フロッシュに紹介された風呂屋は混浴だった。ミズギまたは体に巻く布が必須だ。
更衣室で着替えてから温泉へ出ると、川そのままの温泉が目の前に広がっていた。いくつか止水されている空間があり、「慣らし湯」や「足湯」など看板がある。
高台のところに風紀委員がいた。水分を摂りながら温泉全体を見渡している。
男女別れていないのは、スペースの問題だろう。風呂屋自体も大して広いわけではなく、必要最低限のスペースしかないようだった。
「仕事の後の温泉は格別だぞ」
フロッシュがレニーに歩み寄ってくる。いつもの格好のままだった。普段からミズギということなのだろう。
「まぁぬくぬくビーバーがいたところも蒸し風呂みたいだったけど」
「湯があるに越したことはない」
汗は流したが、やはり体を直接温めた方が良いことに違いはない。
「フロッシュは直接本流に入るが、レニー氏はどうする?」
「さすがに慣らしてからにするよ」
「それがいい。温度差は危険だからな」
フロッシュは湯気の最も激しい、流れている温泉の方に向かっていく。レニーは慣らし湯という看板のほうに歩いていった。
「それにしても凄い湯気だ……な」
慣らし湯に近づくと先客がいた。視線が合うと相手は目を丸くしてこちらを見る。
「な、な……」
唇をわなわなと震わせ、がばっと立ち上がる。
「なんでアンタがここにいんのよ!」
琥珀色の瞳に睨まれる。濡れた緋色の髪をぺったりとしていた。背は低めで、小柄な少女だった。黒いミズギを着用しており、白いラインがアクセントに入っている。胸のより下のラインと腰のラインに朱色のリボンが通されており、左サイドで結ばれている。露出の多い印象はなく、可愛らしさが強調されていた。
レニーは首を傾ける。
「…………メリース?」
ロゼアのギルドでもナンバーワンのペア冒険者、ツインバスターの片割れ、メイガスのメリースだった。
「なんで今名前出るまでに時間かかったわけ!?」
「いや、帽子被ってないし。魔書ないし。ノアいないし」
言いながらレニーは慣らし湯に足をいれる。常識的な温度であった。人によっては慣らし湯だけで帰っていくらしい。まぁそれだけ目玉の温泉が熱いということなのだろう。
「は? アンタ、アタシを何で判別しているわけ」
「帽子」
「ムキーッ! ちゃんと覚えなさいよ!」
「覚えてるじゃないか名前」
「それはギルド中に轟いてるの! 知らない方がおかしいわけっ!」
元気だな、と思いつつ慣らし湯に浸かる。
「というか何ナチュラルにくつろぎ始めてるのよ。普通驚いたりするでしょ」
「そこで会話弾ませる必要ある?」
「コミュニケーション!」
バシャバシャと水面を叩くメリース。
「どうせノアも来るんでしょ。いいよ、オレに時間割かなくて。そのうちあっち行くから」
「あっちって、あの熱すぎるやつ? よく行く気になるわね」
「それが目的で来たんだから」
「へ、へぇー。混浴じゃないんだ」
頬を赤らめながらメリースが言う。レニーは心底何言っているんだという想いでメリースを見た。
「なんで?」
「ルミナと一緒だったりしないの」
「…………いない」
「そうなんだ。ひとり?」
「依頼でエレノーラを連れてきたけど別行動。風紀委員の仕事を手伝って、まぁその風紀委員が先にあっちでくつろいでるね」
「風紀委員? どういう関係よ」
「どうも何も、カットルビーの冒険者だから依頼手伝っただけだよ。ここ教えてくれたの彼女だし」
息を吐く。
「変なこと考えてないでしょうね」
「逆に聞くけど。温泉入りに来たのに、他に何か考えることでも?」
レニーが問うと、メリースは目を泳がせた。
「そ、そりゃ、えっと……」
「おまたせ。あ、レニーじゃん。奇遇だね」
慣らし湯にノアが入ってきた。白いハーフパンツタイプのミズギを着ている。引き締まった筋肉が惜しげもなく晒されていた。細身の印象があるが、無駄なく筋肉がついている。
「あぁ、そうだね。奇遇だ。それじゃ」
レニーは立ち上がると、慣らし湯から出る。
「え、ちょ、もういいの?」
メリースの言葉にレニーは振り返る。
「オレと違って、考えてるんだろ?」
からかうように笑みを浮かべる。それでメリースの顔は爆発したように真っ赤になる。
「ま、仲良くやってくれ。オレは温泉に浸かるから」
手を振る。
「ありがとう。また」
何も知らないノアは手を振り返し、メリースは頬をふくらませてレニーを睨むだけだった。
湯気の出る川。
その見た目に思考が追いつかないながらも、足元の熱がそれが温泉だと伝えてくれる。ゆっくりと足を踏み入れると、なるほど確かに熱かった。
体を少しずつ入れていく。
今まで実感の薄い、体の芯というものが温められていく感覚があった。不思議な感覚だ。熱い鉄の棒でも体内にあるかのような感覚であるが、決してそれは不快であったり、痛みがあるものではなく、むしろ長年固まっていたものが柔らかくされていくような、そんな感覚であった。
心地が良い。
座っても、肩まで浸かれるほど深さはなかった。鳩尾あたりまでだ。それでも十分と感じられるほど温かい。肌が若干ピリピリするほどの熱さが逆にクセになりそうだった。
「あぁーいいな……」
「昨日も思ったが、レニー氏はやたら色っぽいな。性別偽造のせいだろうか」
目を向けると少し離れたフロッシュが立っていた。平気な顔でその場にいる。若干肌が赤いような気がした。
「知らないな」
「近くに行っても」
「どうぞ」
失礼、と言いつつ隣に座ってくる。
「どうだ、湯加減は」
「ちょうどいいね」
「ふふ、お気に召したのなら何よりだ。フロッシュもここが大好きなのでな」
「熱いから?」
フロッシュは頷く。
「風呂上がりの感覚がとても気持ちいいのだ。あとここで売っているキンキンに冷えたミルクコーヒーは最高だ」
「いいね。オレも飲もうかな」
「おすすめだ。ぜひ」
穏やかな表情でフロッシュは返す。
「ひとりでじっくり浸かって、心を洗い流す。誰かと入って語り合う。風呂上がりの美味い飲み物、食べ物、酒……温泉の楽しみ方はたくさんある。疲れたら、恋しくなったら、誰かと親睦を深めたかったら……ぜひまた来ると良い。フロッシュも嬉しい」
「あぁ、そうするよ」
「そのときはあのときと今回の美少女を両方連れてくると良い。眼福だ」
「キミは台無しすることが一番得意なことがよくわかった」
なぜ余計なことまで話してしまうのか、レニーは思わずため息を吐いた。
フロッシュは立ち上がる。
「さて、フロッシュは満足したので帰る。道案内が必要なら外で待っているが」
「いや、適当にぶらついて戻るさ。今日はありがとう」
「ふふん、ここの魅力が伝わったのなら何よりだ。では」
フロッシュが歩き出し、温泉から出ていく。
「――ルミナとフリジットもねぇ」
レニーは膝を立て、そこに腕を乗せる。そして目を閉じた。
――目の保養になるでしょ。
――ど、どう? ボクの、ちゃんとしたミズギ。
ふたりのミズギ姿を思い出す。あれから色々なことがあった。何ならあのときも色々あった。
「…………うん」
顔が熱いのは、きっと温泉の効果だろう。