トレーナーを辞めたらシュヴァルグランが激重になってしまった 作:Lagavulin
スペインからポルトガルへ移る日は、列車を乗り継ぐことにした。
途中で泊まり、翌日、また列車に乗る。空港へ行くより時間はかかるが、俺は窓の外を見ながら移動したかった。シュヴァルも、港以外の景色を見てみたいと賛成してくれた。
ところが、最初の乗り継ぎで待ち時間が増えた。駅にある店でパンを買い、ホームの端から荷物を置ける席へ戻る。シュヴァルは大きな紙袋を開き、俺へ1つ渡した。
「次の列車まで、何か食べておきましょう」
「昼にもパンを食ったんだけどな」
「具は、違います」
そのとおりだった。昼はハムで、今はチーズだ。俺が袋をのぞくと、シュヴァルは自分の分も取り出す。
「君は、何個買った?」
「僕の分は、3つです」
「それだけ食って、夕飯もいける?」
「……夕飯の時間は、遅くなりそうなので」
俺の質問へ、遠回りに肯定が返ってきた。彼女がパンを食べ始めたので、俺は今日の宿へ送る連絡をまとめた。着くのが遅れることと、受付が開いている時間を確かめたいこと。返事が来るまでに、シュヴァルは1つ目を食べ終えていた。
ホームへ列車が入り、荷物を持って乗り込んだ。俺たちは向かい合う席を確保し、シュヴァルが残りのパンを机へ置く。
しばらくして駅の建物が見えなくなると、彼女は窓へ顔を向けた。斜面に並んだ家が遠ざかり、畑の多い景色に変わっていく。俺も携帯をしまい、外を眺めた。
「飛行機とは、見えるものが違いますね」
「雲より下だしな。今日は少し長くなったけど、これで来てよかった」
シュヴァルが頷き、紙袋を俺の側へ寄せた。まだ食べるなら、と言うので、半分だけもらうことにする。彼女が自分のパンを袋ごと持ち、俺がひと口分ずつちぎった。
*
車内が静かになったころ、俺は旅行の支出を確かめた。
昨日までの宿代と、今日の列車代を入れる。食事は別々に払う日も、どちらかがまとめて払う日もある。俺の分をシュヴァルに立て替えてもらった金額を確かめ、送金した。
「今、送ったよ。昼飯と列車代」
「はい。ありがとうございます」
シュヴァルも自分の記録を開いた。1枚の画面に、旅行と練習施設の費用が分かれている。俺は自分の残高を見て、移動の多い月は思ったより使うなと言った。
「足りなくなりそうですか」
「まだ大丈夫。今ぐらいの使い方なら、あと半年は続けられると思う。帰ったあとの金は残しておきたいから、その前に一度、日本へ戻るかな」
シュヴァルは携帯を机へ置いた。窓の外へ目を向けたが、すぐに俺へ戻す。
「日本へ帰ったら、別々になりますか」
「家は別々だろ。今みたいにホテルへ泊まるわけじゃないし」
「会うのは、どうなりますか」
俺は支出の画面を閉じた。旅行の日数を計算していたつもりだったが、彼女は帰国したあとの暮らしまで話している。
「また飯を食いに行けばいいよ。今度は、帰ってからの話もできる」
「……次の日は?」
「次の日?」
「次の日も、会いたいです」
シュヴァルは机の縁へ手を置いた。指を重ね、少しだけ握ってから、俺の顔を見た。
「ご飯へ行く日を決めて、その日に会って、帰ったら、また次の約束を待つんですよね」
「毎回そうするとは限らないけど」
「僕は、前に、そうなると思っていました」
卒業してからも、練習では会っていた。けれど、学園にいたころのように、用事がなくても顔を出せる場所は減った。俺が練習を見ない日には、ほかのウマ娘の仕事が入ることもあった。
シュヴァルから届いた短い連絡を思い出す。来週、空いている日はありますか。映像を見てもらえますか。俺が予定を送ると、彼女はその日まで待っていた。
「卒業したら、もっと会えると思っていたんです」
「練習以外で?」
「はい。休日にも。学園に帰る時間を気にしなくていいから、一緒に晩ご飯を食べて、もう少し話して……」
シュヴァルは途中で口を閉じた。俺が続きを待つと、彼女は重ねた手をほどく。
「でも、どこまでお願いしていいのか、分からなくて。トレーナーのお仕事は続いていたので」
今は、名前で呼ばれている。彼女もそのことに気づいたらしく、少し言い直した。
「新田さんに、もうお仕事じゃないんだって言われたとき、寂しかったです。でも、名前を呼んでも、お返事してもらえて。次の日も、一緒にご飯を食べられたので」
「うん」
「それなら、お仕事じゃない日に会いたいって、言ってもいいんだと思いました」
机の上へ、彼女の手が伸びてきた。俺が自分の手を出すと、シュヴァルはすぐ握る。向かい合う席では少し腕が長く伸びるので、俺は座る位置を机へ近づけた。
「僕は、レースを引退したあとも、新田さんとご飯を食べたり、旅行したりしたいと思っていました」
シュヴァルは、俺の手を見ている。引退したあとの暮らしまで、いつから考えていたんだろう。
「帰る家も、同じだったらいいなって。練習の予定がなくても、朝に会えて、夜も話せたら」
俺は返事を探した。彼女が自分のことをここまで話すのは珍しい。聞いているだけでは足りないのに、簡単な約束へしてしまうのも違う気がする。
「いつごろから、考えてた?」
「……卒業する前から」
「俺が旅行へ出るって言うより、ずっと前か」
「はい。だから、退職のお話を聞いたとき、どうしようって思って」
窓の外を、小さな駅が通り過ぎた。シュヴァルはそちらを見ず、俺へ話し続けた。
「姉さんとヴィブロスに、相談しました。別のトレーナーに移れば、走り続けることはできます。でも、新田さんに会いたい気持ちは、何も変わらないので」
「後任の瀬戸さんに、気になるところがあったわけじゃなかったんだな」
「すごく、お世話になっています。海外の施設のことも教えてもらえて。でも……僕のこれからを、ずっと相談したいのは、新田さんです」
彼女の手に少し力が入った。俺は握り返し、続きを聞いた。
「最後の日、ついていきたいって、言おうと思っていました。机を片づける前も、鍵を返したあとも。でも、ずっと楽しみにしていた旅行へ、僕まで連れていってほしいなんて」
「俺の旅行を、変えたくなかった?」
「はい。……姉さんたちには、一緒に行きたいって言えばいいって、言われたんですけど」
言葉では頼めず、3か月かけて航空券や宿を調べた。会いに来るためだけの金まで用意した。その話を食堂で聞いたとき、俺は飛行機代の大きさに驚いていた。
別のトレーナーへ移りたくないと言われたときも、走り慣れた指導者を替えるのが不安なのだと思っていた。無理に書類へ署名させはしなかったが、あの場で、会いたい気持ちまで聞こうとはしていない。
「俺、走るための準備の話ばかりしたな」
「大事なことだったので」
「それはそうなんだけど。君が言いにくかったこと、ずいぶん残してた」
シュヴァルは首を振りかけて、止めた。少し黙ってから、俺へ顔を向ける。
「今は、聞いてもらえるので。……今日は、言いたいです」
「うん。聞くよ」
「たまに会えればいい、とは思っていません」
声がはっきりした。シュヴァルは俺の手を握ったまま、目をそらさない。
「毎日、新田さんといたいです。旅行のあいだだけじゃなくて。帰ったら、もう十分会ったでしょうって、言われたくないです」
そんなつもりはない、とすぐ言いかけた。けれど、さっきの俺は、帰国したらまた飯を食いに行けばいいと言った。彼女が望んでいることを聞かず、会う日をときどき作れば足りるように。
同じ部屋に泊まることも、手をつなぐことも、俺が受け入れた。彼女が好きだと言ってくれたあとも、翌日の食事の予定を一緒に決めた。
この旅を受け入れ続けていて、今さら引くつもりもない。
それに、俺も困る。昼飯に行こうと立ち上がったとき、隣に誰もいなかったら。船を見つけても、前にこういうものを見ましたね、と話す相手がいなかったら。
ひとりで旅をしたくて仕事を辞めたのに、次の町にシュヴァルがいない予定は、既に作りたくなくなっていることに気がついた。
「日本に帰ったら終わり、とは言ってないよ」
俺が言うと、彼女の握る力が少し緩んだ。俺は手を離さず、そのまま続ける。
「帰ったあとの予定も、一緒に決めよう」
「……はい」
「日本へ戻る時期も、俺だけで決めない。旅行をどう続けるか、一緒に考えよう」
シュヴァルが頷いた。少し俯き、俺の手へもう片方の手を重ねる。
俺は乗り換える駅の案内を確かめた。そろそろ、荷物を持つ準備が要る。彼女にそう伝えると、両手をほどいて、紙袋を片づけ始めた。
「次の列車、隣の席にしませんか」
「手をつなぎやすいほうがいい?」
「はい。向かいだと、遠いので」
駅で列車を降り、俺が荷物を引いた。シュヴァルは自分の鞄を持ち、空いているほうの手で俺をつかむ。
次のホームへ歩く間、彼女は一度も手を離さなかった。俺が階段の手前で荷物を持ち替えると、シュヴァルも立ち止まり、持ち直した俺の手をまた取った。