トレーナーを辞めたらシュヴァルグランが激重になってしまった   作:Lagavulin

8 / 13
トレーナーに甘えたい

 スペインの海沿いに着いた翌朝、俺は目覚ましをかけなかった。

 

 シュヴァルは練習施設で軽く走る予定がある。俺の用事は、昼に彼女と合流し、魚を食べることだけだ。朝に出ていくときも、ベッドから声を掛けた。

 

「行ってらっしゃい。終わったら連絡して」

「はい。……新田さん」

「ん?」

「帰ってきたら、起きていますか」

「たぶん」

 

 シュヴァルが笑った気がした。扉が閉まり、俺はもう一度眠る。次に目を開けたときには、朝食の時間が終わっていた。

 

 合流したシュヴァルにそう話すと、練習のあとに食べたものを教えてくれた。パンと卵、果物、それからもう1つパン。俺はそれを聞いて、昼飯を多めに頼むことにした。

 

 港に近い店の外で、焼いた魚と野菜を食べた。シュヴァルは追加した皿から自分の分を取り、俺も遅い朝食を兼ねてパンを食う。店員が空いた皿を下げると、彼女が海のほうを指した。

 

「あの船、見に行きたいです」

「行こう。今日は歩くくらいしか決めてない」

 

 岸に沿って歩いた。シュヴァルは停泊している船を見つけるたび、何に使うものなのか気にしていた。俺に分かるのは、観光客を乗せている船くらいだ。説明板を一緒に読み、知らない言葉を調べながら、少しずつ先へ進む。

 

 途中の売店で、彼女が足を止めた。絵葉書が回転する棚に並んでいる。港の写真を選び、2枚を重ねて持った。

 

「姉さんと、ヴィブロスに」

「写真は送ってるんだろ?」

「はい。でも、ここから届くのも、いいかなと思って」

 

 俺も1枚取った。船が大きく写っている写真だ。シュヴァルがそれを見て、今見てきたものと同じだと教えてくれる。

 

「俺も、旅の記録に買っておくか」

「……僕のと、同じですね」

 

 シュヴァルは自分の絵葉書を裏返した。2枚のうち1枚が、俺の選んだものと同じだった。

 

「もう1枚、買っておこうかな」

「2枚送るんじゃないの?」

「はい。僕の分も、ほしくなったので」

 

 棚からもう1枚取り、彼女は3枚分を支払った。俺が自分の1枚を買うと、シュヴァルは袋の中でも、残しておく分だけ別に挟む。

 

 こういうところも、わりと欲張りだ。

 

  *

 

 午後は浜辺へ行き、靴を脱いで波打ち際まで歩いた。

 

 水に足を入れるほど暖かくはない。引いた波のあとを選んで歩いていたが、大きな波が来て、俺は靴下まで濡らした。先に少し上へ逃げたシュヴァルが、俺の持っていた靴を受け取ってくれる。

 

「……さっき、波が大きくなるって言ったのにな」

「はい。新田さん、船を見ていましたね」

「波の音も聞こえてたんだけどな」

「僕の声も、聞いてください」

 

 そう言ってから、シュヴァルが自分で照れた。俺は濡れた足を見下ろし、次はちゃんと逃げると答える。

 

 砂の乾いたところへ戻って腰を下ろした。足を拭くものはあるが、すぐ靴を履く気にはならない。シュヴァルも隣に座り、彼女の帽子が風で浮くと、俺がつばを押さえた。

 

「帽子飛ぶぞ」

「ありがとうございます」

 

 シュヴァルは帽子を脱ぎ、膝へ置いた。それから、俺の肩に自分の肩を寄せる。

 

「寒い?」

「少し。でも、もうちょっと、ここにいたいです」

 

 俺は上着の前を閉め、座る位置を彼女へ近づけた。シュヴァルは肩を離さず、遠くの船を見ている。俺も海へ目を戻し、靴下が乾くのを待った。

 

 結局、靴下は脱いで鞄へ入れた。靴だけ履いてホテルへ戻ると、受付の人が俺の足元を見て、海へ入ったのかと聞いてきた。

 

 入るつもりではなかったと説明している横で、シュヴァルが笑いをこらえている。部屋へ入ってから聞くと、船を見たまま動かなかった俺のことを思い出していたという。

 

「そこは、もう少し必死に呼んでくれても」

「新田さん、来ますって、言いました」

「波が来るってことだったのか」

「ほかに、何が来るんですか」

 

 もっともなことを言われた。俺が濡れた靴下を洗っている間に、シュヴァルは絵葉書を書き始めた。

 

  *

 

 夕食を済ませて部屋へ戻ると、歩いた分だけ眠くなった。

 

 シャワーを浴び、窓の近くのソファに座る。シュヴァルも着替えを終え、髪を乾かしてから俺の隣へ来た。彼女が着ているのは、イスタンブールで俺から渡した灰色のTシャツだ。

 

 昼に買った絵葉書を見せてもらった。2枚とも書き終え、明日送るらしい。俺の足が濡れた話まで書いてある。

 

「そこは、俺が格好よく船の説明をしたことに」

「分からない言葉、一緒に調べましたよね」

「調べたな」

 

 シュヴァルが絵葉書を机に置いた。ソファへ戻ってきたが、隣へ座る前に、俺の膝を見る。

 

「新田さん。少し、お願いしてもいいですか」

「どうした?」

「膝枕を、してほしいです」

 

 俺は座った姿勢のまま、彼女を見上げた。シュヴァルは立っている。自分の枕を持ってきたわけでもない。

 

「俺が、君の頭を膝に乗せるんだな?」

「はい。僕が、横になります」

「念のため聞いたけど、そうか」

 

 ソファの背から身体を起こし、座り直した。彼女が横になれるよう、隣に置いていた鞄を床へ下ろす。

 

 シュヴァルはすぐには寝なかった。空いた場所へ座り、俺の膝と顔を見比べてから、帽子を机の端へ置く。

 

「……本当に、いいんですか」

「そのつもりで鞄をどけたよ」

 

 彼女は頷き、身体を横へ倒した。俺の太腿に、シュヴァルの頭が乗る。ソファに収まるよう脚を曲げ、耳を背もたれへぶつけない位置に落ち着くと、ようやく息をついた。

 

 俺は手の置き場に困って、しばらくソファの端をつかんでいた。シュヴァルがこちらを見上げているので、顔をのぞき込む。

 

「寝づらくない?」

「大丈夫です」

「俺は、思ったより落ち着かない」

「……もう少し、していてほしいです」

 

 声は小さいが、頭を戻そうとはしない。俺が頷くと、シュヴァルは頬を少しだけ俺の脚へ寄せた。

 

「髪、少し服に引っかかってる」

「直してもらえますか」

 

 頭の横に手を置き、指で髪を整えた。彼女が目を閉じるので、同じように何度か整える。

 

 海外まで会いに来た相手が、今は俺の膝から動きたがらなくなってしまった。自分から頼んだくせに、顔は少し赤い。俺も、どこを見ていれば自然なのか分からず、髪へ目を落とした。

 

「日本にいたころも、こういうこと、したかった?」

 

 シュヴァルが目を開けた。すぐには答えず、俺の袖を指でつまむ。

 

「……はい。でも、練習のあとに、お願いしていいことじゃないと思っていました」

「まあ、練習場のベンチでは困るか」

「お休みの日に、会えたらって」

 

 俺は髪を撫でる手をゆっくり動かした。休みの日に、彼女から誘われたことは何度かある。レースの映像を見たいとか、新しい靴を確かめたいとか、理由はいつも競技に関わるものだった。

 

「レースのない日も、毎日会いたかったです。でも、お仕事でもないのに呼んだら、困らせると思っていました」

「それで、靴を見る日に、昼飯も食いに行ったのか」

「……はい。まだ帰りたくなかったので」

 

 俺はあのとき、ずいぶん腹が減ったんだなと思っていた。店を出てからも少し歩いたのは、靴の履き心地を確かめたいのだと。

 

「ご飯のあとも、もっと歩けたんですけど」

「俺が、明日の練習に響くって帰した?」

「はい」

 

 シュヴァルが小さく笑った。俺は笑えず、彼女の髪を撫でていた手を一度止める。

 

「じゃあ、今日は同じ部屋だから帰さなくていいんだな」

「っ……」

「……シュヴァル?」

 

 シュヴァルが俺の手首に触れた。撫でるのをやめた手を、自分の頭へ引き寄せる。俺がもう一度髪に触れると、彼女は満足したように目を閉じた。

 

 窓の外で、車が通り過ぎる。俺は起きていたいのか、もう眠りたいのかを尋ねた。

 

「もう少し、起きています」

「眠くなったら、ベッドへ行こう。ここだと、俺の脚が先に限界を迎える」

「しびれたら、言ってください」

 

 そこで起き上がる約束にはならなかった。

 

 しばらくして、シュヴァルが机のほうへ手を伸ばした。俺が何を取りたいのか聞くと、携帯を指す。渡してやると、彼女は横になったまま画面を開いた。

 

「新田さん。明日の夜も、ホテルに戻ってきたら、ここに座りますか」

「椅子かもしれないけど」

「ソファに、しませんか」

 

 俺の顔を見ずに聞いてくる。画面には、明日の予定が開いていた。

 

「膝枕の時間まで入れるのか?」

「……入れても、いいですか」

 

 俺が返事をする前に、シュヴァルは携帯を胸元へ伏せた。さすがに急ぎすぎたと思ったらしく、俺の膝に頭を乗せたまま、こちらを見上げる。

 

「海で靴下を濡らさなかったら、考える」

「僕は、濡らしていません」

「俺が濡らさなかったら」

「じゃあ、明日は、僕が手をつないで歩きます」

 

 シュヴァルがもう一度携帯を開いた。俺が髪を撫でている間に、明日の夜の予定へ、『新田さんに膝枕をしてもらう』と打ち込んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。