転生スタンド使いの日常。 作:匿名の読む専
狭い部屋の中で二人が動いた。
先に踏み込んだのは殺人鬼だった。
ハードネット・インパクトの両腕が考調の顔面へ伸びる。
考調は首を傾けて拳をかわしながらAXIOMの両腕を重ねた。
拳が交差する。
乾いた音が響いた。
スタンドの拳同士がぶつかったのではない。
考調自身の腕に重ねられたAXIOMの腕が、殺人鬼の拳を受け止めていた。
殺人鬼は間を置かずに反対側の拳を繰り出す。
考調はそれを受け流しながら一歩踏み込んだ。
狙いは顔面ではなく腹部。
相手を吹き飛ばさずに打撃を通すためには距離が近すぎるくらいだったが、ここではそれが都合よかった。
ところが殺人鬼は上体を捻って拳を外し、考調の脇腹へ短い蹴りを放った。
考調は腕を下げて防ぐ。
衝撃を受け止めた直後にAXIOMの拳を返すものの、殺人鬼はすでに距離を詰め直していた。
二人の間に大きな動きはない。
狭い部屋の壁や家具にぶつからないように、足の位置と身体の向きを細かく変えながら殴り合っている。
スタンドを全身に出して力任せに戦えば話は早い。
だが、この部屋でそんな真似をすれば壁や備品を壊すか、相手を吹き飛ばして事故を起こすことになる。
おまけに出口へ続く通路は狭く、スタッフや次の客がいつ来てもおかしくない。
だから殺人鬼は、ハードネット・インパクトの二の腕と太もも、足首だけを自分の身体に重ねていた。
両腕はボクシングの構えを取り、脚は狭い空間でも素早く踏み替えられるように動く。
スタンドのスピードAをそのまま活かした動きだった。
見た目には普通の人間が殴り合っているようにしか見えない。
それでいて拳の速さも反応も、人間の身体能力だけでは説明しきれない領域に達していた。
対する考調も、AXIOMの両腕だけを自分の腕に重ねている。
以前にACT3で動体視力を自己証明したことで、世界が加速しても加速した物体を捉えられるようになっていた。
自分自身が加速するわけではない。
目で追えることと、身体が同じ速度で動けることは別の話だ。
それでも、相手の動きを見切るための情報が増えるのは大きい。
殺人鬼の肩が動く。
拳が来る。
考調はそれを見てから腕を上げた。
打撃を受け止めた反動を利用して踏み込み、今度は顎を狙う。
殺人鬼は身を引きながら前腕で防御し、空いた側から拳を返した。
考調は頭を下げてかわす。
互いの拳が頬をかすめるほどの距離だった。
「っぶねえな!」
「避けただろうが!」
「そういう問題じゃねえ!」
叫びながらも考調の足は止まらない。
右から左へ、正面から斜めへ。
狙いを変えながら攻撃を重ねるが、殺人鬼は壁際へ追い込まれそうになるたびに身体を滑らせて位置を変えた。
腕だけでなく、太ももと足首にスタンドを重ねている意味がここで出てくる。
普通なら足場の悪い狭い場所では大きな踏み込みが難しい。
だが殺人鬼は、必要な分だけ足を動かして攻撃を避ける。
上体を傾ける角度も小さい。
考調の拳が届く直前に身体をずらし、避けた直後には反撃できる位置へ戻っていた。
その器用さは厄介だった。
スタンドの能力そのものを見極める以前に、戦い方が上手い。
しかも、こちらの攻撃を避けることだけに集中しているわけではない。
考調が踏み込んだ瞬間には腹を狙い、腕を上げれば顔を狙い、姿勢が崩れれば足元を崩そうとしてくる。
単純な殴り合いに見えて、相手の動きを見ながら細かく選択を変えていた。
考調は奥歯を噛み締めた。
目で追える。
攻撃が来ることも分かる。
それでも、すべてに対応できるわけではない。
拳を受け止めるために腕を動かせば別の場所が空き、反撃しようとすれば防御に使える腕が減る。
ACT3の速度を利用しても、考調自身の身体が動く速度まで別物になるわけではなかった。
何より、相手を壁へ叩きつけるような攻撃は使えない。
ここで求められているのは、ただ相手を殴り倒すことではないのだ。
殺人鬼もそれを理解しているらしい。
彼女は考調の拳をかわすたび、必要以上に大きく動かなかった。
反撃もまた、身体の軸を崩さずに繰り出せるものばかりだ。
狭い空間を自分の味方にしている。
考調が一歩踏み込む。
殺人鬼が半歩ずれる。
AXIOMの拳が伸び、ハードネット・インパクトの拳がそれを迎え撃つ。
互いの腕が交差した瞬間、殺人鬼は考調の腕を外側へ押し流そうとした。
考調は逆らわず、腕を引きながら肩を入れる。
そのまま体当たりに近い動きで距離を詰めた。
殺人鬼はすぐに膝を引き、身体を横へ逃がす。
二人の肩がぶつかった。
狭い部屋の壁がすぐ背後に迫る。
考調は足を止めて踏みとどまり、殺人鬼もまた壁へぶつかる寸前で姿勢を立て直した。
互いに呼吸が荒くなっていた。
「……お前、こういうの慣れてんのか?」
「何がだよ」
「狭い場所での戦い方だ」
「さあな」
殺人鬼は答えを濁し、構えを崩さなかった。
考調は追及しない。
聞いたところで、正直に答える相手だとは思っていない。
それよりも、ここで決着をつける方法を考える必要があった。
攻撃は当たらないわけではない。
防御も機能している。
だが、決定打がない。
強引に力を上げれば相手を吹き飛ばす危険があり、慎重になれば殺人鬼の器用な動きに翻弄される。
互いのスタンドはスピードA。
考調には動体視力の優位があるが、殺人鬼はその差を埋めるように小さな動きで攻防を組み立てていた。
これでは、どちらかが大きな失敗をしない限り終わらない。
そして失敗を待つには、ここは都合の悪い場所だった。
考調は扉の方へ視線を向けかけて、すぐに殺人鬼へ戻した。
スタッフが来るまで、あとどれくらいあるのか分からない。
お化け屋敷の利用客が出口へ向かう流れを考えれば、いつまでもこの部屋を占有するわけにはいかなかった。
殺人鬼も同じことを考えているのだろう。
彼女の攻撃は少しずつ慎重になっていた。
考調が拳を放つ。
殺人鬼がかわす。
反撃が来る。
考調が防ぐ。
その繰り返しが続いた。
やがて、考調は一度だけ大きく息を吐いた。
「……駄目だな」
「何がだ?」
「このままじゃ終わらねえ」
「最初から分かってたことだろ」
「分かってても試すことはあるだろうが」
考調は拳を構えたまま、わずかに肩を動かした。
殺人鬼も構えを保っている。
ここで無理をすれば、どちらかが怪我をするかもしれない。
それに、戦い続けることそのものが目的ではなかった。
考調は殺人鬼を捕まえなければならない。
一方で殺人鬼は、少なくとも今この場では大勢の客を巻き込むつもりがない。
互いに譲れないものがあるからこそ戦っている。
だからこそ、意味のない長期戦に時間を費やすわけにはいかなかった。
「……続きは外で考えるか」
考調がそう言うと、殺人鬼は鼻を鳴らした。
「逃げるのか?」
「お前も一緒にやめるんだよ」
「勝手に決めるな」
「じゃあスタッフが来るまで殴り合うか?」
殺人鬼は答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
考調はAXIOMを引き、構えを解いた。
殺人鬼もハードネット・インパクトを身体から離し、ゆっくりと息を整える。
戦闘開始から、およそ一分。
決着はつかなかった。
それでも、ここで無理を続けるよりは先へ進んだ方がいい。
二人は互いに警戒を解かないまま、扉へ向かった。
考調が先に取っ手へ手を伸ばす。
殺人鬼はその背後で周囲を確認していた。
扉が開く。
通路の先には、出口へ向かうための最後の仕掛けが待ち構えていた。
考調は一歩踏み出し、そこで足を止めた。
「……は?」
目の前に現れたものを理解するより先に、突然の音と動きが二人を襲った。
「うわあっ!?」
「っ、ふざけんな!」
考調は反射的に身を引き、殺人鬼もまた肩を跳ねさせて後ずさった。
先ほどまで互いの攻撃を冷静に見切っていた二人が、揃って素の声を上げていた。
数秒後、仕掛けが停止する。
静けさが戻った通路で、考調は胸元を押さえた。
「……今のは聞いてねえぞ」
「知るか! 何だよあれ!」
殺人鬼も顔をしかめている。
二人とも相手を警戒することは忘れていなかったが、今ばかりは目の前の仕掛けに意識を持っていかれていた。
考調は深く息を吐いてから、改めて出口へ向かった。
殺人鬼も文句を言いながら後に続く。
ようやく外へ出ると、明るい照明と遊園地の賑やかな音が二人を迎えた。
考調は思わず目を細める。
さっきまでの薄暗い通路が、少し懐かしく感じられるほどだった。
出口のスタッフが二人に声をかけた。
「お疲れさまでした! こちらが記念の間バッヂになります」
手渡されたのは、ホラーフェニー君の絵柄が入った間バッヂだった。
考調は受け取ったそれを眺めた。
「……これ、普通のフェニー君より怖くねえか?」
「そりゃホラーアトラクションだからな」
殺人鬼が横から覗き込む。
彼女の手にも同じ間バッヂがあった。
二人は続いてスタンプカードを差し出し、三つ目のスタンプを押してもらった。
これで、お化け屋敷も終わりだ。
考調はスタンプカードと間バッヂをしまい、隣の殺人鬼を見た。
殺人鬼もまた、こちらを見返す。
先ほどまで狭い部屋で殴り合っていた相手と、今は同じ記念品を持って出口に立っている。
妙な状況だった。
「……次、どうする?」
「お前が決めろ」
「またそれかよ」
「文句があるならお前が決めろ」
考調はため息をつき、園内マップを取り出した。
遊園地でスタンプを集めるという目的は、まだ終わっていない。
そして殺人鬼との問題も、当然ながら何一つ解決していなかった。
お化け屋敷を出た二人は、しばらく無言で歩いていた。
ホラーフェニーくん間バッヂを受け取り、スタンプも押してもらったものの、先ほどの部屋での戦闘とは別の意味で疲労が溜まっている。
「……アンタ、思ったよりビビってたな」
「うるせぇな! お前だって最後の仕掛けで変な声出してただろうが!」
「そりゃ驚くだろ、あんなタイミングで出てくるとは思わねぇよ」
「アタシだって思わなかったんだよ!」
お互いに相手の反応を思い出しては文句を言い合うものの、どちらも本気で怒っているわけではない。
もっとも、先ほどまで殺し合いをしていた相手と、こんな話をしている状況そのものは相当におかしいのだが。
「……次は、もう少し景色のいいところに行かねぇか?」
考調がそう提案すると、殺人鬼もすぐに賛同した。
「いいねぇ、アタシもちょうどそう思ってたところだ」
お化け屋敷の中では周囲の様子を確かめる余裕もなく、狭い部屋では思うように戦うこともできなかった。
それならば、外の景色が見えて人の姿も確認できる場所で一息つくのは悪くない。
二人は園内を進み、観覧車へと向かった。
受付を済ませてゴンドラに乗り込むと、扉が閉じてゆっくりと上昇を始める。
地上の喧騒が少しずつ遠ざかり、遊園地の景色が窓の向こうへ広がっていった。
「……やっと落ち着けるな」
「お前、さっきからそればっかりじゃねぇか」
「アンタが言うなよ」
互いに軽口を叩きながら、二人は座席に腰を下ろしていた。
観覧車はゆっくりと回転を続けている。
今のところ、どちらも戦いを仕掛けるつもりはなかった。
この狭いゴンドラで暴れれば、設備を壊すか、窓を割るか、最悪の場合はゴンドラそのものに被害を出しかねない。
それに、先ほどのお化け屋敷での戦闘を経て、二人とも相手の能力について確認したいことが増えていた。
「なぁ」
殺人鬼が窓の外を眺めながら口を開いた。
「お前って、普段からあんな感じでスタンドを使ってんのか?」
「どんな感じだよ」
「普通に生活してる時の話だよ、さっきみたいに自分の身体に重ねたり、妙なことをしたりさ」
「まぁ、必要なら使うけど」
「必要なら、ねぇ……」
殺人鬼は考調の顔をじっと見つめた。
「お前、そんなに強いのになんで普通に生きてられる? この短時間しか関わっちゃいないが、お前からは血の匂いも泥の匂いもしなかった……普通に生きてるクチだろう? なんでだ?」
その質問は、単なる能力への興味とは違っていた。
目の前の相手は、自分と同じようにスタンドという異常な力を持っている。
しかも、戦闘を通して感じた限りでは、その力は決して弱くない。
それなのに、考調からは殺しを重ねた人間特有の雰囲気が感じられなかった。
殺人鬼にとって、それは不思議なことだった。
「力の強さと使い道が常に釣り合う訳じゃ無いし使い道を間違わなければ普通に生きられなくなる事も無いだろ」
考調は窓の外から視線を戻し、彼女の方を向いた。
「俺は家族や友人との日常を守る為にこの力を使う」
言い切ってから、少しだけ間を置く。
「次は俺の番だな……お前はなんで殺人鬼になった?」
殺人鬼の表情がわずかに変わった。
先ほどまでの軽薄な笑みが薄れ、考調の目を正面から見返す。
「知ってどうするってんだ……だがアタシだけが聴くのも不公平だな…時期、頂上だ…高度が下に下がった時、お前が起きてたら話してやるよ」
「……へぇ」
考調は短く返事をした。
答える気がないわけではないらしい。
ただし、今すぐ話すつもりもないようだ。
「じゃ、寝ないように気をつけるか」
「寝る気かよお前」
「いや?話を聞くために起きてろって言われたからな」
「…そういう意味じゃねぇ」
殺人鬼が呆れたように声を上げた時、ゴンドラは頂上へと近づいていた。
地上の人影が小さくなり、園内を歩く人々からゴンドラの中を見通すことは難しくなっていく。
窓の外を一度確認した考調は、座席から腰を浮かせた。
「……そろそろいいか」
「おう、そうだな」
殺人鬼も立ち上がる。
先ほどまでの会話が嘘だったかのように、二人の間から穏やかな空気が消えた。
次の瞬間、互いのスタンドがその身に重なる。
狭い空間でスタンドそのものを振り回すつもりはない。
身体の動きを補助し、攻撃と防御に必要な部分だけを重ねる。
お化け屋敷の時と同じやり方だった。
ただし、今回は殺人鬼の動きが少し違っていた。
ハードネット・インパクトの拳が、彼女自身の両腕へと重なっている。
掌で受けた衝撃を蓄え、拳から放つ。
観覧車が頂上に近づくまでの間、彼女はその拳に衝撃を溜めていたのだ。
「ラァ!!!」
殺人鬼が踏み込んだ。
狙いは考調の顔面。
溜め込まれた衝撃を乗せた拳が、一直線に迫る。
考調はその動きを見ていた。
ACT3によって自己証明した動体視力は、加速した世界の中で動く物体さえも捉えられる。
世界の加速に合わせて考調自身が速くなるわけではない。
それでも、相手の動きを認識できることには大きな意味があった。
拳が迫る刹那、考調はAXIOMの腕を自分の腕から一瞬だけ分離させた。
傍目には、彼の腕が二本に増えたように見えただろう。
片方の手を開き、殺人鬼の視界を遮るように顔の前へ差し出す。
同時に、もう片方の腕となったAXIOMの拳が、衝撃を乗せた拳の側面を打った。
正面から受け止めるのではなく、横から軌道をずらす。
拳は考調の顔を捉えることなく、狙いを外れて流れていった。
「へぇ……!」
殺人鬼は感心したように声を漏らした。
視界を遮る手と、拳を逸らすための腕。
それらをほぼ同時に動かした判断は、狭いゴンドラの中で相手の攻撃を正面から受ける危険性をよく理解しているものだった。
もっとも、考調にしてみれば、まだ確認したいことが残っている。
攻撃を受け流した直後、彼は彼女の能力について続けていた分析を一度止めた。
今は考えるよりも、動いて確かめる方が早い。
「っらぁ!」
AXIOMの脚部が考調の両脚へと重なる。
床を蹴った身体が跳ね上がり、ゴンドラの天井へと斜めに飛び移った。
狭い空間を利用した、通常の立ち位置からは予測しにくい移動だった。
天井を蹴り、身体を反転させる。
考調はそのまま殺人鬼へ向かって飛び蹴りを放った。
「甘ぇよ!」
殺人鬼は退くのではなく、掌を差し出してその蹴りを受け止めた。
衝撃が狭いゴンドラの中へと響く。
しかし、考調の身体は吹き飛ばされなかった。
蹴りを受け止められた姿勢のまま、彼は大きく体勢を崩すこともなく、空中で身体を捌いて床へと着地した。
殺人鬼もまた、蹴りの威力を掌で受け止めたまま立っている。
考調は彼女の姿を見ていた。
今の一撃で、確かめたかったことについての確信が強まった。
もっとも、それが何を意味するのかを口にすることはない。
今ここで説明する必要もなかった。
「……なるほどな」
「何がだよ?」
「いや、こっちの話」
「気持ち悪ぃな、お前」
殺人鬼はそう言いながらも、口元に笑みを浮かべていた。
互いにまだ決着をつけるつもりはある。
だが、この狭い空間で無理に戦闘を続ける必要もなかった。
ゴンドラはゆっくりと頂上を通過し、下降を始めている。
地上から見える位置へ戻る前に、二人はほぼ同時にスタンドを引っ込めた。
そして、何事もなかったかのように座席へと腰を下ろす。
窓の外では、園内の景色が再び少しずつ大きくなっていった。
「……で?」
考調が口を開いた。
「約束、覚えてるよな?」
「忘れるわけねぇだろ」
殺人鬼は背もたれに身体を預け、窓の外を眺めた。
その表情からはどこか、先ほどの戦闘を楽しんでいた様子が窺える。
…………………………………………………………………
「約束通り教えてやるよ……アタシが初めて人を殺したのは14歳の時だ…」
「アタシの親は、どっちもどうしようもねぇクズだった」
彼女の口調は淡々としていた。
怒りをぶつけるでもなく、悲しみを訴えるでもない。
まるで、ずっと昔に起きた出来事を他人事のように説明しているかのようだった。
「物心つく前から殴られてたよ……三歳くらいには蹴られたり殴られたりなんて当たり前だったし、熱したフライパンを押しつけられたこともあった」
殺人鬼は自分の指先を眺めた…何か意味のある視線では無く、まるで感心の無い話を聞かされた時にふと自分の指先を見てしまった、と言うような視線だ。
「煙草の火を押しつけて灰皿代わりにされたこともあったな」
考調は黙って聞いていた。
同情の言葉を差し挟むことも、彼女の話を遮ることもしなかった。
「学校には行ってたぜ?義務教育だからな…けど、誰もアタシに近寄らなかった」
いじめられていたわけではない。
彼女の両親がどれだけ酷い人間なのか、周囲の人間は知っていた。
だからこそ、誰も関わろうとしなかった。
「そりゃそうだよな、あんな親の子供と仲良くしたら何されるか分かったもんじゃねぇ……誰だって関わりたくねぇだろ」
殺人鬼は小さく笑った。
「だからまぁ結局、アタシには居場所なんてなかった…別に居場所が欲しかったって訳でも無いけどよ」
彼女にとって学校は、家から離れていられる場所でしかなかった。
そこに友人がいるわけでも、安心して過ごせる居場所があるわけでもない。
家に帰れば両親がいて、外へ出ても自分を気にかける人間はいなかった。
「そんな生活が続いて、14歳になった頃だ……親が詐欺に引っかかった」
それは、単純に騙されただけでは済まない話だった。
相手は法律の隙間を突くような手口を使い、両親に大きな借金を背負わせた。
警察へ相談しても、すぐに解決できるような問題ではなかった。
「親は本気で信じ込んじまったんだよ……金を払わなきゃ死ぬより酷い目に遭わされる、けど殺してもらえるわけじゃねぇ、生きたまま一文無しにされて苦しみ続けるんだってな」
両親はあちこちから金を借りた。
借金を返すために別の場所から借り、さらに借りた金で別の支払いをする。
そうやって、どうにか金を工面しようとしていた。
「それで、金を作る方法を考えたわけだ」
殺人鬼は窓の外へ目を向けたまま続けた。
「アタシを売ることにな」
考調の表情がわずかに硬くなった。
「成人向けの映像を撮影する場所に売り飛ばすつもりだったんだよ……金になるからってな」
それまで、彼女は何をされても耐えてきた。
殴られても、蹴られても、居場所がなくても、逃げ出すことすらできなかった。
だが、その時だけは違った。
「……そこで、アタシのスタンドが目覚めた」
殺人鬼は笑った。
それは楽しそうな笑みではなかった。
「そっから先は、お察しの通りだ」
考調は答えなかった。
「親を殺したよ……それでアタシは自由になった」
彼女は両親の死を、行方不明に見せかける形で逃げ延びた。
しかし、自由になったところで、これまでの人生で身につけられなかったものが突然手に入るわけではない。
「でも、後のことは考えて無かった…学校には戻る訳にはいかなかったし働いて金を稼ぐ方法も知らなかった…それで近寄ってきたチンピラやクズどもを殺して金を奪うようになった」
最初は、身を守るためだったのかもしれない。
あるいは、両親に対して抱いていた感情の延長だったのかもしれない。
しかし、他人から金を奪うことを繰り返すうちに、それは彼女にとって特別なことではなくなっていった。
「気がついたら、それが普通になってたんだよ」
殺人鬼は肩をすくめた。
「……それから七年だ」
長い時間だった。
その間、彼女は日本各地を渡り歩き、近づいてきた相手を殺しては金を奪う生活を続けた。
そして、ついに警察に正体を突き止められた。
「警察にもスタンド使いがいたらしいぜ……そいつがアタシの髪を回収して、現場に残ってた髪と照合したんだとよ」
彼女は自分の髪を指先で軽く摘まんだ。
「どうせ風で飛んでくか、見つかりもしねぇと思ってたんだよ……だから、ちょっと油断した」
それが、彼女の犯行が露見した理由だった。
殺人鬼は話し終えると、考調の方へ顔を向けた。
「……さて、これで満足か?」
考調はすぐには答えなかった。
彼女の過去を聞いたところで、今まで知らなかったことが分かっただけだ。
何か言うべき言葉があるのかと考えてみても、簡単に口にできるものは見つからなかった。
「……俺から何か言う事がある訳じゃねぇ……けど、知らないままにしなくて良かった、俺はお前を少しだけ知った……まぁそれと見逃すかは別だがな」
殺人鬼は一瞬だけ目を丸くした。
それから、喉の奥で笑う。
「へっ……コレで同情なんてされちゃアタシは正体バレて逃げられなくなってもお前を殺してたさ…アタシは可哀想な被害者になんぞなりたくは無いんでな」
「だろうな」
「分かってんならいいんだよ」
二人の間に、短い沈黙が流れた。
殺人鬼の過去を知ったからといって、二人の関係が変わったわけではない。
彼女は今も殺人鬼であり、考調はそれを見逃すつもりがない。
それでも、互いに相手のことを何も知らなかった時と、すべてが同じというわけでもなかった。
観覧車はゆっくりと回転を続け、やがて乗り始めた場所へと戻ってきた。
扉が開き、二人はゴンドラから降りる。
係員からスタンプを押してもらい、必要なものを受け取ると、考調はスタンプカードを確認した。
「これで、また一つだな」
「おう、残りも集めねぇとな」
殺人鬼は何でもないことのように答えた。
先ほどまでの会話も、観覧車の中での戦闘も、今はひとまず終わったことだ。
二人は並んで歩き出す。
互いに相手を警戒したまま、それでも次のアトラクションへ向かって、遊園地の人混みへと戻っていった。
…………………………………………………………………
次に選んだアトラクションは、ラフティングフェニックスボートだった。
「一番近いのはここか」
考調はスタンプカードを確認しながら、目の前のアトラクションを見上げた。
「ならここでいいだろ」
殺人鬼も特に異論はないらしい。
二人とも、次に何へ乗るかを深く考えていたわけではなかった。
その結果乗り終わった後に服が濡れるという問題がすっかり思考から抜け落ちていた。
「……なぁ、これって濡れるんじゃねぇか?」
「今さら気づいたのかよ!」
「アンタだって今気づいただろうが!」
「うるせぇ! もう結構並んじまったんだから乗るぞ!」
順番が来るまでに引き返すこともできたが、二人とも結局そのまま乗り場へ向かった。
ラフティングフェニックスボートは、複数人が一つのボートに乗り込み、水流に乗ってコースを下っていくアトラクションだ。
今回のボートにも、考調と殺人鬼以外に何人かの客が乗り込んでいた。
さすがに、この状況で派手な戦闘をするわけにはいかない。
二人の目的は変わらない。
互いの意識を奪うことだ。
考調は殺人鬼を気絶させ、警察に発見させるつもりでいる。
一方、殺人鬼も考調を気絶させようとしていた。
遊園地で殺人事件を起こせば目立つため、まずは意識を奪い、人目につかない場所へ移動してから殺すつもりなのだ。
どちらも相手を倒す必要がある。
ただし、周囲には何も知らない一般客がいる。
ボートが動き始めると、二人はそれぞれの座席に腰を下ろした。
水流に押されてボートが進み、コースの先へと流されていく。
周囲の客は景色を楽しんだり、水しぶきに声を上げたりしていた。
その中で、考調と殺人鬼だけは妙に静かだった。
二人とも真顔で目を瞑り、座席に座っている。
傍から見れば、アトラクションの雰囲気を楽しむどころか、何かの儀式でもしているような妙な二人組に見えただろう。
だが、二人の意識は別の場所に向けられていた。
ボートのハンドルの上。
そこでは、考調のAXIOMと殺人鬼のハードネット・インパクトが互いを睨み合っていた。
一般客の目には見えない、静かな戦いだった。
先に動いたのは殺人鬼のスタンドだった。
右回し蹴りがAXIOMへと襲いかかる。
AXIOMは左足を振り上げ、その蹴りを迎撃した。
両者の脚がぶつかり、すぐさま次の攻防へ移る。
AXIOMは相手の足を膝裏で挟み込んだ。
そのまま鉄棒を回転するように、体操競技を思わせる縦回転へと移行する。
回転の勢いを乗せた踵が、ハードネット・インパクトの顎へ向かって振り上げられようとした。
だが、その瞬間だった。
殺人鬼がボートのハンドルを回した。
ボートの向きが変わり、それに合わせて考調の身体も傾く。
体勢が崩れたことで、考調の集中が一瞬だけ途切れた。
その隙を逃さず、ハードネット・インパクトはAXIOMの拘束から抜け出した。
再び両者が向かい合う。
そこまでの攻防は、わずか約三十秒だった。
周囲の客は水しぶきに騒いでいたが、二人の戦いに気づいた者はいない。
そして、ボートはそのままゴールへと到着した。
戦闘はそこで収まった。
「……っはぁ」
考調は何事もなかったかのように息を吐いた。
「……チッ」
殺人鬼も小さく舌打ちしただけで、それ以上は何も言わなかった。
今の状況で戦いを続けても、得られるものは少ない。
二人はほかの客に続いてボートから降りた。
そして、スタンプを貰いに行く前に、貸し出し用のドライヤーとタオルが置かれた場所へ向かった。
予想通り、二人とも髪や服が濡れていた。
「……最悪だな」
「お前が何も考えずに選ぶからだろ」
「アンタも何も考えてなかっただろうが!」
文句を言い合いながら、二人はタオルを手に取った。
まずは濡れた髪を拭き、それから身体についた水分を拭き取っていく。
ドライヤーの使用には百円が必要だった。
考調が料金を確認している横で、殺人鬼はポケットの中を探っていたが、やがて面倒くさそうに手を引っ込めた。
「……あー、金ねぇわ」
「持ってねぇのかよ」
「今はな」
殺人鬼は悪びれもせずに答えた。
結局、二人は一つのドライヤーを一緒に使うことになった。
順番に髪を乾かすよりも、その方が手っ取り早い。
考調がドライヤーを持ち、殺人鬼がその風に当たる。
しばらくして立場を入れ替え、今度は殺人鬼が考調の髪を乾かした。
「熱くねぇか?」
「大丈夫だ…良い感じ…」
「ならいいけどよ」
妙な光景ではあったが、二人とも余計なことを言う気はなかった。
髪を乾かし、タオルで身体を拭き終えると、ようやくスタンプを貰いに向かった。
係員にスタンプカードを渡し、ラフティングフェニックスボートのスタンプを押してもらう。
これで、また一つ進んだ。
ただし、問題がすべて解決したわけではなかった。
服の足首に近い部分は、まだ濡れたままだった。
歩くたびに布が肌へ張りつき、何とも言えない不快感がある。
「……気持ち悪ぃ」
「まったくだ」
二人は揃って足元を見下ろした。
髪も身体も拭いたというのに、最後に残ったのがこの不快感である。
互いに顔を見合わせ、どちらからともなく顔をしかめた。
そして、濡れた裾を気にしながら、次のアトラクションへ向かって歩き出した。
…………………………………………………………………
次に向かったのは、フェニックスバイキングだった。
「……足、まだ気持ち悪ぃな」
考調は歩きながら、濡れたズボンの裾を気にしていた。
「さっきからそればっかりじゃねぇか」
「実際に気持ち悪いんだから仕方ねぇだろ」
ラフティングフェニックスボートで濡れた服は、タオルで拭いても完全には乾いていなかった。
そこで考調は、ふと思い出したことを口にした。
「そういや、秋から冬にかけてはフェニックスコースターとかフェニックスバイキングって、足元から温風が出るんだよな」
「温風?」
「家族と何度も来てるから知ってんだよ、ワンチャン乾くかもしれねぇ」
「だったら、ちょうどいいじゃねぇか」
殺人鬼もその案に乗った。
濡れた服を乾かせるなら、それに越したことはない。
二人はそんな期待を抱きながら、フェニックスバイキングの乗り場へと向かった。
ただし、ここで戦闘をするつもりはなかった。
フェニックスバイキングは、船のような乗り物が大きく揺れ動くアトラクションだ。
座席は船の両側に向かい合う形で設置されており、たとえ一番端の席になったとしても、船の中央付近にいる相手を視界に入れやすい。
そして今回、考調と殺人鬼の席は中央付近だった。
周囲には他の客も多い。
スタンド同士の攻防であっても、船が振り子のように揺れる中で動けば、意図せず周囲の人間を巻き込む危険がある。
ここで戦うのは、これまで以上に難しい。
だからこそ、戦闘は一切起こらないはずだった。
――そのはずだった。
船が動き始め、ゆっくりと大きく揺れ出した頃。
考調のスタンドが、突如として殺人鬼へ殴りかかった。
拳には、すでに高い威力があるという自己証明が施されている。
不意打ちだった。
一般客からすれば、凄まじい炸裂音が突然船の上に響き渡った様に聞こえただろう。
しかも、周囲の客から見られる危険があるにもかかわらず、考調はわざわざ真正面から拳を繰り出していた。
「ッ!?」
殺人鬼は咄嗟に掌を差し出し、その拳を受け止めた。
衝撃が掌へ伝わる。
受け止めることには成功したものの、ほんの一瞬でも反応が遅れていれば危なかった。
殺人鬼のスタンドが、考調のスタンドを睨みつける。
「どういうつもりだ?」
スタンドの口が動き、低い声を発した。
考調はすぐにスタンドを引っ込めた。
ただし、完全に消したわけではない。
口だけを自分の口に重ね、スタンドの全体を見えなくする。
その状態で、ACT1へと移行した。
周囲から見れば、考調が突然口を開いたようにしか見えないだろう。
「アンタの攻撃には毎回威力のムラがあった……どデカいムラがな」
考調は殺人鬼から目を離さずに話し始めた。
「最初はメリーゴーランドの時、ベルト越しに衝撃が来たから衝撃を流したり拳に込める能力かと思った、だが戦ってる内に違和感に気づいたのさ……アンタの衝撃はとんでもなく強い衝撃とそうでない衝撃があった」
殺人鬼は黙って聞いていた。
「お化け屋敷の時に乗ってた衝撃は強かったのに観覧車の時のは弱かった……逆だろ普通、一番慎重になるべき所でなんで大胆に強い衝撃を使う? もう少し解放しても良い制約の少ない戦いの時になぜわざわざ弱める?」
考調は、これまでの戦闘を振り返っていた。
メリーゴーランドでの攻防。
お化け屋敷の狭い部屋での戦闘。
観覧車の頂上付近で交わした攻撃。
そして、ラフティングフェニックスボートでの攻防。
そのすべてを通して、彼女の攻撃には明確な違いがあった。
「そこで一つ試してみた、俺は観覧車の時、思い切りアンタを蹴り飛ばした、掌で受け止めてもアンタの今まで見せたパワーじゃ耐えきれない位の力だ…」
殺人鬼は何も言わずに聞き続ける。
「アンタは掌で受け止め、微動だにしなかった……そして次に、ラフティングフェニックスボートでのアンタの衝撃はコレまでのどの衝撃よりも強かった」
考調の目が細くなる。
「アンタの能力は掌で衝撃を吸収、拳で自分の物として吸収した衝撃を放つ力だな?」
殺人鬼は、しばらく考調を見つめていた。
やがて、口元に笑みを浮かべる。
「良くわかったじゃねぇか」
反論はなかった。
考調が立てた仮説に対し、殺人鬼は否定も訂正もしなかった。
その瞬間、考調が隠していたACT1の能力が仮説を証明し、AXIOMはACT3へと移行した。
同時に、フェニックスバイキングの船が停止した。
周囲の客もざわめいている、先程の炸裂音が原因だろう。
アトラクションの係員が安全確認を行っているらしい。
考調と殺人鬼は、互いに何も言わず座席に留まっていた。
先ほどの会話は、二人にしか分からないものだった。
そして、今回の推理には一つだけ間違いがあった。
ハードネット・インパクトの能力は、掌で衝撃を吸収し、拳から自分のものとして放つだけではない。
とある条件下でのみ、両の拳で攻撃を弾き、逸らすこともできる。
考調は、その部分を見落としていた。
しかし、この誤認によって最もまずい状況に陥ったのは、奇妙なことに殺人鬼の方だった。
考調は、彼女の能力を「掌で衝撃を吸収し、拳で自分のものとして放つ力」として証明した。
その証明が維持されている限り、考調自身も、その能力について新たな自己証明を行うことはできない。
だが、同じことは殺人鬼にも当てはまる。
彼女は考調に能力の詳細を必要以上に伝えていなかった。
その結果、考調の証明によってハードネット・インパクトの能力は固定され、衝撃を弾くことも逸らすこともできなくなった。
殺人鬼は、その事実に気づいていない。
そもそも彼女は、考調のスタンドがどのような能力を持っているのか知らないのだ。
これまで彼女が目にしてきたAXIOMは、すべてACT3へ移行した後の姿だった。
今の状況から、彼女が考調の能力について推理するのは難しかった。
やがて安全確認が終わり、今回は何一つ壊してはいなかったので、フェニックスバイキングは何事もなく再び動き出した。
二人はそれ以上、戦闘を行わなかった。
アトラクションが終わる頃には、足元の濡れた感触も少しだけましになっていた。
完全に乾いたわけではない。
それでも、乗る前よりは幾分か楽になっていた。
考調と殺人鬼は乗り場を出ると、係員にスタンプカードを渡し、フェニックスバイキングのスタンプを押してもらった。
スタンプは、これでまた一つ増えた。
そして二人は、まだ少し湿ったズボンの裾を気にしながら、次の行き先を考えるのだった。
作者のちょっとした無意味なこだわり。
缶バッジ✕
缶バッヂ◯