転生スタンド使いの日常。 作:匿名の読む専
大城 考調(おおしろ こうじ)
本作の主人公。前世の記憶とスタンド「AXIOM」を持つ転生者。自分の納得を大切にする一方、日常では気楽に生きる努力家。
両親
父:大城 鋼立(おおしろ こうた)
鋼のように、傷ついても折れず、曲がらず、砕けてもまた新しく造り上がっていく。傷をただの不幸ではなく、味わいのある鋼の傷に変えられる人間になってほしい、という願いを込めた名前。
母:大城 調読華(おおしろ しずか)
旧姓:堤(つつみ)
流されるだけでなく、自分で考え、時には調べ、人の思考も読み取る。立派でなくてもいいから、真っすぐに自分の正しさを大切にし、華のある人間になってほしい、という願いを込めた名前。
主人公の名前の由来はこの二人から一部ずつ、父からは[こう]と言う読みを、母からは[調]と言う字を貰っている。
その理由は両親が息子には自分たちの名前に込められた意味を全て体現出来る人間になって欲しい、その上で、自分の正しさを曲げないだけじゃなく、自分意外のことも少しで良いから考えられる人間であって欲しい、と言う両親の祈り。
※両親は主人公の人格形成に関わる存在だが、本編での出番は限定的。
プロローグ。世界が終わった日とその後。副題、俺は俺である。
人生というものは案外あっけなく終わるらしい。
少なくとも俺の場合はそうだった。
いや、正確には終わったのかどうかも分からない。
気がついたときには世界の様子がおかしくなっていた。
最初に異変を実感したのは着ていた服だった。
別にどこかに引っかけて破いたわけではない、誰かに切られたわけでも、火にあぶられたわけでもなかった。
ただ、着ていた服が急速に劣化した。
布地が傷み、繊維が崩れ、縫い目がほどける。
ついさっきまで普通に着られていたものが何年も何十年も放置された古着のようになっていく。
何が起きているのか理解するより先に俺は自分の身なりを確認した。
そして理解した。
全裸だった………フルチンだった…。
理解したくなかった。
……いや待て。
ちょっと待て。
何だこれは。
何がどうなったら服だけがこんなことになるんだ…。
周囲を見渡せば俺以外にも異変に気づいて騒いでいる人間がいる、街の様子も明らかにおかしい、普段なら聞こえてくるはずの生活音とは違う、あちこちから上がる悲鳴や怒号が耳に入った。
状況が分からない。
分からないが少なくとも平穏な日常が続いているとは言い難かった。
俺は服の残骸をどうにかしようとした。
どうにもならなかった。
そりゃそうだ。
服が元に戻るわけもない。
……………クソが…。
仕方なく周囲の状況を確認する、自分の身体に異常がないことを確かめ、
俺の傍らに見慣れた人型が現れる。
異様な事態の中でもそいつの姿はいつもと変わらなかった。
俺のスタンドだ。
この状況で頼れるものがあるとすれば少なくとも俺にとってはこいつだった。
俺はAXIOMを使い自分の身を守ることにした。
周囲ではさらに異変が広がっていた。
空も、街も、時間の流れも、何もかもが正常ではない。
そうしているうちに俺はようやく一つのことに気づいた。
時間の流れそのものがおかしい。
正確に言えば俺の周囲だけが変なのではない、世界そのものがとんでもない速度で変化している。
最初は目の錯覚かと思った。
しかし観察を続ければ続けるほど、そう考えるほうが無理になっていった。
太陽の動きが異常だった。
昼と夜が普通では考えられない速度で入れ替わる。
地上の景色もまた猛烈な勢いで移り変わっていく。
時間が加速している。
そう考えるしかなかった。
もちろん普通に考えればそんなことはあり得ない。
だが目の前で起きている現象を普通ではない、と認めたところで現象そのものが消えてくれるわけでもない。
ならば現実を否定している暇はなかった。
俺は自分の身体の動きと周囲の変化を観察した。
物を落として拾う。
そんな簡単な動作を試しながら自分がどこまで対応できるのかを確かめていった。
世界が加速しているのなら、こちらもそれに対応できるようにすればいい。
少なくとも、何もしないよりはマシだ。
俺は自分の動作を成立させるための条件を詰めていった。
見えるものを捉える。
捉えたものに反応する。
動作を間に合わせる。
それを繰り返す。
やがて周囲の異常な速度に対して俺自身の認識と動作もある程度対応できるようになった。
別に時間を止めたわけではない。
加速を無効化したわけでもない。
ただ加速した世界の中で自分の動作を成立させられるようにしただけだ。
我ながら随分と無茶なことをしていると思う。
だができるのならそれでいい。
生き延びるために必要なことをしているだけなのだから。
その後も状況は悪化し続けた。
巨大な津波が街を襲った。
俺の目に映ったそれはあまりにも速かった。
逃げる、という選択肢をまともに考える余裕すらない。
俺はAXIOMを使って身を守った。
それでも何もかもをどうにかできるわけではなかった。
街が水に呑まれ見慣れた景色が消えていく。
その先に何があるのかも分からない。
ただ世界が終わろうとしていることだけは嫌でも理解できた。
やがて地上という概念すら曖昧になった。
太陽は光の線のように見え、地面は遠ざかり、空の向こう側へと視界が広がっていく。
俺は宇宙にいた
……?…???……?????
…いや何でと言われても困る…俺だって知りたい。
さっきまで街にいたはずなのにどうして宇宙にいるんだ。
この状況を説明してくれる人間がいるならぜひとも紹介してほしい。
もっとも紹介されたところでその人間自身が説明できるのかは怪しいものだが。
俺以外の人間たちはほとんど意識を失っているようだった。
かろうじて意識がある者も目の前の光景を理解できずに呆然としている。
俺だって似たようなものだ。
ただ呆然としているだけでは何も変わらないので可能な限り周囲を観察していた。
世界がどうなっているのか。
自分がどういう状態に置かれているのか。
そして今の自分に何ができるのか。
分からないことばかりだったが、考えることをやめる理由にはならなかった。
そのとき光が見えた。
いや、光というよりは渦だった。
何かが吸い込まれていくような奇妙な光景。
俺の身体もそちらへ引き寄せられていた。
抵抗しようとした。
AXIOMを使おうとした。
だがどうにもならなかった。
少なくともそのときの俺にはそこから逃れるための手段を成立させられなかった。
光が近づく。
視界が白くなる。
直前、AXIOMの形態の一つ、
もしかしたら何も出来なかったのかもしれない。
俺は最後まで状況を理解できないまま意識を失った。
あるいは死んだのかもしれない。
実際のところそこは今でも分からない。
何しろ、あのときの俺には自分が死んだことを確認する手段もなかったのだから。
だからこの話における俺の最期はひとまずそこまでにしておく。
別に感傷的な理由があるわけではない。
分からないものを分からないままにしているだけだ。
あまり気分の良いものじゃあ無いのだが。
………………………………………
次に意識が戻ったとき、俺は赤ん坊になっていた。
……何だと?
いやいやいや。
ちょっと待ってほしい。
さっきまで宇宙?にいたんだぞ、俺は。
いや、宇宙にいたこと自体が既におかしいのだがそこは今さら問題にしても仕方がない。
問題はどうして赤ん坊になっているのかということだ。
視界が低い、手足が短い。
身体を動かそうとしても思ったように動かない。
声を出そうとしてもまともな言葉にならない。
…何より目の前にいる大人たちが俺を見て嬉しそうに笑っている。
どうやら俺は生まれたばかりの赤ん坊らしい。
いや、正確には生まれたばかりではないのかもしれない。身体の状態からして少しは成長しているようにも思える。
だがそんな細かいことはどうでもよかった。
俺は…赤ん坊になっていた。
これが現実だった。
何がどうなってこうなったのか。
宇宙で何が起きたのか。
俺は死んだのか。
それとも何か別のことが起きたのか。
考えるべきことはいくらでもあった。
しかし、今の俺にはそれらを調べる手段がほとんどなかった。
身体は思うように動かない。
言葉も使えない。
周囲の人間に質問することすらできない。
そして何より腹が減っていた。
生き物というのは実に面倒なものだと思う。
どれほど重大な問題を抱えていようと、身体が要求するものは容赦なく要求される。
俺は目の前に差し出された食事を口にした。
食べながら考える。
……転生、というやつだろうか。
前世の記憶を持ったまま生まれ変わった。
物語ではよくある話だ。
だが物語であればこういうときに何らかの説明が入るものではないだろうか。
神様が出てきたり、女神が出てきたり、あるいは何かしらの特殊能力を授けられたり。
俺の場合そういったものは何もなかった。
気がつけば赤ん坊になっていて、腹が減っていて、食事を与えられている。
それだけだ。
別に説明がないこと自体に腹を立てているわけではない。
説明してくれる相手がいないのなら仕方がない。
ないものを求めてもしょうがないだろう。
食事を終えた俺はそのまま眠った。
赤ん坊の身体というものは実に融通が利かない。
考えごとをするにも限界がある。
今の俺にできることは食べて眠って少しずつ身体を動かせるようになるのを待つことくらいだった。
そして次に目が覚めたときも世界は普通に続いていた。
大人たちは俺を世話し俺は成長していく。
言葉を覚え、歩けるようになり、少しずつ自分でできることが増えていった。
そうしているうちに俺は一つの結論に落ち着いた。
【1】前世の記憶がある。
【2】今の俺は前世とは違う身体で生きている。
【3】それ以上のことは今のところ分からない。
【4】どうにもならないのでひとまずそれでいい。
分からないことを無理に決めつけても何かが解決するわけではないのだから。
俺は今世の生活を続けることにした。
それだけの話である。
………………………………………
。
子供というのは案外忙しい。
朝起きて飯を食って遊んで、飯を食って遊んで、風呂に入って飯を食って寝る。
大雑把にまとめるとそんな生活だが実際には覚えることも多い。
歩き方、話し方、箸の持ち方、着替え方。
大人にとっては当たり前のことでも子供にとっては一つずつ覚えていかなければならない技術である。
もっとも俺の場合は少々事情が違った。
中身が子供ではなかったからだ。
いや精神的に大人だったかと言われるとそれも違う気がする…前世の記憶があるだけで人格が完成された聖人君子になったわけではないのだ、腹が減れば飯を食いたいし欲しいものがあれば欲しい、面倒なことは面倒だし楽ができるなら楽をしたい。
ただ初めて経験することの多くに既に経験者としての知識があった。
そのおかげで周囲の子供たちと比べればいろいろなことを早く理解できたと思う。
とはいえ身体が追いつかない。
頭では分かっているのに手がうまく動かない…やろうと思えばできるはずなのに身体の成長が足りず思ったような結果が出ない。
これはなかなかにもどかしかった。
そしてそんな俺の隣には相変わらずAXIOMがいた。
姿を見せることもできるし必要なら能力を使うこともできる。
前世で身につけたものは何一つ失われていない。
身体が変わったからといって俺の精神まで別物になるわけではない。
スタンドとは精神の発露であり精神のヴィジョンだ。
少なくとも俺はそう理解していた。
ならば身体が赤ん坊になったところで俺のスタンドが別物になる理由はない。
実際その通りだった。
AXIOMの能力を使ってみれば前世と変わらない結果が得られた。
力が弱まったわけでもない。
できることが減ったわけでもない。
新しく何かを覚醒させる必要もなかった。
俺は前世の俺が持っていたものをそのまま持っていた。
これは便利だった。
便利だったが何でもかんでもAXIOMに頼るのはあまりよろしくないとも思った。
何しろ今世の俺は子供なのだ。
子供のうちに身につけておいたほうがいいことは普通に身につけておいたほうがいい。
歩くことも走ることも字を書くことも勉強することも。
できることをわざわざできなくする必要はない。
それに俺には少しばかり心当たりがあった。
前世の経験をそのまま持ち越しているせいで俺は能力に頼ることの便利さを知りすぎている。
便利なものは使えば楽だ。
楽なものを使い続ければ使わない場合に比べて自分で工夫する機会が減る。
ならば最初から使いどころを決めておけばいい。
俺はそう考えた。
もちろん幼い子供が将来のために厳密な訓練計画を立てたという話ではない。
そこまで大層なことを考えていたわけでもなかった。
ただ自分でできることは自分でやる。
それだけだ。
幸い俺は暇を持て余すことが苦手ではなかった。
家で遊ぶ、外で遊ぶ、何かを作る、気が向けば身体を動かす。
そんな生活を続けているうちに身体も少しずつ思い通りに動くようになっていった。
前世の知識がある分何を意識すればいいのかは分かる。
しかし知識があることと実際にできることは別だ。
だから身体を動かす、失敗すれば何が悪かったのかを考える、うまくいけば次も同じようにできるか確かめる。
別に誰かに褒められたいわけではなかった。
自分ができるようになるのが面白かったのだ。
そうして気がつけば俺は普通に努力する人間になっていた。
……何だろうな。
前世ではもっと適当に生きていたような気がする。
というより必要なときに必要なだけ頑張るという感じだった。
AXIOMがあれば大抵のことは何とかなったし実際に何とかしてきた。
だが今世では少し違った。
能力を使わずにできるようになったことにはそれなりの満足感がある。
走るのが速くなった、前より遠くまで跳べるようになった、字がきれいに書けるようになった、計算が速くなった。
そういう小さな変化が積み重なっていくのは思っていたよりも悪くなかった。
それに努力したところでAXIOMが使えなくなるわけではない。
自分でできることが増えて必要なら能力も使える。
単純に考えてそちらのほうが便利だった。
俺は合理的な人間なのである。
少なくとも自分ではそう思っていた。
………………………………………
小学校に入ってからも生活は大きく変わらなかった。
学校に行き授業を受け休み時間に遊び家に帰る。
宿題を済ませ夕飯を食べ風呂に入り寝る。
時には友達と遊びに出かけ時には家でのんびり過ごす。
ごく普通の小学生の生活だった。
ただし勉強については少々事情があった。
俺は授業中にノートを取るのが好きだった。
正確にはあとから見返して分かりやすいノートを作るのが好きだった。
授業中に先生が話したことをそのまま書き写すだけでは面白くない。
要点をまとめる。
重要な部分を分ける。
自分が見返したとき何を説明していたのかすぐに分かるようにする。
そういう作業をしていると授業の内容も自然と頭に入ってくる。
当然ながら毎回完璧にできるわけではない。
先生が予想外の話を始めたり板書を消すのが妙に早かったりするとノートを取るのも忙しくなる。
そういうときはAXIOMを使えば簡単だった。
手を動かす速度を補助し書き写す作業を効率化する。
ただし俺はそれを常用しなかった。
自分の手で書ける範囲なら自分の手で書く。
間に合わないときやどうしても必要なときだけ能力を使う。
それで十分だった。
おかげで俺のノートはそれなりに評判がよかった。
友達に見せてくれと言われることもあったしテスト前に貸してくれと言われることもあった。
別に貸すこと自体は構わない。
俺だって困ったときには誰かに助けてもらうことがある。
ただ返すときにはきちんと返してほしいし貸したものを雑に扱われるのは好きではなかった。
そのあたりは普通の感覚だと思う。
勉強そのものも嫌いではなかった。
知らないことを知るのは面白い。
分からなかった問題が解けるようになるのも面白い。
何より努力した結果が分かりやすく返ってくる。
そういう点では勉強というのはなかなかに良い遊びだった。
もちろん面白くない授業もある。
面白くない宿題もある。
そんなものまで喜んで取り組めるほど俺はできた人間ではなかった。
面倒なものは面倒だ。
しかし面倒だからといってやらなければならないことが消えるわけでもない。
ならばさっさと済ませてしまうに限る。
俺はそうやって宿題を終わらせていた。
たまにどうしても分からない問題が出てくることもある。
そういうときには自分で考える。
それでも分からなければ教科書を読み直す。
それでも駄目なら先生に聞く。
そしてどうしても納得できない説明をされたときにはさらに質問する。
この最後の部分が少々問題だった。
俺は自分が納得できないことをそのままにしておくのが苦手だった。
別に何でもかんでも自分の思い通りにしたいわけではない。
自分の考えが間違っているのなら訂正すればいい。
知らなかったことを教えてもらったのなら覚えればいい。
だが理由も分からないままただそういうものだからと受け入れるのは難しかった。
俺にとって納得するということは相手の言うことを聞くこととは違う。
自分で考えて理解してそういうものだと認めることだった。
だから理由を説明してもらえれば案外あっさり引き下がることもある。
反対に説明が曖昧なままならいつまでも食い下がる。
そこに相手が大人か子供かという区別はなかった。
先生だろうと友達だろうと親だろうと。
筋の通った説明があれば聞く。
筋が通っていなければ聞き返す。
ただそれだけだった。
……もっとも世の中には筋が通っているかどうかとは別に話を終わらせなければならない場面もある。
俺はそのことを知っていた。
知ってはいたがだからといって納得できないものを納得したことにするつもりもなかった。
それが俺という人間だった。
*
最たる例を出そう、前世の小学四年生の頃だ。
俺はある授業で先生と揉めた。
いや揉めたという表現は少し違うかもしれない。
俺は自分の意見を説明していただけで先生は授業を進めようとしていただけだった。
ただその二つが噛み合わなかった。
きっかけはクラスメイトとのちょっとした言い争いだった。
何について話していたのか細かいところまでは覚えていない。
覚えているのは俺が相手の言い分を否定し相手も俺の言い分を否定し話がまとまらなくなったことだ。
最初はよくある口喧嘩だった。
どちらが正しいのか。
何を根拠にそう言っているのか。
どこまでが事実でどこからが個人の感想なのか。
そういう話をしていた。
俺は自分の主張に間違いがないと考えていた。
もちろん最初から絶対に正しいと思い込んでいたわけではない。
相手の話も聞いた。
相手が何を根拠にしているのかを確かめた。
そのうえで自分の主張を変える必要がないと判断した。
だから引かなかった。
相手も引かなかった。
そのうち先生が間に入った。
そしてこう言った。
「二人とも、言い方が悪かったんだ、どっちも悪いところがあったということで終わりにしよう」
俺は首を傾げた。
……何で?
いや本当に何でだ。
俺の言い方に問題があったのならその部分については認めよう。
相手の言い方に問題があったのなら相手もそこを直せばいい。
だがそれと主張の正しさは別の話ではないだろうか。
俺が言い方を間違えたことと俺の主張が間違っていることは同じではない。
そもそも俺は相手を傷つけるために話をしていたわけではなかった。
間違っていると思ったから間違っていると言った。
それだけだ。
なのにどうして両方が悪かったことにして話を終わらせなければならないのか。
俺は先生に質問した。
先生は少し困った顔をした。
「もういいでしょう。二人とも、これ以上言い争う必要はないんだから」
「それは分かります。でも、どこが間違っていたのかは別の話ですよね?」
「だから、二人とも言い方が悪かったんだよ」
「それなら、言い方が悪かったという話で終わればいいじゃないですか。どうして、主張まで両方間違っていたことになるんですか?」
先生は黙った。
俺は説明を待った。
しばらくして先生は同じような説明を繰り返した。
俺はもう一度質問した。
先生はまた困った顔をした。
その繰り返しだった。
俺は相手のクラスメイトが泣きそうになっていることにも気づいていた。
先生が疲れていることにも気づいていた。
自分が周囲から見れば面倒な子供になっていることも分かっていた。
だがだからといって話を終わらせる理由にはならなかった。
俺は相手を泣かせたいわけではなかった。
先生を困らせたいわけでもなかった。
ただ間違っていることを正しいことにされたくなかった。
それだけだった。
その日は結局何も決着しなかった。
先生は授業を進め俺もそれ以上は何も言わなかった。
だが俺は納得していなかった。
家に帰ってからも考え続けた。
自分の主張に問題がなかったか。
相手の話を聞き落としていなかったか。
先生の説明に何か見落としている前提があったのではないか。
そうして考え直しても結論は変わらなかった。
俺の主張はやはり間違っていなかった。
翌日、俺は先生に話をした。
その翌日も。
さらにその翌日も。
別に毎日先生を捕まえて長々と議論していたわけではない。
ただ機会があれば質問した。
先生が説明してくれれば聞き分からないところがあれば尋ねた。
説明に矛盾があれば指摘した。
それを繰り返した。
数日が経った。
先生の顔には目に見えて疲労が浮かんでいた。
クラスメイトのほうは俺が話しかけるだけで身構えるようになった。
俺はさすがに少し申し訳なくなった。
しかし申し訳なくなったからといって間違っていないことまで間違っていたと認める気にはなれなかった。
俺は自分の考えを説明した。
どうしてそう考えたのか。
何を根拠にしているのか。
どこまで確認してどこから先を推測しているのか。
そして相手の言い分のどこに問題があったのか。
順番に整理して話した。
その結果ようやく先生も俺の主張そのものに問題がないことを認めた。
少なくとも最初の言い争いについて俺が主張していた内容は正しかった。
俺は納得した。
ようやく終わった。
これで問題は解決した。
……と思ったのだが。
先生はどこか遠い目をしていた。
クラスメイトはとうとう泣いてしまった。
俺は慌てた。
「いや、あの、別に泣かせたかったわけじゃないんだけど……」
当然だが泣いている相手にそんなことを言ってもすぐに泣き止むわけではない。
俺は困った。
先生も困っていた。
その日の帰り道、俺は自分の行動について考えた。
俺は間違っていなかった。
しかし間違っていなかったからといって何も問題がなかったわけではない。
相手が泣いたことは俺にとっても望ましい結果ではなかった。
先生を疲れさせたことも別に嬉しくはなかった。
俺は自分が正しいと思ったことを証明した。
その結果周囲の人間を疲れさせてしまった。
この二つは同時に成立する。
どちらか一方を消す必要はない。
だからといって俺が最初から間違っていたことにする必要もない。
俺はそのことを覚えておくことにした。
次からはもう少しうまくやろう。
相手の話を聞く。
自分の考えを整理する。
説明の仕方を工夫する。
そうすれば同じような問題が起きてももっと穏便に済ませられるかもしれない。
そう考えた。
ただし。
自分が納得できないことをそのまま受け入れるつもりはなかった。
それだけは変わらなかった。
………………………………………
前世の小学四年生の出来事は俺の中に一つの教訓を残した。
正しいことを証明するのは案外難しい。
そして正しいことを証明できたからといって周囲の人間が喜んでくれるとは限らない。
当たり前と言えば当たり前の話だ。
世の中には正しいかどうかとは別に気持ちの問題や立場の問題がある…話を終わらせるために必ずしも白黒をつける必要がない場合だってある。
そういうことは俺にも理解できる。
理解できるのと納得できるのは別だが。
俺は以後議論の仕方を少しばかり考えるようになった。
相手の話を最後まで聞く。
自分の主張を整理する。
必要なら相手が何を問題にしているのかを確認する。
そして話を続ける意味があるのかどうかも考える。
相手が最初から聞く気のない人間なら無理に説明しても仕方がない…自分の主張に問題があるなら認めて修正すればいい、そもそも互いに譲る必要のない話なら無理に結論を出さずに済ませることもできる。
そういう選択肢があることを俺は知っていた。
ただしどの選択肢を取るにしても自分が納得していることが前提だった。
周囲が納得したから自分も納得したことにする。
周囲が諦めたから自分も諦める。
そういうやり方は俺には向いていなかった。
俺は自分が間違っていると分かれば引き下がる。
だが自分が正しいと考えているのならそう簡単には引き下がらない。
相手が大人だろうと先生だろうと何なら相手が俺よりも頭のいい人間だろうとその点は変わらなかった。
頭がいい人間の話は参考になる。
経験豊富な人間の話にも聞く価値がある。
しかし相手が優秀であることと相手の主張が正しいことは同じではない。
結局のところ話の中身を確かめる必要がある。
俺はそう考えていた。
そしてその考え方は今世でも変わらなかった。
前世で身につけたものが身体と一緒に失われなかったように俺という人間の面倒くさい部分もまたきっちりと持ち越されていたのである。
………………………………………
今世、小学五年生になる頃には俺の生活習慣もすっかり固まっていた。
朝起きる。
学校に行く。
授業を受ける。
家に帰る。
宿題を済ませる。
暇なら遊びに出かけるし出かける気分でなければ家で過ごす。
たまに身体を動かし気が向けば勉強する。
特別に規則正しい生活をしているわけではない。
夜更かしすることもあるし朝に少しばかり眠気が残ることもある。
休日には昼近くまで寝ていたいと思うことだってある。
俺は別に修行僧ではないのだ。
ただ自分で決めたことはなるべく自分でやるようにしていた。
運動なら自分の身体を動かす。
勉強なら自分の頭で考える。
ノートなら自分の手で書く。
AXIOMは必要なときに使えばいい。
そういう考え方がいつの間にか当たり前になっていた。
俺が小さい頃ゴールデンエイジという言葉を耳にしたことがある。
確か子供のうちに身体を動かしたりいろいろなことを経験したりすると大きくなってからの能力の伸び方に影響するというような話だった。
細かい定義までは知らない。
何歳から何歳までが該当するのかも知らなかった。
そもそもそこまで詳しく調べようと思ったこともない。
ただ子供のうちに練習しておけば将来うまくできるようになることがある。
そういう話として俺は理解していた。
ならやっておいて損はない。
それだけだった。
走るのが速くなれば遊びの幅が広がる。
身体がよく動けばできることも増える。
勉強ができれば学校で困ることが減る。
ノートを分かりやすくまとめておけばテスト前に楽ができる。
どれも難しい理屈ではない。
将来のために何かを犠牲にしているという意識もなかった。
今の自分が少し頑張れば今の自分が便利になる。
ついでに将来も便利になるのならそれに越したことはない。
そういう実に単純な話だった。
結果として俺はそれなりに努力家になった。
自分で言うのも何だが悪くない傾向だと思う。
もっとも努力家になったからといって何にでも全力を注ぐようになったわけではない。
ゲームは普通に遊ぶ。
面白いものがあれば時間を忘れて見てしまう。
友達に誘われれば遊びに出かける。
欲しいものがあればどうすれば手に入るか考える。
楽ができるところでは遠慮なく楽をする。
その一方でやるべきことはきちんとやる。
必要な努力は惜しまない。
自分でそういう人間になったつもりはなかったが気づけばそういう人間になっていた。
AXIOMを持っていることはその生活を送るうえで特に問題にならなかった。
使わなければできないこともある。
使わなくてもできることもある。
使ったほうが便利なこともある。
それらを区別しているだけだ。
スタンドを持っているからといって日常生活のすべてをスタンドに任せる必要はない。
むしろ自分でできることを自分でやったほうが何かと都合がよかった。
俺はそうして小学校を卒業した。
特別な儀式があったわけではない。
友達と別れを惜しみ先生の話を聞き卒業証書を受け取った。
その後は中学生になった。
生活の場所が変わっただけで俺自身が変わったわけではない。
学校に行き勉強し遊び家に帰る。
相変わらず暇なら身体を動かす。
ノートは分かりやすくまとめる。
面倒なことは早めに片づける。
必要ならAXIOMを使う。
そういう生活を続けていた。
中学生になったからといって急に大人びたわけでもない。
小学生の頃から続けてきた習慣がそのまま残っているだけだ。
俺は何かを始めるたびに自分の性格を作り直すような人間ではなかった。
気に入った習慣は続ける。
役に立つ考え方は残す。
間違っていたと分かったことは修正する。
それだけである。
そして中学校で過ごす時間も気がつけば残り少なくなっていた。
………………………………………
一月。
受験の日がやってきた。
試験開始時刻は午前十時。
俺が起きたのは午前三時だった。
別に緊張して眠れなかったわけではない。
寝坊したくなかったからというだけでもない。
もっと単純な理由があった。
自分が努力家であることを証明したかったのだ。
……いや別に誰かに証明する必要はない。
自分自身に対してである。
俺は自分が努力する人間だと考えている。
小さい頃から身体を動かしてきた。
勉強も自分なりに続けてきた。
ノートを整理する習慣も身についた。
それらはこれまでの生活の中で積み重ねてきたものだ。
しかし俺はもう一つ自分について確信していることがあった。
記憶力がいい。
それもかなり。
これは単に物覚えがいいという話ではない。
AXIOMの能力を使った自己証明によって俺は自分の記憶をほぼ絶対的なものとして成立させることができる。
自己証明。
自分が自分について証明したことをAXIOMの能力として成立させる。
俺は自分の精神と能力について前世から何度も確かめてきた。
だからこそ何ができて何ができないのかを理解している。
今回証明するのは記憶力だった。
試験に出る範囲を勉強する。
それだけなら普通の受験生でもやっている。
俺の場合はその先までやる。
教科書を開く。
ページをめくる。
書かれている内容を見る。
覚える。
次のページを開く。
また覚える。
それを繰り返した。
文字だけではない。
図表、注釈、欄外の説明、問題の解き方、関連する知識。
試験に出る可能性が高い範囲はもちろん直接関係がない部分も含めて目に入った情報を片っ端から記憶していく。
別に暗記に時間がかかるわけではなかった。
俺がその気になれば見たものを覚えること自体は難しくない。
しかも今回の目的は単純だった。
自分の記憶力を証明する。
そのために記憶する。
自己証明の効力が成立している間俺は覚えたものを忘れない。
少なくとも俺が解除しない限り記憶が抜け落ちることはない。
覚えたつもりになってあとから思い出せなくなる。
似たような用語を混同する。
数字を一つ間違える。
そういう普通なら起こり得る失敗も記憶そのものについては問題にならない。
俺は見たものを記憶する。
記憶したものを保持する。
必要なときに取り出す。
その一連の動作を自分の能力として成立させていた。
午前三時から始めた勉強は驚くほど順調に進んだ。
途中で水を飲み軽く身体を動かし食事を取る。
その合間にも教科書を読み進めた。
試験範囲の勉強が終わったあとも俺は手を止めなかった。
直接関係のない範囲も確認する。
別の学年で習った内容を見直す。
関連する単元を読み必要ならさらに先の知識にも目を通す。
そこまでやってようやく満足した。
時計を見る。
まだ時間はある。
……さて。
これで準備はできた。
俺は教科書を閉じた。
覚えた内容を忘れていないか わざわざ確かめる必要はない。
覚えていると証明したのだから覚えている。
そのための能力だ。
あとは試験を受けるだけだった。
朝食を取り身支度を整え受験会場へ向かう。
道中、特別な感慨はなかった。
人生の分岐点だとか将来を決める大事な日だとかそういう話はよく聞く。
確かに受験が大切な出来事であることは理解している。
しかし大切だからといって必要以上に緊張する理由にはならない。
自分にできる準備はした。
やるべきこともやった。
ならばあとは試験を受けるだけだ。
試験開始時刻になった。
問題用紙が配られる。
俺は問題を読み解答を始めた。
見覚えのある問題が出てくる。
覚えている知識を使う。
計算し考え答えを書く。
初めて見る問題もあった。
そういう問題はその場で考える。
記憶力がいいからといってすべての問題の答えを知っているわけではない。
覚えているのは知識だ。
その知識をどう使うかはまた別の話である。
だから普通に考えた。
普通に解いた。
普通に見直した。
そして試験を終えた。
受験というものは思っていたよりもあっさりしていた。
少なくとも俺にとっては。
午前三時に起きたことも教科書を片っ端から記憶したことも試験中に問題を解いていたこともすべて地続きの出来事だった。
自分の能力を確認し準備を整えやるべきことをやった。
ただそれだけだ。
試験が終わったからといってすぐに結果が分かるわけではない。
俺は家に帰りいつも通りの生活に戻った。
勉強をすることもあれば遊びに出かけることもある。
身体を動かすこともあるし家でのんびりすることもある。
特別に受験生らしい生活を続ける必要はなかった。
もうやることはやったのだから。
あとは結果を待ち卒業の日を迎えるだけだった。
俺は中学生活最後の時期をいつも通りに過ごしていた。
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受験が終わると時間の流れが妙に遅くなった。
いや実際に遅くなったわけではない。
ただ試験前まで頭の片隅に居座っていた予定が一つ片づいたせいで日々の過ごし方に余裕ができたのだ。
朝起きて学校へ行く。
授業を受ける。
家に帰る。
宿題があれば片づける。
暇なら遊ぶ。
それだけの生活なのに受験勉強をしていた頃と比べると随分と気楽だった。
もちろん卒業までにやらなければならないことは残っている。
学校の授業だって受験が終わったからといって消えてなくなるわけではない。提出物もあるし授業中に寝ていい理由にもならない。
ただ先の予定に追われていないというだけで気分はかなり違った。
俺はこういう時間が嫌いではない。
何かに追われているときには目の前のことを片づけるだけで精一杯になる。
しかし余裕があれば普段なら後回しにするようなことにも手を出せる。
読みかけの本を読む。
気になっていた映画を見る。
ゲームセンターに行く。
家で身体を動かす。
あるいは特に何もせずに過ごす。
どれを選んでもいい。
そういう時間だった。
もっとも受験が終わったからといって俺の生活が急に変わるわけでもない。
小学生の頃から続けてきた習慣は今でも残っている。
身体を動かすこともノートを分かりやすくまとめることも勉強することもすでに生活の一部になっていた。
やらなければ落ち着かないというほどでもない。
ただ何もしないでいるより少し動いたほうが気分がいい。
それだけだった。
俺は努力すること自体を目的にしているわけではない。
努力した結果できることが増える。
できることが増えれば生活が便利になる。
その過程が面白いから続けている。
だから必要のないところまで自分を追い込むつもりはなかった。
受験が終わった今無理に勉強を続ける理由もない。
かといって勉強を完全にやめる理由もなかった。
気が向いたら教科書を開く。
興味のあることを調べる。
分からないことがあれば考える。
それで十分だった。
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学校では卒業に向けた準備が少しずつ進んでいた。
教室の雰囲気も以前とは違っている。
受験前のような張り詰めた空気は薄れ授業の合間には試験がどうだったとかこれから何をするといった話が聞こえてくる。
友達同士で遊びに行く予定を立てている者もいれば家でゆっくりするつもりだという者もいた。
俺も誘われれば遊びに行くつもりだった。
ただ予定を詰め込むほどの意欲はない。
せっかく時間ができたのだからのんびり過ごすのも悪くないだろう。
授業中はいつも通りノートを取った。
先生の説明を聞き重要な部分を整理して書く。
必要なところは詳しくそうでないところは簡潔に。
あとから見返したときにどこを読めば何が分かるのかすぐに把握できるようにする。
受験が終わったからといってこの作業をやめる理由はなかった。
むしろ今までの習慣が身についているおかげで以前よりも楽にできるようになっていた。
たまに先生が板書を消すのが早すぎることもある。
そういうときにはAXIOMを使って手の動きを補助する。
自分で間に合わせられるなら自分でやる。
間に合わないなら能力を使う。
単純な使い分けだった。
別に能力を使わないことそのものに価値があると思っているわけではない。
使わなくてもできることをわざわざ能力に任せる必要がないだけだ。
逆に能力を使えば簡単に解決できることを意地になって自力でやる必要もない。
要するに面倒くさくないほうを選んでいるのである。
……こう言うとさっきまでの努力家という評価が怪しくなるな。
まあいい。
努力することと無駄な苦労を避けることは両立する。
俺はそういう考え方だった。
授業が終われば友達と話すこともある。
特別に目立つようなことをするわけではない。
気になる話題があれば会話に加わるし興味がなければ聞き流す。
誰かが冗談を言えば笑う。
くだらない話で盛り上がることもある。
そういうどこにでもあるような時間を過ごしていた。
前世の記憶があるからといって毎日を哲学的な思索に費やしているわけではない。
普段から世界の在り方について考え続けているわけでもなければ会話のたびに自分の思想を語りたくなるわけでもない。
考える必要があるときに考える。
納得できないことがあれば納得できるまで考える。
それ以外の時間は普通に生活する。
俺にとってはそれが自然だった。
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放課後。
その日は特に予定がなかった。
家に帰ってもよかったがせっかくなので寄り道をすることにした。
こういうとき行き先を決めるのに大した理由は要らない。
少し歩きたい。
何か食べたい。
ゲームをしたい。
気になっていた店を覗いてみたい。
その程度で十分だ。
俺は気分に任せて歩いた。
街を歩いていると普段は気にも留めないものが目に入ることがある。
店先に並んだ商品。
新しく貼られたポスター。
見慣れない看板。
そういうものを眺めながら歩くのは案外楽しい。
途中店の前に置かれた自動販売機で飲み物を買った。
小銭を入れボタンを押す。
取り出し口から飲み物を取り出し蓋を開ける。
何の変哲もない動作だ。
それでもこういう何気ない時間にはそれなりの良さがある。
少なくとも俺はそう思っていた。
飲み物を飲みながらふと空を見上げる。
雲が流れていた。
特に意味はない。
ただ目に入ったから見ただけだ。
俺はそのまま歩き出した。
AXIOMを使えばもっと速く移動することもできる。
空を跳ぶことだって可能だ。
急いでいるときならそういう手段を選ぶこともあるだろう。
だが今は急いでいない。
ならば歩けばいい。
自分の足で歩くことに特別な意味を見出しているわけではなかった。
ただ急ぐ必要がないのに急ぐ理由もない。
それだけだった。
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帰宅後俺は少しばかり身体を動かした。
激しい運動ではない。
普段から続けている軽いトレーニングだ。
身体の動きを確かめ無理のない範囲で筋肉を動かす。
終わったら水を飲み汗を流す。
それで終わりだ。
こういう習慣は始めたばかりの頃よりも続けるようになってからのほうが楽だった。
毎回やる気を出す必要がない。
特別な決意も要らない。
時間が空いたら自然と身体を動かす。
それだけで済む。
人間、習慣になったものは案外続く。
俺の場合それが勉強にも運動にも当てはまっていた。
とはいえ毎日同じことをしているわけではない。
気分が乗らない日もある。
遊びに出かけて帰ってきたら疲れている日もある。
そういう日は無理をしない。
明日やればいいことなら明日やればいい。
俺はそこまで自分に厳しくするつもりはなかった。
トレーニングを終えると部屋に戻った。
机の上には学校のノートが置いてある。
俺はそれを手に取り内容を確認した。
書き漏らした部分がないか。
あとから見返したときに分かりにくいところがないか。
必要なら少しだけ書き足す。
そうしてノートを閉じる。
明日の準備を済ませたらあとは自由時間だった。
俺はゲームをすることにした。
別に毎日を有意義に過ごさなければならないという決まりはない。
やるべきことを終えたのなら好きなことをしていい。
ゲームを楽しむのも映画を見るのも漫画を読むのもぼんやり過ごすのも自由だ。
俺はそういう時間を大切にしていた。
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中学校生活の終わりは少しずつ近づいていた。
だがだからといって俺の生活が特別なものになるわけではなかった。
受験は終わった。
結果が出るのはまだ先だ。
卒業式もまだ先だ。
今のところ俺にできることは特にない。
結果を早めることもできないし卒業の日を勝手に変えることもできない。
ならば待つしかない。
待っている間にできることをやりあとは普段通りに過ごせばいい。
俺はそう考えていた。
もちろん合格しているかどうかは気になる。
自分なりに準備はしたし試験にも手応えはあった。
だが手応えがあることと結果が確定していることは別の話だ。
結果が出るまでは結果は出ていない。
当たり前のことである。
だから必要以上に考え込むことはしなかった。
俺はいつも通り学校へ行きいつも通り勉強しいつも通り遊んだ。
たまに受験が終わったことを思い出して少し気が楽になる。
それくらいだった。
中学三年生の冬。
卒業まであと少し。
俺はまだいつも通りの生活を送っていた。
今考えてるネタ。
セミファイナル。
高校生になった後。
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夏。
主人公。
玄関の前で脚が開いたままひっくり返ってるセミが居る…。
「コレどうしよ…近づいたら絶対ジジジジジッ!ってなるよコレ…嫌だ…近づきたくない…でも帰りたい…!アイスの実は中身シャーベットだからすぐ溶けるんだよ…」
セミは堂々たる様で玄関の前、真ん中で仰向けになり、太陽に向かい己を賛美するかの如く脚を広げている。
(※主人公の主観です、実際はただ仰向けになって脚を広げてるだけ。)
「そうこうしてるうちにかなり時間経っちまった…もうアイスの実溶けてるよ…十分位ここで立ち尽くしてるもん…俺…このまま家に帰れないのか…?」
その時、救世主(生贄)がノコノコと現れた。
「考調?何してるんだ?」
「父さん!実は…ッ!」
その時、主人公に電流が流れる。
(父さん割と抜けてるから足元とか見ないし何も言わずに出かけたふりしたら爆弾(セミ)起爆させて処理してくれるのでは…!)
普通に最低である。
「…コンビニ行ったけど買い忘れがあったのに今気づいてさ!ちょっともう一回行ってくるつもり」
「そうか?ふふ…玄関の前まで来て買い忘れでまた出かけるって斬新だな」
(ヨシ!何も気づいて無い!後は離れるだけだ…!)
「じゃあちょっと行ってくる!」
「ああ、この暑さだ、熱中症には気をつけろよ」
「どうせすぐそこだし大丈夫だよ、行ってきま〜す」
そう言って主人公はダッシュで家の玄関から見えない死角に入った。
……………数秒後。
ジジジジジジジジジ!!!!
ギャァァァァァ!?!?
(父さん…アンタのことは忘れねぇ…!てか思ったより爆弾(セミファイナル)の威力高かったな、あの時近づかなくて良かった…)
最低である(2回目)。
そして考調が玄関の近くに戻った時。
「こ…考調!?お前さてはこの為に出かけるなんて言ったんだろ!?父さんを生贄にするとは何事だ!?」
普通に見抜かれてた。
「フッ…済まない…父さん、尊い犠牲だったんだよ…」
「ただの身代わりだろうが!?」
「HAHAHA!そのような事ありませんよ?」
そんなやり取りをしている中、主人公と父の間に小さな物体が落ちてきた。
ボトッ……。
セミだ。
「「え?」」
瞬間!主人公の脳内が猛烈な速度で思考を始めた。
(待て、落ち着け俺…まだ焦るタイミングじゃ無い!COOLだ…COOLに考えよう!ここまでの至近距離だとまた父さんを犠牲にする安全確保をする事は出来ない!この場合はAXIOMで虫が怖くない証明をすれば良いんだ!)
(AXIOM!act1!俺は虫が怖くないと自己証明をするぞ!!)
※セミにビビり散らしてるので納得出来ない=証明失敗。
(このクソ能力ゥゥゥゥ!?)
ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!!!!!!!
ギャァァァァァァァァァァァ!?!?!?✕2。
(神様ってやっぱ見てるもんなんだな…)
スタンドのラッシュみたいな描写でセミファイナル食らった。
父は巻き添え。