからここで修練を積ませてきた」
グレイは黙って師匠の話を聞いていた。
「そろそろ成人も近い。グレイはここを立つことになる」
周囲がわずかにざわめいた。
ニナは隣にいるジノへ顔を向ける。
「ジノ、知ってたの?」
「まあね。同じ直弟子だから」
ジノは特に驚いた様子もなく答えた。
ガルは門弟たちを見渡した。
「剣王は、いずれジノかグレイのどちらかになるだろう。だが、まだ先の話だ」
二人の名前を挙げた後、少しだけ間を置く。
「グレイが出立する直前に決める。それまでは他の者にも機会がある。腕を磨いておけ」
その言葉に、門弟たちの表情が引き締まった。
グレイは手の中に残る木剣の感触を確かめる。
剣の聖地で過ごす日々も、終わりが近づいている。
ここで学んだこと。
師匠から受けた教え。
競い合った仲間たち。
それらを胸に、いずれ自分はここを離れる。
その先に何が待っているのか、まだ分からない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
グレイはもう、ここに来たばかりの頃の自分ではない。
そして、剣の聖地で過ごす残された時間も、決して無駄にはしないつもりだった。
ウキウキ解説ジノ君