ホグワーツの聖女――アスペンの杖は灰色の秩序を刻む 作:神切優羽
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では、8話もどうぞ!!
トロール事件から数日。ホグワーツの廊下を歩くセラフィナに向ける周囲の視線は、明らかに変わっていた。
「ねえ、あの子よ。1年生のハッフルパフなのに、トロールに立ち向かったっていう……」
「別の寮の友達のために立ち向かったなんて……、まさに聖女ね」
すれ違う上級生たちの囁き声が聞こえるたび、セラフィナは少しだけ困ったように眉を下げ、いつもの穏やかな微笑みで会釈を返した。彼女にとって、あの夜の行動はただ「友人が心配だった」という純粋な心からのものだったからだ。
「もう、セラフィナちゃん! 有名人になっちゃって、ちっとも落ち着かないわね」
隣を歩くエマが、ぷうっと頬を膨らませた。
「ごめんなさい、エマ。私、そんなつもりはなかったのですけれど……」
「わかってるわよ。あなたが『放っておけない』性格だってことはね。でも、次は絶対に私を置いていかないで。約束よ?」
エマの少し湿った、けれど温かい手がセラフィナの指に絡まる。
「ええ。約束しますわ。二度と、あなたを一人にはさせません」
二人が向かったのは、談話室ではなく、日当たりの良い中庭のベンチだった。図書室は相変わらずマダム・ピンスの厳しい目が光っており、ゆっくりと話をするには不向きだったからだ。
「セラフィナ!」
中庭の噴水のそばで、ハリー、ロン、そしてハーマイオニーの3人が待っていた。あの夜以来、彼らとセラフィナの間には、言葉にせずとも通じ合う「戦友」のような絆が芽生えていた。
「ハーマイオニー、体調はいかが? よく眠れましたかしら」
セラフィナが気遣うように尋ねると、ハーマイオニーは少し顔を赤らめて頷いた。
「ええ、ありがとう。あの時は……本当に助かったわ、セラフィナ。私、あんなに怖い思いをしたのは初めてで。あなたが来てくれなかったらと思うと……」
「私一人では何もできませんでしたわ。ハリーやロンが、勇気を出して戦ってくださったからこそです」
謙虚に微笑むセラフィナに、ロンが少し照れくさそうに頭をかいた。
「……でも、一つだけ悲しいことがありましたの」
セラフィナの言葉に、一同が耳を傾ける。
「私の魔法では、トロールを止めることはおろか、傷つけることさえできませんでした。私は、自分の無力さを知りましたわ」
その瞳には、名声への渇望ではなく、ただ「大切な人を守りきれなかったかもしれない」という、純粋で、それゆえに切実な悲しみが宿っていた。
「そんなことないよ! 君は十分凄かった!」
ハリーが真っ直ぐな目で言った。その言葉に救われるように、セラフィナはふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。……そうだわ、皆さんにお土産があるのです」
セラフィナは鞄から、銀の紙に包まれた真っ赤な林檎を取り出した。厨房の屋敷しもべたちが、「勇気あるお嬢様へ」と持たせてくれたものだ。
「これを食べて、元気を出しましょう? 明日からはまた、厳しい魔法薬学の授業が待っていますもの」
彼女が器用にナイフで林檎を切り分け、皆に配る。
5人で並んで座り、甘酸っぱい林檎を齧る放課後。トロールの恐怖は、この温かな時間の中に溶けて消えていくようだった。
ハッフルパフの象徴である「誠実さ」と、彼女自身の「献身的な愛」。それらが合わさり、他寮の生徒たちをも包み込む柔らかな光となっている。
しかし、セラフィナ・ヴァレンティスの心には、冷たい澱のような焦燥感が沈んでいた。
(……あんな無力な姿、二度と晒せませんわ)
◇ ◇ ◇
だが、その高い評判と温かな仲間たちの存在を、面白く思わない者たちも存在した。
中庭からの帰り道。石造りの廊下を歩いていたセラフィナたちの前に、スリザリンの2年生である女子生徒たちが2人、不快な笑みを浮かべて立ちはだかった。
「あら、噂の『ハッフルパフの聖女様』じゃない。1年生のくせにトロールを倒しただなんて、随分といい気になってるみたいね」
腕を組み、胸を張った先頭の女子上級生が、ねっとりとした蔑視を込めて見下ろしてくる。
「それに何なの、あの空き教室でやっているお遊戯みたいな勉強会は。ハッフルパフの分際で優等生グループでも気取っているつもり? たまたま運良く教師陣が駆けつけるまでの時間を稼げたからって、調子に乗るのもいい加減にしなさいよ。落ちこぼれが集まって集団で傷を舐め合っているだけじゃない」
あまりに不快で理不尽な言葉に、隣にいたエマが悔しさに顔を強ばらせ、拳を強く握りしめた。
だが、セラフィナは一切動じることなく、背筋をすっと伸ばしてアイスブルーの瞳で静かに相手を見据えた。
「ご忠告、感謝いたしますわ。ですが、私たちが友人を護り抜いたことも、放課後に集まって真面目に学んでいることも、誰にも恥じることのない事実です。――それでは」
優雅なお辞儀を一つ残し、セラフィナはエマの肩にそっと手を添えて静かにその場を立ち去った。
感情的な反論こそしなかったものの、彼女の胸中には冷ややかな自己省察が広がっていた。
上級生の嫌味そのものは取るに足らない。だが、『トロールを単独で退けるにはあまりに未熟であった』という事実自体は、紛れもない現実だったからだ。
(直接的な威力を生み出す魔力も、理不尽を打ち破る実戦の技術も、今の私にはまだ足りませんわ。……もっと、皆を護れる確固たる力が必要です)
◇ ◇ ◇
セラフィナはすぐ行動に移した。
無断で危険な練習を始めるのではなく、かつて決闘クラブのチャンピオンであった『呪文学』の責任者、フィリウス・フリットウィック教授のもとを訪ねたのだ。
「フリットウィック教授。お忙しいところ恐れ入ります」
礼儀正しく頭を下げるセラフィナに、小柄な教授は温かく微笑みかけた。
「やあ、ミス・ヴァレンティス。トロールの件は見事な勇敢さでしたね。私に何かご用かな?」
「はい。先日の事件を経て、自らの実戦における知識と自衛能力の不足を痛感いたしました。つきましては、放課後の勉強会に集まる仲間たちと共に、正当な防衛と決闘の基本技術について、教授からご指導を仰ぎたく存じます」
自分勝手な私刑や無断の練習ではなく、志を共にする仲間全員のために正当なご指導を求めるセラフィナの高潔さに、フリットウィック教授は深く感銘を受けたように目を輝かせた。
「素晴らしい心がけです! 単なる好戦的な攻撃ではなく、お互いを護り合うための防衛の知性ですね。よろしい、火曜日と木曜日の放課後に、勉強会の皆さんを受け入れる特別指導枠を設けましょう!」
こうしてセラフィナはスケジュールを几帳面に整理した。
月・水・金曜日はいつもの空き教室での『自主学習とお茶会』。
そして火・木曜日は、勉強会の志ある仲間全員で受ける『フリットウィック教授の特別防衛指導』。
仲間たち全員の成長と自衛能力を高める環境が、完璧に整えられたのだった。
◇ ◇ ◇
火曜日の放課後。机を壁際に下げ、広く空間を確保した呪文学の教室に、緊張感と活気の混ざり合った熱気が満ちていた。
セラフィナをはじめ、エマ、ルーカス、ジャスティン、そしてハリー、ロン、ハーマイオニーといった勉強会のメンバーがずらりと顔を揃えている。
「よく集まりましたね、皆さん! 自らの手で自衛の力を求めに来たその意気込み、元決闘チャンピオンとして心から歓迎しますよ!」
フリットウィック教授が机の上に立ち、身振り手振りを交えて熱弁を振るう。
「皆さんがこれまで習った『ウイングガーディウム・レヴィオーサ』は物体を穏やかに浮かす生活の呪文です。ですが、決闘における『レヴィオーソ(浮遊呪)』は違います。ポイントは手首のスナップを『点で打つ』ことです。一瞬の打撃のように魔力を叩きつけることで、相手の足場を奪うのです」
教授の見本を受け、一同が一斉に杖を振る。
セラフィナもアスペンの白杖を構えて呪文を唱えたが、浮かび上がった訓練用の木製人形はゆらゆらと揺れるだけで、体勢を崩すほどの打撃にはならなかった。
「おや、ミス・ヴァレンティス。少し肩に力が入っていますね」
フリットウィック教授がトコトコとセラフィナの元へ歩み寄り、彼女の右腕の角度をちょんと指で直した。
「腕全体で振ろうとせず、肘を固定して手首の旋回軸だけを意識するのです。魔力を押し出すのではなく、杖先を『鋭い支点』として空間を打ちなさい」
「肘を固定して……手首の支点、ですわね」
教授の的確な指導に、セラフィナはアイスブルーの瞳を輝かせて頷いた。教わったアドバイスを頭の中で反芻し、息を整えて再び白杖を閃かせる。
「——『レヴィオーソ』!」
教わった通り、最小限の鋭いスナップを利かせると、白杖の先端から引き締められた圧力が走った。今度は訓練人形の重心を正確に掬い上げ、一気に虚空へと持ち上げられた。
「見事です、ミス・ヴァレンティス! 吸収が実に早い!」
フリットウィック教授が手を叩き、周囲のハリーやロン、エマたちへ向き直った。
「皆さん見ましたか! 浮遊呪文は、単体で使うだけでなく『他の呪文と連携させること』で真価を発揮するのです! 宙に浮いて足場を失った相手に『デパルソ(撃退呪)』を撃てばどうなるか……『ディセンド(降下呪)』で叩き落とせばどうなるか!」
「足場がないから、ふき飛ばされたり落ちたりする衝撃を逃がせないんだ……!」
ハリーが目を輝かせ、ハーマイオニーも「つまり、レヴィオーソからデパルソ、あるいはディセンドへと連続して衝撃波のベクトルを繋ぐのね!」と激しく筆を走らせる。
「その通り! さらにはレヴィオーソで浮かせ、ディセンドで叩きつけ、間髪入れずにデパルソで吹き飛ばす三段連携! あるいは、最初に『エクスペリアームス(武装解除呪)』で杖を弾き飛ばし、無力化してから『インカーセラス(束縛呪)』で縛り上げる先手必勝の形! これらはいずれも、相手に無駄な危害を加えず確実に戦意を挫く決闘の真髄です!」
フリットウィック教授の熱弁に、セラフィナの胸が高鳴った。
「ではハーマイオニー、他の呪文と連携させる際、前の呪文の余韻をどう処理しますか?」
「ええと……一度息を整えてから次の軌道を描きますか?」
「いいえ! 決闘においてその一瞬の停滞は隙となります。前の呪文の『余韻の波』を殺さず、次の呪文の軌道へと滑らかに円を描いて乗り換えるのです。ミス・ヴァレンティス、やってみましょう」
「はい、教授」
セラフィナは教授の言葉を反芻しながら、浮遊する人形に対して白杖を振るった。 最初の一撃『デパルソ』で真横へ弾き飛ばそうとしたが、魔力の繋ぎ目が途切れ、2打目の『ディセンド』への移行で一瞬のラグが生じてしまう。
「惜しい! 軌道を一度止めてしまいましたね。手首を直線で引き戻すのではなく、そのまま円を描くように円滑に杖先を落とすのです」
教授自らが杖を振って見せた滑らかな円運動に、セラフィナは深く感銘を受けたように目を細めた。
「円を描くように……承知いたしましたわ」
呼吸を整え、二度目の挑戦。セラフィナは弾き飛ばした衝撃の余韻を殺さず、白杖の先で優雅な円を描くように垂直下へと振り下ろした。
「——『デパルソ』! 続けて、——『ディセンド』!」
真横への衝撃波と同時に、円状に繋がれた魔力が頭上からの重圧となって人形を襲う。バゴォン! と大きな音が響き、人形が床へと激しく叩きつけられた。
「素晴らしい! 教授の教えを一度でここまで自分のものにできるなんて……!」
「す、すごい……! 完璧な連携だ……!」
ハーマイオニーがノートに激しく筆を走らせ、ロンやルーカスが感嘆の声を上げ、フリットウィック教授も机の上で跳びはねるように万雷の拍手を送った。
「素晴らしい! 教授の言葉を正しく理解し、完璧な軌道で繋いでみせましたね! さあ、ハリー、ロン、エマ、皆さんもミス・ヴァレンティスの魔力の繋ぎ方を参考に、何度も練習しなさい!」
「「はい!」」
教授の熱心な技術指導と、教わりながら着実にコンボを修得していくセラフィナの姿。それに触発された仲間たちも目の色を変え、互いに手首の振りや呪文の連携を教え合いながら、汗を流して何度も練習を繰り返していったのだった。
◇ ◇ ◇
金曜日の放課後。
いつもの空き教室には、甘い紅茶の香りと、晴れやかな笑顔が満ちていた。
「セラフィナ! 昨日教授に教わった『デパルソ』の円軌道、少しコツが掴めた気がするよ!」
「まあ、ルーカス。素晴らしいですわ。積み重ねた鍛錬は決して裏切りませんもの」
スコーンを美味しく頬張るエマやジャスティン、そしてハリーたちに囲まれながら、セラフィナは優雅に微笑んだ。
陰湿な嫌味に一切惑わされることなく、正当な道筋で仲間と共に気高く力を磨き上げた少女。
窓から差し込む夕日を受け、アスペンの白杖はどこまでも静かに、美しく輝いていた。
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