無職転生 IF 〜ただ一振りの剣で〜   作:ユタ01

5 / 6
【第4話】 水の一滴と、イメージの言葉

あれから、数ヶ月の月日が流れた。

厳しい冬の寒さは少しずつ和らぎ、ブエナ村の草木が柔らかい芽を吹き始めていた。

この数ヶ月、グレイの毎日は決まった足取りで刻まれていた。

 

午前中の読み書きと算術。それが終わると庭に出て、パウロに命じられた姿勢のまま、ひたすら木剣を振り下ろす。肘の角度、膝の曲げ伸ばし、地面を踏みしめる足裏の感触。同じ動作を何百回と繰り返す。

 

そして、パウロが巡回に出ていない午後は、一人でグレイラット家へと足を運んでいた。

 

「ルディ〜!」

 

庭の木陰で本を開いていたルーデウスが、声を追って顔を上げる。

 

「あ、グレイ」

 

ルーデウスは挟んでいた栞をページに静かに挟み、本を閉じた。玄関前まで歩み寄る足取りには、以前のような迷いや踏みとどまるような間はない。

 

「こんにちは。……今日の素振り、もう終わったの?」

 

「うん。パウロさんに言われたことは、やってきた」

 

グレイは手に持った木剣を立てかけ、自分の手のひらを見つめた。まめが少しずつ硬くなり始めた小さな手だ。そのまま勢いよく頭を下げた。

 

「ルディ、今日もよろしくね」

 

「……うん。じゃあ、いつもの場所へ行こう」

 

二人は庭の隅にある空き地へと歩き出した。

 

  ◆

 

「それじゃあ、今日は初級水魔術の『ウォーターボール』をやってみよう」

 

ルーデウスは地面に置いた空き瓶を指さした。

 

「まずは自分の身体の中にある『魔力』を探すんだ。んー……お腹の奥の方に、小さくて温かい固まりがある感じ。それを、息を吸いながら手まで引っ張ってくるイメージ」

 

「お腹の、温かいやつ……」

 

グレイは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

お腹に手を当て、じっと動かない。

十数秒が過ぎる。風が庭の草を揺らす音だけが響く。

 

「……んー……なんにも、温かくないや」

 

目を開けたグレイは、困ったように首を傾げた。剣を振るときに背中に走る緊張感や、脚に溜まる重みとは、まるで違う。自分の身体の中なのに、どこを探せばいいのかさっぱり分からなかった。 

 

「最初はそんなもんだよ。僕も最初は、身体の中の空気を追いかける感じから始めたんだ」

 

それから、グレイラット家に通うたびに同じ時間が繰り返された。

素振りを終え、汗を拭ったあと、庭の隅で静かに目を閉じる。

 

ルーデウスに「走ったあとに心臓がトクトク言うでしょ? あれのもっと奥だよ」と言われ、胸やお腹に手を当てて呼吸を整える。

失敗するたびに、グレイは無言で自分の手を見つめ、何度も握り直した。

そして──通い始めて一ヶ月が過ぎた、ある日のことだった。

じっとお腹に手を当てていたグレイの肩が、微かに跳ねた。

 

「……あ」

 

「……グレイ?」

 

「なんか……温かい」

 

グレイは両目を開けた。その瞳が、自分の手元をまっすぐに見つめている。

 

「お腹の真ん中に、温かい何かが……ある」

 

「本当……!? それだよ! それが魔力!」

 

ルーデウスが身を乗り出した。グレイは教えられた通りの言葉を、途切れ途切れに口にした。

 

「っ……『汝の求める所に、大いなる水の加護あらん。清涼なるせせらぎの流れを、今ここに──ウォーターボール!』」

 

グレイが両手を空き瓶へ突き出す。

お腹の奥の暖かい感覚が、腕を通り、手のひらへと押し出されていく感覚。

──ぽちゃん。

小さな音が響いた。

空き瓶の底に、指先ほどの大きさの水滴が落ち、揺れていた。

グレイは突き出した手のひらと、瓶の底の小さな水滴を交互に見つめた。息が止まっていた。やがて、喉から引きつったような声が漏れる。

 

「……出た」

 

「……ううん、ちゃんと水だよ。グレイ、すごいじゃないか!」

 

グレイは瓶を両手で包み込むように持ち上げ、底に溜まった水滴を食い入るように覗き込んだ。自分の手から、何の道具もなく水が生まれた。その事実だけで、胸の奥が熱く震えた。

 

「出たよ……ルディ、すごーい!」

 

「うん、一ヶ月でここまで来られたなら大したものだよ」

 

はしゃぐグレイの隣で、ルーデウスは腕を組み、小さく息を吐いた。その表情には、教えていたことが形になった安堵と、かすかな誇らしさが混ざっていた。

だが、グレイは水滴を見つめたまま、ふと手を止めた。

 

「……ねぇ、ルディ」

「ん?」

 

「ルディって、さっきの長い言葉……言ってないよね?」

 

ルーデウスの眉が、ピクリと動いた。

 

「え?」

 

「ルディが前にお水とか火を出したとき、そんな言葉言ってなかった」

 

ルーデウスは一瞬言葉を詰まらせ、それから咳払いを一つして、手のひらをグレイの前にかざす。

言葉はなく、ただ一瞬の間。

掌の上に、すっと親指ほどの小さな水球が浮かび上がった。そして、何事もなかったかのように消える。

グレイの目が丸くなった。

 

「おぉ〜すごい!」

 

「これは……『無詠唱魔術』って言ってね。呪文を言わずに、頭の中のイメージだけで魔力を出すんだ」

 

「『無詠唱』……! ルディ、それどうやるの!? 僕にも教えて!」

 

身を乗り出してきたグレイに対し、ルーデウスは小さく後ずさりした。指先で鼻の下を擦りながら、言葉を選びあぐねる。

 

(……『無詠唱』か。正直、俺にとっては生まれたときから勝手にやってたことだしな……。ロキシーだって『私にはできません』って驚いてたくらいだ。いくらグレイでも……)

 

ルーデウスは喉を鳴らし、できるだけ簡単な言葉に噛み砕いて口を開いた。

 

「呪文はね、『お水になれ』って魔法にお願いする決まり文句なんだ。でも、言葉を使わないで、頭の中で『水がこうやって丸くなって、ここに出てくる』って絵を完璧に描ければ……言葉はいらないんだよ」

 

「頭の中で……絵を描く……」

 

グレイは自分の両手をじっと見つめた。

 

「そう。魔力を動かしながら、水そのものの形を頭の中に浮かべるんだ」

 

「んー……」

 

グレイは真剣な顔つきになり、両手を前に突き出した。お腹の奥の温かい感覚を手先に集めようとする。

 

『水になれ……冷たくて丸いお水……』

必死に頭の中で形を描き、押し出そうとする。

だが──手先まで集まった魔力は、形を結ぶことなく、パチンと湿った風となって弾けた。

 

「……っ」

 

グレイの手が力なく落ちる。

ルーデウスはそっと胸を撫で下ろした。どこかホッとしたような、申し訳ないような顔で苦笑いを浮かべる。

 

「ハハ……まあ、そう簡単にはいかないよ。ロキシー師匠だって『できない』って言ってたんだから。まずはさっきの呪文から練習して──」

 

「ううん」

 

グレイは首を振った。地面に落ちた自分の手を見つめたまま、静かに言葉を吐き出す。

 

「ルディができるなら、やり方はあるんだよね」

 

「……え?」

 

「言葉じゃなくて、絵。イメージが大事なんだよね」 

 

グレイは顔を上げ、ルーデウスの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、諦めや落胆はなく、ただ新しい課題を見つけた時と同じ、静かな光が宿っていた。

 

「ルディ、ありがとう。僕、もっと練習してみる」

 

「……うん。がんばって」

 

グレイはもう一度、自分の手のひらを見つめた。

 

無詠唱魔術。まだまだ難しそうだけど、ルディができるなら、きっと自分にもできるはずだ。

 

……それはそれとして。

 

「ねえ、ルディ!」

 

「ん?」

 

「せっかくお水が出せるようになったんだし、水遊びしようよ!」

 

「えっ、今から!?」

 

「うん! ほら、ルディも!」

 

グレイはルーデウスの手を引っ張った。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、グレイ!」

 

庭に二人の声が響く。

 

ルーデウスは困ったように笑いながらも、結局、グレイに引っ張られるまま立ち上がった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。