転生スタンド使いの日常。 作:匿名の読む専
十一月後半。
秋もすっかり過ぎ去り、冬の気配が日常の中に溶け込んできた頃、父さんが妙なものを持ち帰ってきた。
「考調、ちょっといいか」
「ん?何?」
夕食を終えて一息ついていた俺に、父さんが一枚の券を見せてきた。
「北海道旅行券だ」
「……北海道?」
「そう、北海道」
父さんは券をひらひらと揺らしながら、妙に得意げな顔をしていた。
北海道旅行券。
字面だけなら何とも魅力的な代物だが、俺が気になったのはそこではない。
「何でまた急に?」
「会社の上司から貰ったんだよ」
「貰った?」
「ああ、何でも上司の家族が出産するらしくてな」
なるほど、家族が増えるのなら旅行どころではないということか。
「それで休暇を取って家族と過ごすことにしたらしいんだが、旅行券の期限が十二月中旬までなんだとさ」
「ふむ」
「せっかくの旅行券を捨てるのも勿体ないし、誰か使ってくれる人がいないかって話になったらしくてな、それで俺に譲ってくれたわけだ」
「へぇ……」
話としては理解できる。
使わずに期限が切れてしまうくらいなら、誰かに譲った方がいいという判断は別におかしくない。
ただ、一つだけ問題があった。
「……冬に北海道?」
「冬に北海道だな」
「寒くね?」
「そりゃ寒いだろうな」
「そこは否定しないんだ……」
思わず呆れた声が出た。
北海道といえば、俺の中では雪が大量に降る場所という印象が強い。
もちろん、実際には地域によって気候も違うのだろうが、少なくとも十一月後半から十二月にかけての北海道が暖かい場所だとは思えなかった。
「でも、冬の北海道の景色って気にならない?」
そこで母さんが会話に加わってきた。
「雪景色も綺麗でしょうし、せっかく旅行券をいただいたのだから使わないのも勿体ないわ」
「それはそうなんだけどさ」
「防寒をしっかりしていけば大丈夫でしょう?」
「……まあ、そうか」
母さんの言うことも分かる。
寒いからという理由だけで行くのをやめるのも、それはそれで勿体ない話だ。
それに、北海道にはアイヌ文化に関する施設や展示もあるらしい。
普段の生活ではなかなか触れる機会がない文化だし、そういうものを実際に見て回るのは面白そうだった。
何より、俺自身も冬の北海道の景色には興味がある。
「よし、行くか」
「おっ、決まりだな!」
「ただし、防寒対策はちゃんとするからな」
「分かってる分かってる!」
父さんは笑いながら頷いた。
その横で母さんも楽しそうに微笑んでいる。
こうして、俺たち家族の一泊二日の北海道旅行が決まった。
……ちなみに、俺は寒さに関して少しばかり自信があった。
正確には、AXIOMによって寒さへの耐性を証明していたのである。
前世では、北半球まで泳いだことがあった。*1
その時は寒さに耐えきれず、早々に引き返したのだが、だからといって寒さに弱いままでいるのも何だか気に入らなかった。
そこで、どうにか寒さを克服できないかと考え、AXIOMで自分の身体が寒さに耐えられることを証明したのだ。
もちろん、寒さそのものが消えたわけではない。
冷たいものは冷たいし、寒いものは寒い。
ただ、以前と比べればかなりマシになった。
つまり、俺は冬の北海道でもある程度は耐えられるはずだった。
そう、耐えられるはずだったのである。
…………………………………………………………………
「北海道寒ッ……!?」
到着して早々、俺は自分の認識を改めることになった。
いや、寒い。
想像していたよりもずっと寒い。
防寒着はちゃんと着ているし、手袋だって用意していた。
それなのに、外へ出た瞬間から身体のあちこちが冷えていくような感覚がある。
「ふぉあ!?コラ!?父さんのカイロ入り上着に手を突っ込むな!?手ぇ冷たッ……!?」
「いや無理無理無理!寒いって!」
「自分のポケットに入れろ!」
「カイロ入ってないんだよ!」
「知らんわ!自分で用意しとけ!」
父さんの上着に手を突っ込んで暖を取ろうとしたら、当然のように怒られた。
しかし、俺だって好きで父さんの上着に手を突っ込んだわけではない。
寒かったのだ。
とにかく寒かったのである。
「んふっ……ふふふ……まったく、北海道まで来てやってること変わらないんだから……」
母さんは俺たちのやり取りを見て、肩を震わせながら笑っていた。
「笑ってないで助けてくれよ母さん!」
いつまでも
「はいはい、頑張ってね」
「他人事!?」
「だって、考調が自分でお父さんの上着に手を突っ込んだんでしょう?」
「それはそうだけど!」
正論だった。
正論だったが、今は寒さの方が問題だった。
結局、俺は父さんの上着から手を引き抜き、自分のポケットへと戻した。
カイロの温かさは失われたが、父さんからの小言も止まったので、そこは素直に諦めることにした。
……AXIOMで寒さへの耐性を証明したはずなのに、これでは何だか情けない。
いや、待て。
そもそも、寒さに耐えられることと、寒さを感じないことは別の話だ。
寒いと感じるのは当然であり、それに耐えられるかどうかが問題なのだから、今の俺は別に証明に失敗したわけではない。
「……うん、そういうことにしておこう」
「何が?」
「いや、こっちの話」
父さんの問いかけを適当に流しながら、俺は改めて周囲を見渡した。
そこには、見渡す限りの雪景色が広がっていた。
建物の屋根や道路の端に積もった雪はもちろん、少し離れた場所に見える木々も白く染まっている。
空気は冷たく、吐く息も白い。
普段暮らしている場所ではなかなか見られない景色だった。
寒ささえなければ、ずっと眺めていたくなるくらいには綺麗だと思う。
「……景色はいいんだけどなぁ」
「そうだろう?」
父さんも周囲を見ながら頷いた。
「冬の北海道も悪くないな!」
「まだ着いたばっかりだけどね」
母さんの言葉に、俺たちは揃って笑った。
そうして、俺たちは北海道観光を始めることになった。
…………………………………………………………………
今回の旅行で俺たちが最初に向かうのは、アイヌ文化に関する施設だった。
そのため、まずは札幌からバスに乗ることになったのだが、車窓から見える景色はとにかく凄かった。
雪、雪、雪。
普段の生活で見慣れている景色とは、明らかに違う。
道の端には雪が積もり、建物の周囲も白く染まっている。
遠くに見える木々の枝にも雪が乗っていて、まるで別の世界に来たような気分になった。
「いやぁ、凄いなこれ」
「綺麗だよなぁ」
隣に座っている父さんも、窓の外を眺めていた。
母さんは俺の向かい側、父さんの横でで景色を見ながら穏やかに微笑んでいる。
そんな中、俺たちが何をしていたのかというと。
「UNOって言ってない!!」
「い〜や?言ったが??」
「絶対言ってないだろ今!」
「いやいや、ちゃんと言ったぞ?」
「どこでだよ!?」
「心の中で!」
「それは反則だろうが!!」
バスの座席でUNOをしていた。
……何をやっているんだ、俺たちは。
中学三年生にもなって、父親とUNOで盛り上がっている息子の図。
しかも、父さんは今、完全に嘘をついた。
UNOと言っていない。
俺は聞いていた。
父さんがUNOと言っていないのを確かに聞いていたのだ!
それなのに、父さんは平然とした顔で言ったと言い張っている。
「ほら、考調!早くカードを引け!」
「その前に今の判定をどうにかしろ!」
「判定も何も、俺の勝ちだろう?」
「何でだよ!?」
「父さんだからだ!」
「意味分かんねぇよ!!」
「ふふっ……二人とも、バスの中なんだからあまり騒がないのよ」
母さんに注意された。
「はい……」
「はい……」
俺と父さんは揃って返事をした。
そして、数秒後。
「UNOって言ってない!!」
「い〜や?言ったが??」
「だから言ってねぇって!!」
「二人とも?」
「「はい」」
再び母さんに注意された。
……俺たち、北海道まで来て何をしているんだろうな。
いや、楽しいから別にいいのだけれど。
窓の外には銀世界が広がっていて、車内では父さんとカードゲームをしている。
この状況だけを切り取れば、なかなか奇妙な旅行風景だと思う。
それでも、こういう時間が嫌いではなかった。
家族で出掛けること自体、特別なことではない。
けれど、普段とは違う場所で、普段と変わらないやり取りをしているというのは、何だか妙に落ち着くものだった。
「……次こそ勝つ」
「ほう?言ったな、考調!」
「今度こそ絶対にUNOって言わせてやるからな!」
「はっはっは!できるものならやってみろ!」
「お父さん、今度はちゃんと言ってね」
「……はい」
母さんの一言で、父さんが大人しくなった。
俺はその様子を見て、思わず笑ってしまった。
そうして、雪景色を眺めながらUNOを続けているうちに、バスは目的地へと向かっていった。*2
北海道の景色を楽しみ、アイヌ文化について見て回り、俺たちは冬の北海道観光を満喫した。
…………………………………………………………………
観光を終えた頃には、身体の芯まで冷えているような気がした。
いや、実際には防寒着のおかげでどうにかなっているのだが、それでも外にいる時間が長ければ長いほど、寒さというものは容赦なく襲いかかってくる。
「……北海道、恐るべし」
「何だ考調?もう寒さに負けたのか?」
「父さんは何でそんなに元気なんだよ……」
「気合いだ!」
「気合いでどうにかなる寒さじゃねぇよ!」
「ふふっ……二人とも、そろそろ宿に向かいましょうか」
母さんの提案に、俺と父さんは揃って頷いた。
今回の旅行券には、宿泊施設で利用できる無料の宿泊券も付いていた。
しかも、ただ泊まれるだけではなく、設備の充実したかなり良い宿らしい。
そこへ向かうことを考えれば、自然と足取りも軽くなる。
「いやぁ、楽しみだな!」
「それは同感」
「温泉もあるみたいよ」
「温泉!?」
思わず声が出た。
寒い場所で身体を冷やした後に温泉へ入れるというのは、かなり魅力的な話である。
「……よし、早く行こう」
「おっ、急に元気になったな!」
「そりゃ温泉があるなら話は別だろ!」
「はっはっは、現金な奴め!」
「父さんにだけは言われたくない!」
俺たちはそんなやり取りをしながら、宿へと向かった。
北海道の雪景色は、想像していた以上に綺麗だった。
ただし、寒さも想像していた以上だった。
AXIOMで寒さへの耐性を証明していたとしても、北海道の冬を甘く見てはいけないらしい。
……次に来る時は、もう少しカイロを用意しておこう。
そう心に決めながら、俺は父さんと母さんの後を追って歩いていった。
…………………………………………………………………
到着からバスに乗り夕方の17時まで観光や買い物、食事などを楽しんだ後。
旅館に到着した俺たちは、まず荷物を置くためにチェックインを済ませることにした。
旅行券に付属していた宿泊券で泊まれる旅館という話だったが、実際に訪れてみると、想像していたよりもずっと立派な建物だった。
入り口からして落ち着いた雰囲気があり、館内も綺麗に整えられている。
案内された部屋に入って荷物を置くと、ようやく一息つくことができた。
「いやぁ、良い宿だな!」
父さんは部屋を見回しながら、満足そうに声を上げた。
「本当ね、思っていた以上に素敵なところだわ」
母さんも窓の外を眺めながら頷いている。
俺も同じ意見だった。
普段の生活で利用するような場所とは、明らかに雰囲気が違う。
畳の感触も、部屋の広さも、窓から見える景色も、何だか旅行に来たという実感を強めてくれるものだった。
「……さて」
荷物を置いたところで、俺はスマホを取り出した。
「ちょっと飯を食べてくる」
「もう食べに行くのか?」
父さんが不思議そうにこちらを見る。
「せっかく北海道まで来たんだし、気になってた店があるんだよ」
「ふむ、ラーメンか?」
「正解」
「おお、良いじゃないか!」
父さんは妙に嬉しそうだったが、俺は一人で行くつもりだった。
「父さんたちはどうするんだ?」
「俺たちは旅館のサービスを利用させてもらおうかと思っているのよ」
母さんがそう答えた。
「せっかく良い宿に泊まれるんだもの、食事も楽しみたいでしょう?」
「それもそうだな」
旅館の食事を楽しむのも旅行の醍醐味だろう。
俺だって興味はあるが、今回はどうしても食べてみたいラーメンがあった。
「じゃあ、俺はちょっと行ってくる」
「外は寒いから、しっかり防寒していくのよ」
「分かってるって」
「あと、あまり遅くならないようにな!」
「はいはい」
父さんの言葉に適当に返事をして、俺は再び上着を着込んだ。
カイロも用意した。
手袋もある。
今度こそ寒さ対策は万全である。
……いや、そもそも北海道に来てから何度寒さについて考えているのだろうか。
AXIOMで耐性を証明していたはずなのに、現地の寒さを体感してからというもの、俺の中で北海道の評価が少し変わってしまった。
景色は綺麗だし、文化を知るのも面白い。
しかし、寒いものは寒い。
そこだけはどうしようもなかった。
「行ってきます」
「気をつけてね」
「おう、楽しんでこい!」
両親に見送られながら、俺は旅館を出た。
目的の店は、スマホで見つけた隠れ家的なラーメン屋だ。
何でも、知る人ぞ知る名店らしく、口コミにはやたらと熱のこもった感想が並んでいた。
スープが美味いだの、麺との相性が最高だの、チャーシューがどうだの。
写真も何枚か掲載されていたが、どれも妙に美味そうに見える。
もちろん、口コミが本当かどうかは実際に食べてみなければ分からない。
それでも、ここまで気になる情報を見せられたら、一度くらいは足を運んでみたくなるというものだ。
「……楽しみだな」
スマホの地図を確認しながら、俺は歩き始めた。
旅館から店までは、それほど遠くない。
ただ、地図を見ているうちに、少しだけ気になる道を見つけてしまった。
目的地へ向かう大通りとは別に、途中から脇へ入っていく細い道がある。
そちらを通れば、多少は近道になるようだった。
「……こっちから行けるのか」
俺は足を止めて、道の先を眺めた。
人通りは少ない。
周囲には雪が積もっているが、道そのものは何とか歩ける状態だった。
普段から知らない道を歩くのは好きだし、旅行先ならなおさら気になる。
もちろん、危険そうな場所にわざわざ入り込むつもりはない。
道が続いていて、無理なく通れるのなら、少しくらい寄り道してみるのも悪くないだろう。
「よし、こっちだな」
そう判断して、俺は細い道へと入っていった。
…………………………………………………………………
しばらく歩いていると、前方に妙なものが見えた。
「……ん?」
雪の積もった道の先に、一台の車が停まっていた。
いや、停まっているというより、埋まっていると言った方が正しいかもしれない。
車体の下半分近くが雪に覆われており、タイヤもまともに動けていないようだった。
車の周囲には、タイヤが空転したらしい跡が残っている。
それだけなら、雪道で車が動けなくなったという話で終わる。
だが、どうにも様子がおかしかった。
車はずっとエンジンを吹かしているらしく、時折、低い駆動音が響いてくる。
それなのに、車体はほとんど動いていない。
タイヤが雪を掻き出そうとしているのかもしれないが、見た限りでは状況が改善しているようには思えなかった。
「……あの車、電話で助けを呼ぶとかは出来るはずなのに何でずっとエンジン吹かしてアクセル全開なんだ……?」
思わず独り言が漏れた。
俺は車の様子を遠目から観察した。
雪にハマった車をどうにかしようとする気持ちは分かる。
動かせるものなら動かしたいだろうし、急いでいる事情でもあるのかもしれない。
ただ、今の状態でアクセルを踏み続けたところで、すぐに抜け出せるようには見えなかった。
むしろ、タイヤが空転することで雪を掘り、余計に動けなくなっている可能性すらある。
「……一回、誰かに助けを頼んだ方が早いんじゃないか?」
少なくとも、俺ならそうする。
エンジンを切れば、寒さで車が冷え切ってしまい、再び動かすのに苦労するかもしれない。
それでも、車体が半分近く雪に埋もれているのなら、無理に動かそうとするより、助けを呼んで対応した方が早いだろう。
場合によっては料金が掛かるかもしれないが、ガソリンを無駄に消費し続けるよりは良いはずだ。
……まあ、そんな判断ができないほど焦っているのかもしれないが。
「急いでるのかねぇ……」
そう呟いて、俺は再び歩き出そうとした。
その時だった。
何となく気になって、車内を遠目から覗いてみた。
窓ガラス越しなので、細かいところまではよく見えない。
運転席には女性が座っていた。
ハンドルを握る手に力が入っているのが、遠くからでも分かる。
そして、後部座席には小さな子供が横になっていた。
年齢は七歳くらいだろうか。
座席に身体を預け、ぐったりと寝込んでいるように見えた。
「……ん?」
俺は目を細めた。
子供の様子が気になったのだ。
ガラス越しなので確かなことは分からないが、呼吸が荒いように見える。
ただ眠っているだけという感じではなかった。
それに、運転席の女性の様子も尋常ではない。
彼女は何度も前方を確認し、アクセルを踏み込んでは、動かない車に苛立つような仕草を見せていた。
焦っている。
それも、単に車が動かないことに困っているというだけではないように感じた。
後部座席の子供。
何度もアクセルを踏み込む女性。
雪にハマったまま動かない車。
それらを見ているうちに、俺の中で一つの考えが浮かんだ。
「……あの子、具合が悪いのか?」
もしそうならあの女性が必死になっている理由も分かる。
子供の具合が悪く、病院へ連れて行こうとしているのかもしれない。
しかし車が雪にハマって動けなくなった。
だから何とかして抜け出そうと焦りながらアクセルを踏み続けている。
もちろん、これは俺の推測に過ぎない。
女性が何を考えているのかも、子供がどんな状態なのかも、まだ確かめたわけではない。
だが少なくとも、ただの立ち往生ではない可能性がある。
「……ちょっと、話を聞いてみるか」
俺は進路を変え、車の方へと歩き始めた。
雪を踏む音が、静かな道に響いた。
車の近くまで来ると、運転席の女性がこちらに気付いたようだった。
窓越しに、警戒するような視線が向けられる。
俺はそのまま車の横まで近づき、窓ガラスを軽く叩いた。
コンコン……。
女性がこちらを睨んだ。
俺は窓の向こうにいる彼女を見つめたまま、次の言葉を考えていた。
……さて、何と聞いたものか。
車が動けなくなっていることは、見れば分かる。
問題は、後ろで寝込んでいる子供の方だ。
もし本当に具合が悪いのなら、無駄話をしている時間はないだろう。
かといって、事情も分からないまま勝手に判断するわけにもいかない。
「………」
俺が黙っていると、女性の方が先に口を開いた。
「アンタ、何の用……!今アタシは急いでんのよ!用があるならさっさと言いなさい……!」
窓越しに聞こえてきた声は、明らかに苛立っていた。
……まあ、そうなるよな。
急いでいる時に見知らぬ人間から声を掛けられたら、面倒に思うのも無理はない。
それでも、俺は後部座席の子供から目を離さずに尋ねた。
「車……ハマって動けないんスか……?」
「そうよ!見て分かんない訳!」
「その子……熱出してるんで……?」
その問いに、女性の表情が変わった。
怒りと焦りが入り混じったような顔だった。
「あ〜もう!何なのよあんた!そうよ!だから今必死にエンジン吹かしてんのよ!」
やはり、そうだったらしい。
女性は子供を病院へ連れて行こうとしているのだろう。
そして、車が雪にハマってしまい、焦っている。
事情が分かった以上、俺が取るべき行動も決まった。
「エンジン……そのままでアクセル踏んでてください……」
「アンタ……何を……?」
女性が怪訝そうな顔をした。
そりゃそうだろう。
見知らぬ中学生くらいの男が突然現れて、アクセルを踏み続けろと言い出したのだ。
普通なら意味が分からないはずだ。
だが、俺はそれ以上の説明をせず、車の後ろ側へと回り込んだ。
「……さて」
車体を持ち上げること自体は難しくない。
AXIOMがあるのだから、力の問題はどうにでもなる。
ただし、車に直接触れるわけにはいかなかった。
人間の身体で持ち上げるのならまだしも、スタンドの力で車体を支えれば、接触した部分に余計な力が掛かり、手形のような跡を付けてしまう可能性がある。
そんなことになれば、助けたはずなのに車を壊したという話になりかねない。
「……上着でいいか」
俺は着ていた上着の裾を引っ張り、AXIOMに掴ませた。
上着越しに車体を持ち上げれば、直接車に触れることなく力を伝えられる。
少なくとも、車体に手形を付けるような事態は避けられるはずだ。
AXIOMが俺の背後に現れ、上着を掴む。
そのまま車の後部へと回り、持ち上げる位置を確認した。
雪に埋もれた車体。
空転を続けるタイヤ。
そして、運転席からこちらを見ている女性。
「……行きますよ」
聞こえているかどうかは分からなかったが、俺は小さく呟いた。
AXIOMが車体を持ち上げる。
重さは感じない。
雪に沈み込んでいた車体が、少しずつ浮かび上がっていく。
女性が目を見開いた。
何が起きているのか、理解が追いついていないのだろう。
だが、今は説明している暇はない。
車体が雪の上に乗り出すまで、数秒も掛からなかった。
「……よし」
俺が車体を支えたまま、AXIOMに力を調整させる。
車が雪の上へと戻った、その瞬間だった。
アクセルを全開にしていた車が、一気に前へ飛び出した。
「うおっ!?」
俺は慌てて後ろへ飛び退いた。
車はそのまま勢いよく走り出し、雪の積もった道を抜けていく。
まぁアクセル踏み続ける様言ってたし、ブレーキ踏むほうが危ないわな。
それにどうやらあの女性は俺が何をしたのか理解するより先に、車を動かすことを選んだらしい。
それでいい。
今は子供を病院へ連れて行くことが最優先なのだから。
遠ざかっていく車を見送りながら、俺は息を吐いた。
「……行ったか」
車体を持ち上げた時間はほんの数秒だった。
それでも、上着には雪が大量に付着している。
しかも、先ほどまで車体を持ち上げていたせいで、冷たい空気が一気に身体へ入り込んできたような気がした。
「……寒ッ」
思わず肩を震わせた。
AXIOMで寒さへの耐性を証明しているとはいえ、寒いものは寒い。
それに、上着が雪まみれになってしまったのは痛い。
「……あの子、無事だったら良いが」
走り去った車を見つめながら、俺は呟いた。
今から追いかけるわけにもいかない。
そもそも、病院へ向かっているのなら、俺ができることはもうないだろう。
あの子が無事に診察を受けられることを祈るしかなかった。
「……さて」
俺は濡れた上着を軽く払った。
雪は落ちたものの、冷たさまでは消えない。
せっかくラーメンを食べに行くところだったのに、思わぬ寄り道をしてしまった。
とはいえ、後悔はしていない。
目の前で困っている人がいて、手を貸せる状況だったのなら、助けるのは別におかしなことではないだろう。
ただ、これでラーメンの店に着くまで、余計に寒い思いをすることになった。
「……まあ、仕方ないか」
俺は再び歩き始めた。
…………………………………………………………………
そうして暫く歩いた後。
ラーメン屋に到着した頃、身体はすっかり冷え切っていた。
店の中に入った瞬間暖かい空気が身体を包み込む。
それだけで思わず安堵の息が漏れた。
「……生き返る」
店内の暖房がこれほどありがたいと思ったことはなかった。
俺は注文を済ませて席に座りラーメンが来るのを待った。
やがて運ばれてきた丼から、湯気が立ち上っている。
スープの香りも良い。
麺も、具材も、写真で見たものとほとんど変わらない。
「……おお」
思わず声が出た。
期待していた通り…いや、期待していた以上に美味そうだった。
まずはスープを一口飲む。
熱い。
そして、旨い。
冷え切った身体に、温かいスープが染み渡っていくようだった。
続けて麺を啜る。
こちらも良い。
スープとの相性も申し分なく箸が止まらなかった。
「……うまっ」
思わず呟いた。
口コミに書かれていた内容も、あながち大袈裟ではなかったらしい。
これは確かに、隠れた名店と言われるだけのことはある。
俺はラーメンを食べながら、先ほどの出来事を思い返した。
雪にハマった車。
後部座席で寝込んでいた子供。
必死に車を動かそうとしていた母親。
あの子は、もう病院に着いただろうか。
熱が高そうだったし、できることなら無事でいてほしい。
だが、今の俺には確かめる方法がない。
名前も知らないし、連絡先を交換したわけでもない。
そもそもあの女性はアクセルを踏み続けていたので車が雪から抜けた瞬間、礼を言う暇もなく走り去ってしまった。
「……まあ、無事を祈るしかないか」
そう呟いて、俺は再びラーメンに集中することにした。
せっかく北海道まで来て、美味しいラーメンを食べているのだ。
今はこの時間を楽しもう。
そうして、俺は最後までラーメンを味わった。
店を出ると、外は相変わらず寒かった。
「……うん、寒い」
結局、寒いものは寒いのである。
ラーメンを食べたおかげで身体の内側は温まったものの、外気に触れればすぐに冷えていく。
しかも、車を持ち上げた時に雪まみれになった上着は、まだ少し冷たかった。
「……ラーメンの旨さはプラマイゼロかな……」
帰り道、俺はそんなことを考えていた。
いや、もちろんラーメンは美味しかった。
美味しかったのだが、食べるまでの道のりがこれでは、差し引きで考えたくもなる。
……いや、やっぱり美味かったからプラスかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は旅館へと戻っていった。
結局、あの子供が無事だったのかどうかは分からないままだった。
それでも、あの車が再び雪に埋もれて動けなくなることはなかっただろう。
俺ができたのは、ほんの数秒だけ車を持ち上げること。
そして、母親と子供が病院へ向かうための時間を少しでも稼ぐことだけだった。
今回の出来事を、俺は誰にも話さなかった。
北海道の冬、銀世界の中で車を持ち上げた男のことを知る者は他ならぬ自分自身と、助けられた母親と子供だけだろう。
それはそれとしてやっぱり旅館まで結構距離あるなこれ…寒い…。
…………………………………………………………………
帰り道、俺の体はすっかり体が冷え切っていた。
スマホで見つけたラーメン屋の味は、確かに評判どおりだったと思う。
麺もスープも申し分なく、わざわざ人通りの少ない道を通ってまで食べに行った甲斐はあった。
……あったのだが。
「寒い……」
思わず口から漏れた声に、白い息が混じる。
上着には雪が付着しているし、払ったところで染み込んだ冷気まではどうにもならない。
そもそも、北海道の冬を甘く見ていたつもりはなかったのだ。
防寒対策はしたし、AXIOMを使って寒さに耐えられるように証明だってしてある。
前世で北半球まで泳いだ時には寒さに耐えきれず即座に引き返した経験があるからこそ、今度こそ克服してやろうと試行錯誤した結果だった。
そのおかげで、以前よりはずっと寒さに強くなったはずなのだが、現実はなかなか厳しい。
「……北海道、寒すぎだろ」
いや、本当に。
これで寒さに強くなっていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。
考えたくもない。
そんなことを考えながら、旅館へと足を進める。
先ほど助けた車のことが、頭の片隅から離れなかった。
あの子供は無事に病院へ辿り着けただろうか。
母親らしき女性は、確かに相当焦っていた。
車が雪に埋まって身動きが取れなくなっていたのだから、あのままではどうにもならなかっただろう。
俺が車を持ち上げたことで、少なくとも進めるようにはなった。
……アクセルを全開にしていたせいで、物凄い勢いで走り去ってしまったのは予想外だったが。
「まぁ……あの勢いなら、少なくとも前には進めたしな」
問題は、あの後だ。
雪道であんな速度を出して大丈夫なのかという心配もあるが、そもそも俺には、その先を確かめる手段がない。
追いかけて様子を見るわけにもいかないし、病院に到着したかどうかを調べる方法もない。
結局、無事を祈ることしかできなかった。
「……無事だと良いんだけどな」
そう呟いてから、俺は一度だけ空を見上げた。
降り積もった雪と、冷たい空気と、どこまでも続く冬景色。
北海道の銀世界は綺麗だった。
綺麗だったのだが……今の俺にとっては、少々寒さが勝りすぎている。
とにかく、さっさと旅館に戻ろう。
そうして歩き続け、ようやく旅館へと帰り着いた俺は、冷え切った体を温めるためにも、まずは部屋へ戻ることにした。
両親は旅館のサービスを楽しんでいるはずなので、今頃はのんびり過ごしていることだろう。
俺も俺で、せっかくの旅行なのだから楽しまなければ損だ。
……とはいえ、まずは暖まりたい。
旅館に戻り部屋に入った後、上着に付着した雪を落としながら、改めてそう思った。
…………………………………………………………………
夕食の時間になり、俺達家族は旅館の食事処へと向かった。
今回の旅行券には、宿泊先であるこの旅館の利用券も付いていたらしい。
しかも、ただ泊まれるだけではなく、かなり良い宿だった。
部屋の設備も充実していたし、旅館の中で受けられるサービスも多い。
両親が寒さを理由に旅館で過ごすことを選んだのも、今となっては納得できる話だった。
そして、夕食。
俺と父さんは、席に着いた瞬間から目の前の光景に圧倒されていた。
「……おぉ」
思わず声が出る。
目の前に並べられた料理は、普段の食卓で見かけるものとは明らかに違っていた。
皿の種類も、盛り付けも、料理の並び方も、何もかもが本格的だった。
ひとつひとつの料理が丁寧に作られていることは、食べる前から分かる。
ただ、問題がひとつあった。
「……父さん」
「……何だ、考調」
「これ、どう食べれば良いんだ?」
「……父さんも今、同じことを考えていた」
父さんもかよ。
いや、気持ちは分かる。
料理そのものが美味しそうなのは間違いないのだが、普段食べ慣れていない形式で並べられると、どこから手を付ければ良いのか分からなくなるのだ。
俺達は目の前の御膳を眺めながら、互いに何となく視線を交わした。
「……とりあえず、食べて良いんだよな?」
「そりゃ食べるために出してくれているんだろう」
「いや、それはそうなんだけどさ……」
何だろう、この妙な緊張感は。
普段の食事なら、こんなことを考える必要もないのに。
そんな俺達の隣で、母さんは別の意味で料理に集中していた。
調読華は目の前の料理を眺め、香りを確かめ、じっくりと観察している。
「……ふむ」
小さく呟いた母さんは、料理をひと口食べた。
そして、少しだけ目を細める。
「この出汁、昆布だけじゃないわね……魚の旨味も重ねているのかしら」
……何か始まった。
俺がそう思っている間にも、母さんは次の料理へと箸を伸ばしていた。
「こっちは下味に柑橘系を使っているのね、でも香りが強すぎない……火を通す前に少し馴染ませたのかしら」
料理を食べているはずなのに、まるで調理場を覗いているかのような分析が続いていく。
俺と父さんは、料理の食べ方が分からず困っているというのに。
「……母さん、楽しそうだな」
「……ああ、楽しそうだな」
父さんと小声で話しながら、俺は母さんの様子を眺めた。
母さんは普段から料理が好きだし、味にもかなり詳しい。
ただ、こうして旅館の本格的な料理を相手にしている時の集中力は、いつも以上に凄まじかった。
そして、そんな母さんの様子を見ている人物がもう二人いた。
料理長とオーナーである。
食事処の少し離れた場所から、こちらの様子を窺っている二人の表情には、妙な自信があった。
まるで、料理の腕前を試すような顔だ。
もちろん、別に勝負を挑んでいるわけではないのだろう。
しかし、あの表情は何だ。
どう見ても、客の反応を楽しみにしている強キャラのそれである。
料理長は腕を組み、オーナーもまた、どこか余裕のある表情を浮かべていた。
その二人を横目に、母さんはさらに料理を口に運ぶ。
「……ああ、なるほどね」
何が分かったのだろうか。
俺にはさっぱり分からない。
「この料理、下処理の段階で余分な水分を抜いているのね、それでこの食感になっているんだわ」
母さんはそう言いながら、別の料理にも箸を伸ばした。
「それに、この隠し味……ほんの少しだけど、普通なら気付かないわね」
料理長とオーナーの表情が、ほんの僅かに変化した。
俺はそれを見逃さなかった。
先ほどまで余裕たっぷりだった二人が、まるで予想外のことを言われたかのように顔を見合わせている。
(……何だ?)
俺が首を傾げている間にも、母さんの分析は止まらなかった。
「それから、この料理は火を通す時間も重要ね、少しでも長ければ食感が変わるし、短すぎても旨味が十分に引き出せない……かなり丁寧に調整しているわ」
料理長とオーナーの目が、母さんへと向けられる。
その顔には、先ほどまでの自信とは違う驚きが浮かんでいた。
(なん……だと……!?この客……出来る!!)
……いや、何でそんな顔をしているんだ。
別に母さんは、料理長と戦っているわけじゃないだろ。
ただ食事を楽しみながら、味を分析しているだけなのだ。
しかし、料理長とオーナーにとっては、そうではなかったらしい。
二人は腕を組んだまま、母さんの言葉を聞いていた。
そして、最後には不敵な笑みを浮かべる。
まるで、自分達の料理を理解してくれる相手に出会えたことを喜んでいるかのようだった。
……何だこの空間。
「父さん、俺達も食べようぜ」
「……そうだな、考調」
俺と父さんは、これ以上考えても仕方がないと判断した。
目の前にある料理は、間違いなく美味しそうなのだ。
食べ方が分からないなら、ひとつずつ試していけば良い。
そうして俺達は、ようやく本格的な御膳に箸を伸ばした。
母さんは相変わらず料理の分析を続けていたが、俺と父さんはそれどころではなかった。
料理は美味い。
それは間違いない。
ただ、食べ慣れないものを前にすると、何となく背筋が伸びてしまうのは仕方がないだろう。
そんな夕食の時間は、俺達家族にとって、北海道旅行の中でも妙に印象に残るものになった。
…………………………………………………………………
夕食を終えた後、部屋へ戻った俺は、次の日の予定をメモに書き出していた。
せっかく北海道まで来たのだから、明日も時間を無駄にはしたくない。
どこへ行くのか、何を見たいのか、移動にどれくらい時間が掛かるのか。
そういったことを確認しながら、予定を整理していく。
もちろん、旅行なのだから予定どおりに進まないこともあるだろう。
それでも、何も決めずに動くよりは良い。
予定表を書き終えたところで、俺はメモを片付けた。
「……よし、こんなもんか」
あとは温泉に入るだけだ。
タオルと着替えを用意し、旅館の風呂場へと向かう。
廊下を歩いていると、風呂上がりらしい両親の姿が見えた。
二人ともさっぱりした様子で、自動販売機で買ったであろう牛乳を飲んでいる。
「お、考調」
「お疲れ様、考調」
「俺も今から入ってくるわ」
「ゆっくり温まってきなさい」
母さんの言葉に頷き、俺は脱衣所へ向かった。
服を脱いで浴場に入り、まずは体を洗う。
普段ならAXIOMを使って背中を洗ってもらうこともあるのだが、流石にここは自宅ではない。
他の客もいる場所で、わざわざそんなことをする必要はないだろう。
きちんと自分で体を洗い終え、湯船へと向かった。
「……おぉ」
湯に浸かった瞬間、思わず声が漏れた。
冷え切った体に、温かさが染み渡っていく。
やはり、温泉は良い。
今日一日の疲れが、少しずつ解けていくようだった。
湯船の向こうには山の絵が描かれており、緑が鮮やかに広がっている。
「……緑が綺麗だなぁ」
我ながら、中学生らしからぬ感想である。
前世でも19だったからおっさんでは無かったが…いや、今世と合わせれば十分おっさんか?あまり自覚は無いが…枯れてる訳でも無いし。
まぁ別に良いだろう。
綺麗なものを綺麗だと思ったのだから、わざわざ別の言い方をする必要もない。
湯に肩まで浸かりながら、ゆっくりと景色を眺める。
そのくつろぎっぷりは、周囲の客からすれば少し意外だったらしい。
(……中学生?)
(……いや、高校生か?)
((でもくつろぎっぷりに年季が入り過ぎておっさんにしか見えねぇ…))
そんな視線を向けられていることには気付いていたが、別に気にするほどのことでもなかった。
俺は中学三年生だが、背丈や体格だけなら高校生に見えてもおかしくはない。
それに、今は温泉を楽しんでいる最中だ。
他人にどう思われていようと、ゆっくり休めるならそれで良い。
しばらく湯船に浸かった後、俺は露天風呂へと移動した。
外へ出た瞬間、冷たい空気が肌に触れる。
「……寒ッ」
やっぱり北海道は寒い。
それでも、湯に浸かってしまえば話は別だった。
肩までしっかりと湯に浸かり、冷たい空気と温かい湯の感覚を楽しむ。
露天風呂には屋根が付いていたため、雪が降っても慌てる必要はなかった。
空から降る雪と、周囲の景色を眺めながら、俺は三十分ほど長風呂を楽しんだ。
温泉というものは、なかなか良いものだ。
特に、こうして時間を気にせずゆっくり浸かれるのは、旅行ならではの贅沢だろう。
……まぁ、湯から上がったら、また寒さと戦うことになるのだが。
それでも今だけは、余計なことを考えずに温泉を楽しんでいた。
…………………………………………………………………
温泉から上がり、着替えを済ませた俺は、旅館の休憩スペースへと向かった。
体の芯まで温まったおかげで、先ほどまでの寒さが嘘のように感じられる。
北海道の冬は相変わらず寒いが、温泉に入った後のこの感覚は悪くない。
「……ふぅ」
息を吐きながら、近くにあった自動販売機へと目を向ける。
風呂上がりに飲むものといえば、やはり牛乳系だろう。
普通の牛乳も良いが、今回は少し違うものを選んでみることにした。
「コーヒー牛乳……チョコソース入り?」
自動販売機に並んでいた、少々変わった商品に目が留まる。
コーヒー牛乳にチョコソースを加えたものらしい。
甘そうではあるが、こういう場所で見かけると妙に気になってしまう。
「……まぁ、せっかくだしな」
購入した瓶を手に取り、蓋を開ける。
そして、一口飲んだ。
「……おっ、結構美味いな」
コーヒーの苦味と牛乳のまろやかさに、チョコソースの甘味が加わっている。
甘すぎるかと思ったが、思いのほか飲みやすかった。
風呂上がりに飲むものとしては、なかなか良い選択だったらしい。
そのまま瓶を傾け、最後まで飲み干す。
「ごちそうさん」
空になった瓶を所定の場所へ戻し、何気なく辺りを見渡した。
休憩スペースには椅子やテーブルが置かれており、風呂上がりの客が思い思いにくつろいでいる。
その一角に、卓球台が設置されていた。
「……卓球台?」
思わず足を止める。
温泉旅館に卓球台。
何とも定番らしい組み合わせだ。
しかし、せっかく置いてあるのなら、使わないのも勿体ないだろう。
それに、今なら父さんも風呂から上がっているはずだ。
「……よし」
ちょうど良い。
少し遊んでいこう。
そう考えた俺は、両親の姿を探した。
すると、少し離れた場所でくつろいでいた父さんを見つけたので、さっそく声を掛ける。
「父さん、卓球やろうぜ!」
「……卓球?」
父さんは飲み物を置き、こちらを振り返った。
「おう、良いぞ!」
返事は早かった。
どうやら父さんも乗り気らしい。
こうして、俺達親子による卓球勝負が始まることになった。
…………………………………………………………………
卓球台の前に立ち、ラケットを手に取る。
ネットを挟んで向かい合う父さんの顔には、妙な自信が浮かんでいた。
……何だ、その顔は。
「父さん、手加減はしないからな」
「フハハハハ!望むところだ、息子よ!」
「……その笑い方、絶対に何か企んでるだろ」
「何を言う!父さんはいつだって真剣勝負だぞ!」
そう言いながら、父さんはラケットを構えた。
なら、こちらも遠慮する必要はない。
俺もラケットを握り直し、姿勢を低くする。
卓球とはいえ、勝負である以上は全力で挑む。
それが俺の流儀だ。
「……行くぞ!」
父さんのサーブから、試合が始まった。
打ち出されたボールがネットを越え、俺のコートへと飛んでくる。
その軌道を見極め、ラケットを振る。
乾いた音とともに、ボールが父さんの側へと返っていった。
「ほう!」
父さんは軽く声を上げながら、すぐさま打ち返してくる。
ボールは再び俺の側へ。
それを返すと、また向こうから返ってくる。
何度も何度も、ラリーが続いていく。
最初は軽い遊びのつもりだったのだが、気付けば互いに本気になっていた。
父さんも俺も、相手が打ち返すたびに次の一手を考え、ボールの軌道を読み、隙を探している。
……いや、卓球ってこんなに熱くなるものだったか?
少なくとも、俺は今、かなり楽しい。
「そこだッ!」
ボールが少し浮いた瞬間を狙い、思い切りラケットを振り抜く。
鋭く打ち込んだボールが、父さんのコートへと飛んでいった。
決まった。
そう思った瞬間だった。
「甘い!」
父さんは素早く体を動かし、際どい位置に飛んだボールを打ち返した。
予想外の返球に、俺の目が見開かれる。
「なにィ!?あの体勢から打ち返しただと!?」
「フハハハハ!!のろいぞ!息子よ!」
「視えたッ!今度こそ!!」
返ってきたボールの軌道を見極め、今度は俺が打ち返す。
父さんも負けじとラケットを振り、再びボールが俺の側へと飛んできた。
俺達は一歩も引かなかった。
周囲の客がこちらを見ていることにも、今は気付いていない。
目の前の相手に勝つ。
ただそれだけを考え、全力でラケットを振り続ける。
「フハハハハ!まだまだだな、考調!」
「何をォ!?父さんこそ、そろそろ息が上がってきたんじゃないか!?」
「何だと!?まだまだ余裕だぞ!」
口ではそう言いながら、父さんの動きも徐々に激しくなっていた。
こちらも同じだ。
全力で動き続けているのだから、当然といえば当然である。
しかし、だからこそ面白い。
普段は何気ない会話を交わしている父さんと、こうして本気で勝負する機会は意外と少ないのだ。
遊びだからといって、勝ちを譲るつもりはない。
父さんも同じ考えなのだろう。
次の瞬間、父さんがボールを鋭く打ち込んできた。
「これでどうだ!」
「……ッ!」
反射的に体を動かし、ボールへとラケットを伸ばす。
何とか返球できたものの、姿勢が崩れてしまった。
その隙を逃さず、父さんが再び打ち返す。
「しまっ……!」
ボールは俺のコートへと落ちた。
得点は父さん。
「よしッ!父さんの勝ちだ!」
「くっ……今のは惜しかった!」
「惜しかろうが何だろうが、点は点だぞ!」
父さんは勝ち誇ったように笑っている。
……悔しい。
普通に悔しい。
こうなったら次こそは勝ってやる。
「もう一回だ、父さん!」
「おうとも!」
俺達は再びラケットを構えた。
その様子を少し離れた場所から見ていた母さんが、呆れたように息を吐く。
「まったく…何処に居ても騒がしいんだから」
そう言いながらもその表情はどこか楽しそうだった。
父さんと俺が本気で遊んでいる姿を、微笑ましく思っているのだろう。
…少なくとも、この時の俺はそう思っていた。
まさか、この後に待ち受けている展開を、まだ知る由もなかったのである。
…………………………………………………………………
父さんとの卓球勝負は、何度も繰り返された。
勝ったり負けたりを繰り返しながら、俺達は一進一退の攻防を続けていた。
だが、そんな勝負を眺めていた母さんがふとこちらへ歩いてきた。
「……ねぇ、二人とも」
「ん?どうした、母さん?」
「私も混ざって良いかしら?」
「「……え?」」
俺と父さんの声が重なった。
母さんが卓球を?
いや、別に変なことではない。
家族で旅行に来ているのだから、母さんが一緒に遊びたいと思うのも当然だろう。
ただ、母さんは先ほどまで俺達の勝負を眺めていたはずだ。
その時の様子からして、まさか自分も参加するつもりだったとは思わなかった。
「もちろん良いぞ、母さん!」
父さんは快く答えた。
「おう、俺も構わないけど……母さん、卓球できるのか?」
「ええ、まぁね」
母さんはそう言って、ラケットを手に取った。
その動作には、どこか慣れた様子があった。
「実は高校時代、卓球の大会に出ていたのよ」
「……は?」
思わず声が漏れた。
初耳なんだが。
いや、母さんの高校時代について、俺が知らないことは別に珍しくない。
しかし、卓球の大会に出ていたというのは、なかなか意外な話だった。
「母さん、卓球やってたの!?」
「ええ、昔ね」
母さんは軽くラケットを振りながら答えた。
「久しぶりだから、ちょっと楽しもうと思って」
……なるほど。
つまり、母さんも本気で遊ぶつもりらしい。
俺と父さんは顔を見合わせた。
そして、ほぼ同時に頷いた。
「よし、じゃあ勝負だ!」
「おう!母さん、覚悟してくれ!」
「ふふっ、二人とも元気ね」
母さんは微笑みながら、卓球台の前に立った。
その姿を見て、俺は何となく嫌な予感を覚えた。
別に根拠があるわけではない。
ただ、母さんの表情が妙に落ち着いているのだ。
先ほどまでの俺達のように、勝負に熱くなっている様子がない。
まるで、これから何が起こるのか分かっているかのようだった。
「……父さん」
「何だ、考調」
「これ、もしかして俺達ヤバい…?」
「フハハハハ!心配するな!父さんに任せておけ!」
……駄目だ。
父さんは何も分かっていない。
とはいえ、始める前から負けると決めつけるのも違うだろう。
母さんが卓球経験者だからといって、俺達が勝てないと決まったわけではない。
相手の実力が分からない以上、まずは実際に勝負してみるしかないのだ。
そう考え、俺はラケットを構え直した。
そして、母さんとの試合が始まった。
…………………………………………………………………
三十分後。
結論から言おう。
…俺達は惨敗した。
「エッちょ、強くない!?」
思わず叫んだ俺の目の前で、ボールが軽やかにネットを越えていく。
母さんはそれを打ち返し、俺達の隙を的確に突いてきた。
強打だけではない。
ボールの速度や角度を自在に変え、こちらが返しにくい場所へと打ち込んでくるのだ。
さっきまで父さんと繰り広げていた勝負とは、明らかに違う。
俺が何とか返球しても、母さんは慌てることなく打ち返す。
父さんが勢いよく打ち込んでも、あっさりと対応される。
こちらが攻めているつもりなのに、気付けば母さんの手のひらの上で踊らされているような状態だった。
「なッ!?ぐぁーーッ!?」
父さんが声を上げる。
打ち返したはずのボールが、見事にこちらの隙を突いていた。
父さんは反応しきれず、ボールを見送ることになった。
その横で、俺もまた必死にラケットを振っていた。
「ちょっ、待っ……そこに打つの!?」
返球するたびに、母さんは違う場所へボールを打ち込んでくる。
こちらの動きを見て、次にどこへ打てば良いのかを判断しているようだった。
流石は高校時代に大会へ出ていた経験者である。
俺達が全力を出しているというのに、母さんは余裕を崩さなかった。
そして、最後の一球。
俺と父さんは必死にボールを追いかけたが、母さんの返球に対応することはできなかった。
ボールが床に落ちる。
勝負ありだった。
「……ふぅ、楽しかったわ」
母さんはラケットを下ろし、満足そうに微笑んだ。
対する俺と父さんは、しばらくその場から動けなかった。
いや、正確には、何が起きたのかを理解するのに時間が掛かっていた。
「……母さん、強すぎない?」
「……調読華、お前……そんなに卓球が強かったのか……」
俺と父さんは、揃って母さんを見つめた。
母さんは何でもないことのように答える。
「昔取った杵柄ってやつね」
その言葉が、妙に重く響いた。
俺達は全力を出した。
手加減をしたつもりもない。
それなのに、結果はこの有様である。
父さんはラケットを握ったまま、呆然としていた。
俺も同じだった。
まさか、母さんがここまで強いとは。
そして、母さんはそんな俺達を見て、楽しそうに笑った。
「また機会があったら、相手をしてあげるわ」
「……お、おう」
「……次こそは勝つ……!」
父さんは悔しそうに呟き、俺もまた決意を固めた。
次に卓球をする機会があれば、今度こそ母さんに一矢報いてやる。
……まぁ、今の実力差を考えると、簡単な話ではないだろうが。
ともあれ、こうして旅館での夜は賑やかに過ぎていった。
…………………………………………………………………
翌日。
俺達は朝から観光へ出掛けた。
一泊二日の旅行ということもあり、のんびりしている時間はあまりない。
それでも、せっかく北海道まで来たのだから、行ける場所には行っておきたいところだった。
朝から昼の十五時まで、俺達は観光を続けた。
冬の北海道は寒かったが、景色はやはり素晴らしい。
雪に覆われた風景を眺め、普段とは違う空気を感じながら、家族で旅行を楽しんだ。
道中では土産物屋にも立ち寄り、家族や知人に渡すものを探した。
「……これ、良さそうだな」
店内の商品を眺めながら、俺は気になったものを手に取った。
北海道らしい品物が並んでいると、つい目移りしてしまう。
お菓子もあれば、置物もある。
旅行先でしか見かけないものも多く、見ているだけでもなかなか楽しかった。
「考調、そっちは決まったか?」
父さんが声を掛けてくる。
「もうちょっと見てから決める」
「そうか、父さんもまだ迷っていてな」
「父さんもかよ」
「いやぁ、こういうのは悩むだろう!」
父さんは手に取った土産物を見比べながら、真剣な顔をしていた。
その様子を見て、母さんが小さく笑う。
「二人とも、あまり時間を掛けすぎないようにね」
「分かってるって」
俺はそう答え、改めて店内を見回した。
こうして土産物を選ぶ時間も、旅行の楽しみのひとつだろう。
やがて、それぞれに買うものが決まり、俺達は店を出た。
時計を確認すると、予定していた時間になっていた。
観光も土産物探しも、これでひと区切りである。
一泊二日の旅行は、思っていた以上に慌ただしかった。
それでも、北海道の景色を見て、旅館で温泉に入り、家族で食事を楽しみ、卓球で大騒ぎまでしたのだから、十分に満喫できたと思う。
……まぁ、寒さについては、もう少しどうにかしてほしかったが。
「……北海道、寒かったなぁ」
帰り支度をしながら、思わずそんな言葉が漏れた。
「ははは!それも含めて旅行だろう!」
父さんは笑いながら答えた。
「ふふっ、でも楽しかったでしょう?」
母さんの言葉に、俺は少し考えてから頷いた。
「……まぁ、それはそうだな」
寒かった。
驚くほど寒かった。
ラーメンを食べに行った時には、せっかくの美味しさが寒さで相殺されたような気さえした。
けれど、それだけではない。
綺麗な雪景色も見られたし、普段とは違う場所を歩くこともできた。
家族で旅行をする機会だって、いつでもあるわけではないのだ。
だからこそ、今回の旅行は良い思い出になったと思う。
もちろん、あの雪道で助けた親子のことも、完全に忘れたわけではなかった。
あの子供は無事だっただろうか。
あの後、きちんと病院へ辿り着けただろうか。
確かめる手段はない。
俺にできることは、あの親子が無事であることを祈るくらいだった。
それでも、俺はあの時、自分にできることをした。
それだけは確かだ。
「……よし、帰るか」
荷物をまとめ、両親と一緒に帰路へ就く。
北海道の冬景色が、少しずつ遠ざかっていく。
こうして、俺達の一泊二日の北海道旅行は終わった。
この旅行のことを思い出すたび、俺はきっと、あの銀世界の中で出会った親子のことも思い出すのだろう。
それでもこれ以上は考えた所で分からないので、俺に出来ることはあの親子が無事病院にたどり着き、子供が元気になる事を祈るのみだ。
…………………………………………………………………
〜母親視点〜
「……もう少しだからね、頑張って、拓也…!」
後部座席で横になっている息子に声を掛けながら、私は何度もバックミラーを確認していた。
拓也の顔は赤く、額には汗が浮かんでいる。
呼吸もいつもより荒い。
少し前までは、ただの風邪だと思っていた。
けれど、時間が経つにつれて熱は上がり、本人も次第にぐったりとしてきた。
このまま家で様子を見るわけにはいかない。
そう判断した私は、すぐに病院へ連れて行くことにした。
普段なら、こんなに焦ることもなかったのだろう。
何しろ、ここは私たちが暮らしている地元だ。
いつも通る道も、近所の病院も、どこに何があるのかも分かっている。
多少の雪なら慣れたものだったし、冬道の運転にも、それなりに自信はあった。
それなのに。
「何でこんな時に……!」
ハンドルを握る手に力が入る。
普段から使っている道なら、もう少し落ち着いて運転できたかもしれない。
しかし、病院へ向かう途中、少しでも早く着こうと選んだ道で、私は取り返しのつかない失敗をしてしまった。
車が雪にハマったのだ。
最初は、少しアクセルを踏めば抜け出せると思っていた。
ところが、タイヤが空回りするばかりで、車体は前にも後ろにも進まない。
それどころか、何度も動かそうとするうちに、車体の下へ雪が入り込んでしまった。
気付いた時には、車の下半分近くが雪に埋もれていた。
「嘘でしょ……!何で動かないのよ!」
アクセルを踏み込む。
エンジンが唸る。
それでも、車は動かなかった。
このままでは、拓也の具合がさらに悪くなってしまう。
早く病院へ連れて行かなければならない。
その一心で、私は何度もアクセルを踏み続けた。
助けを呼ぶという選択肢が頭になかったわけではない。
けれど、電話を掛けて、事情を説明して、助けが来るまで待つ。
そう考えた瞬間、後部座席で苦しそうにしている息子の顔が頭に浮かび、そんな時間さえ惜しく思えてしまった。
もちろん、今になって考えれば、冷静に助けを呼ぶべきだったのだろう。
しかし、あの時の私は、とにかく一刻も早く病院へ向かわなければならないという気持ちに支配されていた。
「拓也、もうちょっとだから……!」
返事はない。
いつもなら、何かしら返してくれるはずなのに。
それが余計に不安を掻き立てた。
お願いだから、無事でいて。
母親として、そんなことしか考えられなかった。
*
コンコン……。
突然、窓を叩く音がした。
「……は?」
思わず顔を上げる。
窓の外には、見知らぬ男の子が立っていた。
年齢は中学生くらいだろうか。
この寒さの中、こちらの車を覗き込むようにしている。
(何よ!?今急いでんのに!)
ただでさえ、息子のことで頭がいっぱいなのだ。
車は雪にハマって動かない。
病院にはまだ着かない。
そのうえ、見知らぬ子に声を掛けられるなんて、正直なところ勘弁してほしかった。
私は苛立ちを隠すこともせず、窓の向こうを睨んだ。
ところが、男の子は何も言わない。
ただ、こちらの車を見ている。
「アンタ、何か用……!今アタシは急いでんのよ!用があるならさっさと言いなさい……!」
口調が荒くなったのは自覚していた。
けれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
男の子は一瞬だけ黙った後、車体へ視線を向けた。
「車……ハマって動けないんスか……?」
「そうよ!見て分かんない訳!」
言われなくても分かっている。
こちらだって、好きで立ち往生しているわけではないのだ。
そんなことを聞いて何になるのか。
私は今にも怒鳴りつけそうになった。
しかし、続いて男の子が尋ねた言葉に、思わず口を閉じた。
「その子……熱出してるんで……?」
「……!」
男の子の視線は、私ではなく後部座席に向けられていた。
拓也のことを言っているのだ。
車の外からでも分かるほど、息子の具合が悪そうに見えているのだろうか。
そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「……あ〜もう!何なのよあんた!そうよ!だから今必死にエンジン吹かしてんのよ!」
苛立ちをぶつけるような言い方になってしまった。
けれど、それは男の子に対して怒っていたからではない。
自分自身に腹が立っていたのだ。
息子を早く病院へ連れて行きたいのに、何もできない。
普段なら何でもないようなことが、どうしてこんなにも上手くいかないのか。
焦りと不安で、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
男の子は私の言葉を聞くと、少しだけ考えるような顔をした。
それから、思いもよらないことを口にした。
「エンジン……そのままでアクセル踏んでてください……」
「……は?」
何を言っているのか、最初は理解できなかった。
エンジンをそのままにして、アクセルを踏んでいろ。
それは、今まで私がやっていたことと何も変わらないではないか。
「アンタ……何を……?」
問い返したものの、男の子は説明しなかった。
こちらに背を向け、車の後ろへと歩いていってしまった。
「ちょ、ちょっと……!」
引き止めようとした。
しかし、男の子はそのまま車の後方へ回り込んでいく。
一体、何をするつもりなのだろう。
まさか、車を押してくれるとでもいうのか。
いや、無理に決まっている。
車体の下半分近くが雪に埋もれているのだ。
大人が何人かで押したところで、簡単に動くような状態ではない。
ましてや、目の前にいるのは、どう見ても私よりずっと若い男の子だった。
「……何なのよ、もう……!」
それでも、私はアクセルを踏み続けた。
今さら何をすればいいのか分からなかったし、彼の言う通りにする以外、ほかに手立ても思いつかなかった。
その時だった。
車体が、ほんのわずかに揺れた。
「……え?」
最初は、タイヤが雪を掻いたのかと思った。
けれど、揺れ方が違う。
タイヤが空転している感覚とは明らかに異なり、車体そのものが下から押し上げられているようだった。
「……嘘」
目を見開く。
車体が浮いている。
雪に沈んでいたはずの車が、少しずつ持ち上がっていた。
何が起きているのか分からなかった。
後ろを振り返ろうとしても、運転席からでは十分に見えない。
ただ、さっきの男の子が車の後ろにいることだけは分かっていた。
まさか。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、車体がさらに浮かび上がった。
ほんの数秒の出来事だった。
雪に埋もれて動けなくなっていた車が、まるで何事もなかったかのように、雪の上へと戻っていく。
そして。
「……っ!」
アクセルを踏み込んでいた車が、勢いよく前へ飛び出した。
ハンドルを握る手に力を込める。
車体が雪を蹴り、道の先へと進んでいく。
「な、何……!?」
混乱していた。
何が起きたのか。
どうして車が動いたのか。
そもそも、あの男の子は何をしたのか。
何一つ分からなかった。
それでも、車は動いている。
息子を病院へ連れて行ける。
その事実だけが、何よりも大きかった。
私は前方を確認しながら、思わず声を上げた。
「……アンタが何処の誰だかは知らないけど……ありがとう……!」
その言葉が届く事は無いのだろう。
車はすでに走り出しており、男の子の姿も遠ざかっていく。
それでも、言わずにはいられなかった。
誰かも知らない。
名前も聞いていない。
どうしてあんなことができたのかも分からない。
けれど、あの子がいなければ、私は今も雪の中で立ち往生していたかもしれない。
そして、拓也を病院へ連れて行くこともできなかったかもしれない。
「拓也、もう大丈夫だからね……!」
後部座席へ声を掛ける。
返事はない。
それでも、車は動いている。
今度こそ、病院へ向かえる。
私は前を向き直り、ハンドルを握り直した。
胸の中には、息子を心配する気持ちと、見知らぬ男の子への感謝が入り混じっていた。
*
「……もうすぐ着くからね」
何度目になるか分からない言葉を掛けながら、私は運転を続けていた。
先ほどの出来事が、頭から離れなかった。
車体が浮かび上がった瞬間のこと。
雪に埋まっていた車が、突然動き出したこと。
そして、車の後ろにいた男の子の姿。
考えれば考えるほど、分からないことばかりだった。
あの子は一体、何者だったのだろう。
車を持ち上げたように見えたが、そんなことが普通の人間にできるはずがない。
見間違いだったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
あの時、確かに車体は浮いていた。
自分が運転席に座っていたからこそ、あの揺れ方が普通ではないことも分かる。
それでも、今は考えている場合ではなかった。
「……今は、拓也のことが先よ」
自分に言い聞かせる。
あの男の子が何者であろうと、何をしたのであろうと、今の私にできることは一つだけだった。
息子を病院へ連れて行くこと。
それだけを考えて、私はアクセルを踏み続けた。
…………………………………………………………………
病院に着いてからのことは、慌ただしかった。
拓也を診てもらうために受付を済ませ、医師の指示に従いながら、私はようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。
息子の具合が心配で仕方がなかったが、ひとまず病院まで連れて来られた。
それだけでも、胸のつかえが少し軽くなった気がした。
けれど、気持ちが落ち着くにつれて、別のことが頭に浮かんできた。
あの男の子だ。
お礼を言いたかった。
できることなら、名前くらい聞いておけばよかった。
しかし、あの時の私は、そんな余裕すらなかった。
車が動き出した途端、息子を病院へ連れて行くことだけで頭がいっぱいになってしまったのだ。
「……本当に、ありがとうね」
誰に聞かせるでもなく、私は小さく呟いた。
もう一度会えるかどうかは分からない。
そもそも、あの男の子が地元の人間なのか、それとも旅行で来ていた人なのかさえ分からないのだ。
ただ、あの雪道で、私と拓也を助けてくれた。
それだけは確かだった。
あの子がいなければ、どうなっていたのだろう。
考えたくもなかった。
「拓也……」
私は息子の様子を確かめながら、そっと声を掛けた。
今は、この子が無事でいてくれることを願うばかりだった。
あの男の子が何者なのか。
どうして、あんなことができたのか。
それを知る日は、もしかしたら来ないのかもしれない。
それでも、あの日のことを忘れることはないだろう。
雪に埋もれた車。
動かなくなったエンジン。
焦りでいっぱいだった私。
そして、突然現れて、何も言わずに車を持ち上げた男の子。
北海道の冬、銀世界の中で起きた出来事は、私と拓也の記憶に残り続けることになった。
スタンド使いの日常プロット。
旅行(不法入国)
登場人物。
主人公(不審者の姿。別名、欲望に負けた姿。)
主人公が前世から良く世界中を旅行して回っている。
しかし、その方法は飛行機でも船でもない、素潜りだ。
AXIOMact3で透明なラバーシートをかなり頑丈な物と証明してゴーグル付けて海の中をスタンドで進んでいる。
息が苦しくなる前に海面に上がる、その間隔は約30秒おき、30秒でAXIOMact3は大体15キロメートルを泳ぎ切る、とんでもねぇ速度で海面を泳ぐ際の水圧やらなんやらをラバーシートで防ぐので身体的影響は大海原に身一つで居るストレス位なもの、それも前世で始めてこの方法を試した時に慣れた。
誰も気づいて居ないが日本からすると主人公の動向を追う時にとんでもない事になる。
昨日まで日本の海に隣接したどこかしらに電車やタクシーを使って向かい、そこから完全に主人公を見失う、かと思ったら暫くした時に訳わからんとこから電車やなんやら乗って家に帰っているのだ。
そんなこんなで前世も今世も不法入国をしている主人公、倫理観?バレなきゃ犯罪じゃ無いんだよ…犯罪者や危険人物を管理するためってのは分かるけど俺は危険な事とかしないしルールを破ってるのを誇示して前例作ってる訳でも無いから良いんです。
え?ルール破って良いって事にはならない?正論だな…バレなきゃ良いんだよ…自転車で信号の黄色い所でシャーって行ったって警察にバレなきゃ何も言われないだろ?あんな感じだよ。
と、かなり無茶苦茶な暴論で自分を正当化している。
主人公の格好はマスクにニット帽に首巻きと大きなサングラス、薄手の手袋とかなり不審者だが動作がスタイリッシュに目立っていてそれが堂々としてる様に見え、あまり怪しまれない。
そもそも不法入国を取り締まる発想を持つ警察は少なく、それ専用の警察組織も不法入国で入れる所を張っているので主人公みたいに海の中から絶対入れないはずの場所とか考えられない場所から出てくる事を想定して無いから捕まるどころか職質や任意聴取を受けた事も一度しか無い。
余談だが、前世のハワイである怪異が居るらしい。
マスクにニット帽に首巻きと大きなサングラス、薄手の手袋を着用した半袖短パンのアロハシャツを着た凄くチグハグな浮かれた旅行者みたいな不審者に職質するとその不審者がとんでもない速度で海に飛び込み消えるのだとか…監視カメラの映像が残っているのでネットのオカルト考察好きの間ではかなり騒がれ、地元の人達からは人魚か海の神様と思われているそうな…。
時速は海の中泳ぐから減退してるけど元々スタープラチナ以上のパワーとスピードのact3に引っ張られて泳いでるわけだから水中の抵抗を無い物と考えたらもっと早い。
合法的じゃ無くて不法入国してる前提の話だから合法じゃ無くて良い。
前世は外国語話せないので毎回フィーリングとボディランゲージでコミュにケーションを図っていた、今世は便利なスマホアプリで自動翻訳してもらえるのでかなり旅費時間の圧迫が解消された。
前世は19の一人暮らしを初めた時から旅行してたが今世はまだ未成年なので基本日帰り。
毎回耳の保護をする器具だけをダイビングショップで買っていくのと電車、タクシー代が旅費。
ラバーシートの使い方、スタンドごと自分の身に纏って包まり、その内側から引っ張ってもらう、後ろ側まで完全に結んでないので泳いだ結果の推進力は出る、水の抵抗もAXIOMが片手でラバーシートを前に抑えながらもう片方の手で泳ぎ、主人公はAXIOMにしがみつく形なので前から見ると先端が鋭い形状に見える、コレにより水の抵抗を減らす。
呼吸は30秒おきに海面に上がっている事を強く補足する。
なお、北半球には基本行かない様にしてる、前世いった時寒すぎて即引き返した。
いや、海中で防寒も何も無いし…。by大城考調
余談だが、彼は次の日風邪を引いた。
頭は悪くないし普通の人、危険人物でもないけど単純にアホ。by作者。
どんな対策しててもそんな速度で生身の人間が移動したら粉々になるとかそう言うツッコミは無しで。
所詮ギャグですから…。
これからもう少しで高校生になる、プロセカ本編に入るであろうこの先の展開でどのくらい主人公とプロセカキャラ達を絡ませる?一応今までの接点よりは深く関わらせる予定。締め切りは高校入学時。
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滅茶苦茶いっぱい絡ませる(作者が大変)
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凄くいっぱい絡ませる(まぁ行ける)
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普通に絡ませる(今と少し変わる位)